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山崎巌 (脚本家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまざき がん
山崎 巌
本名 山崎 岩男 (やまざき いわお)
生年月日 (1929-11-04) 1929年11月4日
没年月日 (1997-03-08) 1997年3月8日(67歳没)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
死没地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市中区
職業 脚本家小説家
ジャンル 映画テレビ映画小説
配偶者 山崎洋子
主な作品
映画
小林旭主演「渡り鳥シリーズ
テレビ映画
大江戸捜査網
プレイガール
小説
夢のぬかるみ
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山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日[1] - 1997年3月8日)は、日本の脚本家小説家である。

人物・来歴

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1929年(昭和4年)11月4日神奈川県横浜市に生まれる[1]

第二次世界大戦終了後、明治大学専門部文科を卒業し、化粧品をセールスしたり、通訳を務めたり、 1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争で設立された特需会社、あるいは相互金融会社に勤務した[1]

1955年(昭和30年)、同年下村明が発表した小説『黒帯三国志[2]の映画化に参加、松浦健郎谷口千吉とともに脚色した。同作は、谷口が監督、東宝が製作して、翌1956年(昭和31年)1月29日に公開され、映画脚本家としてデビューした[3]。デビュー第2作は、同年、ひきつづき松浦とともに宮本幹也の小説『大学の石松』を脚色、伊賀山正徳が監督し、東映東京撮影所が製作、東映が配給して同年5月18日に公開された[4]

オリジナルシナリオ『浮草の宿』が日活に採用され、鈴木清太郎(現在の鈴木清順)が監督し、1957年(昭和32年)1月9日に公開される[5]。同年、日活と脚本家として専属契約を結んだ。以降、1970年(昭和45年)、日活を退社、フリーランスとなるまでに、100本を超える脚本を執筆した[6]

1991年(平成3年)、新潮社から時代小説『五稜郭へ六万両』を書き下ろしで上梓、小説家としてデビューする。1993年(平成5年)には自伝的小説『夢のぬかるみ』を同社から上梓する。

1997年(平成9年)3月8日、横浜市中区横浜掖済会病院尿管癌のため死去した。満67歳没。妻は小説家の山崎洋子[7]

フィルモグラフィ

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初期

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1956年

日活

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1957年
1957年
1959年
1960年
1961年
1962年
1963年
1964年
1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年

フリーランス

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1971年
1973年
1976年

テレビ映画

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著書

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国立国会図書館蔵書[8]

  • 『五稜郭へ六万両』新潮社(新潮書下ろし時代小説)、1991年
  • 『夢のぬかるみ』新潮社、1993年
  • 『爆殺航路』PHP研究所、1995年

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  1. ^ a b c 『日本映画の模索 - 講座日本映画 6』、編著今村昌平新藤兼人山田洋次佐藤忠男鶴見俊輔岩波書店、1987年 ISBN 4000102567, p.193.
  2. ^ 黒帯三国志国立国会図書館、2010年1月22日閲覧。
  3. ^ 黒帯三国志日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。
  4. ^ 大学の石松、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。
  5. ^ 浮草の宿、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。
  6. ^ 山崎巌、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。
  7. ^ 山崎洋子直木賞のすべて、2010年1月22日閲覧。
  8. ^ OPAC NDL 検索結果、国立国会図書館、2010年1月22日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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