海野普吉
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海野 普吉[注 1](うんの しんきち、1885年(明治18年)8月29日 - 1968年(昭和43年)7月6日[2])は、昭和戦前・戦後の社会派、自由人権派の弁護士。
多くの思想裁判・政治裁判の弁護をする[注 2]。戦後は社会運動も行う。戦後初の最高裁判事も受けず、親友の片山哲内閣の法務大臣も受けず、一貫して在野の弁護士であることを貫く[注 3]。
経歴
[編集]- 1925年:海野普吉法律事務所を創設
- 1945年:日本社会党顧問となる
- 1947年:第二東京弁護士会会長に就任
- 1947年:自由人権協会創立(11月23日)、初代理事長に就任[4]
- 1948年:日本弁護士会連合会会長に就任
- 1957年:総評弁護団を結成、初代会長に就任
- 1961年:日本民主法律家協会設立、代表理事に就任
- 1967年:東京都知事選挙で美濃部亮吉の選挙母体「明るい革新都政をつくる会」の代表委員に名を連ねた[5]。
手がけた事件
[編集]手がけた社会運動
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 入江 (2011) 24頁
- ^ 海野普吉 - コトバンク
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 46頁
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、358頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ 「美濃部氏 後援団体の結成総会 政党の上に市民組織」『朝日新聞』1967年3月17日付朝刊、15頁
参考文献
[編集]- 海野普吉(潮見俊隆編)『ある弁護士の歩み』日本評論社、1968年
- 「弁護士海野普吉」刊行委員会編『弁護士海野普吉』非売品、1972年
- 潮見俊隆編著『日本の弁護士』日本評論社、1972年
- 松岡英夫『人権擁護六十年――弁護士海野普吉』中公新書、1975年
- 森長英三郎『日本弁護士列伝』社会思想社、1984年
- 竹下甫『ある弁護士の置土産――海野普吉先生に学ぶ刑事弁護の精神』白順社、1996年
- 入江耀子『思想は裁けるか――弁護士・海野普吉伝』筑摩選書、2011年