渡辺駛水
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渡辺 駛水 | |
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生年月日 | 1861年 |
出生地 | 鳥取県米子市上福原 |
没年月日 | 1921年 |
出身校 |
鳥取師範 (現鳥取大学) |
在任期間 | 1897年 - 1917年 |
県会議長 | |
在任期間 | 1901年 - 1907年 |
在任期間 | 1901年 - 1909年 |
渡辺 駛水(わたなべ はやみ、文久元年(1861年)7月15日 - 大正10年(1921年))は、日本の政治家、実業家。米子町長、福生村長。鳥取県会議員、県会議長、西伯郡会議員。号は日川。鳥取県士族[1]。
経歴
[編集]会見郡上福原村に生まれた[2]。厳父・齊の嫡男[3]。夙に学を好み教えを郷校に受け小学の科程を卒え郷儒山内先生に従い漢籍を修む[3]。鳥取師範(現鳥取大学)卒[2]。
明治23年(1890年)福生村助役[2]、翌年に村長となり明治32年(1899年)まで在職[2]。明治29年(1896年)から3年間は西伯郡会議員を兼ね、明治30年(1897年)~大正6年(1917年)まで20年間の長きにわたって鳥取県会議員を務めた[2]。その間、明治34年(1901年)から明治40年(1907年)まで県会議長を2期[2]、明治34年(1901年)から明治42年(1909年)までの8年間は、第6代米子町長の重職にあった[2]。