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渡邉千真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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渡邉 千真
名前
愛称 カズマ[1]
カタカナ ワタナベ カズマ
ラテン文字 WATANABE Kazuma
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-08-10) 1986年8月10日(38歳)
出身地 長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市
身長 182cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 SHIBUYA CITY FC
ポジション FW
利き足 右足[2]
ユース
2002-2004 長崎県立国見高等学校
2005-2008 早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2011 横浜F・マリノス 88 (28)
2012-2014 FC東京 86 (26)
2015-2018 ヴィッセル神戸 114 (34)
2018-2020 ガンバ大阪 63 (11)
2021-2022 横浜FC 53 (7)
2023 松本山雅FC 20 (2)
2024- SHIBUYA CITY FC
代表歴
2004  日本 U-19
2007  日本 U-22
2010 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月31日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

渡邉 千真(わたなべ かずま、1986年8月10日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市)出身のプロサッカー選手[2]東京都社会人サッカーリーグSHIBUYA CITY FC所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表

兄の渡邉大剛、弟の渡邉三城も元サッカー選手[3]

来歴

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プロ入り前

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7歳[1](小学校2年生[3])の時に兄・大剛の影響で[4][5]サッカーを始め、2002年国見高校に進学する。同校サッカー部では1学年上の平山相太兵藤慎剛らと共に攻撃をリード[6]。2003年度のインターハイでは得点王に輝いた。さらに同年度の全国高校サッカー選手権を制覇[7]。当時は主に攻撃的MFを務めていたが、平山らが部を引退した3年時からはFWでプレー[8]2004年度の高校サッカー選手権にはキャプテンとして出場し[3]、厳しいマークに晒される中でも正確なプレーで[9] ベスト4入り[7]

3年時の秋には、翌年開催されるワールドユースオランダ大会の予選を兼ねたAFCユース選手権2004のU-19日本代表として、高校サッカー部から唯一招集され、平山とポジションを争った[10]。準決勝・対韓国戦で1得点を挙げたが、ワールドユースメンバー選出は叶わなかった。

2005年早稲田大学に進学。ア式蹴球部に入ると、1年時から出場を重ね、2年時からはレギュラーに定着し[11]、2006年、2007年と2年連続で関東大学サッカーリーグ得点王を獲得。関東大学リーグ戦では当時のリーグ記録となる通算62試合で37得点を挙げた[12]。大学サッカー界では「天才」「怪物」とも称され[4][5]、4年時には複数のJリーグクラブによる争奪戦となった[13][14][15]

横浜F・マリノス

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横浜F・マリノス監督の木村浩吉の「ポジションを空けて待っている」という口説き文句もあり、2009年、横浜FMへ入団[16]。兵藤とは高校・大学に続きプロでもチームメイトとなった。新人ながら背番号「9」を与えられ[7][注 1]開幕戦でスタメン起用されると前半3分に初得点を決める[注 2]。4月14日にはこの年のJリーグ新人選手の中では最速で[20] プロA契約を締結した[21]。チームの得点源として[22] 活躍し、城彰二以来、史上2人目となる新人でのリーグ戦二桁得点を達成。またJ1第32節神戸戦でシーズン13点目を挙げ[23]、城が記録した新人最多得点記録を更新した[24]

同年12月21日アジアカップ最終予選を戦うA代表に初招集され、翌年1月6日イエメン戦で先発出場し、国際Aマッチ初出場を記録[25]平山相太の得点をアシストし[26]ハットトリックをお膳立てした。

2010年に横浜FMの監督に就任した木村和司からは、攻守の切り替えや味方へのパスの要求を課題に挙げられ[27][28]、出場機会が徐々に減少。2010年にはチーム内での最多得点を挙げたものの[29]、目標としていた2年連続での二桁得点[30] には届かなかった。2011年のJ1第2節川崎戦では鬱憤を振り払う逆転ゴールを決め、ユニフォームを脱いで喜び警告を受けている[27]

同年末には、神戸[31]浦和[32]FC東京[2] など複数クラブから獲得の打診を受け、横浜FMとの契約更新を固辞[31]

