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涅槃宗 (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

涅槃宗 (ねはんしゅう)は、安土桃山時代から江戸時代初期まで存在した日本仏教の一派。開祖は及意上人空源

所依の経典は『涅槃経』と『法華経』。

概要

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特長

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  • 涅槃経の「悉有仏性」、法華経の「一乗思想」を基本とする。
  • 一向宗同様、僧侶は妻帯する[1]
  • 開祖の空源は無師独悟

歴史

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  • 文禄元年(1592年)、無師独悟した空源の晴明町に庵を結んで布教を始めた。
  • 慶長元年(1596年5月15日、説法を聞きに来た少年を弟子として空禅の法名を与えた(後の住友政友)。
  • 慶長7年(1602年)、後陽成天皇より空源に、及意上人の号が贈られ、晴明町に本山として、北城金光山涅槃寺を創建した。
  • この頃、天鷲寺(大坂)、光澤寺(堺)、豊学寺(摂津荒牧)、東雲寺(近江川辺)が空源によって創建された。
  • 慶長18年(1613年)、後水尾天皇より、空尊に対し、臺玉上人の号が贈られた。
  • 元和3年(1617年)11月15日、後陽成天皇の崩御後、他宗派によって京都所司代板倉勝重に邪宗派として訴えられ、12月2日、涅槃寺が破壊され、12月26日、空源以下主立った者が江戸に護送された。
  • 元和4年(1618年)、空源が酒井忠世に、空禅が佐倉藩に、空位安藤重信に、空越が宇都宮藩に預かりとなった。
  • 元和5年(1619年)8月7日、開祖の空源が酒井忠世の下屋敷で病没、その他の人々の拘禁が解除され、空禅は帰京して、員外沙門を名乗った。
  • この頃、後陽成天皇の遺命を受けた天海により、涅槃宗を天台宗に吸収して三明院門流とすることとなった。
  • 寛永4年(1627年)、近江坂本 大覚寺を三明院門流の本山として、空尊が入った。

以降、涅槃宗は天台宗三明院門流として継続することとなった。

信仰地域

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本拠の京のほか、寺院のあった大坂、近江、移送された江戸、網干、紀伊、博多などに信徒がいたが、天台宗吸収後は、住友政友のように、表向きは他宗に属して信仰を続けた者もいた。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 空源、及びその弟子の空禅、空運の妻帯が確認出来る