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渡辺兵四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わたなべ ひょうしろう

渡辺 兵四郎
生誕 佐助
1846年弘化3年)4月16日
(旧暦)3月21日
出羽国山本郡能代港
死没 1932年昭和7年)5月11日
国籍 日本の旗 日本
職業 漁業家、政治家、他多数
著名な実績 小樽商業会議所会頭、小樽水産組合長、他
活動拠点 北海道小樽、他
渡辺甚四郎
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選挙区 北海道小樽区
当選回数 1回(無効)
在任期間 1908年5月15日 - 1909年12月10日


在任期間 1912年3月28日 - 1916年2月9日

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渡辺 兵四郎(渡邉[1]、わたなべ ひょうしろう、1846年4月16日弘化3年3月21日[2] - 1932年昭和7年)5月11日[1])は、日本の実業家、漁業家、政治家衆議院議員小樽区長。初名・佐助[3]

経歴

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出羽国能代港[3]で渡辺甚四郎の二男として生まれる[2]。12歳まで能代の商家で奉公し[3]万延元年(1860年)家出して小樽に渡り[4]、山田兵蔵家の店員として勤め、主人からの信頼を得てその一字をもらい受けて兵四郎と改名[3]1877年に独立し荒物商を営む[3]

また漁業経営にも乗り出し、ニシン漁網の改良を行い、漁業組合、水産組合を創設して、小樽郡漁業組合頭取、小樽外六郡漁業組合連合会長、小樽水産組合長など務め、北海道水産界の振興に貢献した[1][4]。その他、学務委員、徴兵参事員、小樽区会議員、北海道会議員、同副議長、同議長、小樽商業会議所会頭などを歴任[1]

1908年5月の第10回衆議院議員総選挙で北海道庁小樽区から出馬し当選したが[1]1909年12月10日、衆議院議員選挙訴訟の結果、当選が無効と確定した[5]。また1912年3月28日[6]から1916年2月9日[7]まで小樽区長を務めた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』727-728頁。
  2. ^ a b 『人事興信録』第4版、わ31頁。
  3. ^ a b c d e 『北海道歴史人物事典』417-418頁。
  4. ^ a b c 『北海道人名辞書』第二版、656頁。
  5. ^ 『官報』第7949号、明治42年12月21日。
  6. ^ 『官報』第8630号、明治45年3月29日。
  7. ^ 内閣「永井金次郎北海道小樽区長ニ就任ノ件」大正6年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-019-00・任B00797100

参考文献

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  • 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。