FC東京

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2012年、FC東京へ完全移籍[33][34]。ポジション争いは厳しくJ1での出場機会は限定されたが[35]、自身初参加となったAFCチャンピオンズリーグではFWルーカスに代わって1トップでの先発出場を続け[36]、自らの得点でグループリーグ突破に貢献した[35][37]。苦手としてきたポストプレーに取り組みながらも[38] J1第12節鳥栖戦にて自身初となるJ1でのハットトリックを達成した[36][39]

2013年は、新加入の李忠成らとの熾烈なポジション争いを制して[40] 開幕からレギュラーを確保。前線からの守備[40]ポストプレーを向上させた[41] ことに加え、ポジショニングを高め[40]得点を量産。プレーの幅を広げて[42] ルーキーイヤー以来4年ぶりとなる2桁得点を記録し、J1第19節大分戦でリーグ戦自己最高となる14得点目を挙げた。しかしシーズン半ば以降は、スペースメイクに優れ、渡邉と好連携を築いていた東慶悟[43] トップ下からサイドハーフへとポジションを移したことも重なって、得点ペースを落としたがリーグ通算で17得点をマークした。

2014年はチームの2トップと[44] 3トップの併用に伴いウイングにも配され、サイドから得点を狙った[45]。不振の続く中で[46]武藤嘉紀の台頭もあり[47]、第20節鳥栖戦で約1年ぶりの[48] リーグ戦ゴールを記録したものの、同年は出場・得点共にFC東京加入以来最小の数字を残してしまった。

ヴィッセル神戸

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FC東京との契約を残すも[49]2015年1月にヴィッセル神戸へ完全移籍[50][51]。1stステージはマルキーニョスとの併用でセンターフォワード中心に配されたものの、中々得点を挙げる事が出来ず不調に終わった[52]、2ndステージにレアンドロが加入して以降はポジションを1列下げての起用が続いたが[53]、10月には2nd第15節山形戦のハットトリック[54][55]を含め公式戦5試合で6得点[56] とチームにフィットし、自身3度目のリーグ戦二桁得点を記録。チームをJ1残留争いから救った[57][54]同年のヤマザキナビスコカップでは、出場8試合で大会最多の7得点を挙げる活躍でチームを過去最高成績のベスト4にまで押し上げた。

2016年、監督のネルシーニョからチーム内での振る舞い、リーダーシップ、人間性などを評価され、自身初の主将に任命された[58]。同年度は中盤左サイドで年間を通して安定したプレーを見せ、2トップのレアンドロ、ペドロ・ジュニオールとともにゴールを量産。リーグ戦33試合出場12得点を挙げる活躍で2年連続の二桁得点を達成した。専門誌採点では通年平均点においてチーム最高を記録し[59]、クラブからも年間MVPとして表彰された[60]

2017年シーズンはレアンドロが開幕戦で負傷・長期離脱することになったためFWとしてプレーする機会が多くなったが、シーズン初ゴールは第11節の鹿島アントラーズ戦まで待つこととなった。キャリアにおいては2009年以来8年ぶりに全試合に出場した(途中出場含む)。

ガンバ大阪

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2018シーズンは、若手や新加入選手の活躍もあり、先発出場が21節終了時点で10試合にとどまっていた中、J1残留を目指すガンバ大阪からオファーが届く[61]。 当初、神戸側は渡邉の放出に消極的だったが、要求した長沢駿の期限付き移籍をG大阪が受け入れることで進展し[62]、8月13日にG大阪に完全移籍する事が発表された[63]。初戦となったベガルタ仙台戦ではスタメンで出場し、移籍後初ゴールも挙げた[64]。また、第34節・柏レイソル戦でJ1リーグ300試合出場を達成した[65]。G大阪ではリーグ戦13試合3得点の成績でチームの残留に貢献した。

2019年は前半戦は8試合の出場にとどまり無得点であったが、後半戦で出場時間を増加させ3得点を記録した。

2020年10月7日、第10節・サガン鳥栖戦にて史上15人目となるJ1通算100得点を達成した[66]

横浜FC

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2021年、横浜FCへ完全移籍[67]。シーズンを通してチームの主力として30試合4得点の成績を収めるも、チームはJ2降格を喫する。

