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長崎県立国見高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎県立国見高等学校
地図北緯32度51分57秒 東経130度18分20.2秒 / 北緯32.86583度 東経130.305611度 / 32.86583; 130.305611座標: 北緯32度51分57秒 東経130度18分20.2秒 / 北緯32.86583度 東経130.305611度 / 32.86583; 130.305611
過去の名称 長崎県立島原高等学校神代分校
長崎県立島原高等学校多以良分校
長崎県立島原高等学校国見分校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎県の旗長崎県
学区 島原学区
全国募集(20%)枠あり
校訓 誠実・気魄・努力
設立年月日 1949年8月19日
創立記念日 11月1日(開校記念日)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D142210000186 ウィキデータを編集
高校コード 42124D
所在地 859-1321
長崎県雲仙市国見町多比良甲1020
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎県立国見高等学校(ながさきけんりつ くにみこうとうがっこう、Nagasaki Prefectural Kunimi High School)は、長崎県雲仙市国見町多比良甲にある公立高等学校

設置課程・コース

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  • 全日制課程
    • 普通科
      • 1年生から進路希望などに応じて以下の2コースに分かれる。
        • Aコース - 基礎学力の充実を目指し、進学や就職などに対応。
        • Bコース - 四年制大学や高等看護学校等進学を希望する生徒に対応。
      • 2年生進級の際に、進路希望に応じてコース間の入れ替えを行う。
      • 3年生進級の際はコースの入れ替えは行わず、2年生のコースを継続[1]

校訓

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  • 誠実・気魄・努力

校章

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  • 平仮名の「く」を2つ左右対称に並べて「」(2個で「くに」)を表し、中央に高校のハシゴ高の「高」の文字(俗字体)を置いている。
  • スクールカラーは「青色」

校歌

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沿革

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当初、長崎県立島原高等学校の2分校として設置され、統合で1分校になった後、独立してできた学校である。

昭和

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  • 1949年昭和24年)
    • 7月18日 - 長崎県立島原高等学校神代[2] 分校(定時制)として開校。校舎は神代中学校に併置。
    • 8月19日 - 長崎県立島原高等学校多比良[3] 分校(夜間定時制)として開校。校舎は多比良中学校に併置。
  • 1956年(昭和31年)11月1日 - 町村合併に伴い、多比良分校を国見分校と改称。
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月11日 - 国見分校の夜間制を昼間制に切り替える。
    • 4月20日 - 国見分校の新校舎(木造、建坪235坪)が完成。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月1日
      • 国見分校と神代分校の定時制課程の募集を停止し、全日制課程普通科(2学級)の生徒募集を開始。
      • 国見分校・神代分校を統合の上、国見分校とし、旧多比良中学校の校舎を使用する。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 全日制課程普通科が3学級となる(1学級増)。
  • 1967年(昭和42年) - この年を基準に創立年数を数えている。
    • 4月1日 - 島原高等学校より分離・独立し、長崎県立国見高等学校(現校名)となる。
    • 11月1日 - 開校式を挙行。
  • 1969年(昭和44年)12月31日 - 運動場が整備。
  • 1970年(昭和45年)1月31日 - 体育館(第2体育館)が完成。
  • 1971年(昭和46年)3月29日 - 第1棟校舎(2階建)が完成。
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月29日 - 体育館倉庫と部室が完成。
    • 2月13日 - 格技場が完成。
    • 4月8日 - 第1学年の学級が4学級となる(1学級増)。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月28日 - 第2棟校舎(普通教室、家庭科教室等)が完成。
    • 4月8日 - 第1学年の学級が5学級となる(1学級増)。
  • 1975年(昭和50年)4月8日 - 第1学年の学級が6学級となる(1学級増)。
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月31日 - 第2棟校舎(普通教室8、理科室3、視聴覚室1)を増築。
    • 11月1日 - 創立10周年記念式典を挙行。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月31日 - 第1棟校舎(普通教室2、図書室、社会科教室、渡り廊下、下足室、購買部)を増築。
    • 10月15日 - 体育館(第2体育館)倉庫が完成。
  • 1980年(昭和55年)10月16日 - 体育倉庫が完成。
  • 1983年(昭和58年)3月30日 - 体育館(現 第1体育館)が完成。
  • 1984年(昭和59年)1月20日 - 考古学資料館が完成。
  • 1985年(昭和60年)3月18日 - 温水シャワー室が完成。
  • 1986年(昭和61年)11月8日 - 創立20周年記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)
    • 1月31日 - 考古博物園が完成。
    • 9月16日 - 運動場夜間照明施設が完成。

