涅槃宗 (日本)
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涅槃宗 (ねはんしゅう)は、安土桃山時代から江戸時代初期まで存在した日本の仏教の一派。開祖は及意上人空源。
概要
[編集]特長
[編集]歴史
[編集]- 文禄元年(1592年)、無師独悟した空源が京の晴明町に庵を結んで布教を始めた。
- 慶長元年(1596年)5月15日、説法を聞きに来た少年を弟子として空禅の法名を与えた(後の住友政友)。
- 慶長7年(1602年)、後陽成天皇より空源に、及意上人の号が贈られ、晴明町に本山として、北城金光山涅槃寺を創建した。
- この頃、天鷲寺(大坂)、光澤寺(堺)、豊学寺(摂津荒牧)、東雲寺(近江川辺)が空源によって創建された。
- 慶長18年(1613年)、後水尾天皇より、空尊に対し、臺玉上人の号が贈られた。
- 元和3年(1617年)11月15日、後陽成天皇の崩御後、他宗派によって京都所司代の板倉勝重に邪宗派として訴えられ、12月2日、涅槃寺が破壊され、12月26日、空源以下主立った者が江戸に護送された。
- 元和4年(1618年)、空源が酒井忠世に、空禅が佐倉藩に、空位が安藤重信に、空越が宇都宮藩に預かりとなった。
- 元和5年(1619年)8月7日、開祖の空源が酒井忠世の下屋敷で病没、その他の人々の拘禁が解除され、空禅は帰京して、員外沙門を名乗った。
以降、涅槃宗は天台宗三明院門流として継続することとなった。
信仰地域
[編集]本拠の京のほか、寺院のあった大坂、近江、移送された江戸、網干、紀伊、博多などに信徒がいたが、天台宗吸収後は、住友政友のように、表向きは他宗に属して信仰を続けた者もいた。
参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 空源、及びその弟子の空禅、空運の妻帯が確認出来る