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海津市立吉里小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海津市立吉里小学校
地図北緯35度14分29秒 東経136度39分31秒 / 北緯35.24149度 東経136.65862度 / 35.24149; 136.65862座標: 北緯35度14分29秒 東経136度39分31秒 / 北緯35.24149度 東経136.65862度 / 35.24149; 136.65862
国公私立の別 公立学校
設置者 海津市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121222100027 ウィキデータを編集
所在地 503-0601
岐阜県海津市海津町松木776-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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海津市立吉里小学校 (かいづしりつ よしさとしょうがっこう)は、かつて岐阜県海津市海津町にあった公立小学校

少子化のため、2024年3月に旧・海津町の5つの小学校(高須小、吉里小、東江小大江小西江小)を統合[1][2]海津市立海津小学校の新設により廃校。

跡地は湖池屋の新工場となる予定であったが、工場は駒野工業団地内に建設に変更されたため、跡地の利用は未定である。

沿革

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  • 1873年(明治6年) - 精勤学校が開校。鹿野村の児童が通学する。
  • 1874年(明治7年) - 凌雲学校が開校。成戸村瀬古村松木村神桐村福一色村の児童が通学する。
  • 1884年(明治27年) - 精勤学校と凌雲学校が統合。六郷尋常小学校となり、現在地に移転。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 成戸村、瀬古村、松木村、神桐村、福一色村、鹿野村が合併し、吉里村が発足。吉里尋常小学校に改称する。
  • 1915年(大正4年) - 農業補習学校を併設する。
  • 1925年(大正14年) - 吉里尋常高等小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年) - 吉里国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 吉里村立吉里小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)1月15日 - 高須町西江村大江村、吉里村、東江村が合併し、海津町が発足。同時に海津町立吉里小学校に改称する。
  • 1968年(昭和43年) - 海津町立高須小学校平原分校を廃止。平原地区の一部が吉里小学校校区となる。
  • 1976年(昭和51年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造3階建)が完成。
  • 1985年(昭和60年) - 体育館が完成。
  • 1995年(平成7年) - 校舎(特別教室棟)を増築。
  • 2005年(平成17年)3月28日 - 海津町、平田町南濃町と合併して海津市が発足。同時に海津市立吉里小学校に改称する。
  • 2024年(令和6年)
    • 2月10日 - 閉校並びに150周年記念式典を行う。
    • 3月31日 - 廃校。

通学区域[3]

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全て海津町の地域。

  • 松木
  • 田中
  • 瀬古
  • 神桐
  • 鹿野
  • 成戸
  • 福一色
  • 平原(平原内野)
  • 西島

進学先中学校

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脚注

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  1. ^ 海津町地域小学校統合準備委員会”. 海津市 (2024年2月28日). 2024年4月8日閲覧。
  2. ^ 今井智文「いいネ!岐阜 新たな歴史みんなでつくろう 5校統合の海津小が開校式」、『中日新聞』2024年4月6日朝刊、西濃版、18頁。
  3. ^ 海津市立小学校及び中学校の就学区域を定める規則

関連項目

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外部リンク

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