2022年もチームに残留し、自身初のJ2を戦うシーズンとなる。リーグ戦22試合に出場し3得点を記録し、チームはJ2・2位で1年でJ1復帰を果たすも、自身はこの年限りで契約を満了となり退団。

松本山雅FC

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2023シーズンより松本山雅FCに加入。2023年12月10日、契約満了による退団が発表された[68]

SHIBUYA CITY FC

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2024シーズンより東京都社会人サッカーリーグ1部のSHIBUYA CITY FCに加入[69]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 国見高 24 - - - 3 0 3 0
2003 7 - - 2 3 2 3
2009 横浜FM 9 J1 34 13 8 4 3 4 45 21
2010 24 8 6 1 2 0 32 9
2011 30 7 5 2 5 1 40 10
2012 FC東京 11 27 6 3 2 1 0 32 8
2013 9 33 17 4 1 5 1 42 19
2014 26 3 4 0 3 1 33 4
2015 神戸 19 28 10 8 7 4 3 40 20
2016 33 12 7 3 2 2 42 17
2017 34 8 7 0 5 4 46 12
2018 19 4 5 3 2 0 26 7
G大阪 39 12 3 - - 12 3
2019 18 3 7 0 1 0 25 3
2020 33 6 2 0 2 0 37 6
2021 横浜FC 30 4 4 0 0 0 34 4
2022 J2 23 3 - 1 0 24 3
2023 松本 49 J3 20 2 - - 20 2
通算 日本 J1 381 104 70 23 35 16 486 143
日本 J2 23 3 - 1 0 24 3
日本 J3 20 2 - - 20 2
日本 - - 5 3 5 3
総通算 424 109 70 23 41 19 535 151

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 11 7 3
通算 AFC 7 3
ハットトリック

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2010年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2010 1 0
通算 1 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日 イエメンの旗サヌア アリー・ムフセン・スタジアム イエメンの旗 イエメン ○3-2 岡田武史 AFCアジアカップ2011予選

