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柴﨑晃誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴崎晃誠から転送)
柴﨑 晃誠
名前
愛称 コーセイ
カタカナ シバサキ コウセイ
ラテン文字 SHIBASAKI Kosei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-08-28) 1984年8月28日(40歳)
出身地 長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市
身長 176cm
体重 67kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1991-1996 国見SSC
1997-1999 国見町立国見中学校
2000-2002 長崎県立国見高等学校
2003-2006 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2010 東京ヴェルディ1969
東京ヴェルディ
109 (11)
2011-2012 川崎フロンターレ 39 (1)
2012 →東京ヴェルディ(loan 13 (0)
2013 徳島ヴォルティス 38 (6)
2014-2023 サンフレッチェ広島 241 (26)
通算 440 (44)
代表歴
2011 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柴﨑 晃誠(しばさき こうせい、1984年8月28日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表国士舘大学卒業。

来歴

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プロ入り前

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南高来郡国見町出身、小学1年生から地元国見少年サッカークラブで学んで育ち、長崎県立国見高等学校では小嶺忠敏のもと活躍した"国見っ子"である[1]

生まれ育った近所に徳永悠平がおり小学校から高校まで同じ学校の1年先輩、渡邉大剛とは中学からの同級生[1]。国見高校の2年先輩に大久保嘉人松橋章太、1年先輩に徳永・徳重健太片山奨典蒲原達也近藤健一、同級に渡邉・松橋優園田拓也巻佑樹、1年後輩に平山相太中村北斗兵藤慎剛関憲太郎、2年後輩に渡邉千真城後寿藤田優人がいる。柴崎が高校在学中、3年連続で高校選手権決勝に進出し2度の優勝を経験、特に2年時第80回大会では片桐淳至と共に大会得点王を記録している[1]

2003年、小嶺に薦められ国士舘大学へ進学、国士舘大学サッカー部へ入部する[1]。同期に養父雄仁。なお柏好文は3つ、塩谷司は4つ下の後輩。養父とは共にボランチとして活躍した[1]

東京ヴェルディ

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大学在籍中に東京ヴェルディ1969の練習に加わり、大学卒業後の2007年に正式入団する[1][2]。同年、ラモス瑠偉監督に評価されリーグ戦デビュー、同年末のJ1昇格に貢献する[1]。2008年夏頃から柱谷哲二監督によりレギュラーに抜擢され、以降東京Vの中心選手として活躍した[1][3]。2010年末、東京Vとの契約切れに伴い川崎・横浜FM・柏・神戸とJ1勢からオファーが殺到した[4]

川崎フロンターレ

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2011年、川崎フロンターレへ完全移籍[5][6]。この川崎でのプレーを認められ、同年5月キリンカップ2011のメンバーとして日本代表に初めて選出された[7][8]。2012年も開幕当初はレギュラーだったが、同年4月右内転筋肉離れ[9]、同年7月右股関節痛[8] で負傷離脱したところに、風間八宏への監督交代による戦術変更も重なり、出場機会が激減した[3]

2012年7月、川勝良一監督が獲得を熱望したことから古巣の東京Vへ期限付き移籍した[8][10]。ただ川崎時代からの負傷の影響で13試合の出場にとどまり、同年末には川崎・東京V双方との契約が満了[11][12]

徳島ヴォルティス

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2013年、徳島ヴォルティスへ完全移籍[13][14]。1年を通してレギュラーとして活躍し、同年末のJ1昇格プレーオフにも出場、徳島のJ1初昇格に大きく貢献した[3][15]

サンフレッチェ広島

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2014年、サンフレッチェ広島へ完全移籍[16][17]。柴崎は2012年末フリーだった時に自身の代理人を通じて広島に逆オファーをしており、2年越しの入団となった[18]。加入時の序列はボランチの3番手であった。

2015年、森崎浩司の怪我と工藤浩平の不調で、前年の主力2人の抜けたシャドーのレギュラーを確保。徳島時代のチームメイトドウグラスとコンビを組み、チームのリーグ優勝に貢献した。