平成

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  • 1989年平成元年)3月31日 - 第2棟校舎(生徒用便所)を増築。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月3日 - 生徒昇降口と渡り廊下が完成。
    • 10月24日 - コンピューター教室が完成。
  • 1991年(平成3年)11月22日 - トレーニング室が完成。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 男子制服がブレザー服に改定。
  • 1994年(平成6年)3月22日 - 寄宿舎「烏兎寮」が完成。
  • 1996年(平成8年)
    • 4月1日 - 女子制服改定、男子制服一部改定。
    • 10月25日 - 創立30周年記念式典を挙行。
  • 1997年(平成9年)3月25日 - クラブハウスと渡り廊下(校舎・第1体育館間)が完成。
  • 1998年(平成10年)2月10日 - 長崎県教育委員会指定の「長崎学」研究発表会を行う。
  • 1999年(平成11年)3月10日 - 第2体育館(屋根、窓枠、床)を改修。運動場を整備。
  • 2000年(平成12年)3月24日 - 耐震補強、保健室・カウンセラー室の改修が完了。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月29日 - 武道場(旧格技場)を改修。
    • 4月1日 - 第1学年の学級数が5学級となる(1学級減)。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月15日 - テニスコートを改修。
    • 9月12日 - トレーニングルームを新築。
  • 2003年(平成15年)1月16日 - 粗大ゴミ置き場と自転車置き場を新設。
  • 2004年(平成16年)2月13日 - 校舎トイレを改修。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 第1学年の学級数が4学級となる(1学級減)。
  • 2016年 (平成28年) 4月1日 - 第1学年の学級数が3学級となる(1学級減)。また創立50周年を迎えたことにより、男女制服のデザインが改定される。
  • 2016年 (平成28年) 10月22日 - 国見高校創立50周年記念式典開催。
  • 2017年 (平成29年) 2月1日 - 長崎県内で2校目のユネスコスクールに加盟。

学校行事

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1学期

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  • 4月 - 始業式、入学式、1年生宿泊研修、歓迎遠足
  • 5月 - 中間考査、生徒総会
  • 6月 - 県高総体、期末考査
  • 7月 - 生徒会役員選挙、球技大会、高2インターンシップ、終業式
  • 8月 - 平和学習(9日 長崎原爆の日)、夏季補習、中学生1日体験入学(オープンスクール)

2学期

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  • 9月 - 始業式、体育祭、高3就職試験開始
  • 10月 - 中間考査、鍛錬遠足
  • 11月 - 開校記念日(1日)、県総文祭、星原祭(文化祭)、期末考査
  • 12月 - マラソン大会、球技大会、終業式、冬季補習

3学期

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  • 1月 - 始業式、高2修学旅行、大学入試センター試験
  • 2月 - 高校推薦入試、学年末考査、同窓会入会式
  • 3月 - 卒業式、球技大会、終業式(修了式)

制服

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ブレザー。平成28年で本校創立50周年を迎えたことにより、デザインが新しく変わっている。