タイトル

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クラブ

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国見高校
早稲田大学

SHIBUYA CITY FC

個人

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脚注

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注釈
  1. ^ 新人に9番を与えるのは固定背番号制になってからは横浜FM史上初[17]
  2. ^ 試合開始時間が早かったこともあって[18]、同年のJリーグにおいても最初の得点となった。日本人の新人がリーグ第1号ゴールを決めたのは1994年の城彰二に次ぐ史上2人目[19]。また、兄の大剛も同年の開幕戦で得点を挙げている。
  3. ^ 翌2010年からは同賞の対象年齢が引き下げられたため、渡邉が大卒選手としては最後の新人王である。
出典
  1. ^ a b c d 選手名鑑 - ウェイバックマシン(2011年10月20日アーカイブ分) 横浜F・マリノス
  2. ^ a b c FC東京が渡辺千真獲り 平山と国見コンビ復活だ スポーツニッポン (2011年11月29日)
  3. ^ a b c 金の卵を探せ 第5回 渡辺千真[国見3年] 日刊スポーツ
  4. ^ a b c 2年連続得点王の天才ストライカー 横浜F・マリノス入団内定 早稲田ウィークリー (2008年10月9日)
  5. ^ a b c 2年連続得点王の天才ストライカー 横浜F・マリノス入団内定 ヨミウリ・オンライン (2008年10月9日)
  6. ^ 2004年の「夏休み」に輝いた原石たち (1/2) スポーツナビ (2004年08月27日)
  7. ^ a b c 09年J1ニューフェイスの決意(第1回、横浜FM・渡邉千真) ゲキサカ (2009年1月17日)
  8. ^ Vol.7 ワセダの頼れる得点源・渡邉千真 - ウェイバックマシン(2010年3月8日アーカイブ分) wasedasports.com (2007年7月21日)
  9. ^ 『高校サッカー 伝説の名勝負&プレイヤー列伝』カンゼン、2005年、174頁。 
  10. ^ AFCユース選手権 ベトナム戦前日 大熊清監督コメント スポーツナビ (2004年9月29日)
  11. ^ 渡邉のF・マリノス入りが決定! - ウェイバックマシン(2013年4月6日アーカイブ分) wasedasports.com (2008年8月26日)
  12. ^ 通算得点ランキング (2005年-2008年) 関東大学サッカー連盟 (2012年11月25日)
  13. ^ (渡邉千真) 大学ナンバー1FW渡邉争奪戦が熾烈に - ウェイバックマシン(2013年12月2日アーカイブ分) ゲキサカ (2008年8月13日)
  14. ^ 京都が元U19FWの渡辺弟獲りへ - ウェイバックマシン(2008年6月23日アーカイブ分) 日刊スポーツ (2008年2月3日)
  15. ^ “釜本2世”早大FW渡辺、横浜M入り! - ウェイバックマシン(2008年9月5日アーカイブ分) スポーツ報知 (2008年8月23日)
  16. ^ 2009年度、新加入選手決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2009年3月21日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2008年8月24日)
  17. ^ 横浜ルーキー渡辺に重圧エースの「9」 日刊スポーツ (2009年1月18日)
  18. ^ 2009Jリーグ ディビジョン1 第1節 Jリーグ
  19. ^ 横浜渡辺が城以来新人シーズン1号 / J1 日刊スポーツ (2009年3月8日)
  20. ^ 横浜FW渡辺がルーキー一番乗りでA契約 日刊スポーツ (2009年4月14日)
  21. ^ 渡邉千真選手 A契約締結のお知らせ - ウェイバックマシン(2009年4月16日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2009年4月14日)
  22. ^ 選手出場記録 1/2 Jリーグ (2009年12月5日)
  23. ^ 選手出場記録 2/2 Jリーグ (2009年12月5日)
  24. ^ 渡邉がJ1のルーキー最多得点記録を更新 Jリーグ (2009年11月21日)
  25. ^ MATCH SUMMARY (PDF) samuraiblue.jp
  26. ^ 千真アシストも「平山先輩に持っていかれた」 スポーツニッポン (2010年1月7日)
  27. ^ a b 警告覚悟のパフォーマンス、千真がモヤモヤ振り払う2戦連発弾 ゲキサカ (2011年7月3日)
  28. ^ 横浜FW渡辺がハット、先発復帰アピール 日刊スポーツ (2010年8月31日)
  29. ^ 選手出場記録 1/2 Jリーグ (2010年12月4日)
  30. ^ 【横浜】千真「2ケタ得点で終わりたい」 日刊スポーツ (2010年12月2日)
  31. ^ a b 横浜FW渡辺千真が来季J1の東京へ移籍 日刊スポーツ (2011年12月31日)
  32. ^ 浦和、横浜M・渡辺千に正式オファー デイリースポーツ (2011年12月14日)
  33. ^ 渡邉千真選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ 横浜F・マリノス (2012年1月6日)
  34. ^ 渡邉千真選手 完全移籍加入決定のお知らせ FC東京 (2012年1月6日)
  35. ^ a b FC東京4発で決勝T進出! 渡辺2発 デイリースポーツ (2012年5月3日)
