浄願寺 (七尾市)
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敷地山浄願寺 | |
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所在地 | 石川県七尾市伊久留町イ部二十九番地 |
位置 | 北緯37度02分12.1秒 東経136度53分26.5秒 / 北緯37.036694度 東経136.890694度座標: 北緯37度02分12.1秒 東経136度53分26.5秒 / 北緯37.036694度 東経136.890694度 |
山号 | 敷地山(しきちざん) |
宗旨 | 真言宗 → 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
開基 | 乘眞 |
中興年 | (真宗寺院として)天文元年(1532年) |
正式名 |
敷地山淨願寺 敷地山浄願寺 |
法人番号 | 7220005004843 |
敷地山浄願寺(じょうがんじ)は、石川県七尾市中南部の伊久留町[1]にある浄土真宗(真宗大谷派)の寺院である。
歴史
[編集]天文元年(1532年)の開基。それより以前は真言宗であったが、当時の住職乘眞が本願寺住職証如に帰依し、浄土真宗の教えを授かり改宗したと伝える。証如より本尊阿弥陀如来立像と『御文』(『由緒ノ大略』では「一帖一部」)を拝領した。寺宝は、「天明年中火災ニ悉ク焼失セリ」(同)とあり、ほとんど残存していない。かつて支坊があったと伝えるが、第16代住職の時代で廃寺となった。
はじめの頃は現在の土地になく、能登国鹿島郡相馬村(現: 七尾市)内の柴田医院(現在なし)の付近に境内があったが、火災により全焼、その後現在の地に再建されたと伝える(現境内地は長九郎左衛門の喜捨によると伝える)。境内地の裏には古墳7基が確認されている。
歴代住職
[編集]- 乘眞(開基) – 羽咋郡赤崎村(現石川県羽咋郡志賀町)の出身。天正15年12月3日(1588年1月)、入寂(81歳)。
- 祐念(2世) – 寛文8年(1668年)10月25日、入寂(82歳)。坊守は尼妙岸。寛文12年12月26日、入寂(52歳)。
- 道祐(3世) – 延宝5年(1677年)4月8日、入寂(65歳)。坊守は尼妙榮(『当山住職及坊守法名』には「道祐ノ母ナリ」と注記)。延宝5年4月2日、入寂(85歳)。
- 慶祐(4世) – 天和2年(1682年)10月7日、入寂(年齢不明)。
- 祐海(5世) – 貞享元年(1684年)1月4日、入寂(45歳)。
- 智道(6世) – 貞享2年(1685年)9月20日、入寂(17歳)。
- 了賢(7世) – 元禄16年(1703年)3月2日、入寂(36歳)。
- 浄雲(8世) – 享保17年(1732年)11月8日、入寂(50歳)。坊守は尼真順。享保6年(1721年)5月4日、入寂(年齢不明)。
- 玄秀(9世) – 享保7年(1722年)10月6日、入寂。
- 玄継(10世) – 宝暦10年12月16日(1761年1月)、入寂(73歳)。
- 玄乘(11世) – 明和2年(1765年)9月22日、入寂(62歳)。尼妙乘(坊守か)、明和6年(1769年)8月1日、入寂(年齢不明)。
- 了廓(12世) – 天明6年(1786年)1月26日、入寂(年齢不明)。
- 大泉(13世) – 天保元年(1830年)9月20日、入寂(82歳)。坊守は尼妙泉。文政8年(1825年)5月29日、入寂(年齢不明)。
- 東泉(14世) – 弘化元年12月8日(1845年1月)、入寂(64歳)。坊守は尼貞含。嘉永4年(1851年)10月20日、入寂(65歳)。
- 林泉(15世) – 安政3年(1856年)12月3日、入寂(50歳)。坊守は尼妙信。明治13年(1880年)10月13日、入寂(年齢不明)。
- 廓然(16世) – 明治27年(1894年)7月6日、入寂(年齢不明)。
- 東惠(17世) – 明治37年(1904年)7月7日、入寂(39歳)。玅軀
- 惠林(18世。俗名: 竹原惠) – 昭和38年(1963年3月21日、入寂(院号は寳樹院)。坊守は釋妙軀禪尼(釈妙軀禅尼)。昭和46年(1971年)3月1日、入寂(院号は德光院)。
- 神洞(19世。俗名: 竹原神洞) – 昭和41年(1966年)9月9日、入寂(院号は速入院)。坊守は釋玉林法尼(釈玉林法尼)。昭和53年(1978年)2月13日、入寂(院号は榮昌院)。
- 惠然(20世。俗名: 竹原敏丸)
- 了然(21世。俗名: 竹原了珠)
– 現住職
アクセス
[編集]のと鉄道七尾線の田鶴浜駅から徒歩で46分 (3.8km) 、車で11分 (4.0km)[2][信頼性要検証]