李忠成
| ||||||
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名前 | ||||||
愛称 | チュン[1]、チュンソン[2]、ただなり、熱男、隊長 | |||||
カタカナ | リ タダナリ | |||||
ラテン文字 |
LEE Tadanari[注 1] I Chung-seong[5] | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1985年12月19日(39歳) | |||||
出身地 | 東京都保谷市(現:西東京市) | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション |
FW(CF、ST)[6][7] MF(OM)[6][7] | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1998-2000 |
横河電機ジュニアユース (保谷市立柳沢中学校) | |||||
2001-2003 | FC東京U-18(東京都立田無高等学校) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004 | FC東京 | 0 | (0) | |||
2005-2009 | 柏レイソル | 108 | (24) | |||
2009-2011 | サンフレッチェ広島 | 70 | (26) | |||
2012-2014 | サウサンプトンFC | 7 | (1) | |||
2013 | → FC東京(loan) | 13 | (4) | |||
2014-2018 | 浦和レッズ | 131 | (24) | |||
2019 | 横浜F・マリノス | 10 | (1) | |||
2020-2021 | 京都サンガF.C. | 22 | (0) | |||
2022-2023 | アルビレックス新潟シンガポール | 45 | (21) | |||
通算 | 406 | (101) | ||||
代表歴 | ||||||
2007-2008 | 日本 U-23 | 12 | (4) | |||
2011-2012[8] | 日本 | 11 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
李忠成/Tadanari Lee | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2020年3月2日 - |
ジャンル | サッカー |
登録者数 | 2.5万人 |
総再生回数 | 5,348,379 回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年11月9日時点。 |
李 忠成(り ただなり、1985年12月19日 - )は、東京都保谷市(現:西東京市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード、セカンドトップ)、ミッドフィールダー[6][7]。元日本代表。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]碧珍李氏[9] の韓国籍の在日韓国人4世として生まれる[10][11][12][13]。
名前はゴルファーの高橋勝成と陳志忠に由来する[14]。韓国語名はイ・チュンソン(이충성[15]、Lee Chung-Sung)[16][注 1]。実家は西東京市田無で焼肉店を経営[17]。経営者である父、李鉄泰(イ・チョルテ)も、かつて横浜トライスターSCでプレーしたサッカー選手(センターバック[18])という経歴を持つ[10][19]。また、元サッカー北朝鮮代表の金鍾成は叔従父にあたる[20]。韓国籍であったが、2007年に日本に帰化している[21][11]。
4歳の時にサッカーを始める[22]。東京朝鮮第九初級学校に在学し[注 2]、地元・こみねFCに在籍[注 3]。小学5年生で横河電機(現・東京武蔵野シティFC)ジュニアユースのセレクションに合格したため、6年生から同チームの練習に参加するようになる[19]。練習生として出場したFC東京U-15との練習試合で活躍し、相手監督の柴田峡から勧誘を受けたが、地元の田無から江東区のFC東京深川グランドに通う負担を考え[注 4]、中学時代は横河電機ジュニアユースでプレーした[24]。
2001年、東京都立田無高等学校に入学と同時にFC東京U-18に加入[注 5]。在籍時の3年連続で国体東京都選抜に選ばれ[11]、2001年にはクラブユース選手権優勝、高円宮杯およびJユースカップ準優勝に貢献した。2002年、関東サッカーリーグ得点王に輝き[16]、2003年にはプリンスリーグの優秀選手に選出された[16]。
