片野実之助
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片野 実之助(かたの じつのすけ、1876年[1] - 1945年)は、日本の保険学者。元大阪高等商業学校(現大阪公立大学)校長。
人物・経歴
[編集]東京出身。1893年東京府尋常中学校(現東京都立日比谷高等学校)卒業[2]。1898年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業[3]。三重県立四日市商業学校教諭を経て、1905年から2年間休職し、文部省外国留学生としてドイツ、イギリス、アメリカ合衆国に留学した[4]。帰国後、山口高等商業学校教授を経て[5]、1915年から市立大阪高等商業学校校長を務め[6]、母校東京高等商業学校との連絡を強化するなどした[7]。太平洋海上火災保険監査役なども務めた[1]。1945年死去[8]。
義理の娘(息子・実雄の配偶者)は松竹楽劇部の初代トップスターだった飛鳥明子(本名:片野〈旧姓・松田〉貞子)[9]。
著作
[編集]- 『取引所論』1915年
- 『保險講義案』1929年
- 『家事経済読本』1942年
脚注
[編集]- ^ a b 日本人名選 : 附・満支人名選 昭和16年
- ^ 東京府第一中学校沿革誌
- ^ 東京商科大学一覧 昭和8年度
- ^ 文部省外國留學生表 明治38年3月31日調
- ^ 官報 1907年07月09日
- ^ 市立大阪高等商業学校一覧 大正11年
- ^ 大阪商科大学六十年史
- ^ 成虫樓随筆 続
- ^ “朝ドラ「ブギウギ」大和礼子とOSK初代トップスターの共通点。伝説のバレリーナ飛鳥明子が命を賭けて産んだ娘の思い”. 奈良新聞デジタル. 奈良新聞 (2023年11月10日). 2023年11月12日閲覧。