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源経仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源経仲
時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下[1]常陸介
主君 白河天皇堀河天皇
氏族 藤原北家小野宮流醍醐源氏
父母 父:藤原経通、母:源高雅の娘
猶父:源経房
兄弟 経仲藤原経季藤原経平藤原顕家藤原範輔
俊兼経兼仲季、勝祐
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源 経仲(みなもと の つねなか)は、平安時代後期の貴族歌人藤原北家小野宮流権中納言藤原経通の子。醍醐源氏、権中納言・源経房の猶子。官位従五位下常陸介

経歴

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白河朝にて、右衛門佐を経て、承暦元年(1077年)10月に出雲守に任ぜられると、早くも同年11月に任地で名所歌合を主催する。寛治5年(1091年)正月に媞子内親王中宮に立てられると、経仲は皇后宮権亮に補せられる。この間、同年2月の『藤原宗通家歌合』、嘉保3年(1096年)5月の『中宮権大夫家歌合』(藤原能実主催)に参加。また、同月に行われた『左兵衛佐師時家歌合』では判者を務めた

のち、常陸介を務め、少なくとも康和5年(1103年)時点では高齢ながら生存している。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 尊卑分脈』による。一部の諸本では従五位上とする
  2. ^ 『水左記』
  3. ^ 『大記』
  4. ^ 『帥記』永保元年12月29日条
  5. ^ 『左近権中将藤原宗通朝臣家哥合』
  6. ^ 『中宮権大夫家歌合』
  7. ^ 『本朝世紀』

参考文献

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