濱口義郎
はまぐち よしろう 濱口 義郞 | |
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生誕 |
1910年7月13日 日本 |
死没 |
1997年7月20日(87歳没) 日本 |
国籍 | 日本 |
職業 | 実業家 |
親 | 十代目濱口儀兵衞(父) |
親戚 |
三代目濱口七右衞門(高祖父) 六代目濱口儀兵衞(伯高祖父) 七代目濱口儀兵衞(曾祖父) 片倉権助(義曾祖父) 尾澤金左衞門(義曾祖父) 八代目濱口儀兵衞(祖父) 片倉俊太郎(義祖父) 尾澤福太郎(義祖父) 濱口檐(大叔父) 片倉直人(岳父) 片倉勝衞(義伯父) 尾澤晴海(義養伯父) 尾澤虎雄(元義養伯父) 十一代目濱口儀兵衞(兄) 浜口陽三(兄) 濱口五郎(弟) 嘉納毅六(弟) 南桂子(義姉) 濱口道雄(甥) 嘉納毅人(甥) 嘉納成男(甥) |
濱口 義郞(はまぐち よしろう、1910年7月13日[1] - 1997年7月20日)は、日本の実業家。姓の「濱」は「浜」の旧字体であり、名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、浜口 義郞(はまぐち よしろう)、濱口 義郎(はまぐち よしろう)、浜口 義郎(はまぐち よしろう)とも表記される。
株式會社三越での勤務を経て、ヤマサ醤油株式会社常務、ヤマサ醤油株式会社会長などを歴任した。
概要
[編集]昭和時代に活躍した日本の実業家である。ヤマサ醤油の創業家に生まれ、常務や会長など経営の枢要を歴任した。会長在任時、ヤマサ醤油は医薬品など異分野への進出を本格化させ[2]。1980年代よりシュードウリジンを国外に輸出するなど実績を積んだ[3]。後年、深刻化した新型コロナウイルス感染症の世界的流行に際して、ファイザーの「コミナティ筋注」やモデルナの「COVID-19ワクチンモデルナ筋注」などmRNAワクチンの原料として、ヤマサ醤油のシュードウリジンが採用されるに至った[3]。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]1910年(明治43年)に生まれた。生家は「西濱口家」という家号で呼ばれており、千葉県で醤油醸造を手掛ける濱口儀兵衞商店を営んでいた[註釈 1]。父親は「醤油王」[4]と謳われた濱口梧洞こと十代目濱口儀兵衞である。なお、同じく千葉県で銚子醤油を起ち上げた濱口家とは同じ一統に属しており[註釈 2]、そちらは「東濱口家」という家号で呼ばれていた。
実業家として
[編集]1933年(昭和8年)、三越に入社して修業した。その後、家業を手伝うことになり、1943年(昭和18年)に濱口儀兵衞商店の後身であるヤマサ醤油に入社した。1956年(昭和31年)にはヤマサ醤油の常務に就任した。ヤマサ醤油は、兄である濱口勉太こと十一代目濱口儀兵衞が長年にわたって率いてきたが[2]、1983年(昭和58年)に十一代目儀兵衞の長男である濱口道雄が社長に就任することになった[2]。それに伴い、義郞は会長に就任し、道雄ら新時代の経営陣を支えた。この新体制の下で、ヤマサ醤油は醤油以外の調味料も手を広げるとともに[2]、医薬品に関する事業も本格的に展開させていった[2]。1980年代よりシュードウリジンの輸出も本格化していった[3]。1990年(平成2年)、ヤマサ醤油の取締役の一人として名を連ねつつ、相談役に退いた。1997年(平成9年)7月20日、老衰により死去した[5]。
略歴
[編集]- 1910年 - 誕生。
- 1933年 - 三越入社。
- 1943年 - ヤマサ醤油入社。
- 1956年 - ヤマサ醤油常務。
- 1983年 - ヤマサ醤油会長。
- 1990年 - ヤマサ醤油相談役。
- 1997年 - 死去[5]。
家族・親族
[編集]生家の「西濱口家」はヤマサ醤油の創業家であり、実業家や政治家など著名人を多数輩出してきた。曾祖父の濱口梧陵こと七代目濱口儀兵衞は、『稲むらの火』のモデルとなった人物としても知られている[4]。兄の濱口陽三は、「浜口陽三」の筆名を用い版画家として大成した。弟の嘉納毅六は、菊正宗酒造の創業家である嘉納家に婿入りした。義郞の妻は、「信州製糸の三大明星」と謳われた初代片倉兼太郞の従弟にあたる片倉俊太郞の孫娘であるとともに、同じく「信州製糸の三大明星」と謳われた尾澤金左衞門の曾孫にあたる。また、西濱口家と同じ濱口一統に属している「東濱口家」は、ヒゲタ醤油の創業家として知られている。そのほかにも義郞の係累縁者には著名人が多数存在するため、ここでは義郞の親族に該当する著名人のみに限定して記載した。
- 三代目濱口七右衞門(高祖父) - 実業家