  36. ^ a b ハットトリックのF東京・渡邉「今日は持っていた」 ゲキサカ (2012年5月20日)
  37. ^ 千真2発! FC東京 ACL1次リーグ突破決定 スポーツニッポン (2012年5月3日)
  38. ^ FC東京・渡邉「やるしかない」、危機感を糧に得点狙う (cache) スポーツナビ 2012.07.28
  39. ^ a b 2012Jリーグディビジョン1 第12節 渡邉 千真 選手(F東京)ハットトリック達成 Jリーグ (2012年5月20日)
  40. ^ a b c ポポ監督も絶賛のFW渡邉「試合に出る喜び、幸せを感じている」 ゲキサカ (2013年4月28日)
  41. ^ [特別対談]長谷川アーリアジャスール×渡邉千真「真の強さを手に入れろ!」 サッカーキング (2013年5月7日)
  42. ^ 好調を維持するFC東京の渡邉千真「満足したらそこで終わり。もっと上を目指す」 サッカーキング (2013年9月18日)
  43. ^ 五輪で10番を背負った男が変身中! FC東京をリードする東慶悟の存在感。 Number (2013年3月22日)
  44. ^ FC東京 多摩川クラシコを前に。「2トップにしてノビノビした」(渡邉千真) blogola (2014年3月21日)
  45. ^ 渡辺千真が初のシュート特訓 東京中日スポーツ (2014年2月16日)
  46. ^ 千真どん欲 今季初ゴール決める 東京中日スポーツ (2014年5月24日)
  47. ^ 千真 2戦連続ゴール狙う ストライカー復調だ 東京中日スポーツ (2014年10月24日)
  48. ^ 鳥栖は監督交代後2連敗で首位陥落…F東京はクラブタイ記録の5戦連続無失点 ゲキサカ (2014年8月16日)
  49. ^ 東京FW渡辺千真に神戸獲得オファー 日刊スポーツ (2014年12月19日)
  50. ^ 渡邉千真選手 ヴィッセル神戸へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2015年1月7日)
  51. ^ FC東京よりFW渡邉千真選手 完全移籍加入決定のお知らせ ヴィッセル神戸 (2015年1月7日)
  52. ^ 神戸渡辺千真、移籍後初弾「いいボールくれた」 日刊スポーツ (2015年3月15日)
  53. ^ 神戸 宿敵打倒へ渡辺トップ下、森岡ボランチ濃厚 スポーツニッポン (2015年7月25日)
  54. ^ a b 【神戸】渡辺、ハット! 連敗5で止めて残留決めた スポーツ報知 (2015年10月24日)
  55. ^ a b 2015明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第15節 渡邉千真 選手(神戸)ハットトリック達成 Jリーグ (2015年10月24日)
  56. ^ 【2015総括】神戸編 大きな失望感は期待値の高さから。大量失点も多かった守備面のテコ入れは急務だ! サッカーダイジェスト (2015年11月26日)
  57. ^ サッカーダイジェスト 2015Jリーグ総集編 (No.1347)』日本スポーツ企画出版社、2015年、53頁。 
  58. ^ ヴィッセル神戸 ニュース/レポート:2016シーズン新主将決定のお知らせ ヴィッセル神戸 (2016年2月5日)
  59. ^ エル・ゴラッソ イヤーブック2016 (J1・J2リーグシーズンレビュー)』三栄書房、2016年、47頁。 
  60. ^ 10/29(土)「2016ファイナルセレモニー」のレポート(会長・監督・主将コメント)を掲載 ヴィッセル神戸 (2016年10月29日)
  61. ^ 仰天トレードが成立!渡邉千真がG大阪へ完全移籍、長沢駿が神戸へレンタル サッカーダイジェスト 2018年8月13日
  62. ^ G大阪 神戸とFW交換で渡辺獲得、J2降格圏の救世主なるか スポニチ 2018年8月14日
  63. ^ 渡邉 千真選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪 2018年8月13日
  64. ^ G大阪、新加入渡辺弾も敵地逆転負け…最下位脱出も窮地脱せず サンスポ2018年8月20日
  65. ^ 2018明治安田生命J1リーグ 第34節 渡邉 千真 選手(G大阪)J1通算300試合出場達成 Jリーグ公式 2018年12月1日
  66. ^ 渡邉千真の史上15人目のJ1通算100ゴールでG大阪が5連勝!!鳥栖は反撃遅く連敗”. ゲキサカ. 講談社 (2020年10月7日). 2020年11月8日閲覧。
  67. ^ FW 渡邉千真選手 ガンバ大阪より完全移籍加入のお知らせ”. 横浜FC (2021年1月4日). 2021年1月6日閲覧。
  68. ^ 渡邉千真選手 契約満了のお知らせ”. 松本山雅FC (2023年12月10日). 2023年12月21日閲覧。
  69. ^ 渡邉千真選手 加入のお知らせ”. SHIBUYA CITY FC (2024年2月9日). 2024年2月9日閲覧。
  70. ^ 第89回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 2回戦【33】公式記録 (PDF) 日本サッカー協会 (2009年10月11日)
  71. ^ ユニバーシアード冬季競技大会(2007 バンコク)日本代表選手団 入賞者一覧 日本オリンピック委員会
  72. ^ AFCがW杯予選予備登録メンバーリストを公表、宮市や中澤、闘莉王の名も ゲキサカ (2011年9月3日)

関連項目

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外部リンク

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