FC東京
[編集]2004年、トップチームに昇格[16]。この時、父・鉄泰はクラブから日本帰化の意思を問われていたが、忠成が成人して自身の意思で帰化の有無を決められるようになることを待つべきとの判断から[注 6]、これを留保している[25]。
同年に朴成華が指揮するU-19韓国代表候補に選ばれトレーニングキャンプに参加する[26][11]。この際、在日韓国人をさげすむ「パン(半)チョッパリ」(半分日本人)という悪口まで耳にし、祖国での冷たい扱いにショックを受けた[注 2][27]。プロ1年目となるFC東京では出場機会を得られず、何も通用しなかったと感じたため3年契約を結んでいたがシーズン終盤に自ら強化部長に「僕サッカー辞めます。」と退団を志望した[28][19]。一度サッカー選手を辞め、人間性を成長させるために大学へ行ってからもう一度プロに挑戦しようと決めて勉強を始めていたが、練習試合で対戦した柏レイソルのGMから直接誘いを受けたため環境を変えて選手を続ける決意をした[28]。
柏レイソル
[編集]2005年に柏レイソルへ完全移籍[29][30]。同年に柏はJ2へ降格するが、主力選手の多くが退団したこともあり、2006年にはレギュラーに定着し、プロA契約を締結[31]。2006年から柏で付けていた背番号20番は、元韓国代表および元柏の洪明甫が付けていた番号で、李自身や柏にとって特別な番号として捉えていた。
同2006年、「大舞台で得点し、世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」と日本代表入りを希望。U-22日本代表監督反町康治からの勧誘もあって日本への帰化を決意し[12]、2006年9月22日に申請し2007年2月9日に認められた[21]。
日本名は通名の大山忠成[10]あるいは橋本忠成[27] も考えていたが、「韓国姓を隠す必要がないことを示したい」との理由から、李忠成とした。また自身は「五輪がなければ国籍変更していない」[32] とも語っている。日本に帰化をしようとしたら親戚から猛反対され迷っていたが、母親から「思いを貫け」と言われたことで帰化を決意した[27]。6日後の2月15日に、北京オリンピックアジア予選に臨む、U-22日本代表メンバーに追加招集された[33]。
J1復帰を果たした2007年には、FWフランサとの好連携から[34] 10得点を挙げ、柏のエース格となる。2008年には北京オリンピック本大会に日本代表として出場を果たしものの、柏では北京五輪出場など過密日程からくる疲労[35] に負傷も重なり[36]、4得点に終わる[12]。2009年、試合にこそコンスタントに出場するものの、ネルシーニョへの監督交代後はベンチ入りもままならなかった[12][37]。
サンフレッチェ広島
[編集]移籍期限が迫る2009年8月26日、怪我人などで前線の駒不足に陥っていたサンフレッチェ広島F.Cへ完全移籍した[38][37]。移籍金は3,000万円(推定)[39]。広島移籍は「広島のサッカーが好き」という理由と、Jリーグ草創期の小学校低学年で"血"を強く意識し憧れた盧廷潤が在籍したチームということもあるという[40][41][42]。背番号は広島でも20番を希望したが、すでに使用されていたため、かつて盧が付けていた9番を選んだ[40][43]。しかし、広島移籍後は佐藤寿人の前にほとんどが途中出場であり[12]、得点を挙げられなかった[44]。
翌2010年4月13日ACL2010山東魯能戦において広島での公式戦初得点を挙げるものの、その後一時はベンチ入りさえままならなかった[45]。同年9月、佐藤及び山崎雅人の怪我による離脱に伴い先発メンバーに抜擢される[46][12]と、リーグ戦5試合連続得点をマークするなどシーズン終了までリーグ戦12試合で11得点[11]、また同年のナビスコカップ決勝戦においてもチームは敗れたが得点を挙げるなどゴールを量産した[45]。
同年オフ、AFCアジアカップ2011に臨む日本代表に初選出[45][注 7]。2011年1月9日のグループリーグ第1戦ヨルダン戦の後半開始から途中出場で国際Aマッチ初出場を果たした[11]。1月29日の決勝戦オーストラリア戦では、延長前半9分から途中出場し、0対0で迎えた同後半4分に長友佑都からのクロスをボレーシュートで合わせ代表初ゴールを挙げる[11]。これが決勝点となり、日本代表は同大会で史上最多となる通算4度目の優勝を成し遂げた[27]。2011年のリーグ戦でも好調を維持し、リーグ3位タイの15得点を挙げ優秀選手賞を受賞[48][11]。
サウサンプトンFC
