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小林旭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こばやし あきら
小林 旭
小林 旭
キネマ旬報』1959年9月上旬号より
本名 小林 旭
生年月日 (1938-11-03) 1938年11月3日(86歳)
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市世田谷区(現:東京都世田谷区
身長 180 cm
血液型 AB型
職業 俳優歌手
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1944年 -
活動内容 1956年:デビュー
配偶者 美空ひばり1962年 - 1964年
青山京子1967年 - 2020年
主な作品
渡り鳥』シリーズ
旋風児』シリーズ
仁義なき戦い』シリーズ
青春の門
幻之介世直し帖
修羅の伝説
受賞
第15回FNS歌謡祭最優秀歌唱賞
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小林旭
別名 マイトガイ
学歴 明治大学中退
ジャンル 演歌歌謡曲
職業 歌手俳優
担当楽器
活動期間 1956年 -
レーベル 日本コロムビア(1958年 - 1964年)
日本クラウン(1964年 - 1980年)
ポリドール(1981年 - 1991年)
ソニーレコーズ(1992年 - 2000年)
ガウスエンタテインメント(2001年 - 2006年)
マイトガイレーベル(2007年 - 2009年)
テイチクレコード(2010年 - 2014年)
夢レコード(2014年 - )
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年6月16日 -
登録者数 2.38万人
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年9月22日時点。
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小林 旭(こばやし あきら、1938年昭和13年〉11月3日[注釈 1] - )は、日本俳優歌手。本名は同じ。身長180cm体重98kg血液型はAB型[2]。特技は柔道(五段)、ゴルフ[2]。愛称は「マイトガイ」[3]。「銀幕のスター」の最後の世代。

来歴・人物

[編集]

東京府東京市世田谷区出身。東宝新東宝、文化映画の照明技師だった父[注釈 2][4]と、小唄・端唄の師匠だった母との間に生まれる[5]

4歳の時に劇団東童に入り、1944年(昭和19年)、小学校1年生で三越劇場の劇団公演『青い鳥』で初舞台を踏む[6]。1954年(昭和29年)、目黒高等学校在学中に東童の子供たちを日活へ引率した際、プロデューサーの茂木了次に声をかけられ日活のエキストラとなる[6]。1955年(昭和30年)に高校卒業[6]明治大学文学部に進むも中退[7]。エキストラをしながら1956年(昭和31年)の第3期日活ニューフェイスに合格し[6]、同年10月封切りの川島雄三監督映画『飢える魂』で正式にデビューした[6]。1957年、『青春の冒険』で初主演を務めた[6]1958年(昭和33年)、石原裕次郎と共演した『錆びたナイフ』での演技が評価され、同年の『絶唱』は初期の代表作となった[6]1959年(昭和34年)、映画『南国土佐を後にして』がヒットし、石原裕次郎と並ぶ日活を代表するスターとなる[6]。以降、映画『渡り鳥シリーズ』、『旋風児シリーズ』、『流れ者シリーズ』などに出演[6]、石原裕次郎らとともに日活の黄金時代を築く。

1958年(昭和33年)、日本コロムビアより「女を忘れろ」で歌手デビューした。同曲は小林によると、80万枚くらい売れただろうとのことである[8]。第二弾のレコード「ダイナマイトが百五十屯」がヒットし、ダイナマイトのマイトの部分だけを取って、マイトガイと命名される[9]。以降、映画の『ギターを持った渡り鳥』、映画『銀座旋風児(ぎんざマイトガイ)』などの主題歌、挿入歌を歌い、ヒットさせる。また、「自動車ショー歌」、「恋の山手線」などのコミックソング、「昔の名前で出ています」、「熱き心に」などの歌謡曲作品も歌っている。これらの楽曲を独特な高音を交えた歌唱で歌うことから、「アキラ節」とも呼ばれている。

映画『ギターを持った渡り鳥[10]など、『渡り鳥シリーズ』のコミカルな役を真剣に演じることで、人気シリーズに成長させた。1960年(昭和35年)頃、映画での共演をきっかけに浅丘ルリ子と同棲、結婚を考えていたが、浅丘の父の猛反対により断念し[11]、関係を解消した。

1962年5月29日、小林と美空ひばりは婚約発表した。

その後、美空ひばりと雑誌での対談をきっかけに交際を始める。結婚などはまだ考えていなかったが、ひばりの意を汲んだ父親代わりの山口組三代目田岡一雄から強引に頼まれ拒めず、1962年(昭和37年)5月29日、ひばりとともに会見を開き、婚約発表した。同年11月5日、日活国際ホテルで挙式した[12][13]。「(結婚生活では)ひばりは懸命によき妻を演じようとし、女としては最高だった」と『徹子の部屋』で述懐している。小林とひばりは、ひばりの母の反対で戸籍上は入籍していない事実婚で、戸籍上はひばりは生涯独身であった。

