片峰茂
片峰 茂 | |
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生誕 |
1950年(73 - 74歳) 長崎県長崎市 |
研究分野 |
ウイルス学 熱帯医学 神経科学 |
研究機関 |
長崎大学 アメリカ国立がん研究所 長崎みなとメディカルセンター |
出身校 |
ラ・サール高等学校 長崎大学医学部 東北大学大学院 |
博士課程 指導教員 | 石田名香雄 |
プロジェクト:人物伝 |
片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE、1950年 - )は、日本の医師、船医、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1982年)。専門はウイルス学[1]。長崎みなとメディカルセンター・理事長[2]。長崎大学・第14代学長(2008年 - 2017年)。元国立大学協会副会長。
人物
[編集]長崎県長崎市船大工町に生まれる[3]。実家は1865年創業の薬局。父は医学者として長崎大学に勤務し[3]寄生虫等を研究。長崎大学熱帯医学研究所の2代目所長を務めた[4]。
一人っ子だったため、親元を離れたい思いがあり、県外の高校を受験する親友の影響を受けて、ラ・サール高等学校に進学した[3]。大学は関東か関西の理工学部への進学を希望していたが、当時の社会情勢(学生運動、東大紛争による東京大学の入試中止等)から、地元の長崎大学医学部へ進んだ。
略歴
[編集]1976年、長崎大学医学部卒業。長崎大学医学部附属病院(現 長崎大学病院)で研修医、その後、東京都内の都立病院に内科医として勤務した。しかし医学者としても学びたいと思うようになり、東北大学大学院医学研究科へ進学。著名なウイルス学者・石田名香雄の研究室に入る[3]。
1982年、東北大学大学院医学研究科 博士課程修了[3]。同年5月より長崎大学水産学部の練習船「鶴洋丸」の船医として勤務。同年10月より長崎大学医学部附属病院に勤務した[3]。
1983年、長崎大学医学部・助手。1985年11月アメリカ国立がん研究所・国際研究員[3]。1989年長崎大学医学部・講師、1991年同助教授、1998年同教授に昇格した[1]。
2008年、学長に就任[5]。学長就任は長崎大学の歴史では最年少だった[5]。以後、2017年、学長を退任するまで3期(9年間)、長崎大学学長としては歴代最長の任期を務めた[5]。在任中、核兵器廃絶研究センター(RECNA)や多文化社会学部を創設した[5]。自身の研究ではプリオンを主な研究対象とした[5]。2014年国立大学協会副会長[6]。日本学生支援機構運営評議会委員なども歴任[7]。
脚注
[編集]- ^ a b 学長・総長インタビュー 長崎大学 片峰 茂 学長 - 全国大学生活協同組合連合会
- ^ “理事長 ごあいさつ”. 長崎みなとメディカルセンター (2020年4月1日). 2020年4月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 長崎大学長 片峰茂先生に聞く - 関塾タイムス(「私の勉学時代」)
- ^ 熱帯医学に情熱を注いだ半世紀◆Vol.1 - m3.com(2018年8月1日、長崎大学医学部教授の青木克己へのインタビュー)2019年11月27日閲覧
- ^ a b c d e “長崎)長崎大・片峰学長退任へ 歴代最長の9年務める”. 朝日新聞. (2017年6月21日) 2019年11月23日閲覧。
- ^ 歴代会長・副会長国大協
- ^ https://www.jasso.go.jp/about/disclosure/iinkai/hyogikai/__icsFiles/afieldfile/2021/02/22/2708_hyogikai_meibo.pdf[ 独立行政法人日本学生支援機構運営評議会 委員名簿]
外部リンク
[編集]- 長崎みなとメディカルセンター 公式サイト