清水粲蔵
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清水 粲蔵(しみず さんぞう、1852年(嘉永5年2月[1][2]) - 1895年(明治28年)11月29日[2])は、明治時代の政治家。教育者。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]清水金六の子として美濃大垣藩領安八郡上開発村(岐阜県安八郡和合村を経て現大垣市)に生まれ、のち清水又市の養嗣子となる[1]。京都に遊学したのち、吉田秀穀に漢学を学び、大垣藩儒の員野村煥の門に入った[1]。1876年(明治9年)岐阜師範学校を卒業し、同校助教授となる[2]。岐阜伊奈波学校に転じたのち教職を辞し、1880年(明治13年)岐阜県属となった[1]。1882年(明治15年)岐阜県会議員に当選し[1]、同常置委員などを歴任した[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第2区から出馬し当選[2]。独立倶楽部に属し衆議院議員を1期務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。