2017年4月22日、第8節のベガルタ仙台戦でJ1通算150試合を記録した。

2023年12月18日、現役引退を発表[19]。同時に来シーズンより育成部コーチに就任することも発表された。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 国見高 8 - - - 2 0 2 0
2002 10 - - 3 2 3 2
2003 国士大 34 JFL 4 0 - - 4 0
2004 15 4 0 - - 4 0
2007 東京V 27 J2 6 0 - 1 0 7 0
2008 8 J1 21 1 2 0 1 0 24 1
2009 J2 47 7 - 1 0 48 7
2010 35 3 - 1 0 36 3
2011 川崎 19 J1 31 1 2 0 3 0 36 1
2012 8 0 5 0 - 13 0
東京V 7 J2 13 0 - 1 0 14 0
2013 徳島 38 6 - 1 0 39 6
2014 広島 30 J1 22 1 4 0 1 0 27 1
2015 27 6 2 0 0 0 29 6
2016 34 8 2 1 2 1 38 10
2017 30 4 4 0 1 0 35 4
2018 32 3 2 2 1 0 35 5
2019 24 1 2 0 1 0 27 1
2020 13 0 1 0 - 14 0
2021 21 2 5 0 1 1 27 3
2022 30 1 10 0 3 0 43 1
2023 8 0 3 1 1 0 12 1
通算 日本 J1 293 28 41 3 14 2 348 23
日本 J2 139 16 - 5 0 144 26
日本 JFL 8 0 - - 8 0
日本 - - 5 2 5 2
総通算 440 44 41 3 24 4 505 51
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2014 広島 30 7 1 -
2015 - 1 0
2016 4 1 -
2019 2 0 -
通算 AFC 13 2 1 0

その他公式戦

出場歴

代表・選抜歴

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タイトル

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国見高校
サンフレッチェ広島

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h F-SPOT:PICK UP PLAYER”. 川崎フロンターレ (2011年). 2014年1月24日閲覧。
  2. ^ “柴崎晃誠選手 加入内定お知らせ”. J's GOAL. (2006年10月31日). https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00040028&keyword=&team=441&year=2006 2021年12月11日閲覧。 
  3. ^ a b c 松下英樹 (2013年6月1日). “【NON STOP J2】-J2のススメ- 柴崎晃誠(徳島):きっと、運命の巡り合わせ”. J's GOAL. https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00156427&keyword=&team=&year=2013 2021年12月11日閲覧。 
  4. ^ “補強の見通し厳しい横浜 東京VのMFも争奪戦に”. スポーツニッポン. (2010年11月29日). オリジナルの2010年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101203011217/http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20101129018.html 2014年1月24日閲覧。 
  5. ^ “柴崎晃誠選手移籍のお知らせ”. J's GOAL. (2010年12月11日). https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00111369&keyword=&team=441&year=2010 2021年12月11日閲覧。 
  6. ^ 柴崎晃誠選手加入のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2010年12月11日https://www.frontale.co.jp/info/2010/1211_1.html2021年12月11日閲覧 
  7. ^ 日本代表「キリンカップサッカー2011」メンバー選出のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2011年5月27日https://www.frontale.co.jp/info/2011/0527_4.html2021年12月11日閲覧 
  8. ^ a b c “東京V、期限付き移籍で川崎F・柴崎を獲得へ”. スポーツニッポン. (2012年7月26日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/07/26/kiji/K20120726003758030.html 2014年1月24日閲覧。 
  9. ^ 柴崎晃誠選手のケガについて』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2012年4月20日https://www.frontale.co.jp/info/2012/0420_1.html2021年12月11日閲覧 
  10. ^ 柴崎晃誠選手 期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2012年7月26日https://www.verdy.co.jp/news/5052021年12月11日閲覧 
  11. ^ 柴崎晃誠選手期限付き移籍満了のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2012年12月5日https://www.verdy.co.jp/news/8662021年12月11日閲覧 
  12. ^ 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2012年12月5日https://www.frontale.co.jp/info/2012/1205_2.html2021年12月11日閲覧 
  13. ^ 柴崎晃誠選手移籍のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2012年12月27日https://www.frontale.co.jp/info/2012/1227_5.html2021年12月11日閲覧 
  14. ^ 柴崎 晃誠選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ』(プレスリリース)徳島ヴォルティス、2012年12月27日https://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=49052021年12月11日閲覧 
  15. ^ 百戦錬磨の小林伸二監督が叩き込んだハードワークの姿勢。徳島が初のJ1切符獲得!”. J SPORT (2013年12月9日). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月24日閲覧。
  16. ^ 柴崎 晃誠選手 サンフレッチェ広島へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)徳島ヴォルティス、2014年1月7日https://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=55732021年12月11日閲覧 
  17. ^ “柴崎晃誠選手 徳島ヴォルティスより完全移籍加入のお知らせ”. J's GOAL. (2014年1月7日). https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00166548&keyword=&team=451&year=2014 2021年12月11日閲覧。 
  18. ^ 新加入柴崎、定位置狙う 森崎和と青山が盤石のボランチ”. 中国新聞 (2014年1月31日). 2014年2月1日閲覧。[リンク切れ]
  19. ^ 柴崎晃誠選手 現役引退のお知らせ”. サンフレッチェ広島. 2023年12月18日閲覧。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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