[編集]2012年1月25日、イングランド2部・フットボールリーグ・チャンピオンシップのサウサンプトンFCへ完全移籍[49]。1月31日、ホームでのカーディフ・シティFC戦でリーグ戦初出場を果たした[50]。2月18日、ダービー・カウンティFC戦で移籍後初得点を決めた。その後もアシストを記録するなど首位争いを続けるチームに貢献していたが、3月末に右足靱帯損傷により全治4〜6カ月と診断された[51]。5月、クラブの年間表彰式でダービー戦の移籍後初得点が年間最優秀ゴール賞に選出された[52]。
2012-13シーズン、チームがプレミアリーグに昇格するも、李を高評価していたナイジェル・アドキンス監督が退任したこともあって[13]リーグ戦では全く出場できず、カップ戦のみに出場に留まった。後に本人が語ったところでは、靭帯損傷から復帰した後もトップチームはおろかユースチームの練習にも参加させてもらえず、チームからはグラウンドの使用許可すら出ず「そのへんの公園で(チーム構想から溢れた)数人での練習を指示された」といい、そのような待遇を「選手の方から(チームを)辞めさせる手段」だと振り返っている[53]。
FC東京へ復帰
[編集]2013年2月、FC東京へ期限付き移籍が発表された[54][55]。U-18でも背負ったFC東京のエースナンバー「11[注 8]」を背負い、監督のランコ・ポポヴィッチからは能力を高く評価されていたものの[57]、怪我明けで完調までには時間が必要であるという判断から[58]、先発レギュラーには据えられず、途中交代での出場機会が主となった[59]。徐々にチームにフィットし[60]、FC東京からは完全移籍を打診されたが、短期契約の中で結果を求めていた李にとっては[61]、ポポヴィッチの起用法は不完全燃焼となるものであり[57]、この打診を固辞。同年6月、期限付き移籍期間満了による退団が発表された[62]。
サウサンプトン復帰
[編集]2013年9月に発表されたクラブのプレミアリーグ2013-14シーズンのメンバーに登録された。だが前シーズン同様カップ戦のみの出場に終わり、2014年1月に契約が解除された[63][64]。
浦和レッズ
[編集]2014年1月、得点力を買われ[13]、浦和レッズへ完全移籍[65]。同年はターゲット役としてチーム最多の敵陣空中戦数を記録した[66]。同年発生した差別横断幕事件には浦和退団を考えるほどの大きなショックを受けたが、浦和レッズが「結果的に(李を退団に追いやるという)差別を許してしまったクラブ」という目で見られてしまうのではないかという憂慮から、残留を決めた[67]。
2015年は中々コンディションが整わなかったが[68]、同年末の天皇杯では運動量豊富にチャンスに絡み[69] 4回戦、準々決勝、準決勝と3戦連続得点し9年ぶりの決勝進出に貢献した[70]。
2016年は開幕から好調を維持し[71]、4月には猛烈なプレッシングと[72] チームを勢いづかせるゴールが認められ、同月度の月間MVPを受賞[73]。自身の希望するセンターフォワードでプレーできないもどかしさを抱えながらも[71]、通年では5年ぶりにJ1二桁得点を達成。また、同年のJリーグカップ決勝・G大阪戦では途中出場から同点のヘディングシュートを決め、PK戦で勝利。大会MVPを受賞した[74]。
横浜F・マリノス
[編集]2018年12月27日、横浜F・マリノスへ完全移籍[75]。しかしエリキやエジガル・ジュニオなど外国人FWの壁は高く、シーズン通して出場は途中出場10試合に留まった。
京都サンガF.C.
[編集]2019年12月29日、京都サンガF.C.へ完全移籍[76]。
アルビレックス新潟シンガポール
[編集]2021年12月28日、アルビレックス新潟シンガポールへ完全移籍[77]。移籍1年目からリーグ戦22試合に出場、10得点をあげた[78]。
2023年9月14日、今季限りの現役を引退することが発表[79] され、「いつも誰かに支えられて本当に素晴らしいサッカー人生を送ることができました」などのコメントを残した[80]。
プレースタイル
[編集]豊富な運動量で前線から激しいプレッシングをかけ、機敏な動きと溢れる闘争心でゴールに迫る泥臭いストライカー。日本人ストライカーには稀有な左利きであり、ウイングでも機能する、闘えるフォワードでもある[37][40]。
人物
[編集]2020年1月4日、モデルの樋場早紀との結婚を発表。同日に結婚披露宴を行った[81]。後に離婚した[82]。 好きなアーティストは西野カナ。
所属クラブ
[編集]- こみねFC(東京朝鮮第九初級学校[38])
- 1998年 - 2000年 横河電機ジュニアユース(保谷市立柳沢中学校[38])
- 2001年 - 2003年 FC東京U-18(都立田無高[16])
- 2004年 FC東京
- 2005年 - 2009年8月 柏レイソル
- 2009年8月 - 2011年 サンフレッチェ広島F.C
- 2012年1月 - 2014年1月 サウサンプトンFC
- 2014年 - 2018年 浦和レッズ
- 2019年 横浜F・マリノス
- 2020年 - 2021年 京都サンガF.C.
