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潜水母艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潜水艦母艦から転送)

潜水母艦(せんすいぼかん)は、海軍における補助艦艇の一つである[注 1]

概要

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アメリカ海軍の潜水母艦「フルトン」と接舷中の原子力潜水艦3隻

潜水母艦は、潜水艦に補給をおこなう補給艦の一種である[2]。前進根拠地や泊地などにおいて潜水艦を接舷させ、食料燃料魚雷その他物資の補給を行う[注 2]。 補給だけでなく、工作艦として修理・整備能力を持つものもある[注 3]。ただし、潜水母艦自体は潜水艦のように水中に潜ることはできないし、敵艦に対する攻撃力も乏しい。また潜水母艦は潜水艦乗組員の休養施設なので居住性も良く[5]、充実した医療、映画などの娯楽提供などもおこなう[2]。類似のものとしては、水雷母艦駆逐艦母艦がある。

乗員数に余裕があり無線設備も充実しやすいことから、潜水母艦は潜水艦戦隊旗艦となったケースもある[3]

潜水艦は艦内が狭く、主武装の魚雷や、生鮮食品、燃料などの消耗品を大量に積み込むことができない[6]。そのため、長期間の行動には潜水艦に付随し、補給などを行う艦船が必要となる[注 4]。専用の艦を新造する場合の他、徴用した商船を改装したものもあり、これは「特設潜水母艦」と呼ばれる。大型水上艦に対する補給艦のように航行しながらの補給を行うものではなく、あくまでも泊地内などでの停泊・接舷しての運用が主となる[要出典]ドイツ海軍は作戦行動中のUボートに洋上で秘密裡に補給をおこなうため、「乳牛 (Milchkuh) 」と呼ばれる補給用Uボートを開発した。

日本の潜水母艦

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潜水艦救難母艦「ちよだ

日本海軍海軍艦艇類別標準において軍艦のうちに潜水母艦の類別が設けられたのは1924年(大正13年)12月1日であり、それまでは同種の任務の艦は水雷母艦とされていた。特務艇のうちの潜水艦母艇(1920年(大正9年)4月1日設置)も同様の任務に就いた。 当時の水雷母艦(潜水艦母艦)は、運送船として計画され建造中に改装された「駒橋」や拿捕商船を改装した「韓崎[5]、潜水艦母艇は旧式海防戦艦を改造した「見島」や、元防護巡洋艦の「千代田」などであった。 大正期の八八艦隊案において、ようやく本格的潜水母艦たる迅鯨型潜水母艦の「迅鯨」と「長鯨」の就役に至った[8]。しかし迅鯨型は呂号潜水艦に対応した能力であったため、潜水艦の大型化・高速化が進むと能力不足が顕著になった。そこで他艦と戦隊を組まない軽巡洋艦長良型軽巡洋艦)や、商船を改装した特設艦が潜水戦隊旗艦兼母艦任務に充当された。

昭和期にはいると、「大鯨」と剣埼型潜水母艦といった本格的な潜水母艦が建造され[注 5]、迅鯨型は練習艦や工作艦になった。

しかし、新型3隻(「大鯨」、「剣埼」、「高崎」)は有事の際に短期間で航空母艦改装される予定の特殊艦であった。実際に太平洋戦争を前に「大鯨」は「龍鳳」(昭和16年12月より空母改造工事開始)、「剣崎」は「祥鳳」(昭和15年11月より工事開始)、「高崎」は「瑞鳳」へと、それぞれ予定通りに軽空母へ改装されたため、迅鯨型は1940年(昭和15年)11月より再び潜水母艦として運用された。また予定どおり商船改造の特設潜水母艦を投入した。このほかに、潜水戦隊旗艦用の軽巡洋艦として大淀型軽巡洋艦を建造することになったが、1番艦「大淀」のみ完成し、2番艦「仁淀」は建造中止となった。

