コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

紀伊長島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きいながしまちょう
紀伊長島町
熊野灘
紀伊長島町旗 紀伊長島町章
紀伊長島町旗 紀伊長島町章
廃止日 2005年10月11日
廃止理由 新設合併
紀伊長島町海山町紀北町
現在の自治体 紀北町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
北牟婁郡
市町村コード 24541-1
面積 110.48 km2.
総人口 10,505
(2004年11月1日)
隣接自治体 多気郡宮川村度会郡大紀町北牟婁郡海山町
町の木 ヒノキ
町の花 ハマユウ
町の鳥
町の魚
カンムリウミスズメ
マンボウ
紀伊長島町役場
所在地 519-3292
三重県北牟婁郡紀伊長島町長島2141
外部リンク 紀伊長島町
座標 北緯34度11分56秒 東経136度19分37秒 / 北緯34.19886度 東経136.32708度 / 34.19886; 136.32708座標: 北緯34度11分56秒 東経136度19分37秒 / 北緯34.19886度 東経136.32708度 / 34.19886; 136.32708
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

紀伊長島町(きいながしまちょう)は、かつて三重県北牟婁郡にあった。三重県南部に位置し、東紀州地域に含まれていた。

2005年(平成17年)10月11日、海山町合併して紀北町が発足し、自治体としての紀伊長島町は廃止された。合併特例法で定められた地域自治区制度を導入して紀北町紀伊長島区が設置されたが、2016年(平成28年)3月31日に地域自治区は廃止された。

世界遺産に登録されている熊野古道がある。毎年7月には海のねぶたと呼ばれる巨大燈籠と花火の祭典燈籠祭が開催される。

地理

[編集]
旧市街地である魚まち

気候は温暖であり、降水量が多かった。

  • 河川
    • 赤羽川
    • 有久寺川
    • 志子川
    • 片上川
    • 尾山川
    • 萩原川

隣接していた自治体

[編集]

歴史

[編集]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、近世以来の長島浦が単独で自治体を形成して北牟婁郡長島村が発足。
  • 1899年(明治32年)2月21日 - 長島村が町制施行して長島町となる。
  • 1950年(昭和25年)12月15日 - 長島町が二郷村を編入。
  • 1951年(昭和26年)11月22日 - 昭和天皇の戦後巡幸。紀伊長島駅にお召し列車が停車し、駅前奉迎が行われた[1]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 長島町と三野瀬村が合併し、改めて長島町が発足。
  • 1955年(昭和30年)2月5日 - 長島町が赤羽村を編入。
  • 1970年(昭和45年)8月1日 - 長島町が改称して紀伊長島町となる。同じ三重県内に桑名郡長島町(現・桑名市長島町)があったため。
  • 2005年(平成17年)10月11日 - 海山町と合併して紀北町が発足。同日紀伊長島町廃止。

行政

[編集]
  • 町長:奥山始郎

広域行政

[編集]

姉妹都市・提携都市

[編集]

経済

[編集]
江ノ浦湾と江ノ浦大橋

黒潮の恩恵を受けており、熊野灘における漁業が盛んだった。

熊野灘レクリエーション都市開発を進めており、観光立町を目指していた。

教育

[編集]
三重県立尾鷲高校長島校舎

高等学校

[編集]

中学校

[編集]
  • 紀伊長島町立赤羽中学校
  • 紀伊長島町立紀北中学校

小学校

[編集]
  • 紀伊長島町立赤羽小学校
  • 紀伊長島町立海野小学校
  • 紀伊長島町立志子小学校
  • 紀伊長島町立西小学校
  • 紀伊長島町立東小学校
  • 紀伊長島町立三浦小学校

図書室

[編集]

交通

[編集]
紀伊長島駅

鉄道

[編集]

バス

[編集]

一般国道

[編集]

電気

[編集]

紀伊長島町(旧・長島町)における電気供給は1915年(大正4年)に始まり、以後1927年(昭和2年)にかけて北牟婁電気という電力会社が担当していた。同社は松阪に本社を置く会社ながら、小規模な内燃力発電所を町内の山居に置き長島町を中心に供給した[3]。その後の再編を経て、1951年(昭和26年)以降紀伊長島町域は中部電力の供給区域に属した[4]

娯楽

[編集]

かつて紀伊長島町には以下の映画館があった。1960年(昭和35年)の北牟婁郡には8館の映画館があった[注 1]

  • 三河劇場
  • 長島映画劇場
  • 大洋館
  • 中央劇場

名所・旧跡・観光スポット

[編集]
長島神社

出身者

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[5]

出典

[編集]
  1. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、107頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  2. ^ 紀北町発足後の2010年3月に閉校。
  3. ^ 浅野伸一「戦前三重県の火力発電事業」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第10回講演報告資料集 三重の電気事業史とその遺産、中部産業遺産研究会、2002年、141頁
  4. ^ 三重県は南牟婁郡の一部以外中部電力の供給区域。中部電力電気事業史編纂委員会(編)『中部地方電気事業史』下巻、中部電力、1995年、4-5頁
  5. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
  6. ^ 紀北教育研究所長 小倉 肇 経歴紹介”. ZTV. 紀北教育研究所. 2014年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月11日閲覧。

関連項目

[編集]