- 2022年 - 2023年 アルビレックス新潟シンガポール
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | FC東京 | 27 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2005 | 柏 | 25 | 8 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | |
2006 | 20 | J2 | 31 | 8 | - | 0 | 0 | 31 | 8 | ||
2007 | J1 | 30 | 10 | 5 | 0 | 1 | 0 | 36 | 10 | ||
2008 | 19 | 4 | 4 | 0 | 4 | 1 | 27 | 5 | |||
2009 | 20 | 2 | 5 | 3 | - | 25 | 5 | ||||
広島 | 9 | 8 | 0 | - | 2 | 0 | 10 | 0 | |||
2010 | 30 | 11 | 3 | 2 | 2 | 0 | 35 | 13 | |||
2011 | 32 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 33 | 15 | |||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2011-12 | サウサンプトン | 19 | FLC | 7 | 1 | - | 2 | 0 | 9 | 1 | |
2012-13 | プレミア | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 3 | 1 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | FC東京 | 11 | J1 | 13 | 4 | 6 | 2 | - | 19 | 6 | |
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2013-14 | サウサンプトン | 19 | プレミア | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | 浦和 | 20 | J1 | 34 | 6 | 8 | 3 | 2 | 1 | 44 | 10 |
2015 | 24 | 2 | 2 | 1 | 4 | 3 | 30 | 6 | |||
2016 | 32 | 10 | 5 | 2 | 1 | 0 | 38 | 12 | |||
2017 | 21 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 22 | 3 | |||
2018 | 20 | 3 | 8 | 2 | 2 | 0 | 30 | 5 | |||
2019 | 横浜FM | 10 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 14 | 2 | ||
2020 | 京都 | J2 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | |||
2021 | 17 | 0 | - | 3 | 2 | 20 | 2 | ||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2022 | 新潟S | 19 | プレミア | 22 | 10 | - | 6 | 1 | 28 | 11 | |
2023 | 23 | 11 | - | 4 | 0 | 27 | 11 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 301 | 71 | 55 | 16 | 18 | 5 | 374 | 92 | |
日本 | J2 | 53 | 8 | - | 3 | 2 | 56 | 10 | |||
イングランド | プレミア | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 5 | 1 | ||
イングランド | FLC | 7 | 1 | - | 2 | 0 | 9 | 1 | |||
シンガポール | プレミア | 45 | 21 | - | 10 | 1 | 55 | 22 | |||
総通算 | 406 | 101 | 59 | 17 | 34 | 8 | 499 | 126 |
- その他の公式戦
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 1試合0得点
- 2015年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2016年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2017年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 広島 | 9 | 6 | 3 | - | |
2015 | 浦和 | 20 | 5 | 0 | - | |
2016 | 5 | 2 | - | |||
2017 | 10 | 4 | 0 | 0 | ||
通算 | AFC | 26 | 9 | 0 | 0 |
- 出場歴
- 2005年7月10日:Jリーグ初出場 - J1第15節 vsガンバ大阪 (万博記念競技場)[11]
- 2006年4月22日:J2初得点 - J2第11節 vsコンサドーレ札幌 (函館市千代台公園陸上競技場)[11]
- 2007年3月17日:J1初得点 - J1第3節 vs清水エスパルス (静岡市清水日本平運動公園球技場)
- 2010年8月15日:J1 100試合出場 - J1第18節 vs川崎フロンターレ (等々力陸上競技場)
- 2012年1月31日:フットボールリーグ・チャンピオンシップ初出場 - vsカーディフ・シティFC (セント・メリーズ・スタジアム)[50]
- 2012年2月18日:フットボールリーグ・チャンピオンシップ初得点 - vsダービー・カウンティFC (セント・メリーズ・スタジアム)[11]
