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熊谷高直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
熊谷高直
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 大永7年(1527年
死没 天正7年10月26日1579年11月14日
別名 通称:次郎三郎
戒名 法名:興岩寿盛
墓所 菩提所観音寺跡広島県広島市安佐北区
官位 兵庫頭
主君 武田光和毛利元就輝元
氏族 桓武平氏国香流熊谷氏
父母 父:熊谷信直
兄弟 高直直清広真三須隆経就真
娘(吉川元春室・新庄局)、娘(天野元明室)、娘(山内隆通室)、娘(香川広景室)
元直景直
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熊谷 高直(くまがい たかなお)は、戦国時代から安土桃山時代武将毛利氏の家臣。熊谷信直の子。

生涯

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大永7年(1527年)、安芸国国人である熊谷信直の子として生まれる。

父同様、安芸国戦国大名毛利氏に仕え忠勤に励み、弘治元年(1555年)より始まる防長経略では須々万沼城攻略戦に参加した。

内政に関しても秀でていたようで、三入高松城の麓に居館である土居屋敷を築き、元亀3年(1572年)に所領にある三入八幡神社梵鐘を寄進するなどの活動が見られる。現在、この梵鐘は広島市指定重要有形文化財となっている。

天正7年(1579年10月26日、父に先立って死去。享年53。家督は父・信直の補佐を受けた、子の元直が跡を継いだ。

参考文献

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先代
熊谷信直
安芸熊谷氏歴代当主
? - 1579年
次代
熊谷元直