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片峰茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片峰 茂
生誕 1950年(73 - 74歳)
日本の旗 長崎県長崎市
研究分野 ウイルス学
熱帯医学
神経科学
研究機関 長崎大学
アメリカ国立がん研究所
長崎みなとメディカルセンター
出身校 ラ・サール高等学校
長崎大学医学部
東北大学大学院
博士課程
指導教員
石田名香雄
プロジェクト:人物伝
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片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE、1950年 - )は、日本医師船医医学者学位医学博士東北大学大学院1982年)。専門はウイルス学[1]長崎みなとメディカルセンター理事長[2]長崎大学・第14代学長(2008年 - 2017年)。元国立大学協会副会長。

人物

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長崎県長崎市船大工町に生まれる[3]。実家は1865年創業の薬局。父は医学者として長崎大学に勤務し[3]寄生虫等を研究。長崎大学熱帯医学研究所の2代目所長を務めた[4]

一人っ子だったため、親元を離れたい思いがあり、県外の高校を受験する親友の影響を受けて、ラ・サール高等学校に進学した[3]大学関東関西理工学部への進学を希望していたが、当時の社会情勢(学生運動東大紛争による東京大学の入試中止等)から、地元の長崎大学医学部へ進んだ。

略歴

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1976年、長崎大学医学部卒業。長崎大学医学部附属病院(現 長崎大学病院)で研修医、その後、東京都内の都立病院に内科医として勤務した。しかし医学者としても学びたいと思うようになり、東北大学大学院医学研究科へ進学。著名なウイルス学者石田名香雄の研究室に入る[3]

1982年東北大学大学院医学研究科 博士課程修了[3]。同年5月より長崎大学水産学部の練習船「鶴洋丸」の船医として勤務。同年10月より長崎大学医学部附属病院に勤務した[3]

1983年、長崎大学医学部・助手。1985年11月アメリカ国立がん研究所・国際研究員[3]1989年長崎大学医学部・講師、1991年助教授1998年教授に昇格した[1]

2002年から2004年までは、長崎大学・副学長を務めた。

2008年、学長に就任[5]。学長就任は長崎大学の歴史では最年少だった[5]。以後、2017年、学長を退任するまで3期(9年間)、長崎大学学長としては歴代最長の任期を務めた[5]。在任中、核兵器廃絶研究センター(RECNA)や多文化社会学部を創設した[5]。自身の研究ではプリオンを主な研究対象とした[5]2014年国立大学協会副会長[6]日本学生支援機構運営評議会委員なども歴任[7]

脚注

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  1. ^ a b 学長・総長インタビュー 長崎大学 片峰 茂 学長 - 全国大学生活協同組合連合会
  2. ^ 理事長 ごあいさつ”. 長崎みなとメディカルセンター (2020年4月1日). 2020年4月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 長崎大学長 片峰茂先生に聞く - 関塾タイムス(「私の勉学時代」)
  4. ^ 熱帯医学に情熱を注いだ半世紀◆Vol.1 - m3.com(2018年8月1日、長崎大学医学部教授の青木克己へのインタビュー)2019年11月27日閲覧
  5. ^ a b c d e “長崎)長崎大・片峰学長退任へ 歴代最長の9年務める”. 朝日新聞. (2017年6月21日). https://www.asahi.com/articles/ASK6N3D34K6NTOLB001.html 2019年11月23日閲覧。 
  6. ^ 歴代会長・副会長国大協
  7. ^ https://www.jasso.go.jp/about/disclosure/iinkai/hyogikai/__icsFiles/afieldfile/2021/02/22/2708_hyogikai_meibo.pdf[ 独立行政法人日本学生支援機構運営評議会 委員名簿]

外部リンク

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