- 2015年4月29日:J1 200試合出場 - J1 1st第8節 vsヴァンフォーレ甲府 (山梨中銀スタジアム)
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FC東京U-18
- FC東京
- 浦和レッズ
- J1リーグ 1stステージ:1回(2015年)
- J1リーグ 2ndステージ:1回(2016年)
- Jリーグカップ:1回(2016年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2018年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2017年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2017年)
- 横浜F・マリノス
- J1リーグ:1回(2019年)
- アルビレックス新潟シンガポール
- シンガポールプレミアリーグ:2回(2022年、2023年)
- シンガポール・チャリティーシールド:1回(2023年)
代表
[編集]個人
[編集]- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関東 得点王:1回(2002年)
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関東 優秀選手:1回(2003年)
- Jリーグ優秀選手賞:1回(2011年)
- J1リーグ月間MVP:1回(2016年4月[73])
- J1リーグ月間ベストゴール:1回(2014年4月)
- Jリーグカップ 最優秀選手賞:1回(2016年[74])
代表歴
[編集]出場大会
[編集]- U-22日本代表
- U-23日本代表
- 2008年 - 北京オリンピック
- 日本代表
- 2011年 - AFCアジアカップ2011
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 11試合 2得点 (2011年 - 2012年)[8]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2011 | 10 | 2 |
2012 | 1 | 0 |
通算 | 11 | 2 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2011年1月9日 | ドーハ | カタールSCスタジアム | ヨルダン | △1-1 | AFCアジアカップ2011 |
2. | 2011年1月29日 | ドーハ | ハリファインターナショナルスタジアム | オーストラリア | ○1-0 | AFCアジアカップ2011 |
3. | 2011年6月1日 | 新潟 | 東北電力ビッグスワンスタジアム | ペルー | △0-0 | キリンカップサッカー2011 |
4. | 2011年6月7日 | 横浜 | 横浜国際総合競技場 | チェコ | △0-0 | キリンカップサッカー2011 |
5. | 2011年8月10日 | 札幌 | 札幌ドーム | 韓国 | ○3-0 | キリンチャレンジカップ2011 |
6. | 2011年9月2日 | さいたま | 埼玉スタジアム2002 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○1-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
7. | 2011年9月6日 | タシュケント | パフタコール・マルカジイ・スタジアム | ウズベキスタン | △1-1 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
8. | 2011年10月7日 | 神戸 | ホームズスタジアム神戸 | ベトナム | ○1-0 | キリンチャレンジカップ2011 |
9. | 2011年10月11日 | 大阪 | 大阪長居スタジアム | タジキスタン | ○8-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
10. | 2011年11月15日 | 平壌 | 金日成競技場 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●0-1 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
11. | 2012年2月29日 | 豊田 | 豊田スタジアム | ウズベキスタン | ●0-1 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
ゴール
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2011年1月29日 | ドーハ | ハリファインターナショナルスタジアム | オーストラリア | ○1-0 | AFCアジアカップ2011 |
2. | 2011年10月7日 | 神戸 | ホームズスタジアム神戸 | ベトナム | ○1-0 | キリンチャレンジカップ2011 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 姓のラテン文字表記は、2007年版の各社の選手名鑑では 「RI」だが日本代表のユニフォーム(背番号上)では「LEE」となっている。日本サッカー協会は「Lee」と表記しているが、Jリーグでの登録は帰化当初「Ri」となり[3]、代表とリーグで登録名が異なっていた。その後、リーグでの登録名も「LEE」に変更された[4]。
- ^ a b 韓国語はあまり得意でなく、FC東京ユースで同期だった韓国代表の呉章銀とも日本語で会話していた[23]。なお、呉はインタビューで「僕の日本語の方が、彼の韓国語よりうまかった」と回想している。のちに年代別韓国代表候補の合宿の招集された時も、「韓国代表では言葉も通じないので…」と、言葉の壁があったとしている。
- ^ 当時のチームメイトに市川雅彦がいる。
- ^ 当時は主に東京都西部の中学生を対象とする「FC東京U-15むさし」が発足していなかった。
