滝本淳助
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たきもと じゅんすけ 滝本 淳助 | |
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生誕 |
1954年??月??日 日本・東京都渋谷区千駄ヶ谷[1] |
職業 | 写真家(カメラマン) |
滝本 淳助(たきもと じゅんすけ、1954年 - )は、日本の写真家、カメラマン。
来歴
[編集]東京都渋谷区千駄ヶ谷出身[1]。両親は共に人形劇団プークの劇団員で[1]、母方の祖父は瑞円寺の僧侶[1]。
渋谷区立千駄谷小学校、渋谷区立外苑中学校を経て、世田谷高等学校(現在の世田谷学園高等学校)に進学[1]。
法政大学夜間部在学中に[1][2]、劇団「東京キッドブラザース」に在籍していた巻上公一(1978年にヒカシューを結成)に誘われて独学で写真を学び[3]、同劇団の専属カメラマンを務める。
1978年頃[4]、巻上から末井昭(編集者で『写真時代』の創刊者)を紹介され、雑誌などでフリーカメラマンとして活動する[5]。
久住昌之によるレポート「タキモトの世界」[6]は、雑誌『写真時代』(白夜書房)の1985年9月号から1989年8月号まで連載され、これをまとめて1992年に同タイトルで単行本として太田出版から刊行された。その後2013年に復刊ドットコムから復刊された[7][8]。久住との雑談形式で、ペパロニライスなど[9]、滝本が持つさまざまな価値観が言語化されている[4]。
1989年にTBSの『三宅裕司のいかすバンド天国』にも出場したロックバンド「大島渚」に、ドラム・タンバリンで参加した(アルバム第1作のみ)。他のメンバーにはみうらじゅん、喜国雅彦らがいた。
テレビ
[編集]- タモリ倶楽部(テレビ朝日) - 1987年からのコーナー「東京トワイライトゾーン」に、久住昌之とともにレギュラー出演
- ミチコ・オグラの見るがいいわ(1991年 - 1992年、日本テレビ) - 「顔マネ塾」コーナーに“顔マネフォトグラファー”として出演
- Woming(1993年 - 1994年、静岡第一テレビ) - レギュラーコメンテーター
連載
[編集]著書
[編集]- 「ア・ン・バ・ラ・ン・ス ヒカシュー詩・写真集」滝本淳助撮影 パブリッシャーハウスアミューズ 1981
- 「写真四コマ漫画」久住昌之 作,滝本淳助 撮影 白夜書房 1984
- 「東京トワイライトゾーン : タモリ倶楽部」久住昌之, 滝本淳助 著 日之出出版 1989
- 「タキモトの世界」 - 久住昌之と共著
- (1992年4月 太田出版) ISBN 978-4872330557
- (2013年3月 復刊ドットコム) ISBN 978-4835449364
- 「東京3D案内」 滝本淳助 撮影,えのきどいちろう 著 ソニー・マガジンズ 1993
- 「ステレオ必勝ガイド VOL.1」ステレオ必勝ガイド編集部編、太田孝幸&滝本淳助:総指揮 1993
- 「夢蔵 Super dream collection」久住昌之 情報センター出版局、1995(久住昌之の単独名義の著作だが、登場する夢の大半が、滝本が見た夢である)
- 「三昧般若経」 滝本淳助 写真 無双舎 2010
- 「滝本夢絵日記」 滝本淳助 著,久住昌之 聞き手 ポット出版 2015
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 障害(仮)p.048 アウトサイドの現場から③ 鞆の津ミュージアム(初出:都築響一 『ROADSIDERS' weekly』連載「アウトサイダー・キュレーター日記 06」 2015年09月23日 配信号)
- ^ 巻上公一の年譜 巻上公一公式サイト
- ^ マロン写真展「marron☆party!part Ⅳ」 SPIN GALLERY
- ^ a b 第6回 滝本淳助さん スエイさんが会いに行く
- ^ 滝本淳助WEB写真展 「スエイさん」 deco-tokyo.com_NEWS
- ^ タキモトって誰? 滝本淳助 (「花形文化通信」No.36/1992年5月号) 花形文化通信
- ^ 『孤独のグルメ』の久住昌之と天才たちによる伝説の奇書、奇跡の復刊『タキモトの世界』 ニコニコニュース(とみさわ昭仁)2013年3月25日
- ^ 僕らはみんな『タキモトの世界』に生きている オールナイトニッポン Gold Club(柳瀬博一)2013年4月16日
- ^ あぁ、パパロニライス。 クスミの後悔日記2 2007年10月2日
- ^ taquaiのツイート(1176802028720291842)
外部リンク
[編集]- 滝本淳助 (@takimotonosekai) - X(旧Twitter) (2012年1月 - )