製靴は黒のローファー。校舎内では学年ごとに赤、青、緑と分けられたスクールサンダル、体育館や校庭ではそれぞれスニーカーとなる。

部活動

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運動部

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文化部

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活動成績

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サッカー部

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  • かつて元総監督(同校教諭、教頭、校長を歴任)の小嶺忠敏が率いたサッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会の常連校で卒業生の項にあるとおり、多くのサッカー選手を輩出した。全国優勝は計14回におよび、初出場で準優勝を、2度目の出場で初優勝を果たしている。なお、初出場時と2度目の出場時の各決勝戦での対戦校はいずれも東海大学第一高等学校(現:東海大学付属静岡翔洋高等学校)だったため、初出場初優勝の快挙を果たせなかった雪辱を翌年に果たした形となった。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月9日 - 小嶺総監督が辞任。
      この年の参院選長崎県選挙区自民党公認で出馬するため。結果は落選となった。
      小嶺の退任が影響しているとは必ずしも断言できないものの、小嶺の退任後、最初の地区予選大会で敗れて全国大会出場権を逃している。また、小嶺退任後も何度か全国大会出場は果たしているものの、嘗てほどの戦力が失われ、2002年大会に準優勝、2003年大会に優勝、2004年大会に準決勝進出(ベスト4)を記録したのを最後に全国大会上位成績から遠ざかっているため、勢力が衰えてきていることが指摘されている。事実、後述のように2010年大会で全国大会に出場後、2022年大会で再び全国大会出場を決めるまで12年間も全国大会から遠ざかっている。ただし、これらはいずれも小嶺監督在任時の時のことであるため、上述しているように小嶺の退任が戦力の低下、勢力の縮小の原因であるとは断言できないが、一種の切っ掛けであったことは否めない。
    • 4月 - 後任の監督として(「総監督」のポストは廃止)、小嶺の島原商業時代の教え子で元熊本国府高監督の瀧上知巳が就任。
    • 10月28日 - 選手権長崎県大会準々決勝において長崎南山にPK戦の末敗れ、全国大会連続出場記録がストップした。
当大会を勝ち抜いたのは島原商業で、宮崎伸一監督もまた小嶺の教え子であった。

考古学研究部

  • 考古学研究部は、1964年(昭和39年)に同好会として「社会科学研究部(社研部)」の名で結成された。発足後しばらくは遺跡巡りや遺物の採集、キャンプなど、小規模な活動を行なっていたが、数年後、部員の一人が島原市有明町の畑から「土偶」を発見(完全な形に近いものは県内初の発見事例)し、発掘調査に参加したことで、付近の遺跡の発掘調査、展覧会の開催等、その後様々な活動をすることとなった。また学校敷地内には、出土品など多数の遺物を展示する「考古学資料館」や、生徒手作りの古墳竪穴建物甕棺墓などを復元し展示した「考古博物園」がある。

おもな活動の概要

  • 1966年 (昭和41年)
    • 島原市有明町「小原下遺跡」の発掘調査。縄文時代晩期の製鉄遺構を発見する。
  • 1967年 (昭和42年)
  • 1968年 (昭和43年)
  • 1969年 (昭和44年)
    • 雲仙市国見町「筏遺跡」第一次発掘。調査報告書発刊。
    • 雲仙市国見町「五万長者遺跡」の発掘。「八反田古墳」を発見。
  • 1970年 (昭和45年)
    • 島原市有明町「大野原遺跡」第一次発掘。弥生時代の埋葬遺跡を発見する。
    • 雲仙市国見町「八反田古墳」の発掘。
  • 1971年 (昭和46年)
  • 1972年 (昭和47年)
    • 南島原市布津町「木場原遺跡」第二次発掘。調査報告書発刊。
  • 1973年 (昭和48年)
  • 1974年 (昭和49年)
    • 雲仙市国見町「筏遺跡」第二次発掘。小麦などが出土する。
  • 1975年 (昭和50年)
    • 雲仙市国見町「筏遺跡」第三次発掘。
  • 1976年 (昭和51年)
    • 雲仙市国見町「筏遺跡」第四次発掘。
    • 旧「考古学資料館」完成。落成記念事業として、「島原半島の夜明け展」開催。
  • 1978年 (昭和53年)
    • 島原市有明町「松尾遺跡」の発掘。
  • 1979年 (昭和54年)
    • 雲仙市吾妻町「中熊台遺跡」の発掘。
  • 1980年 (昭和55年)
  • 1982年 (昭和57年)
    • 硬玉穿孔(こうぎょくせんこう)技法の発見。「硬玉穿孔と原始技法」刊行。
    • 雲仙市国見町「百花台遺跡」第一次発掘(同志社大学との合同調査)。
  • 1983年 (昭和58年)
    • 雲仙市国見町「百花台遺跡」第二次発掘。
    • 第一回「島原半島文化賞」(団体)を受賞する。
  • 1984年 (昭和59年)
    • 雲仙市国見町「百花台遺跡」第三次発掘。
    • 考古学資料館新築移転記念事業として、「長崎県埋蔵文化展」開催。
  • 1985年 (昭和60年)
    • 雲仙市国見町「百花台遺跡」第四次発掘。
    • 島原市有明町「大野原遺跡」第二次発掘。甕棺墓埋葬遺跡を発見する。
    • 雲仙市国見町「上篠原遺跡」第一次発掘。
  • 1986年 (昭和61年)
  • 1988年 (昭和63年)
    • 「上篠原遺跡概要報告書」刊行。

