渡邊行雄
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渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6日[1][2][3] - 1996年〈平成8年〉4月1日[2][3])は、昭和から平成時代の政治家。実業家。岡山県倉敷市長。
経歴
[編集]倉敷市出身[1][2]。1954年(昭和29年)同志社大学経済学部卒業[1][2]。百十四銀行勤務を経て、1975年(昭和50年)以来、岡山県議会議員に4選し、1987年(昭和62年)同副議長に就任する[1][2]。1991年(平成3年)倉敷市長に当選し[1][2]、2期目在任中に死去した[4]。ほか、水島ゴム工業用品社長を務めた[1]。
市長在任中は、倉敷チボリ公園、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学の誘致、下水の倍増計画に尽力した[4]。
親族
[編集]- 甥 渡辺英気(岡山県議会議員)[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第38版 下』人事興信所、1995年 。
- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。
- 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304。