海上自衛隊においては、潜水母艦機能に加えて潜水艦救難艦としての能力も持つ潜水艦救難母艦「ちよだ」を2018年まで運用していた。

アメリカの潜水母艦

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オハイオ級原子力潜水艦など弾道ミサイル潜水艦を大量に保有していたアメリカ海軍では、潜水艦発射弾道ミサイルを積載する能力を持つものも存在した。

2022年時点においてアメリカ海軍は原子力潜水艦用のエモリー・S・ランド級を運用している。

各国の潜水母艦

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大日本帝国の旗 大日本帝国
オーストラリアの旗
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
フランスの旗 フランス
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国

参考図書

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  • 『歴史群像No.38潜水母艦 大鯨』学習研究社、1999年

脚注

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注釈

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  1. ^ 四、潜水母艦[1] 潜水母艦はその名の示す如く潜水艦の親艦(おやぶね)である。從來潜水艦は小さく、乗組員の起臥生活に必要な物品や潜水艦が行動するのに必要な燃料等を充分搭載出來なかつたので、潜水艦が長い間行動するには常にこの種の艦を伴つたものである。今日では潜水艦は大きくなつて艦内に相當色々なものを搭載出來るやうにあつてので、昔程には母艦を必要となつた今も、尚籔隻の潜水艦で編制される。潜水隊數隻が行動する時には、この種の母艦を伴つて補給醫療休養といふやうな任務に從事してゐる。/「韓崎」「駒橋」「迅鯨」「長鯨」「大鯨」は此の艦種である。
  2. ^ 水上機母艦、潜水母艦の任務[3] 水上機母艦とは、艦上に航空母艦のやうな飛行甲板を持たぬ艦で、搭載機は下駄ばきの水上機に限られてゐる。搭載する飛行機を飛ばすには主として射出機(カタパルト)を用ゐ、又歸つて來た飛行機を海面から海上に収容するには、テリツク(巻揚機)を用ゐる。又収容方法として、近年艦尾より特殊の布を後方に曳航し、附近に箸水した飛行機をその上に乗せ揚げて之を艦内に収容する方法も各國で實施せられ、好成績を擧げてゐるといふことである。商船や他の艦種を改造したものが多いが、我國の千歳佛國コマンダンテスト等は初めから水上機母艦として建造されたものである。
    潜水母艦は潜水艦の親船ともいふべきもので、捕鯨母船とキヤツチヤーボートとの關係によく似てゐる。潜水艦は、その構造上搭載量に制限があり、長期に亙つて獨力で航海することが困難である。又乗員の居住設備等も極めて不充分なので、潜水母艦という親船がどうしても必要となつてくる。この親船は、燃料、兵器、糧食等を擇山積み込んでゐるから、必要に應じて之を潜水艦に供給し、また潜水艦乗員のために好ましい休養の設備も施してある。潜水母艦はこのやうに潜水艦の親船となつて行動を共にすると共に、潜水戰隊の旗艦ともなつて潜水艦誘導の任務に當るものである。
  3. ^ 水雷母艦[4] 凡そ驅逐艦潜水艦は一千噸内外の排水量を有するものに在りては軍需品日常の供給、一般の小修理竝に居住上一切の設備は自から之を有つてゐて、宛かも一の小軍艦であるから、それ以上の要求は之を他の供給機關若くは特務艦によりて充たすことを得べく、從つて特に母艦を置くに及ばぬが、小型の驅逐艦(排水量三四百噸のもの)とか海防用潜水艦なるに於ては右の如き日常の要求さへ之を充たすに不十分であるから、その根據地に母艦を置き、之が活動力の給源たらしむるのである。即ち母艦には其數の驅逐艦若くは潜水艦に對して、通常の修理一切を行ひ得べき機械工場を有し(潜水母艦には二次電池課電の爲發電機を要す)燃料清水その他總て必要なる軍需品を貯へ、潜水母艦に在りては待に該艦員の居住に適する設備がなくてはならぬ。/方今我海軍に有する水雷母艦は主として潜水隊用に供せられて居る。