1964年(昭和39年)に事実婚を解消。会見の2日前にひばり親子から頼まれた田岡が小林に「ひばりをみなさんに返してやりや」と引導を渡され、逆らうことは出来なかったと自著で述べている[12][14]。記者会見は別々に開かれ、小林の会見には田岡と菱和プロ社長・嘉山登一郎が同席した[14]。小林は「本人同士が話し合わないで別れるのは心残りだが、和枝(ひばりの本名)が僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになれるのなら、と思って、理解離婚に踏み切った」と説明[14]。この「理解離婚」という言葉は当時流行語となった[15]。また「未練はいっぱいある。皆さんの前で泣きたいくらいだ」と自身の本意でなかったと語っている。

1964年(昭和39年)、クラウンレコードへ移籍し、1967年(昭和42年)には女優青山京子と再婚。長女の真実と長男の一路の二子に恵まれる。1968年には主宰する会社であるアロー・エンタープライズで、『赤道を駈ける男』を製作した。

日活が業績悪化していた1971年(昭和46年)、自らが主宰するアロー・エンタープライズが製作したテレビドラマターゲットメン』に出演し、得意のアクションを披露したが、事業の失敗により“14億円もの債務”を背負う。同年『暴力団・乗り込み』への出演を最後に日活を正式に離れた[6]

1972年(昭和47年)に東映に移籍[6]1973年(昭和48年)より映画『仁義なき戦い』シリーズの『仁義なき戦い 代理戦争』、『仁義なき戦い 頂上作戦』、『仁義なき戦い 完結篇』の武田明役で出演。『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』などの東映実録映画や1978年(昭和53年)、『多羅尾伴内』のリメイク作に出演した。シリーズ化する予定であったが、2作目が興行不振となり打ち切られた。1976年、自身の会社である、旭日総業、アロー・エンタープライズが倒産した[6]

1977年(昭和52年)、1975年に発売されていたレコード『昔の名前で出ています』が2年を経て大ヒット、『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場[6]1996年平成8年)までに7回『紅白』に出場した。

1980年(昭和55年)、『旅がらす事件帖』(関西テレビフジテレビ系)でテレビ時代劇初主演を飾ると同時に、主題歌「みだれ雲」を歌い、話題となった。翌年の1981年(昭和56年)には、『旅がらす事件帖』と同じスタッフによる『幻之介世直し帖』(日本テレビ系)に出演。主題歌「思いやり」を歌うと同時に、最終回(第24話)では、乾幻之介役の小林自ら監督も手掛けた。

同年、レコード会社をポリドールへ移籍し、1985年(昭和60年)に小林の大ファンでもあった大瀧詠一が小林のために書き下ろした(作詞は阿久悠)「熱き心に」が大ヒットし[6]1986年(昭和61年)第15回FNS歌謡祭最優秀歌唱賞を受賞。同年『第37回NHK紅白歌合戦』に2回目の出場を果たす。2002年(平成14年)には大瀧の企画・監修による4枚組CDが発売された。

1988年(昭和63年)、『春来る鬼』で映画監督としてデビューするも[6]、興業は不振であった。その後1992年(平成4年)『修羅の伝説』で俳優業に復帰、翌年にはNHKの大河ドラマ『琉球の風』にも出演した。1995年、デビュー40周年記念に読売テレビのドラマ『寝たふりしてる男たち』に出演した。2003年には『首領(ドン)への道』に出演したが、以降映画への出演は無い。

2004年平成16年)、芸能生活50周年を記念し、石原裕次郎美空ひばりとのことなど、それまでの人生について綴った『熱き心に』を出版した。

2006年(平成18年)、本人をモチーフにしたパチンコ機「CR渡り鳥AKIRA」が登場した。

2007年(平成19年)2月23日日本プロゴルフ協会(PGA)から、川上哲治羽佐間正雄らとともにPGA名誉会員(2006年に制定)に認定される。名誉という肩書きではあるが、実際にプロの試合に出て賞金を稼ぐことも可能である。プロとしてシニアツアーに2007年に1試合、2008年(平成20年)は4試合に出場したが、暴力団のゴルフコンペに参加したと報じられたため、同年にPGA名誉会員の資格を辞退した[16][17]

2007年(平成19年)4月インディーズのレコード会社UKプロジェクト内に自身のレーベルである「マイトガイレーベル」を設立[18]。マイトガイレーベル第1弾CDとなる、本人の作詞・作曲による新曲「折紙人生」が、NHKラジオ深夜便』の7月から9月の「深夜便の歌」として採用される。また、同7月には大阪新歌舞伎座で舞台『無法松の一生』にて20年ぶりの座長公演を務めた。

