渡瀬凌雲
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渡瀬 凌雲(わたせ りょううん、1904年7月9日 - 1980年5月17日)は日本画家。南画の大家。本名は渡瀬幸成。
経歴
[編集]長野県下伊那郡根羽村に生まれる。幼いころから大平小洲、山本梅荘に師事。尋常小学校高等科を卒業後は上京して福田浩湖塾に入門。一方で、旧制錦城中学校、正則英語学校に通いながら那智左典に漢学を学んだ。1925年(大正14年)には京都へ移り、福田静処に和漢文学・詩書を学ぶ。以後、京都に定住する。
1933年(昭和8年)第14回帝展に「河口」が初入選、以後は帝展、文展、日展、日本南画院を中心に出品する。1937年(昭和12年)京都市美術展「南紀佐野村」で京都市長賞を受賞[1]。
戦後は同志と南画院を結成して活動を続け、水墨を基調に山水花鳥に新生面を開いた。日本南画院副理事長、京都日本画家協会理事、京都学園大学講師[2]。
主な作品
[編集]- 『雲竜図』天龍寺山内慈済院開山堂天井画 1959年
脚注
[編集]- ^ “『日本美術年鑑』昭和56年版(251-253頁)”. 東京文化財研究所 (2014年). 2022年9月25日閲覧。
- ^ 渡瀬凌雲『出身県別 現代人物事典 西日本版』p467 サン・データ・システム 1980年