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キンキンのルンペン大将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キンキンのルンペン大将
監督 石井輝男
脚本 石井輝男
山崎巌
出演者 愛川欽也
坂口良子
田中邦衛
音楽 鏑木創
撮影 花沢鎮男
編集 祖田富美夫
製作会社 東映東京撮影所[1]
配給 東映
公開 日本の旗 1976年4月24日
上映時間 86分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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キンキンのルンペン大将』(キンキンのルンペンたいしょう)は、1976年公開の日本映画

企画・主演はキンキンの愛称で知られる愛川欽也[2][3]

本作は「網走番外地シリーズ」といった任侠アクションものや『徳川いれずみ師 責め地獄』といった異常性愛路線作品で有名な石井輝男監督が撮った数少ない喜劇映画である[1]

ストーリー

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うだつの上がらない男、二宮(愛川)は、妻の君子(三島)が毎日のように口うるさく自分を咎めるので、一念発起し山形県から上京するが、一日にして金を失ってしまう。上野の山にたどり着いた彼はルンペンたちに出会う。もともと疎外されがちだった彼は、ルンペンたちのまとめ役である遠藤大五郎の厚意に甘える。ある日、彼は白川秋子という女性と親しくなるも、ルンペンであることを打ち明けられず、靴問屋の住み込みの職を得る[1][3]

キャスト

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スタッフ

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制作

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1976年年頭1月7日の東映記者会見で、岡田茂社長が発表した1976年の製作方針では、ここの枠は岡田が企画していた今東光原作・由美かおる主演による『こつまなんきん』と発表されていた[4][5][6][7]。同作は前年、『五月みどりのかまきり夫人の告白』がヒットしたことから、五月みどり主演第二弾として公表されていたが[8]、五月は『首斬り浅』(『毒婦お伝と首切り浅』)にスライドされ(出演せず)[4]、途中から岡田お気に入りの由美に主演を変更しポルノ度の強いものを構想したが[5]、映画化されなかった[4]

企画

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企画は愛川欽也[1][3]東映東京撮影所(以下、東映東京)の企画部長・天尾完次は東映京都撮影所時代に、岡田、石井と組んで異常性愛路線を推進したことがあり[9]、また石井と組みたいと希望していた[1]。岡田社長の命令で[10]鈴木則文とともに[10]、岡田が閉鎖の構想を持っていた[11]東映東京の徹底的なテコ入れのため[10]刺客として東映東京の企画部長として送り込まれ[10]、天尾・鈴木のコンビで手掛けた「トラック野郎シリーズ」の大当たりで大きな成果を上げた。トラック野郎の企画を東映に持ち込んだのが愛川で、その功績から愛川が不遇時代にチャップリンの『街の灯』をベースに書いていたシナリオが映画化されることなった[1][3]

脚本

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石井は「キンキンが張り切りすぎて、最初は自分のテレビの仲間で作ろうとして、テレビでコントを書いている人を集めて企画を持って来たけど、キンキンに『気持ちは分かるけど、これはダメだよ、映画としては成立しないよ』などと諭し、こちらでホンをまとめて、愛川も了承した」と話している[1]。ルンペン役として出演する林光一をアドバイザーに起用[1]。林はルンペン生活の体験をもとに『ルンペン学入門・放浪の詩』などの本を出していた[1]

キャスティング

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本作は主演の愛川だけでなく、脇を固める俳優陣も、殿山泰司和田アキ子せんだみつお毒蝮三太夫といった豪華な顔ぶれとなっている。 また、ヒロイン坂口良子は本作が映画デビュー作である[12]

作品の評価

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"打倒寅さん"を長年の悲願として挙げた岡田東映社長が[13]、「寅さん」を追い潰すために、なりふり構わず体当たりを決意して1976年上半期に敷いた悪名高き"健全喜劇・スポーツ映画路線"で[14][15]、石井輝男監督が撮らされた無残な一本と山根貞男は評している[15]

斎藤正治は「ルンペンになっても、なぜか次々に職にありつく小才。この不況時代によくもまあ、という感すらするほど、職探しに長けている。つまりこの主人公には、ルンペンに徹する志がないのである」と評した[1]