著名な出身者

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サッカー

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サッカー部出身のサッカー選手
名前 出身地 Pos 進学先 所属 現在の所属
高木琢也 1967 1985 長崎県 FW 大阪商業大学 フジタ(元日本代表 現役引退。SC相模原 監督
古島清人 1968 1986 熊本県 GK フジタ 現役引退
赤澤昌美 1968 1986 熊本県 DF 順天堂大学 鹿島アントラーズ 現役引退
其田秀太 1968 1986 長崎県 MF 全日空 現役引退
小島光顕 1968 1986 長崎県 MF 東京農業大学 サンフレッチェ広島 現役引退
立石敬之 1969 1987 福岡県 MF 創価大学 東京ガスサッカー部 現役引退。
中尾幸太郎 1969 1987 長崎県 MF 大阪商業大学 ヴィッセル神戸 現役引退。MIOびわこ滋賀 強化部長
二宮浩 1969 1987 熊本県 FW 中央大学 浦和レッズ 現役引退。FC東京 U-15むさし監督
村田一弘 1969 1987 長崎県 DF 中央大学 セレッソ大阪 現役引退
吉田裕幸 1969 1987 長崎県 MF 国士舘大学 ジュビロ磐田 現役引退。ベガルタ仙台ジュニアユース コーチ
永井秀樹 1970 1988 大分県 MF 国士舘大学 ヴェルディ川崎 現役引退。東京ヴェルディ監督(元日本代表)
山木勝博 1970 1988 熊本県 DF 駒澤大学 鹿島アントラーズ 現役引退
原田武男 1971 1989 佐賀県 MF 早稲田大学 横浜フリューゲルス 現役引退。V・ファーレン長崎 コーチ
中口雅史 1972 1990 徳島県 MF 大阪商業大学 ガンバ大阪 現役引退。ヴァンラーレ八戸 監督
路木健 1972 1990 長崎県 MF マツダSC 現役引退
森直樹 1972 1990 長崎県 DF 名古屋グランパスエイト 現役引退
内田利広 1972 1990 長崎県 MF 明治大学 名古屋グランパスエイト 現役引退
長峯宏範 1973 1991 宮崎県 DF 関西大学 京都パープルサンガ 現役引退
塚本秀樹 1973 1991 長崎県 GK 明治大学 アビスパ福岡 現役引退
路木龍次 1973 1991 長崎県 MF サンフレッチェ広島(元日本代表) 現役引退
上村崇士 1973 1991 大阪府 DF 横浜フリューゲルス 現役引退
永井篤志 1974 1992 鹿児島県 MF 駒澤大学 アビスパ福岡 現役引退
三浦淳宏 1974 1992 大分県 MF 青山学院大学 横浜フリューゲルス(元日本代表) 現役引退。ヴィッセル神戸 監督
中島豪 1975 1993 長崎県 DF 早稲田大学 浦和レッズ 現役引退
船越優蔵 1977 1995 兵庫県 FW ガンバ大阪 現役引退
宮崎健治 1977 1995 長崎県 MF 関西学院大学 京都パープルサンガ 現役引退
河口真一 1977 1995 長崎県 DF 明治大学 アビスパ福岡 現役引退
百武義成 1977 1995 長崎県 DF セレッソ大阪 現役引退
高木成太 1977 1995 長崎県 MF ヴェルディ川崎 現役引退
松本磨 1977 1995 佐賀県 DF 東京ガスFC 現役引退
都築龍太 1978 1996 奈良県 GK ガンバ大阪(元日本代表) 現役引退
中川雄二 1978 1996 山口県 GK 明治大学 カターレ富山 現役引退。松本山雅FC GKコーチ
立花由貴 1979 1997 熊本県 DF 明治大学 横河武蔵野FC 現役引退。横河武蔵野FC コーチ
元田(櫻井)庄吾 1979 1997 奈良県 GK 関西学院大学 SC鳥取 現役引退
南光太 1979 1997 大分県 MF 水戸ホーリーホック 現役引退。宮崎日本大学高等学校サッカー部 監督
白尾秀人 1980 1998 鹿児島県 FW 国士舘大学 ヴァンフォーレ甲府 現役引退。上田西高等学校サッカー部 監督
木藤健太 1981 1999 長崎県 DF 近畿大学 モンテディオ山形 現役引退。国見高等学校サッカー部 監督
小森田友明 1981 1999 熊本県 MF アビスパ福岡 三菱重工長崎SC
大久保嘉人 1982 2000 福岡県 FW セレッソ大阪 現役引退