- 六代目濱口儀兵衞(伯高祖父) - 実業家
- 七代目濱口儀兵衞(曾祖父) - 政治家
- 片倉権助(義曾祖父) - 実業家
- 尾澤金左衞門(義曾祖父) - 実業家
- 八代目濱口儀兵衞(祖父) - 実業家
- 片倉俊太郞(義祖父) - 実業家
- 尾澤福太郞(義祖父) - 実業家
- 濱口檐(大叔父) - 政治家
- 十代目濱口儀兵衞(父) - 政治家
- 片倉直人(岳父) - 実業家
- 片倉勝衞(義伯父) - 実業家
- 尾澤晴海(義養伯父) - 実業家
- 尾澤虎雄(元義養伯父) - 実業家
- 十一代目濱口儀兵衞(兄) - 実業家
- 浜口陽三(兄) - 版画家
- 濱口五郞(弟) - 実業家
- 嘉納毅六(弟) - 実業家
- 南桂子(義姉) - 版画家
- 濱口道雄(甥) - 実業家
- 嘉納毅人(甥) - 実業家
- 嘉納成男(甥) - 工学者
系譜
[編集]嘉納毅六 | 嘉納毅人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
嘉納成男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口儀兵衞 | 濱口儀兵衞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口儀兵衞 | 濱口儀兵衞 | 濱口道雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口七右衞門 | 濱口儀兵衞 | 儀兵衞の二女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口陽三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口檐 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口桂子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口五郞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
濱口義郞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
片倉権助 | 片倉俊太郞 | 片倉勝衞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
片倉直人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直人の三女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福太郞の二女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾澤晴海 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾澤金左衞門 | 尾澤福太郞 | 福太郞の長女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾澤虎雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 赤地に太字が本人、緑地が濱口家の歴代当主である。
- 係累縁者が多いため、濱口義郞の親族に該当する著名人のみ氏名を記載した。
- 濱口家の当主は代々儀兵衞を名乗っていたため、「濱口儀兵衞」が複数名記載されている。
脚注
[編集]註釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年、は102頁。
- ^ a b c d e 「伝統を守りつつ、新分野にも挑戦」『医薬の世界でも活躍〜現代〜 【ヤマサ醤油株式会社】』ヤマサ醤油。
- ^ a b c 「コロナワクチン“醤油”老舗企業が原料製造」『コロナワクチン“醤油”老舗企業が原料製造|日テレNEWS24』日本テレビ放送網、2021年10月10日。
- ^ a b 「プロ料理人も食品メーカーも大絶賛! 変化を恐れず挑戦する老舗・醤油メーカーのサバイバル術」『2017年8月10日 放送 ヤマサ醤油 会長 濱口 道雄 (はまぐち みちお)氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京』テレビ東京、2017年8月10日。
- ^ a b 「濱口義郎氏(ヤマサ醤油前会長)、20日死去」『濱口義郎氏(ヤマサ醤油前会長)、20日死去 - 日本食糧新聞電子版』日本食糧新聞社、1997年7月23日。