2014年(平成26年)3月19日から開幕した主演舞台「熱き心で突っ走れ」で織田信長を演じ、浅丘ルリ子と1969年の映画『地獄の破門状』以来となる共演を果たした[19][20]、この時「座長の小林さんから数々の暴言やいじめまがいの演技指導を受け、初日の4日前に一方的に降板させられた。人権無視だ」と小林演じる織田信長の母親役で出演予定だった東てる美フェイスブックで明かされた[20][21][22]。東は15日夜に制作側から降板を告げられ[20][21]、「小林さんからの謝罪はありません[20]」「今までの女優人生で最悪の出来事。クビなら補償しなければならないが、私の都合で降りたならその必要もない。小林さんのやり方はあまりにも汚い[21]」と取材してきた各マスコミに答えている。同作のために東は4か月間スケジュールを押さえており、補償などについて主催者側と交渉[20]。小林の所属事務所は「その件についてはコメントできません」としている[20]

2017年(平成29年)10月5日、フジテレビ系『バイキング』にて、芸能生活で初めてコメンテーターという立場でのテレビ出演を果たした[23]

その後は、FOS[24]ゴルフ指導者マスターライセンスを取得し、国際スポーツ振興協会の専属プロ、日本ゴルフ指導者協会副総裁の肩書を持っていた[25][26]
2020年6月16日、YouTubeにて小林旭マイトガイチャンネルを設立した[27]

2024年(令和6年)、第47回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞した[28]

2024年5月4日、モンゴル観光大使に任命された[29][30]

2024年9月中旬、自宅階段で転倒し、肋骨2本にひび、座骨などを圧迫骨折し全治3か月のけが。[31]

エピソード

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1960年代、日活全盛期には香港、台湾など東南アジア諸国でも大変な人気を得ていたことから[32]、映画監督のジョン・ウー[33][34]ジャッキー・チェンらは小林の大ファンであるといい、彼らの映画にも大きな影響を与えた[32][34]。ジャッキーはかつて欲しい物をインタビューアーに質問され、「小林のサインが何より欲しい」と答えたこともある[32]

萩原健一は、小林と勝新太郎について「世間を知っていて、こよなく人が良い。本当に優しい人です」と著書で語っている[35]

歌手デビューのきっかけは、映画『孤獨の人』の撮影時に、現場で西河克己監督が歌を歌える生徒役がいないかと声をかけたところ、小林が「木曽節」を歌い、そのあまりのうまさに現場が静まりかえったことがあり、たまたまそこにいたディレクターが目を付け、翌年にコロムビアからデビューが決まった[36]

ある映画の撮影で、小林が崖から飛び降りる場面で代役のスタントマンが大怪我をした。病院に小林が見舞いに行くと病室から「痛ぇ痛ぇ」と聴こえてきたのを耳にして、以来スタントマンを用いずにアクションはすべて自分がやるものとした[37]

映画『南国土佐を後にして』の撮影では、主人公が博打においてダイスを振って縦一列に並べる場面があり、その撮影には何度も失敗するだろうと長巻のフィルムが用意されたが、小林は二度目にして成功する。共演者の西村晃は驚きのあまりしばらく言葉が出なかったという[37]

14億もの債務の一因として、ゴルフ場を経営したことも要因であった。自らもゴルフ好きだった小林は、1974年茨城県水戸市の「御前山カントリークラブ」を運営する旭日総業を設立。しかし翌年には用地買収費などがかさんだことから、経営難になった。1976年3月にはゴルフ事業から手を引き、負債を芸能プロダクションに肩代わりしてもらったが、そのプロダクションも同年11月に破綻。多額の借金を背負うこととなった[38]。一説には「プロでも攻略に困るコースを作ろう」と乗り気だったが、それが災いして、客から敬遠されるゴルフ場となったという。

この借金騒動の記者会見の際、とある記者から「そう言えば、小林さんは新曲が出てましたよね?」と問われ、それが「昔の名前で出ています」だったことから、ジワジワと人気が出だし、小林自身もキャバレー周りなどを拒まずに営業したことから、ヒット曲となった[39]。小林は、このヒットで借金返済が可能になったと2004年9月12日9月19日放送の『いつみても波瀾万丈』で述懐した。

美空ひばりと結婚していたころ、一緒に清川虹子の自宅へ遊びに行き、そこには田岡一雄江利チエミや高倉健もいた[40]。酔った小林は高倉に自分の腕時計をプレゼントしようとしたが断られ、当時の小林は映画スターとして高倉より格上だったこともあり、出した以上は引けないから受け取ってくれと迫り、高倉を困らせてしまう[40]。「健さん、もらっとき。気にせんでええ。旭にはワイのをやるよってな」とその場にいた田岡が助け舟を出し、険悪になりかかった雰囲気を丸く収めてもらった[40]

後藤組組長とのゴルフ、柳川次郎組長から時計をもらった話、山口組三代目・田岡組長とは叔父・甥の関係を結びカフスをもらった話などを、自ら堂々と公表している[41]

