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海軍総監 (ドイツ帝国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

海軍総監 (Generalinspekteur der Marine) は、かつてドイツ帝国海軍に存在した監察職である。海軍監察長官とも。1871年帝国海軍本部ドイツ語版と同時に設立され、1919年まで存在した。

初代総監はアーダルベルトプロイセン王子であった。彼は皇帝からの命令に従い、皇帝の代理として「海軍及び艦隊の様々な部署に対して発令された規則が組織的及び実効的に施行されているか、またどの程度まで監督されているかを確認する」ために、海軍全般にわたって管理検査を実施する義務を負った[1]。アーダルベルト王子は帝国海軍創設前のプロイセン海軍ドイツ語版及び北ドイツ連邦海軍ドイツ語版において既にこの役職を務めており、1873年6月6日に亡くなるまで在職した。彼の死後、総監は空席となった。

1899年、帝国海軍本部の後継組織である海軍最高司令部ドイツ語版が廃止され、ヴィルヘルム2世自らが海軍参謀本部ドイツ語版を通じて最高指揮権を握ると、再び最高級指揮官[2]としての総監が置かれた。ハンス・フォン・ケースター英語版大将1899年3月14日から1906年12月29日まで務めたが、彼の退役後再び空席となった。

1909年ハインリッヒ・プロイセン王子が総監職につき、1918年8月18日まで務めた。

ドイツ帝国が崩壊し、帝国海軍がドイツ国海軍を挟んでドイツ海軍となったのちの1943年エーリッヒ・レーダー元帥が海軍総司令官辞任英語版後に海軍監察総監 (Admiralinspekteurs) に任命されたが、これは帝国時代とは違い、実権のない名誉職に過ぎなかった。

戦後の連邦海軍、現在のドイツ海軍にも海軍総監ドイツ語: Inspekteur der Marine略称InspM)という役職があるが、こちらは対照的に海軍の最高位の士官である海軍部門の長である。

歴代総監

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肖像 氏名 就任日 退任日 在任期間 出典
1
アーダルベルト・フォン・プロイセン
大将
アーダルベルト・フォン・プロイセン
(1811–1873)
18711873/6/6 †1–2年-
2
ハンス・フォン・ケースター(英語版)
大将/元帥
ハンス・フォン・ケースター英語版
(1844–1928)
1899/3/141906/12/297年, 290日-
3
ハインリヒ・フォン・プロイセン
元帥
ハインリヒ・フォン・プロイセン
(1862–1929)
1909/10/11918/8/108年, 313日-

海軍総監旗

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文献

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  • ハンス・ヒルデブランド: Die organisatorische Entwicklung der Marine nebst Stellenbesetzung 1848 bis 1945, Bd. 1 (Formationsgeschichte und Stellenbesetzung der deutschen Streitkräfte 1815-1990; Bd. 2). Biblio-Verlag, Osnabrück 2000, ISBN 3-7648-2541-3, S. 74.

脚注

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  1. ^ AKO vom 14. März 1899
  2. ^ 他に海軍官房長官 (Chef des Marine-Kabinetts) 、海軍参謀総長 (Chefs des Admiralstabs der Kaiserlichen Marine) 、海軍長官 (Staatssekretäre des Reichsmarineamtes) がある。なお海軍官房長官は海軍内局長官や海軍秘書官長、海軍長官は海軍大臣とも訳される。