熊井才吉
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熊井 才吉(くまい さいきち、1878年(明治11年)10月30日[1][注 1] - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。
経歴
[編集]熊井才次郎の三男として[2]、長野県上水内郡平出村(牟礼村、中郷村、牟礼村を経て現飯綱町)に生まれる[1]。1899年(明治32年)10月、台湾巡査練習生を拝命し台中県巡査として北斗弁務署に勤務する[1]。ついで彰化庁巡査を経て、1905年(明治38年)2月、督府警部考試試験に合格[1]。彰化庁警部補員林支庁勤務となり、彰化警察課勤務、台中庁警部警務課勤務、台中地方法院検察官代理、府警部民政部警察本署勤務、支那出張、沙鹿支庁長、桃園庁警部警務課長、台南州警部警務部保安課長、澎湖庁警務課長兼馬公支庁長、台中州警務部警務課長を経て、1928年(昭和3年)9月、新竹州大湖郡守に就任した[1]。
1931年(昭和6年)台北州文山郡守に転じ、1932年(昭和7年)台中州豊原郡守となり[3]、1933年(昭和8年)10月、退官した[2][注 2]。退官後は、愛国婦人会台湾本部主事、婦人事業後援会、台北高等技芸女学校各理事、専売局煙草買捌人組合高雄州支部長などを務めた[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 原幹洲 編『南進日本第一線に起つ新台湾之人物』拓務評論社台湾支社 勤労富源社、1931年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。