新宗教ワールドメイトの教祖深見東州から、2007年開催の「PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」に招待されたことをきっかけに交友があり、普段から親しい仲であるという[42][43]2008年に、深見が作詞・作曲した『ジダンダ!』ほか8曲を提供し、週間HIT 演歌/歌謡曲USENチャートで1位を記録する(2009年の年間リクエストは28位[44])。2009年開催の「小林旭 デビュー55周年記念 ラスト・ドリームコンサート 〜男の友情は固く、強く〜」や深見のコンサートで共演している[45]

ダウンタウンは『ダウンタウンDX』1,000回記念会見でこれまでで最も怖かったゲストに、2人そろって小林を挙げた[46]

2017年10月5日放送分のフジテレビ系『バイキング』に出演した際、米ラスベガスで起きた銃乱射事件についてコメントする中で、かつては日本映画の撮影でも実弾が用いられたことがあったと明かした。「散弾銃なんてのは、5号だとか7号だとかって撃つのは当たり前だった」と振り返った小林。「だから我々は『映画の中で本物の銃を使っただろう』って警視庁からお呼びが掛かって、銃刀法で不法所持だって、1晩2晩、警視庁で取り調べを受けた」と明かし、出演者たちを驚愕させた[47]

出演

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映画

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大草原の渡り鳥』 (1960年)

その他

テレビドラマ

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舞台

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  • 一心太助 (1982年)

音楽番組

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CM

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NHK紅白歌合戦出場歴

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年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1977年(昭和52年)/第28回 昔の名前で出ています 19/24 石川さゆり
1986年(昭和61年)/第37回 2 熱き心に 09/20 五輪真弓
1992年(平成4年)/第43回 3 さすらい 09/28 八代亜紀
1993年(平成5年)/第44回 4 あれから 20/26 小林幸子
1994年(平成6年)/第45回 5 熱き心に(2回目) 22/25 和田アキ子
1995年(平成7年)/第46回 6 腕に虹だけ 19/25 島倉千代子
1996年(平成8年)/第47回 7 北帰行 19/25 由紀さおり安田祥子