- ^ 同期生に梶山陽平、呉章銀、鎌田次郎、斎藤雅也らがいる。
- ^ 国籍法5条1項2号は、帰化について「20歳以上」であることを要すると規定している。
- ^ 李姓のサッカー選手の日本代表選出は李裕瀅以来およそ70年ぶり[47]。
- ^ 李は「東京のエースナンバーは間違いなく11番。僕はアマラオの活躍を見て育った」と語る[56]。
出典
[編集]- ^ “選手データベース (2007年版)”. 2007年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月29日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
- ^ “選手データベース (2008年版)”. 2008年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月29日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
- ^ ニュースリリース - 登録選手追加・変更 Jリーグ (2007年2月16日)
- ^ ニュースリリース - 登録選手追加・変更 Jリーグ (2007年5月11日)
- ^ 朝鮮語氏名「이충성」の2000年式ラテン文字表記
- ^ a b c “Tadanari Lee(2016年8月25日)”. FIFA Index 2023年8月25日閲覧。
- ^ a b c “Tadanari Lee”. Transfermarkt 2023年8月25日閲覧。
- ^ a b “李 忠成”. サッカー日本代表データベース
- ^ 加部、18頁
- ^ a b c “五輪ピッチに「新日本人」…在日のルーツと誇り胸に”. 2008年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月28日閲覧。 - 産経新聞 (2008年8月7日)
- ^ a b c d e f g h i j k プロフィール - 李忠成 - 海外サッカー サンケイスポーツ
- ^ a b c 3年目のミシャ浦和 李忠成がタイトルへの“最後の1ピース” スポーツニッポン (2014年2月22日)
- ^ 「週刊サッカーダイジェスト No.1099」日本スポーツ企画出版社、2011年2月8日、p.19
- ^ 일본 축구영웅된 이충성 ‘내 성은 LEE’ — 中央日報
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- ^ 李忠成選手 京都サンガF.C.より完全移籍加入のお知らせ アルビレックス新潟シンガポール (2021年12月28日)
- ^ 試合日程|アルビレックス新潟シンガポール オフィシャルサイト アルビレックス新潟シンガポール公式サイト
- ^ “李 忠成選手 現役引退のお知らせ”. アルビレックス新潟シンガポール (2023年9月14日). 2023年9月14日閲覧。
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書籍
[編集]関連書籍
[編集]- 加部究『忠成 生まれ育った日本のために』ゴマブックス、2008年。
- 小宮良之『アンチ・ドロップアウト』集英社、2010年。
- 慎武宏『祖国と母国とフットボール ザイニチ・サッカー・アイデンティティ』ランダムハウス講談社、2010年。
関連項目
[編集]- 東京都出身の人物一覧
- FC東京の選手一覧
- 柏レイソルの選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- 横浜F・マリノスの選手一覧
- 京都サンガF.C.の選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- オリンピックのサッカー競技・日本代表選手
- 2008年北京オリンピックの日本選手団
外部リンク
[編集]- 李忠成 OFFICIAL BLOG - Ameba Blog
- 李忠成・Tadanari Lee (@Tadanari_Lee) - X(旧Twitter)
- 李忠成 (@tadanarilee_official) - Instagram
- 連載:備戦08 - 読売新聞
- 今も、横断幕の話をする目には涙が。李忠成が「浦和の一員」になるまで。(1/4) , (2/4) , (3/4) ,(4/4) - Number Web (2016年12月6日)
- 李忠成 - Olympedia
- 李忠成 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 李忠成 - National-Football-Teams.com
- 李忠成 - Soccerway.com
- 李忠成 - Soccerbase.comによる選手データ
- 李忠成 - FootballDatabase.eu
- 李忠成 - WorldFootball.net
- 李忠成 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 李忠成 - FIFA主催大会成績
- 李忠成 - UEFA
- プロフィール - 浦和レッドダイヤモンズ
- 李忠成 - ESPN FC
- 日本のサッカー選手
- 帰化日本人のサッカー選手
- 韓国・朝鮮系日本人のサッカー選手
- サッカー日本代表選手
- オリンピックサッカー日本代表選手
- 2008年北京オリンピックサッカー出場選手
- FC東京アカデミー出身の人物
- FC東京の選手
- 柏レイソルの選手
- サンフレッチェ広島F.Cの選手
- サウサンプトンFCの選手
- プレミアリーグの日本人選手
- 浦和レッドダイヤモンズの選手
- 横浜F・マリノスの選手
- 京都サンガF.C.の選手
- アルビレックス新潟シンガポールの選手
- AFCアジアカップ日本代表選手
- AFCアジアカップ2011出場選手
- FIFAクラブワールドカップ2017出場選手
- 在イングランド日本人のスポーツに関する人物
- 在シンガポール日本人
- 東京都立田無高等学校出身の人物
- 東京都出身のスポーツ選手
- 1985年生
- 存命人物