津田健治
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津田 健治(つだ けんじ、1891年(明治24年)9月25日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。
経歴
[編集]山口県吉敷郡宮野村(現山口市)に生まれる[1]。1909年(明治42年)3月、山口県立農業学校農科を卒業し、1910年(明治43年)3月、山口県農事試験場研究科を修了する[1]。同年4月、宮野村農会技手兼書記を拝命し、11月、現役志願兵として入隊する[1]。1915年(大正4年)2月、台湾総督府巡査となり[1]、1918年(大正7年)府施行の普通文官試験に合格[2]。嘉義庁警務課勤務、嘉義庁庶務課勤務、台南州斗六郡勤務、新化郡、曽文郡、嘉義郡各庶務課長、台南州地方課地方係長、同州文書課長を経て、1940年(昭和15年)3月、台南市助役に就任し、1941年(昭和16年)6月、台北州文山郡守に就任した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 原幹次郎『自治制度改正十周年紀念人物史』勤労と富源社、1931年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。