ラジオ番組

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音楽

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シングル

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# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲
1950年代
1 1958年
9月20日
女を忘れろ[注釈 4] 野村俊夫 船村徹
2 1958年
11月15日
ダイナマイトが百五十屯[注釈 5] 関沢新一
3 1958年
12月10日
真夜中の街角 西沢爽
4 1959年
1月15日
パパの歩いた道[注釈 6] 井上梅次 大森盛太郎
5 1959年
3月15日
ホロホロ東京[注釈 7] 伊野上のぼる
星野哲郎
船村徹
6 1959年
4月20日
俺に逆らうな[注釈 8] 西沢爽
7 1959年
5月1日
地獄船[注釈 9] 吉沢ひかる
8 1959年
7月15日
十字路 西沢爽 遠藤実 藤原秀行
9 1959年
9月20日
銀座旋風児[注釈 10] 吉沢ひかる 小川寛興
10 1959年
10月20日
ギターを持った渡り鳥[注釈 11] 西沢爽 狛林正一
11 1959年
12月1日
波止場の無法者[注釈 12] 小杉太一郎
12 1959年
12月25日
口笛が流れる港町[注釈 13] 狛林正一
1960年代
13 1960年
2月10日
やくざの詩[注釈 14] 滝田順 中村八大
14 1960年
3月1日
ダンチョネ節[注釈 15] 西沢爽 遠藤実 狛林正一
15 1960年
3月15日
炭坑もぐら 荒川利夫 浜口庫之助
16 1960年
6月1日
鹿児島おはら節[注釈 16] 西沢爽 遠藤実 狛林正一
17 1960年
7月10日
アキラの会津磐梯山[注釈 17] 浜口庫之助
18 1960年
8月1日
ノーチヨサン節[注釈 18] 狛林正一
19 1960年
9月10日
さすらい[注釈 19]
20 1960年
9月20日
ズンドコ節 遠藤実 狛林正一
21 1960年
9月20日
アキラのホイホイ節 西沢爽
野村俊夫
倉若晴生
狛林正一
22 1960年
10月5日
アキラのソーラン節[注釈 20] 西沢爽 遠藤実 山路進一
23 1960年
11月20日
アキラのおてもやん[注釈 21] 狛林正一
24 1960年
12月5日
アキラのブンガワンソロ[注釈 22]
25 1961年
4月30日
アキラのデカンショ[注釈 23] みずの稔
星野哲郎
遠藤実 狛林正一
26 1961年
4月30日
黒い傷痕のブルース[注釈 24] 水島哲 J.Schachtel
27 1961年
4月30日
アキラのまっくろけ節[注釈 25] 西沢爽 狛林正一
28 1961年
5月20日
山の渡り鳥 星野哲郎 牧野昭一
29 1961年
7月20日
アキラのラバさん 石田一松
細田義勝
河辺公一
30 1961年
8月5日
思い出した思い出した[注釈 26] 添田さつき
西沢爽
鳥取春陽
市川昭介
市川昭介
31 1961年
9月20日
チュンガを踊ろう 水島哲 P.Prado 狛林正一
32 1961年
9月20日
流れもの[注釈 27] 西沢爽 遠藤実 山路進一
33 1961年
10月5日
北帰行[注釈 28] 宇田博 狛林正一
34 1961年
12月10日
アキラの奴さん 西沢爽 遠藤実 山路進一
35 1961年
12月20日
落日のシャイアン[注釈 29] 水島哲 ゾンマー・ラット 狛林正一
36 1962年
2月5日
サーカスの唄[注釈 30] 西條八十 古賀政男
37 1962年
3月20日
郷愁 水島哲 水島哲
狛林正一
38 1962年
3月20日
アキラでツイスト[注釈 31] 狛林正一
39 1962年
4月20日
アキラのええじゃないか 関沢新一 服部良一
40 1962年
6月20日
渚のチャペル 水島哲 V.Gilbert 狛林正一
41 1962年
7月20日
ダヒル・サヨ[注釈 32] 浜口庫之助 M.Velarde Jr.
42 1962年
8月20日
俺もゆくから君もゆけ[注釈 33] 宮島郁芳
西沢爽
鳥取春陽
狛林正一
43 1962年
9月20日
秋の銀座 久保田宵二 江口夜詩
44 1962年
12月10日
恋の花に気をつけな 浜口庫之助
45 1963年
1月10日
アキラでボサ・ノバ[注釈 21] 水島哲 狛林正一
46 1963年
5月5日
俺は地獄の部隊長[注釈 34] 西沢爽
47 1963年
10月5日
とかくこの世は住みにくい[注釈 35] 星野哲郎 市川昭介 安藤実親
48 1963年
11月20日
男の道[注釈 36] 加藤和枝 市川昭介
49 1964年
2月20日
花と怒涛[注釈 37] 杉野まもる 古賀政男 佐伯亮
50 1964年
3月20日
恋の山手線 小島貞二 浜口庫之助 小杉仁三
51 1964年
7月20日
知らん顔 小林旭 市川昭介
52 1964年
10月15日
宇宙旅行の渡り鳥 水島哲 叶弦大 重松岩雄
53 1964年
10月15日
自動車ショー歌 星野哲郎
54 1964年
11月1日
歩道 米山正夫 福田正
55 1964年
11月10日
スキー小唄 星野哲郎 叶弦大
56 1964年
12月10日
東海節 重松岩雄
57 1965年
1月1日
送春譜 赤倉正人
58 1965年
1月15日
口笛の凍る町[注釈 38] 米山正夫 小杉仁三
59 1965年
3月1日
いろ町小唄 星野哲郎 陸奥明
叶弦大
重松岩雄
60 1965年
4月1日
遠い旅 前田利克
61 1965年
4月10日
アングスティア シン寺部 ヨリ寺田 猪俣公章
62 1965年
5月1日
男の旅路 星野哲郎 北原じゅん 重松岩雄
63 1965年
6月1日
蒙古放浪記 仲田三孝
64 1965年
8月10日
鳴らないラッパ 米山正夫 福田正
65 1965年
10月10日
名酒節 黒田純 叶弦大 重松岩雄
66 1965年
11月1日
赤い流れ星 星野哲郎 北原じゅん
67 1965年
12月1日
無国籍者の唄[注釈 39] 米山正夫 小杉仁三
68 1966年
2月1日
泣くなさすらい[注釈 40] 関根浩子 北原じゅん
69 1966年
3月1日
野球小唄 星野哲郎 叶弦大 重松岩雄
70 1966年
5月1日
かけ橋音頭[注釈 41] 淡路総合
開発促進協議会
安田彫花
71 1966年
10月1日
旅の灯り[注釈 42] 清水みのる
星野哲郎
陸奥明
叶弦大
重松岩雄
72 1967年
4月1日
ギター片手に[注釈 43] 加藤日出男 川上始
73 1967年
8月1日
つらい恋だぜ 加藤日出男 野田ひさ志 狛林正一
74 1967年
9月1日
落日[注釈 44] 川内康範 北原じゅん
75 1968年
3月1日
恋の世界旅行 杉たくみ 叶弦大 重松岩雄
76 1968年
5月1日
