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清水粲蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清水 粲蔵(しみず さんぞう、1852年嘉永5年2月[1][2]) - 1895年明治28年)11月29日[2])は、明治時代の政治家教育者衆議院議員(1期)。

経歴

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清水金六の子として美濃大垣藩安八郡上開発村(岐阜県安八郡和合村を経て現大垣市)に生まれ、のち清水又市の養嗣子となる[1]。京都に遊学したのち、吉田秀穀漢学を学び、大垣藩儒の員野村煥の門に入った[1]1876年(明治9年)岐阜師範学校を卒業し、同校助教授となる[2]。岐阜伊奈波学校に転じたのち教職を辞し、1880年(明治13年)岐阜県属となった[1]1882年(明治15年)岐阜県会議員に当選し[1]、同常置委員などを歴任した[2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第2区から出馬し当選[2]。独立倶楽部に属し衆議院議員を1期務めた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e 篠田 1891, 379頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 240頁.

参考文献

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