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源頼範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源 頼範
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下右近衛将監左衛門尉
主君 三条天皇
氏族 清和源氏経基流
父母 父:源満仲、養父:源頼光
兄弟 頼光頼親頼信頼平頼明頼貞頼範頼尋源賢(賢快)、藤原頼親室、源敦室、藤原道綱
養兄弟:孝道
親弘
養子?:頼家頼基頼弘永壽頼昭
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源 頼範(みなもと の よりのり)は、平安時代中期の武士官人源満仲の七男。長兄・頼光の養子となっていたとされる。

略歴

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京における中級官人として活動し、寛弘8年(1011年)には三条天皇の即位に伴う斎院御禊に際し甥・頼国と共にその前駆を務めた(『御堂関白記』)。右衛門尉となっていた長和3年(1014年)に非蔵人として還昇を許され、同5年(1016年)には三条院院蔵人となった(『小右記』)が、以後史料上から姿を消している。

なお、『尊卑分脈』による子の記載は兄・頼光、頼平のものとの間で錯綜がみられる。また、長子とされる頼綱は『尊卑分脈』の一部に「頼国の子頼綱と同人」と記載されるものがあることから、甥頼国の五男であった頼綱(多田頼綱)と同一人物であると仮定し、多田庄は満仲から頼範に継承されその子頼綱に相続されたとする説が提示されたことがある[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ 安田元久「多田源氏の系譜をめぐって」『武士世界の序幕』収録 (吉川弘文館1973年
  2. ^ ただし同系図によると、子に範弘(戸島蔵人)があり、その子為綱は「藤原章家(藤原北家山蔭流)の養子となった」とあることから、頼国の五男頼綱と子の記載に食い違いが生じる。
  3. ^ 『尊卑分脈』に長兄頼光の次男頼家と同様の子の記載がある。
  4. ^ 甥頼国の長男頼弘と同名であるが、同じく『分脈』の記述では子に「為綱」とあることから、上記頼綱の子「範弘(戸島蔵人)」と訛伝混同している可能性がある。

出典

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