赤道を駈ける男[注釈 45] 水島哲 高見弘
77 1968年
12月1日
泣かせる夜だぜ 大矢弘子 野田ひさ志 福山峯夫
78 1969年
5月10日
旅心 関沢新一 小杉仁三
1970年代
79 1970年
2月1日
幸せの切符 水島哲 狛林正一
80 1970年
4月1日
月に吠える唄 星野哲郎 叶弦大 小杉仁三
81 1970年
6月1日
七十年子守唄 水島哲 今泉俊昭 狛林正一
82 1970年
12月25日
ついて来るかい[注釈 46] 遠藤実 只野通泰
83 1971年
2月25日
にっぽん無宿 永井ひろし 小松美穂 安藤実親
84 1971年
8月25日
ごめんね 遠藤実 只野通泰
85 1971年
10月25日
純子
86 1972年
6月20日
俺が憎けりゃうらみなよ
87 1972年
8月20日
哀歌 西沢爽 植内要
瀬戸善明
小山恭弘
88 1972年
11月20日
オロロン慕情 遠藤実
89 1973年
9月20日
夜明けの船で 丹古晴己 小山恭弘
90 1974年
4月25日
もどって来たのかい 遠藤実 斉藤恒夫
91 1974年
9月25日
恋すすき 関沢新一 遠藤実 只野通泰
92 1975年
1月25日
昔の名前で出ています 星野哲郎 叶弦大 斉藤恒夫
93 1975年
6月25日
ゴルフショー歌 川口真
94 1975年
9月25日
ひとり暮らしが淋しくて 山口洋子 森田公一 竜崎孝路
95 1976年
3月25日
ショーがないね節 高田ひろお 首藤正毅 原田良一
96 1976年
5月25日
泣いて昔が返るなら 星野哲郎 叶弦大 斉藤恒夫
97 1976年
9月25日
世間 鳥井実
98 1977年
1月25日
北へ 石坂まさを 竜崎孝路
99 1977年
7月7日
さすらいの道 伊藤アキラ 森田公一
100 1977年
10月25日
もう一度一から出なおします 星野哲郎 叶弦大 斉藤恒夫
101 1978年
2月25日
夢ん中[注釈 47] 阿久悠 森田公一 EDISON
102 1978年
3月25日
霧の都会[注釈 48] ちあき哲也 叶弦大 小杉仁三
103 1978年
5月25日
私の名前が変わります 星野哲郎 馬飼野康二
104 1978年
9月25日
北海岸 丹古晴己 中川博之 神山純
105 1979年
3月5日
哀愁列島 杉紀彦 遠藤実 斉藤恒夫
106 1979年
4月25日
赤いトラクター[注釈 49] 能勢英男 米山正夫 小杉仁三
107 1979年
9月25日
おまえに逢いたい 丹古晴己 船村徹 栗田俊夫
108 1979年
10月25日
デカンショ酒場 桑名賢一
榎戸孝雄
桜井稔
小杉仁三
小杉仁三
109 1979年
11月25日
漁港列島 能勢英男 米山正夫
1980年代
110 1980年
1月25日
わかれの演歌 山田孝雄 叶弦大 斉藤恒夫
111 1980年
2月25日
女房きどり 星野哲郎
112 1980年
6月5日
やどかり ちあき哲也 竜崎孝路
113 1980年
6月25日
日暮れ・行き暮れ 村田さち子 寺内タケシ
114 1980年
8月25日
あざみ白書 阿久悠 小林亜星 伊藤雪彦
115 1980年
10月25日
みだれ雲[注釈 50] 阿木燿子 宇崎竜童 服部克久
116 1981年
12月25日
思いやり[注釈 51] なかにし礼 藤崎良 大和圭太郎
117 1982年
4月5日
お世話になったあの人へ 中山大三郎 城賀イサム 中林慶一
118 1982年
9月1日
泣いた数だけ倖せに[注釈 52] 中村泰士 馬飼野俊一
119 1983年
2月25日
最后にもひとつ 喜多條忠 大野克夫 斉藤恒夫
120 1983年
12月1日
おまえと出直そう 遠藤実
121 1984年
3月25日
星海峡 高田ひろお 安治行
122 1984年
11月25日
水たまり 杉本真人
123 1985年
10月25日
望郷さすらい港町 杉本真人
124 1985年
11月20日
熱き心に 阿久悠 大瀧詠一 大瀧詠一
前田憲男
125 1986年
11月20日
旅空夜空
〜言うもはずかし〜
宇崎竜童 若草恵
126 1987年
2月10日
大野克夫
127 1987年
9月25日
古城の月 小椋佳 萩田光雄
128 1988年
1月1日
昭和舟歌 いではく 遠藤実 薗広昭
129 1988年
4月25日
五月雨ワルツ 浅木しゅん 杉本真人 前田俊明
130 1989年
9月25日
夜の旅人 さいとう大三 叶弦大 斉藤恒夫
1990年代
131 1990年
4月25日
やどかりの歌 星野哲郎 四方章人 宮崎信冶
132 1991年
12月21日
雪散華 西村賢三 宮崎慎二
133 1993年
9月22日
あれから 阿久悠 鈴木キサブロー 川村栄二
134 1995年
2月22日
腕に虹だけ 内館牧子 ひうら一帆
135 1995年
10月21日
アキラのジーンときちゃうぜ[注釈 53] 小林旭
白土謙二
井上大輔 東京スカパラ
ダイスオーケストラ
136 1996年
12月1日
乾いた花びら 阿久悠 浜圭介 今泉敏郎
137 1997年
6月21日
惚れた女が死んだ夜は みなみ大介 杉本真人 伊戸のりお
138 1999年
2月20日
どんでん ちあき哲也 徳久広司 小野寺忠和
2000年代
139 2001年
6月21日
昭和恋唄 阿久悠 谷村新司 萩田光雄
140 2002年
5月22日
酒挽歌 たきのえいじ 浜圭介 今泉敏郎
141 2003年
5月21日
からす 仁井谷俊也 大谷明裕 竜崎孝路
142 2003年
11月21日
旅の酒
〜放浪編〜
荒木とよひさ 叶弦大 前田俊明
143 2004年
10月6日
翔歌 阿久悠 宇崎竜童 宮崎慎二
144 2005年
7月21日
THE アキラ節
〜マイトガイ・ヒット・パレード〜
- 宮川泰
溝渕新一郎
145 2006年
6月7日
アキラのもったいない音頭 水木れいじ 叶弦大 萩田光雄
146 2007年
9月5日
折紙人生 小林旭 森園勝敏
小林孝至
147 2008年
6月4日
酒場恋唄 遠藤実 伊戸のりお
148 2009年
7月8日
ジダンダ! 深見東州 -
2010年代
149 2010年
4月21日
遠き昭和の… 高田ひろお 杉本眞人 宮崎慎二
150 2011年
8月24日
昭和・露地裏話 星野哲郎 杉本眞人 蔦将包
151 2012年
5月30日
クレオパトラの夢[注釈 54] ちあき哲也 鈴木キサブロー 宮崎慎二
152 2012年
6月20日
昭和・男道 宇山清太郎 四方章人 前田俊明
153 2013年
2月20日
素晴らしき哉人生 阿久悠 鈴木キサブロー 若草恵
154 2014年
3月19日
ひとりの女に さくらちさと 徳久広司 前田俊明
155 2014年
9月3日
いとしいとしというこころ[注釈 55] 阿久悠 鈴木キサブロー 川村栄二
156 2015年
9月2日
風の守唄 さくらちさと 浜圭介 矢野立美
157 2016年
1月27日
時の旅人 鈴木キサブロー 宮崎慎二
158 2018年
2月28日
人生思い出橋

