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渡辺真理

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渡邉真理から転送)

わたなべ まり
渡辺 真理
プロフィール
本名 高井 真理
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
生年月日 (1967-06-27) 1967年6月27日(57歳)
血液型 O型
最終学歴 国際基督教大学教養学部人文科学科卒業
職歴 TBSアナウンサー
(1990年 - 1998年)
活動期間 1990年 -
ジャンル 報道・情報・バラエティ
著名な家族 高井一郎フジテレビ社員)
公式サイト 渡辺真理のウェブサイト
担当番組・活動
出演経歴モーニングEye
そこが知りたい
筑紫哲也 NEWS23

渡辺 真理(わたなべ まり、1967年6月27日 - )は日本のフリーアナウンサーTBSの元アナウンサー。本名は高井 真理(たかい まり)で、旧姓は渡辺(わたなべ)。

神奈川県横浜市中区生まれ。かつてはオフィス・トゥー・ワンに所属していた。

来歴

TBSアナウンサー時代

横浜雙葉中学校・高等学校を経て国際基督教大学教養学部人文科学科を卒業後、1990年4月にTBS[注釈 1]にアナウンサー26期生として入社(同期は岩井健浩有村美香田中宏明[1][2]

入社から1年後の1991年4月、朝のワイドショー『モーニングEye』のキャスターに抜擢される。また、番組最後の出題アシスタントとなった『クイズダービー』をはじめ、『そこが知りたい』や『スーパーサッカー』なども担当した。

1996年秋に『モーニングEye』がTBSビデオ問題の影響で終了した後は、『筑紫哲也 NEWS23』第2部のキャスターに就任。「若き巨匠ヨー・ヨー・マー」で第22回'96アノンシスト賞 グランダ・プレミオ賞を受賞するが[3]、1997年秋の番組リニューアルを機に降板した。

1998年3月[注釈 2]にTBSを退社するまでの半年間は、TBSラジオの『渡辺真理 MELODY MARKET』が唯一のレギュラー番組であり、他は世界フィギュアスケート選手権中継のナビゲーターを務める程度であった。

フリー転向後

退社後、フリーアナウンサーに転向。TBSでの先輩である久米宏にそのキャラクターを買われ、オフィス・トゥー・ワンに所属した。

小宮悦子の後任でテレビ朝日ニュースステーション』の2代目サブキャスターに抜擢され、2004年3月26日の番組終了までコンビを組んだ。ライバル同士と言われた『筑紫哲也 NEWS23』と『Nステ』の両番組に出演した唯一の人物である。

『Nステ』の終了後には、ビートたけし司会の『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』(朝日放送)でアシスタントを務めたほか、各種ラジオ番組にも出演している。2006年秋からはラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』にて、TBS退社後約8年半ぶりに古巣での仕事を行う。

2015年8月の時点で、オフィス・トゥー・ワンの公式サイトからプロフィールが削除されている。

出来事・エピソード

  • 2006年9月7日23時40分頃、目黒区中央町の都道で車を停めて開けた運転席ドアに後方から来た自転車が接触。自転車に乗っていた男性(当時29歳)は転倒し、左肩打撲の軽傷を負った。渡辺は「買い物をしようとして、後方確認が不十分なままドアを開けてしまった」と説明。男性のけがが軽かったことなどから、警視庁目黒署は物損事故扱いとした。また、渡辺自身も同年12月頃に転倒し、右のほおを負傷した。頬内部が内出血で腫れ上がり、あごを8針も縫う大怪我であったが、負傷部位に大きなガーゼをあててレギュラー番組に出演し続けた。2007年の春先に回復している。
  • 2008年8月27日に、フジテレビプロデューサーの高井一郎(当時45歳)と結婚した。互いに初婚である。中高の先輩である八木亜希子が2人を引き合わせ、出会って3か月、交際2か月のスピード婚で、渡辺の旧知の糸井重里樋口可南子夫妻が婚姻届の証人となった[5][6]
  • 2015年3月22日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ)でTBSの後輩である青木裕子との初共演となったが、2人の在籍年度が全く異なるため[注釈 3]、青木とは同番組での共演時まで面識がなかった。

出演

テレビ番組

TBSアナウンサー時代

フリー転向後

テレビドラマ

ラジオ番組

ネット配信番組

映画

CM

脚注

注釈

  1. ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビTBSラジオ。TBSの通称は、2009年3月まで東京放送のものであったが、同年4月の東京放送ホールディングス(2020年10月からTBSホールディングス)への解消に伴い、TBSテレビに引き継がれた。
  2. ^ 『TBS50年史』では「1998年2月退社」となっている[3][4]
  3. ^ 青木がTBSに入社したのは、渡辺が同局を退社した7年後(2005年)である。また、所属も渡辺が東京放送(現・TBSホールディングス)であったのに対し、青木は同社の子会社であるTBSテレビ(新卒1期生)であった。

出典

  1. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239-240頁。「1990.4<26期生> 4人入社(男2・女2) 岩井健浩 田中宏明 有村美香 渡辺真理」 
  2. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、31頁。「90.4<26期生>4人入社 岩井 健浩 田中 宏明 有村 美香 渡辺 真理」 
  3. ^ a b c d e f g h i j k 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、31頁。「渡辺 真理…[98.2 退社] R「時遊人倶楽部(90)」「トレンドメーカーズ」「MELODY MARKET(96)」 TV「モーニングEye(92)」「クイズテレビずき!(93)」「シネマにぞっKON!(93)」「カミングOUT!(94)」「ニュース23 II部(96)」「そこが知りたい(96)」 ★「ニュース23 II部 〜若き巨匠ヨー・ヨー・マー〜」<第22回'96アノンシスト賞 グランダ・プレミオ賞>」 
  4. ^ a b c d e f g 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。「渡辺真理[1998.2退社] R「時遊人倶楽部(1990)」「トレンドメーカーズ」「MELODY MARKET(1996)」 TV「モーニングEye(1992)」「ニュース23(1996)」「そこが知りたい(1996)」」 
  5. ^ “渡辺真理、フジのプロデューサーと結婚”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2008年9月5日). https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/p-et-tp0-20080905-404913_m.html 2019年2月27日閲覧。 
  6. ^ 渡辺真理、フリー転身の年に介護生活スタート。父の病室に立ち入った雑誌記者に「ひっそり感謝」した理由”. テレ朝POST (2019年9月13日). 2019年9月14日閲覧。
  7. ^ BS歴史館 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス

参考文献

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

外部リンク