松橋章太 1982 2000 長崎県 FW 大分トリニータ(元日本代表) 現役引退
田上渉 1982 2000 福岡県 MF 大阪商業大学 V・ファーレン長崎 三菱重工長崎SC
川田和宏 1982 2000 福岡県 MF 福岡大学 大分トリニータ 現役引退
小田幸司 1982 2000 長崎県 MF 関東学院大学 V・ファーレン長崎 現役引退。国見高校 コーチ
佐藤陽介 1982 2000 東京都 FW 青山学院大学 V・ファーレン長崎 現役引退
徳重健太 1983 2001 鹿児島県 GK 浦和レッズ 愛媛FC
徳永悠平 1983 2001 長崎県 DF 早稲田大学 FC東京 現役引退(元日本代表)
片山奨典 1983 2001 奈良県 MF 国士舘大学 名古屋グランパス 現役引退
蒲原達也 1983 2001 佐賀県 MF 国士舘大学 サガン鳥栖 現役引退
近藤健一 1983 2001 長崎県 GK FC東京 現役引退
巻佑樹 1984 2002 熊本県 FW 駒澤大学 名古屋グランパス 現役引退。FCティアモ枚方 ゼネラルマネージャー
松橋優 1984 2002 長崎県 FW 早稲田大学 大分トリニータ 現役引退
渡邉大剛 1984 2002 長崎県 MF 京都パープルサンガ 現役引退
柴崎晃誠 1984 2002 長崎県 MF 国士舘大学 東京ヴェルディ サンフレッチェ広島(元日本代表)
園田拓也 1984 2002 宮崎県 DF 中央大学 モンテディオ山形 現役引退
原一生 1984 2002 福岡県 MF 関東学院大学 HOYO AC ELAN 大分 現役引退
綱田大志 1984 2002 長崎県 MF 鹿屋体育大学 カマタマーレ讃岐
平山相太 1985 2003 福岡県 FW 筑波大学 ヘラクレス・アルメロ 現役引退(元日本代表)
中島崇文 1985 2003 長崎県 MF 関東学院大学 HOYO AC ELAN大分 現役引退
中村北斗 1985 2003 長崎県 MF アビスパ福岡 現役引退
兵藤慎剛 1985 2003 長崎県 MF 早稲田大学 横浜F・マリノス 現役引退
関憲太郎 1985 2003 群馬県 GK 明治大学 ベガルタ仙台 レノファ山口
渡邉千真 1986 2004 長崎県 FW 早稲田大学 横浜F・マリノス 横浜FC(元日本代表)
城後寿 1986 2004 福岡県 MF アビスパ福岡 アビスパ福岡
藤田優人 1986 2004 大分県 DF 明治大学 東京ヴェルディ 現役引退
比嘉隼人 1986 2004 沖縄県 DF 中央大学 ソニー仙台FC
田中政勝 1987 2005 熊本県 DF 明治大学 V・ファーレン長崎 マンリー・ユナイテッドFC
渡邉三城 1987 2005 長崎県 DF 法政大学 Y.S.C.C横浜 現役引退
有永一生 1988 2006 長崎県 DF 関東学院大学 AC長野パルセイロ VONDS市原
白谷建人 1989 2007 京都府 FW セレッソ大阪 現役引退
山村和也 1989 2007 長崎県 DF 流通経済大学 鹿島アントラーズ 川崎フロンターレ(元日本代表)
日向翼 1990 2008 兵庫県 DF 東京国際大学 MIOびわこ滋賀 バンディオンセ加古川
井福晃紀 1991 2009 熊本県 FW 福岡大学 テゲバジャーロ宮崎 ジェイリースFC
武内大 1992 2010 大分県 DF 福岡大学 V・ファーレン長崎
柴田隆太朗 1992 2010 長崎県 MF 拓殖大学 松本山雅FC 現役引退
大町将梧 1992 2010 長崎県 FW 浜松大学 ツエーゲン金沢 Honda FC
高橋諒 1993 2011 群馬県 DF 明治大学 名古屋グランパス 湘南ベルマーレ
塚田翔悟 1993 2011 鹿児島県 DF 九州共立大学 鹿児島ユナイテッドFC 現役引退
下川陽太 1995 2013 大阪府 DF 大阪商業大学 松本山雅FC 松本山雅FC
菅田真啓 1997 2015 奈良県 DF 福岡大学 ベガルタ仙台
中島大嘉 2002 2020 大阪府 FW 北海道コンサドーレ札幌
  • 各国の全国リーグ(日本の場合、JSL、J1、J2、J3、JFL)に所属した選手。「所属」列に、最初に所属した全国リーグのチームを記載
名前 生年度 卒年度 経歴
岩本文昭 1968 1986 V・ファーレン長崎 常務取締役

