なだ万
アサヒグループカルピス恵比寿ビル | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒150-0022 東京都渋谷区恵比寿南二丁目4番1号 アサヒグループカルピス恵比寿ビル2F 北緯35度38分41.3秒 東経139度42分28.6秒 / 北緯35.644806度 東経139.707944度座標: 北緯35度38分41.3秒 東経139度42分28.6秒 / 北緯35.644806度 東経139.707944度 |
本店所在地 |
〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町4番1号 北緯35度40分51秒 東経139度44分2秒 / 北緯35.68083度 東経139.73389度 |
設立 | 1951年 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9010001025301 |
事業内容 | 日本料理店の経営・惣菜、お弁当の製造販売・その他食品販売等 |
代表者 | 代表取締役社長 大貫一敏 |
資本金 | 4,111万円(2023年12月期)[1] |
純利益 |
▲12億2,566万8,000円 (2023年12月期)[1] |
総資産 |
42億9,152万円 (2023年12月期)[1] |
従業員数 |
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決算期 | 毎年12月31日 |
主要株主 | アサヒビール 100% |
関係する人物 |
楠本憲吉 中村孝明 |
外部リンク | https://www.nadaman.co.jp/ |
株式会社なだ万(なだまん)は、1830年(天保元年)創業の日本料理店。客単価1万5千円ほどの高級店として知られ[3]、日本を代表する老舗料亭のひとつである[4]。百貨店などのテナントとして惣菜や弁当の販売も行なっている。
歴史
[編集]創始者である灘屋萬助は、出身地である長崎の卓袱料理と漢方の知識を元に、長崎料理を大阪風にアレンジした料理屋を1830年に大阪で開いた[5]。そして1871年に北浜で「灘萬楼」を開業した[6]。明治中期には現代のスーパーの嚆矢といえる総合食料品店も開き、当時まだ珍しかったパンを販売した[7]。料亭の灘萬は評判を呼び、政財界の要人や文豪らに親しまれ[4]、その作品にも登場した[7]。
大正時代には、パリ講和会議の折に西園寺公望の訪欧随行料理人として灘萬の店主が指名され[6]、また洋式ホテルの経営にも関わって、レストランでのジャズ演奏は「灘萬ジャズ」と呼ばれた[7]。戦後は帝国ホテルなどに日本料理店の出店を続け[7]、特にホテルニューオータニ庭園の「山茶花荘」(さざんかそう)は政府要人らの会談場所として頻繁に使われ[8]、1986年の東京サミットでは公式晩餐会の会場ともなった[7]。しかし平成に入ると、バブル崩壊、リーマン・ショックなどで高級日本料理店の客足は遠のき、その売上不振を百貨店などでの惣菜販売で補った[9]。
2014年(平成26年)にアサヒビールが創業家(楠本家)から株式51.1%を取得し、なだ万は連結子会社化された[10]。もとよりなだ万の日本料理店で扱うビールの9割はアサヒ商品であり両社の関係は深く[8]、この買収によりなだ万は安定した経営基盤を得た[11]。
しかし、2023年(令和5年)7月、アサヒグループホールディングスは外食事業から撤退する方針を決定し、100%子会社となっていた「なだ万」も売却することになったという報道があったが[12]、その後もアサヒグループ内に所属している様子。2024年(令和6年)7月にも報道があった[13]。
2024年7月26日、アサヒグループホールディングスは同年9月1日付けで本企業の全株式をONODERA GROUPに売却することを正式発表した[14][15]。
店舗
[編集]2024年1月時点で、日本料理店は日本国内では関東圏を中心に[3]25店舗、日本国外では中国などに4店舗を構えており、ほかに総菜販売店あるいは弁当販売店として46店舗を展開している[12]。
沿革
[編集]- 1830年(天保元年) 初代・灘屋萬助が大阪で料理屋を創業
- 1871年(明治4年) 長崎料理を基調とした大阪料理の店「灘萬楼」を開業
- 1919年(大正8年) 西園寺公望の訪欧に三代目・楠本萬助が随行。
- 1951年(昭和26年) 株式会社に改組。
- 1970年(昭和45年) 帝国ホテルに日本料理店を開店。
- 1973年(昭和48年) ロイヤルホテルに日本料理店を開店。
- 1974年(昭和49年) 本社を大阪から東京のホテルニューオータニ内に移転。
- 1981年(昭和56年) 香港のシャングリ・ラ・ホテルに海外1号店を開店。
- 1986年(昭和61年) 東京サミットを山茶花荘で開催。
- 2005年(平成17年) 愛・地球博長久手会場に出店
- 2011年(平成23年) 『なだ万日本料理の真髄』(幻冬舎メディアコンサルティング)を発売。
- 2014年(平成26年) アサヒビール株式会社が創業家より株式51.1%を取得、傘下入りに合意[10]。
- 2015年(平成27年)谷田部二郎 代表取締役会長に就任
- 2016年(平成28年)アサヒグループの100%グループ会社となる
- 2017年(平成29年)野原優 代表取締役社長に就任
- 2020年(令和2年)巻木通浩 代表取締役社長に就任
- 2023年(令和5年)大貫一敏 代表取締役社長に就任
- 2024年(令和6年)本企業の株式をONODERA GROUPに売却。同社傘下入り予定[14][15]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 株式会社なだ万 第73期決算公告
- ^ “企業概要 : 企業情報 | なだ万”. なだ万. 2024年4月29日閲覧。
- ^ a b 三上成文 (2014年11月22日). “なだ万、「アサヒビールへ身売り」の謎 (1/2)”. 東洋経済ONLINE. 東洋経済新報社. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく (1/5)”. 週刊現代. 講談社 (2014年12月6日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ “企業概要”. 公式ウェブサイト. なだ万. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “沿革”. 公式ウェブサイト. なだ万. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b c d e “なだ万の歴史”. 公式ウェブサイト. なだ万. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく (2/5)”. 週刊現代. 講談社 (2014年12月6日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ “「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく (3/5)”. 週刊現代. 講談社 (2014年12月6日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “アサヒビールが日本料亭「なだ万」買収、過半数株式取得へ”. ロイター (2014年11月14日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ 三上成文 (2014年11月22日). “なだ万、「アサヒビールへ身売り」の謎 (2/2)”. 東洋経済ONLINE. 東洋経済新報社. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b アサヒ、外食事業から撤退へ ビール園や料亭「なだ万」売却」共同通信(2023年7月28日閲覧)
- ^ “アサヒ、「なだ万」をオノデラに売却 外食から撤退”. 2024年7月25日閲覧。
- ^ a b “株式会社なだ万の株式譲渡に関するお知らせ”. アサヒグループホールディングス株式会社 (2024年7月26日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ a b “なだ万、オノデラに売却 9月、アサヒ外食撤退”. 共同通信 (2024年7月26日). 2024年7月26日閲覧。