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松井康子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牧和子から転送)
まつい やすこ
松井 康子
本名 同じ
別名義 牧 和子(まき かずこ)
生年月日 (1939-10-03) 1939年10月3日(85歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市世田谷区
ジャンル 女優
活動期間 1958年 - 1979年
主な作品
愛のコリーダ』(1976年)
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松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日 - )は、日本の元女優。本名同じ。牧 和子(まき かずこ)の芸名でも活動した。

来歴・人物

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父・松井久(山口県下関市松井信助の三男[1])、母・宏子の娘として東京府東京市世田谷区に生まれる。母方祖父の小笠原長生子爵であり、松井の母・宏子は華族の出である[2]学習院初等科学習院女子中等科学習院女子高等科を経て、1958年4月、学習院大学文学部に入学。

1958年の秋、通院していたかかりつけの歯科医松竹の嘱託医であったことが縁で、松竹社長・城戸四郎にスカウトされる[3]。大学を中退し松竹に入社。

1959年内川清一郎監督の映画『パイナップル部隊』でデビュー[3]。当初は大部屋女優で、デビュー作となった同作品でも端役であった。その後も松竹の脇役女優として活動[3]1960年には『江戸の顔役』・『流転』、1961年には『背徳のメス』・『風来先生』、1963年には『港に消えたあいつ』等にいずれも脇役として出演した。

1963年若松孝二が助監督を務めたテレビドラマに出演した後、若松から「自分が監督になったら出てくれ」と国映映画への出演を請われる[3]。同年「牧和子」の芸名を名乗り、若松監督作品『おいろけ作戦 第一部 プレイガール』でピンク映画にデビュー、初主演を果たした[3]。翌1964年には小川欽也(小川和久)監督の『』に「牧和子」名義で出演[4]。同作品は大ヒットとなった[3]

たて続けに国映映画に出演しヒット作を得て、山本富士子似と言われた純和風の美貌と豊満な肉体が評判になる[3]。一方当時松井は松竹に所属していたことから、五社協定による規制の下、松竹側がこれを問題視。結局松井は松竹を退社し、以後フリーで活動している[3]

国映には「牧和子」名義で、他社作品には松井康子の本名で出演するようになった。150本以上のピンク映画に出演し、ピンク映画女優のパイオニア的存在となる[3]。また、豪放磊落な人柄もあって「ピンク映画の女王」と称され人気女優となった[3]。1965年には『黒い雪』にも脇役で出演した[5]

ピンク映画以外の一般作品にも、日活・東映ほか各社を横断して出演した。1968年今村昌平監督に請われ、同監督作品『神々の深き欲望』に出演した。兄と近親相姦する妹役を兄役の三国連太郎とともに演じた。

1970年代に入ると徐々に肥満となり[3]、かつての美貌は失われたものの、一方で体型の変化から存在感を増し、1972年の『鏡の中の野心』等に出演した。1976年には大島渚監督の日仏合作映画『愛のコリーダ』に「『田川』のおかみ」役で出演[6]1977年、『肉体の悪魔』では娼婦役を演じた。

その後はテレビドラマ日活ロマンポルノなどに出演したが、加齢と過度の肥満が重なり、次第に芸能活動を縮小していった[3]1980年代以降は公の場に姿を見せることもなくなり[3]、芸能界を自然引退した形となっている。

1966年の秋、東京都墨田区錦糸町スナックを開店した。1970年前後にブームとなったボウリングを趣味とし、選手権大会に出場するほどの腕前であった。ピンク映画監督の小林悟との熱愛も話題となった。雑誌グラビアにも登場した。

親族

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父親の久は山口県下関市長を務めた松井信助の三男で[1]、平壌中学を経て明治大学野球部の左翼手。昭和6年11月、日米野球戦にオール日本チームの左翼手として選出された。母・宏子は旧唐津藩子爵小笠原家当主小笠原長生(元海軍中将・元宮中顧問官・元学習院御用掛)の五女。映画監督小笠原明峰(本名小笠原長隆)と俳優小笠原章二郎(本名小笠原長英。当初の芸名は楠英二郎)は伯父。母方の祖母・秀子は元前橋藩伯爵松平直方の長女。

フィルモグラフィ

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映画

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ほか多数

テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第13版 下』マ62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月15日閲覧。
  2. ^ 週刊実話2022年3月31日号、p・53
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 週刊実話2022年3月31日号・ピンク映画60周年「時代を彩った名女優&名監督たち」p50-55
  4. ^  2022年5月6日閲覧
  5. ^ 武智鉄二監督作品。保守的な時代であり、わいせつ映画として警察に摘発された
  6. ^ 松田英子、藤竜也らが出演した。わいせつ裁判では、最高裁で「無罪」が確定している

関連項目

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書籍

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  • 本人と出演作品について
    • 『現代日本映画人名事典』(女優篇)「松井康子」の項 2011年 キネマ旬報社
    • 『日本映画人名事典』(女優篇下巻)「松井康子」の項 1995年 キネマ旬報社編
    • 『日本映画俳優全集』(女優編)「松井康子」の項 1980年 キネマ旬報社編
  • 家族・親族について
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
    • 『平成新修旧華族家系大成』』(上巻)「小笠原」の項 1996年 霞会館諸家資料調査委員会編纂 吉川弘文館刊行
    • 『昭和新修華族家系大成』(上巻)「小笠原」の項 1982年 霞会館諸家資料調査委員会編纂 吉川弘文館刊行