陸上

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アクセス

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周辺

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校則等

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校則は比較的厳しいと言われる。また、毎試験後には一斉服装検査が行われる。

  • 身なりに関する規定(一部抜粋)
    • 製靴は、本校指定のローファーとする。
    • ソックスは、男子は白、女子は本校指定のものとする。
    • ジャンパー、マフラーは禁止とする。ネックウォーマーは、黒紺の無地とする。
    • カッターシャツブラウスの下にTシャツやタンクトップを着用する際は、原則白とする。また夏服の下に着用する際は、柄物、背部にプリントのあるものは禁止とする。
    • 登下校時は、本校指定の鞄を基本携帯すること。また補助バッグが必要な場合は本校指定のものとする。
    • 男子の髪型は、髪が眉、耳、襟にかかるものを禁止とする。
    • 女子の髪型は、髪が眉にかかるものを禁止とし、後髪の長さが襟付線を超える場合は、黒などのゴムで横髪も入れ結ぶこと。
    • 眉の加工、髪のパーマ、染色、脱色などの加工を禁止とする。
  • 交通に関する規定(一部抜粋)
    • 自転車通学を希望する生徒は、所定の通学願を提出し、車両にはステッカー及び車輪の反射板をつけること。
    • バイク通学を希望する生徒は、所定の通学願を提出し、原則として登下校時のみ使用すること。
  • アルバイトに関する規定(一部抜粋)
    • アルバイトは原則として禁止とするが、経済的な理由によりやむをえぬなどの場合には、許可を検討する。
    • 学校の長期休業中には、全校登校日その他指定された登校日のアルバイトを禁止する(学校最優先)。
    • 接客、レジ打ちその他危険を伴う業務は禁止とし、業務は午前9時から午後6時までとする。

また、以下の各項に該当する生徒は、事前に学校側の発行する願届書に記入提出し、許可を受けなければならない。

  1. 遅刻をした際
  2. 早退・外出を希望する際
  3. アルバイトを希望する際
  4. バイク・自転車通学を希望する際
  5. 自動車学校入校及び運転免許受験を希望する際
  6. 旅行をする際
  7. 大学などのオープンキャンパスに行く際(旅行の場合と同じ願届書)
  8. 休学復学退学転学を希望する際

脚注

[編集]
  1. ^ 平成24年度 長崎県 ハイスクールガイダンス 長崎県教育委員会
  2. ^ こうじろ
  3. ^ たいら

関連項目

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外部リンク

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