浜田知明 (野球)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現:紀北町) |
生年月日 | 1960年9月14日(64歳) |
身長 体重 |
182 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト5位 |
初出場 | 1983年5月18日 |
最終出場 | 1988年6月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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浜田 知明(はまだ ともあき、1960年9月14日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]長島高では、1977年秋季県大会準決勝に進むが、中西親志捕手のいた相可高に完封負け。3位決定戦に勝利して部員12名で明治神宮大会に出場し、初戦を完投勝利した。
高校卒業後は、社会人野球の電電東海に入社し、中西とバッテリーを組む。
1981年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受けるが入団を拒否し、チームに残留。1982年の都市対抗野球に出場し、1回戦で日産自動車を相手に好投するが、8回に逆転され敗退した。同年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。
1983年から一軍登板を果たす。6月12日の対中日ドラゴンズ戦では初先発を果たし、小松辰雄と投げ合うが2回に打ち込まれ敗戦投手となった。
1984年から3年間は登板機会がなかった。
1987年には復活、主に中継ぎとして自己最多の23試合に登板している。
引退後は、打撃投手に転向。1995年からはフロント入りし、二軍マネージャー、一軍マネージャーなどを務めた。
サイドスローからのカーブ、シュートを武器とした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 阪神 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 65 | 12.1 | 21 | 2 | 10 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 16 | 14 | 10.22 | 2.51 |
1987 | 23 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 140 | 34.0 | 27 | 5 | 14 | 1 | 1 | 18 | 1 | 1 | 16 | 14 | 3.71 | 1.21 | |
1988 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 31 | 6.2 | 10 | 2 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 6 | 6 | 8.10 | 1.80 | |
通算:3年 | 40 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 236 | 53.0 | 58 | 9 | 26 | 1 | 1 | 27 | 7 | 1 | 38 | 34 | 5.77 | 1.58 |
記録
[編集]- 初登板:1983年5月18日 対ヤクルトスワローズ5回戦(神宮球場)、9回表から4番手で登板・完了、1回無失点
- 初先発:1983年6月12日 対中日ドラゴンズ10回戦(ナゴヤ球場)、1回2/3を3失点で敗戦投手
背番号
[編集]- 50 (1983年 - 1989年)
- 91 (1990年 - 1992年)
- 103 (1993年 - 1994年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 浜田知明 - NPB.jp 日本野球機構