  4. ^ 潜水母艦 “ジュール・ヴエルヌ Jules Verne[7] 全要目{排水量5,720噸 速力16節 備砲8糎高角砲4門 3.7糎高角砲4門 進水1931年2月 建造所ブレスト海軍工廠} 全長102.86米、幅17.98米、平均喫水5.79米。16節の軸馬力6,000馬力、機關はデイゼル式である。/上記兵装の外に高角機關銃9門を有つてゐる。故にこれを以て見ても防空兵器が如何に重視されてゐるかゞ判る。潜水母艦は潜水艦に燃料、糧食、清水その他の軍需品を供給し潜水艦をして百パーセントの活躍をなさしむる艦で、云はゞ潜水艦と共に移動する根據地である。/故に潜水母艦は常に潜水艦と同一行動をとるものでは決してない。潜水艦も水上航走に於ては普通の水上艦艇の如く隊伍を組んで行動することは勿論であるが、一度水中に潜没してあの僅かに水面に隠見する潜望鏡により狭隘な視界を頼つて行動する場合は、水中聴音器等の通信装置を唯一の連絡機關とする外なく從つて豫定の行動を一隻々々が個々に遂行することになる。要するにこれが潜水戰隊の特異性である。
  5. ^ ― 潜水母艦 ― 大鯨(たいげい)[9] 基準排水量10,000噸、長さ197.3米、幅18.04米、平均吃水5.2米、速力20節、備砲12.7糎高角砲4門、起工昭和8年4月12日、進水昭和8年11月16日、竣工昭和9年3月31日、建造所横須賀海軍工廠―同じ工廠で造られた劍埼、高崎(共に12,000噸 ― 建造中)と共に昭和年代に出來た新しい潜水母艦である。
  6. ^ 潜水母艦 “ザール Saar[12] 全要目{排水量2,710噸 速力16節 備砲10糎3門機銃4門 燃料積載量290噸 進水1934年4月 建造所 キール・ドイチエウエルケ社} 對英三割五分の協定成立の後、獨逸が目下世界各國の注目をうけつゝ一萬噸航空母艦を建造中であることは改めていふまでもないが、その外獨逸は比較的小型の雑用母艦建造の先鞭をつけ、これを潜水母艦、水雷艇母艦、驅逐母艦に使用してその實をあげてゐる。艦内は兵員の樂な居住室と燃料油彈藥を滿載して輕快にいつでも思ふ場所へ出動出來る。かくの如く新興獨逸海軍は全體に亘つて、益々獨逸らしい特徴を示し、何者にもとらはれない新らしい建艦整備の道を歩んでゐる。今日の獨逸海軍を知り、未來の獨逸海軍を想ふとき思ひ半ばにすぎるものを感ずるであらう。

出典

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  1. ^ 児童百科大事典(10)国防 1932, p. 152原本266頁
  2. ^ a b 潜水艦出撃 1943, p. 100(原本178-179頁)
  3. ^ a b 日本軍艦集(2600年) 1940, pp. 86–87(原本付録11-12頁)
  4. ^ 大日本軍艦写真帖 1924, pp. 22–23.
  5. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 46原本74-75頁(潜水母艦迅鯨)
  6. ^ 潜水艦出撃 1943, p. 98(原本175頁)
  7. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 161原本304-305頁(潜水母艦ジュールヴエルヌ)
  8. ^ 潜水艦出撃 1943, p. 99(原本176-177頁)
  9. ^ 日本軍艦集(2600年) 1940, p. 60(原本90頁)
  10. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 139原本260-261頁〔 潜水母艦“ビーヴァ― Beavr”と二等潜水艦)
  11. ^ 潜水艦出撃 1943, p. 101(原本180頁)
  12. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 172原本326-327頁(潜水母艦ザール)

関連項目

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