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熊本軽便鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊本軽便鉄道
路線総延長最盛期23.8 km
軌間762 mm
STR
鹿児島本線
BHF exKBHFaq exSTR+r
熊本電気鉄道熊本市内軌道線
STR uexKBHFa exLSTR
0.0 上熊本
STR uexBHF
? 本妙寺
STR uexBHF
? 段山
STRr uexSTR
uexBHF
? 宮内
uexBHF
? 古城堀端
uexBHF
? 洗馬橋(郵便局前)
uexBHF
? 紀念碑前
uexBHF
3.6 知足寺
uexSTR
uexSTR+l uexSTRq uexTBHFxeq
?
0.0*
安已橋
uexBHF uexLSTR
? 大井手
uexBHF uexLSTR
0.6? * 九品寺
uexBHF uexLSTR
1.1? * 味噌天神
uxmKRZ STR+r uexLSTR
豊肥本線
uexSTR HST uexLSTR
水前寺駅
uexKBHFe LSTR uexLSTR
水前寺 2.4
uexBHF exLSTR
4.4* 南千反畑
uexSTR KHSTxa
 =県庁前
uexSTR STRl
熊本電気鉄道藤崎線
uexBHF
? 北千反畑
uexBHF
? 浄行寺
uexBHF
? 立田口
uexBHF
6.2? 五高前
LSTR uexBHF
7.3? 宇留毛
HST uexSTR
竜田口駅
STRl uxmKRZ STR+r
豊肥本線
uexBHF STR
9.3 陣内
uexBHF STR
9.9? 宝積寺?
uexBHF STR
11.2? 上立田
uexBHF STR
13.0? 弓削
uexBHF STR
14.6? 境ノ松?
uexBHF STR
16.5? 津久礼
uexBHF STR
? 枯木
uexBHF STR
17.5 (駅名不詳)
uexBHF STR
18.0? 原水?
uexBHF STR
19.5? 南方
uexKBHFe STR
21.4 大津
HST
肥後大津駅
当時の熊本軽便鉄道
現存する停車場跡標

熊本軽便鉄道(くまもとけいべんてつどう)は、かつて熊本県熊本市周辺に存在した軽便鉄道。通称「KKTK」。

後に大日本軌道に吸収合併され、同社の熊本支社となったが、蒸気機関車が小型客車1両を牽引するという輸送形態で、輸送力が低く、市街地内で黒煙を出すため不評であった。

一部の区間は豊肥本線開通の際、同線と並行するため廃止された。残った区間については1913年に電気動力使用認可を受け、1067mmへの改軌と電化が計画されていたが実現せず、輸送需要の低迷などで廃線となった。

この軌道路線が廃止されたのち、改めて市内交通として敷設されたのが熊本市電である。熊本軽便鉄道の路線には後の熊本市電と重なる区間もあるが、直接のつながりはない。

路線データ

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沿革

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  • 1906年明治39年)
    • 7月6日 熊本軽便鉄道に対し特許状下付[1]
    • 10月 熊本軽便鉄道株式会社設立[2]
  • 1907年(明治40年)12月20日 安已橋 - 水前寺間開業
  • 1908年(明治41年)
    • 7月24日 南千反畑(県庁前) - 上立田間開業
    • 7月 大日本軌道熊本支社となる
    • 8月25日 上立田 - 枯木間開業
    • 9月8日 枯木 - 大津間開業
  • 1909年(明治42年)7月31日 軌道特許状下付(熊本市西唐人町-鹿本郡山鹿町間)[3]
  • 1910年(明治43年)5月4日 知足寺 - 県庁前間開業
  • 1911年(明治44年)
  • 1914年大正3年)6月21日 宮地線(現在の豊肥本線)熊本 - 肥後大津間開業に伴い、陣内 - 大津間を廃止
  • 1916年(大正5年)3月24日 鹿本軌道(鹿本鉄道で開業)へ軌道特許(熊本市西唐人町-鹿本郡山鹿町間)譲渡[4][5]
  • 1918年(大正7年)8月5日 軌道特許状下付(飽田郡出水村-上益城郡木山町間)[6]
  • 1920年(大正9年)7月2日 残余の区間全線を廃止
  • 1921年(大正10年)1月20日 熊本支社保有の路線の軌道特許失効[7]

駅一覧

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1911年全線開通時

大津線
上熊本 - 本妙寺 - 段山 - 宮内 - 古城堀端 - 洗馬橋(郵便局前) - 紀念碑前 - 知足寺 - 安已橋 - 南千反畑(→県庁前) - 北千反畑 - 浄行寺 - 立田口 - 五高前 - 宇留毛 - 陣内 - 宝積寺 - 上立田 - 弓削 - 境ノ松 - 津久礼 - 枯木 - 原水 - 南方 - 大津
水前寺線
安已橋 - 大井手 - 九品寺 - 味噌天神 - 水前寺

輸送・収支実績

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年度 乗客(人) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円)
1908 328,253
1909 608,627
1910 454,056
1911 467,377
1912 631,469
1913 701,188
1914 679,607
1915 518,749 28,063 33,605 ▲ 5,542
1916 550,899 26,300 30,348 ▲ 4,048
1917 594,560 29,081 35,026 ▲ 5,945
1918 644,801 32,262 43,966 ▲ 11,704
1919 587,832 36,717 47,271 ▲ 10,554
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料各年度版
  • 1914年度以前の収支は全路線合計のため不明

脚注

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  1. ^ 『新熊本市史 通史6』517頁
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治40年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 田尻弘行『山鹿温泉鉄道』ネコ・パブリッシング。 
  5. ^ 備考欄『鉄道院年報. 大正4年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1918年8月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「軌道特許失効」『官報』1921年1月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

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外部リンク

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