アルバム

[編集]
  • 小林旭 歌のアルバム(1958年
  • マイトガイ小林旭 大いに歌う(1959年
  • マイトガイとびあるく(1960年
  • アキラのズンドコ節(1960年)
  • アキラのおてもやん(1960年)
  • アキラとウエスターン (1961年
  • 小林旭 ヒットパレード①(1965年
  • 月に吠える歌 港の歌(1970年
  • アキラの流れ者人生 にっぽん無宿(1971年
  • 純子〜小林旭 夜に唄う〜(1971年)紙ジャケットCDで発売
  • 知床旅情・北帰行 小林旭・抒情歌集(1971年12月
  • 小林旭 デラックス・アルバム(1973年
  • 昔の名前で出ています〜小林旭オリジナルアルバム〜(1975年)紙ジャケットCDで発売
  • 小林旭 ベスト・アルバム 男の慕情(1977年
  • 果てしなき旅(1977年)
  • さすらいの道・小林旭 オンステージ(1977年)ライブ・アルバム
  • 哀愁列島 十二人の女たち(1979年)
  • お世話になったあの人へ(1982年
  • 熱き心に オリジナル ベスト ヒット(1986年2月25日
  • 旅空夜空 -熱き心に- (1986年9月25日、ポリドール、28CX-1380)オリジナル・アルバム
  • 日本のうた〜あの頃、あの時、懐かしの抒情歌集〜(1987年8月25日
  • 小林旭全曲集(1992年11月21日
  • あれから(1993年11月21日、SRCL-2798)ソニー・ミュージックレコーズより発売
  • アキラ・ザ・グレート(1993年11月21日、SRCL-2799)
  • ベストヒット全曲集 (1995年3月24日
  • アキラ節(1996年)ミニアルバム、東京スカパラダイスオーケストラとの共演作
  • 昭和抒情歌集(1999年
  • アキラ 1 (2002年大滝詠一監修、民謡&俗謡集
  • アキラ 2 (2002年)大滝詠一監修、ポップス&カバー集
  • アキラ 3 (2002年)大滝詠一監修、主題歌&ヒット集
  • アキラ 4 (2002年)大滝詠一監修、ユーモア・ソング集
  • GOLDEN☆BEST 小林旭2003年)ユニバーサルより発売
  • GOLDEN☆BEST 小林旭 マイト・ガイ・デラックス2004年)日本クラウンより発売、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.1 (2005年)日本コロムビア編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.2 (2005年)日本コロムビア編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.3 (2005年)日本クラウン編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.4 (2005年)日本クラウン編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.5 (2005年)日本クラウン編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.6 (2005年)ポリドール編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.7 (2005年)ソニー編、二枚組
  • 小林旭コンプリートシングルズVol.8 (2005年)ガウス編
  • GOLDEN☆BEST 小林旭 ヒット全曲集2009年1月)ソニーより発売、二枚組
  • チェンジザストリーム・キープオンライジング(2007年)
  • ジダンダ!(2009年2月)マイトガイ・レーベル
  • 決定盤 小林旭大全集(2009年2月)コロムビアより発売、二枚組

