津軽順朝
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化11年(1814年) |
死没 | 天保11年11月17日(1840年12月10日)[1] |
主君 | 津軽信順→順承 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 津軽氏(百助家) |
父母 | 父:津軽朝定 |
妻 | 高倉盛儀娘・芳光院 |
子 | 承祜、承叙、那須資礼養女 |
津軽 順朝(つがる ゆきとも)は、江戸時代後期の津軽氏一門。書院大番頭兼参政。津軽百助家の当主。
略歴
[編集]津軽朝定の子として誕生。本家・弘前藩10代藩主・津軽信順から偏諱を受けた。
幕末、弘前・黒石両家で藩祖・為信の血統が途絶えたため、その血を引くこの家から血統の復活がはかられ、順朝の2人の息子がそれぞれの家を継ぐこととなった。しかし、弘前藩主家の養子となった長男・承祜は早世して跡を継ぐことが叶わず、熊本藩主の細川氏から養子を迎える結果になった。黒石藩主家を継いだ次男・承叙の血統も、その長男である津軽類橘(るいきつ)の代に途絶えている(類橘の跡は池田源の子・津軽益男が継いだ)。
系譜
[編集]略系図
[編集]津軽信政弘4 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
信壽弘5 | 壽世黒(4) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
信興 | 著高黒(5) | 朝儀 | |||||||||||||||||||||||||||||||
信著弘6 | 寧親黒(6),弘9 | 朝定 | |||||||||||||||||||||||||||||||
信寧弘7 | 信順弘10 | 典暁黒(7) | 順朝 | ||||||||||||||||||||||||||||||
信明弘8 | 親足黒(8)1 | 承祜※a | 承叙※b | ||||||||||||||||||||||||||||||
順徳黒2順承弘11 | 承保黒3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
承祜※a | 承昭弘12 | 承叙黒4※b | |||||||||||||||||||||||||||||||
- 実線は実子、点線は養子を示す。
- すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
- ※印は、同じ英字を付した人物が同一人物であることを示す。
- 「弘」を付した数字は弘前藩主代数、「黒」を付した数字は黒石藩主代数(( )内はは旗本としての代数)を示す。
脚注
[編集]- ^ 『青森県史』第3巻