コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

湯檜曽駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
湯檜曽駅
駅舎(2021年7月)
なお、旧駅舎は画面右手にあった
ゆびそ
Yubiso
水上 (3.6 km)
(6.6 km) 土合
地図
所在地 群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽18-2
北緯36度48分9.9秒 東経138度59分10.4秒 / 北緯36.802750度 東経138.986222度 / 36.802750; 138.986222 (湯檜曽駅)座標: 北緯36度48分9.9秒 東経138度59分10.4秒 / 北緯36.802750度 東経138.986222度 / 36.802750; 138.986222 (湯檜曽駅)
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 上越線
キロ程 62.7 km(高崎起点)
電報略号 ユヒ
駅構造 地上駅(上り線)・地下駅(下り線)
ホーム 計2面2線(上下別)
乗車人員
-統計年度-
27人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1931年昭和6年)9月1日
備考 無人駅乗車駅証明書発行機 有)
テンプレートを表示

湯檜曽駅(ゆびそえき)は、群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越線である。

本項目では現駅所在地付近に以前存在した大穴仮乗降場(おおあなかりじょうこうじょう)、新湯檜曽信号場(しんゆびそしんごうじょう)、旧駅跡地に設置されていた北湯檜曽信号場(きたゆびそしんごうじょう)についても述べる。

歴史

[編集]

駅構造

[編集]

ホームは上下線で別々である。上りホームは、駅舎より一段高い築堤上にある単式1面1線の地平ホームで、駅舎とは階段で連絡している。上りホームからは北側にはループ線の一部が望める[注釈 2]ほか、高崎方先端付近が新清水トンネルの入口と並んでいる。下りホームは、新清水トンネル内に入ってすぐの場所にある単式1面1線の地下ホームで、駅舎とは上り線の築堤をくぐる地下通路で連絡しており、階段はない。

水上駅管理の無人駅。旧駅舎は2009年10月に解体撤去され、現在は男女別のトイレだけがある打放しコンクリートの簡便な駅舎に建て替えられている。旧駅舎はスキー場のロッジのようなデザインで、駅舎内には高い天井からシャンデリア風の蛍光灯照明が吊された広いコンコースやコインロッカー・出札窓口・手小荷物窓口・待合室などがあった。無人駅化されて久しく、末期には待合室は閉鎖されたままになっていた。

のりば

[編集]
ホーム 路線 方向 行先
地上ホーム 上越線 上り 水上高崎上野方面
地下ホーム 下り 土合・湯沢〔ママ〕・長岡方面

(出典:JR東日本:駅構内図

※案内上ののりば番号は設定されていない。

旧駅(北湯檜曽信号場)

[編集]

単線時代に使用されていた旧駅は列車交換可能な島式ホーム1面2線の構造で、複線化に伴い信号場となった後は旧上りホーム側の線路を副本線とし、上り列車同士の待避・追い抜きが可能な構造としていた[1][5]

駅舎は駅前広場と線路間の急斜面中腹に張りつくような形で設置され、駅前広場から駅舎・ホームへはまず上屋つきの狭く長い階段を通り、駅舎を経て地中の階段を通ってホームに上がる構造となっていた。また短期間ながら、ホームと駅舎の連絡にエレベーターを用いていた時期もあった[1]。なお、駅前広場には産婦人科の長沢医院と川魚料理が名物の小料理屋・見晴寿司があった[9]

跡地は、現在も架線柱の間隔が広くなっているほか階段も現存しており、新たに金属製の上屋が設けられて保線作業用通路として利用されている。

利用状況

[編集]

群馬県統計年鑑によると、1日平均乗車人員は以下の通り。

年度 1日平均
乗車人員
1986年 133
2000年 25
2001年 24
2002年 27
2003年 22
2004年 21
2005年 17
2006年 18
2007年 17
2008年 19
2009年 18
2010年 20
2011年 21
2012年 27

駅周辺

[編集]
湯檜曽駅駅舎(左)と湯桧曽郵便局(右)
湯檜曽温泉

駅前には郵便局や企業の保養施設等いくつかの建物しか無いが、国道291号線を利根川の支流湯檜曽川に沿って北上すると湯檜曽温泉温泉街がある。

隣の駅

[編集]
東日本旅客鉄道(JR東日本)
上越線
水上駅 - 湯檜曽駅 - 土合駅

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 上越線の施設キロはすべて高崎線と通算で大宮起点とされている。高崎起点では約65.99 km地点に相当。
  2. ^ 逆に、ループ線を走行する上り列車の進行方向右側の窓からは当駅を望むことができる。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 星晃・石川尹巳 (2017-08-01). “単線時代の湯檜曽界隈”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) No.934: pp.34 - 35. 
  2. ^ 土屋幸正 (2017-08-01). “上越線 電気機関車乗務の回想”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) No.934: pp.34 - 35. 
  3. ^ 「長岡など11駅ホーム扛上」『交通新聞』交通協力会、1960年2月10日、1面。
  4. ^ 祖田圭介 (2017-08-01). “上越線の線路をたどる”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) No.934: pp.49 - 67. 
  5. ^ a b 祖田圭介 (2017-08-01). “上越線の線路をたどる”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) No.934: pp.49 - 67. 
  6. ^ 「日本国有鉄道公示第516号」『官報』1970年12月15日。
  7. ^ 「通報 ●上越線湯檜曽駅ほか2駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1970年12月15日、2面。
  8. ^ 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、452頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  9. ^ 「フリーライター&フォトグラファーの関行宏のブログにようこそ」の記事「新湯檜曽駅と旧湯檜曽駅」

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]