片山奨典
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名前 | ||||||
カタカナ | カタヤマ ショウスケ | |||||
ラテン文字 | KATAYAMA Shosuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年9月8日(41歳) | |||||
出身地 | 奈良県 | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1999-2001 | 国見高校 | |||||
2002-2005 | 国士舘大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2008 | 名古屋グランパス | 25 | (1) | |||
2009-2010 | 横浜FC | 53 | (0) | |||
2010-2019 | ロアッソ熊本 | 256 | (9) | |||
通算 | 334 | (10) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
片山 奨典(かたやま しょうすけ、1983年9月8日 - )は、奈良県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF・MF。
来歴
[編集]国見高校時代は左WBとして、2年時にインターハイ・国体・全国高校サッカー選手権の三冠達成に貢献し、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成したチームの一員であった。高校の同期には徳永悠平らがいる。卒業後は国士舘大学に進学した。
2006年に名古屋グランパスエイトに入団。新人ながら開幕戦(対C大阪)のスタメンに抜擢され、スピードに乗った左サイドからの突破を見せた。その後は同期入団の阿部翔平との併用で左サイドバックで起用されていたが、阿部が出場機会を増やす一方、片山の出場機会は少なくなっていた。2007年はチーム事情と、持ち味の俊足を生かすべく、一時期はFWや左MFとして起用され、Jリーグ初得点も記録。2008年は名古屋にドラガン・ストイコビッチ監督が新たに就任したが、左サイドは攻撃的な位置にマギヌン、ディフェンスは阿部にポジションを完全に奪われ、出場機会がほとんどなかった。
2009年から出場機会を求め、横浜FCに移籍。ここでは、左サイドバックとしてスタメンに定着。スピード、クロスなど、名古屋時代に発揮できなかった能力を発揮した。しかし、2010年シーズンでは7試合に出場以降出場機会を失い、6月下旬にはコンサドーレ札幌の練習に本人の意思の下で参加[1] するなど、出場機会を求めて他クラブで活躍の場を探す事になり、8月にロアッソ熊本へ完全移籍した。
熊本では移籍後すぐにレギュラーとして定着し、2010年は初めてシーズン複数得点を挙げており、また2012年はクラブで最多試合出場(42試合中40試合出場。時間では3,413分であり、南雄太の3,432分に次いで2位)の活躍。MFでの出場が多かった。
2013年は当初は公式の登録がMFとなっていたが、しばらくしてDFに戻された。主に左サイドバックで起用されている。
2015年シーズンも主力として出番を掴んでいたが、第12節の大分トリニータ戦にて途中出場し5分後に相手FWと交錯、腓骨骨折の重症を負い長期離脱した。2016年シーズンに復帰し、以降チームの主力として活躍を続けていたが、2018年は田中達也に、2019年は高瀬優孝にポジションを奪われ出番を減らした。2019年11月27日に現役を引退[2]。
現役引退後の2020年より熊本のクラブスタッフとなりクラブアンバサダーに就任。2022年1月31日をもって熊本のクラブアンバサダーを退任した[3]。
所属クラブ
[編集]- 高田FCジュニアユース
- 島原市立第一中学校
- 長崎県立国見高等学校
- 国士舘大学
- 2006年 - 2008年 名古屋グランパスエイト/名古屋グランパス
- 2009年 - 2010年8月 横浜FC
- 2010年8月 - 2019年 ロアッソ熊本
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 国見高 | 6 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
2001 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||
2002 | 国士大 | 39 | JFL | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 5 | 0 | |
2003 | 16 | 3 | 0 | - | - | 3 | 0 | ||||
2004 | 3 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||||
2006 | 名古屋 | 27 | J1 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 |
2007 | 15 | 1 | 5 | 1 | 1 | 0 | 21 | 2 | |||
2008 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2009 | 横浜FC | 13 | J2 | 46 | 0 | - | 2 | 0 | 48 | 0 | |
2010 | 7 | 0 | - | - | 7 | 0 | |||||
熊本 | 33 | 15 | 3 | - | 2 | 0 | 17 | 3 | |||
2011 | 7 | 31 | 1 | - | 1 | 0 | 32 | 1 | |||
2012 | 40 | 2 | - | 3 | 0 | 43 | 2 | ||||
2013 | 40 | 2 | - | 1 | 0 | 41 | 2 | ||||
2014 | 36 | 1 | - | 1 | 0 | 37 | 1 | ||||
2015 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | ||||
2016 | 25 | 0 | - | 1 | 0 | 26 | 0 | ||||
2017 | 34 | 0 | - | 1 | 0 | 35 | 0 | ||||
2018 | 13 | 0 | - | 1 | 0 | 14 | 0 | ||||
2019 | J3 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 25 | 1 | 9 | 1 | 1 | 0 | 35 | 2 | |
日本 | J2 | 298 | 9 | - | 13 | 0 | 311 | 9 | |||
日本 | J3 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | |||
日本 | JFL | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | |||
日本 | 他 | - | - | 4 | 0 | 4 | 0 | ||||
総通算 | 346 | 10 | 9 | 1 | 19 | 0 | 374 | 11 |
- Jリーグ初出場 - 2006年3月5日 J1リーグ 第1節 vsセレッソ大阪 (名古屋市瑞穂公園陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2007年5月12日 J1リーグ 第11節 vs横浜F・マリノス (横浜国際総合競技場)
脚注
[編集]- ^ 横浜FC 片山奨典選手 練習参加のお知らせ - 2010年6月21日
- ^ 『片山奨典選手、現役引退のお知らせ』(プレスリリース)ロアッソ熊本、2019年11月27日 。2022年1月13日閲覧。
- ^ 『片山獎典クラブアンバサダー、退任のお知らせ』(プレスリリース)ロアッソ熊本、2022年1月13日 。2022年1月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 片山奨典 - Soccerway.com
- 片山奨典 - FootballDatabase.eu
- 片山奨典 - WorldFootball.net
- 片山奨典 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 片山奨典 - J.League Data Siteによる選手データ
- 片山奨典 - TheFinalBall.com
- 片山奨典 (@shosuke_07) - X(旧Twitter)
- 片山奨典 (@shosuke_katayama07) - Instagram