影響

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本作の公開後である1976年6月5日には、TBS8時だョ!全員集合』にて、ドリフターズのメンバーがホームレスに扮した「ドリフのルンペン大将」という前半コントを放送していた。[16]

同時上映

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ソフト化・テレビ放送

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ビデオソフトは一般家庭にビデオが普及する前の1981年頃、東映芸能ビデオから4万9000円で発売されたことがある[17]のみで、その後一切再発売されていない。

CS放送局では2001年2016年東映チャンネルで、2005年チャンネルNECOで放送が行われている。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 映画魂 1992, pp. 232、356.
  2. ^ 売れずに職業を転々…「映画人」愛川欽也さんの原点”. 東スポWeb. 東京スポーツ新聞社 (2015年4月18日). 2022年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月12日閲覧。
  3. ^ a b c d 「キンキンのルンペン大将」配信開始!”. 東映 (2019年8月8日). 2020年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月23日閲覧。
  4. ^ a b c “東映岡田社長年頭懇談会 『トラック…』の大ヒット等語る”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1976年1月10日) 
  5. ^ a b 「映画 邦画 西城秀樹の理由なき反抗」『週刊平凡』1979年1月8日号、平凡出版、150頁。 
  6. ^ 黒井和男「映画界の動き 東映岡田社長が七六年大攻勢を語る」『キネマ旬報』1976年3月旬号、キネマ旬報社、181頁。 
  7. ^ 「再び"邦高洋低"で活気づく日本映画界」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年1月号、東京映音、21頁。 
  8. ^ “東映ポルノ映画拡大企画 五月みどりの主演作決る”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1975年10月4日) 
  9. ^ 杉作J太郎植地毅「東映ピンキー・バイオレンスのゴッドファーザー 岡田茂&天尾完次を称えよ!!」『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、36-37頁。ISBN 978-4-19-861016-6 
  10. ^ a b c d 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第二十一回 二人の刺客の喧嘩仁義(ごろめんつう)」『シナリオ』2014年2月号、日本シナリオ作家協会、60-64頁。 
  11. ^ 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第二十九回 東撮は燃えているか」『シナリオ』2014年10月号、日本シナリオ作家協会、66-71頁。 杉作J太郎植地毅「佐伯俊道インタビュー」『東映スピード・アクション浪漫アルバム』徳間書店、2015年、170頁。ISBN 978-4-19-864003-3 「映画・トピック・ジャーナル 東映両撮影所を合理化縮小か」『キネマ旬報』1977年7月上旬号、キネマ旬報社、206頁。 
  12. ^ さわやかな風を吹かせながら人生を駆け抜けていった坂口良子”. cinemas PLUS. 株式会社フォンテーン、株式会社ギークピクチュアズ. 2021年6月12日閲覧。
  13. ^ 「'76正月興行の話題を探る東映」『月刊ビデオ&ミュージック』1975年11月号、東京映音、45–46頁。 「邦画3社正月5週間の揃い踏み' /再び邦高洋低で活気づく日本映画界 ―意欲的な邦画各社の製作・営業方針― 興行資料」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年1月号、東京映音、13、20–22頁。 「巻返しを計る各社の表情を探る 洋高邦低の声に必死の努力を続ける」『映画時報』1976年4月号、映画時報社、13頁。 「ジャック110番 『愉快な極道』」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年4月号、東京映音、34頁。 
  14. ^ 「〔ショウタウン 映画・芝居・音楽げいのう街〕」『週刊朝日』1976年1月23日号、朝日新聞社、36頁。 川崎宏『狂おしい夢 不良性感度の日本映画 東映三角マークになぜ惚れた!? 青心社、2003年、50-51頁。ISBN 978-4-87892-266-4 黒井和男「興行価値 日本映画 東映・松竹激突」『キネマ旬報』1976年1月上旬号、キネマ旬報社、198–199頁。 「邦画界トピックス」『ロードショー』1976年10月号、集英社、175頁。 
  15. ^ a b 山根貞男「〈東映映画特集〉 東映の監督たち」『シナリオ』1977年7月号、日本シナリオ作家協会、29頁。 
  16. ^ 「8時だョ!全員集合の作り方」(双葉社、2001年5月1日刊)[要ページ番号]
  17. ^ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号[要ページ番号]

参考文献

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外部リンク

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