淀川隆博
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名前 | ||||||
カタカナ | ヨドガワ タカヒロ | |||||
ラテン文字 | YODOGAWA Takahiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1951年3月4日(73歳) | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
淀川 隆博(よどがわ たかひろ、1951年3月4日 - )は、日本の元サッカー選手、前Jリーグ所属ジェフユナイテッド市原・千葉社長。現役時代のポジションはGK。
人物
[編集]兵庫県出身。早稲田大学在学中には学生日本代表に選ばれた経験を持ち、1973年からは古河電工サッカー部(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)でプレイ。
引退後は古河電工の営業職を経て、2004年4月から2008年4月までジェフユナイテッド市原の代表取締役社長を務める。
2006年にクラブの監督として契約途中であったイビチャ・オシムの日本代表監督就任要請を許諾、それまで一貫してチームの強化方針を担当していた祖母井秀隆GM(当時)と対立し、祖母井GMは退団する結果となった。
2008年1月上旬までJ1で唯一監督・GMともに決まらず、さらに「脱オシム路線」「アジア進出」を掲げたことで、選手たちの混乱を招いた。それらの結果、主力選手を5人も移籍させてしまうという事態を引き起こした。この年の契約更改交渉の席では「12月31日までに淀川社長がいなくなればジェフに残ります」と はっきりと口にする選手までいた。[1]
2008年4月25日付で、成績不振の責任を取る形でジェフユナイテッド市原・千葉の代表取締役社長を退任した。
所属クラブ
[編集]- 兵庫県立芦屋高等学校
- 早稲田大学
- 1973年-1981年 古河電工
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1973 | 古河 | 1 | JSL1部 | 18 | 0 | ||||||
1974 | 1 | 18 | 0 | - | |||||||
1975 | 1 | 18 | 0 | - | |||||||
1976 | 1 | 2 | 0 | ||||||||
1977 | 1 | 6 | 0 | ||||||||
1978 | 1 | 6 | 0 | ||||||||
1979 | 1 | 9 | 0 | ||||||||
1980 | 1 | 16 | 0 | ||||||||
1981 | 1 | 7 | 0 | ||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 100 | 0 | |||||||
総通算 | 100 | 0 |
引退後経歴
[編集]- 2004年4月-2008年4月 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉:社長
脚注
[編集]- ^ 『週刊サッカーマガジン』2008年8月5日号[要ページ番号]