映像作品

[編集]
  • 小林旭50周年記念コンサート(2005年

著作

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 梅宮辰夫ヨットハーバーを経営している小林旭の実弟から、「小林の生年は1935年生まれと聞いた」と証言している[1]
  2. ^ 戦時中は軍属の特別報道官として南方へ出征していたが、終戦直前、マラリアに罹患して帰国している。
  3. ^ 第24話(最終回)では監督も手掛ける。
  4. ^ 日活映画「女を忘れろ」主題歌。小林は突然ガバチョ!の書籍「突ガバ読本」の中で「80万枚くらい売れただろう」とコメントしている。
  5. ^ 日活映画「二連銃の鉄」挿入歌。
  6. ^ 日活映画「嵐を呼ぶ友情」主題歌。
  7. ^ 雑誌「平凡」募集歌。
  8. ^ 日活映画「俺は挑戦する」主題歌。
  9. ^ 日活映画「二連銃の鉄」主題歌。
  10. ^ 日活映画「二階堂卓也 銀座無頼帖 銀座旋風児」主題歌。
  11. ^ 日活映画「ギターを持った渡り鳥」主題歌。
  12. ^ 日活映画「波止場の無法者」主題歌。
  13. ^ 日活映画「口笛が流れる港町」主題歌。
  14. ^ 日活映画「やくざの詩」主題歌。
  15. ^ 日活映画「海から来た流れ者」主題歌。
  16. ^ 日活映画「海を渡る波止場の風」主題歌。
  17. ^ 日活映画「赤い夕陽の渡り鳥」主題歌。
  18. ^ 日活映画「東京の暴れん坊」主題歌。
  19. ^ 日活映画「南海の狼火」主題歌。
  20. ^ 日活映画「大草原の渡り鳥」主題歌。
  21. ^ a b 日活映画「歌う暴れん坊」主題歌。
  22. ^ 日活映画「波濤を越える渡り鳥」主題歌。
  23. ^ 日活映画「でかんしょ風来坊」主題歌。
  24. ^ 日活映画「黒い傷あとのブルース」主題歌。
  25. ^ 日活映画「風に逆らう流れ者」主題歌。
  26. ^ 日活映画「太陽、海を染めるとき」主題歌。
  27. ^ 日活映画「大森林に向って立つ」主題歌。
  28. ^ 日活映画「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」主題歌。
  29. ^ 日活映画「高原児」主題歌。
  30. ^ 日活映画「さすらい」主題歌。
  31. ^ 日活映画「夢がいっぱい暴れん坊」主題歌。
  32. ^ 日活映画「遥かなる国の歌」主題歌。
  33. ^ 日活映画「渡り鳥故郷へ帰る」主題歌。
  34. ^ 日活映画「俺は地獄の部隊長」主題歌。
  35. ^ 日活映画「銀座の次郎長 天下の一大事」主題歌。
  36. ^ 日活映画「関東遊侠伝」主題歌。
  37. ^ 日活映画「花と怒涛」主題歌。
  38. ^ 日活映画「拳銃無頼帖 流れ者の群れ」主題歌。
  39. ^ 日活映画「野郎に国境はない」主題歌。
  40. ^ 日活映画「俺にさわると危ないぜ」主題歌。
  41. ^ 坂芳子とのデュエット
  42. ^ 日活映画「不敵なあいつ」主題歌。
  43. ^ 日活映画「命しらずのあいつ」主題歌。
  44. ^ 日活映画「対決」主題歌。
  45. ^ 日活映画「赤道を駈ける男」主題歌。
  46. ^ 日活映画「ネオン警察 女は夜の匂い」主題歌。
  47. ^ テレビ朝日系テレビドラマ「江戸プロフェッショナル・必殺商売人」、及び「必殺からくり人・富嶽百景殺し旅」主題歌。
  48. ^ 東映映画「多羅尾伴内」主題歌。
  49. ^ ヤンマーのトラクター「YMシリーズ」、及び「フォルテシリーズ」CMソング。
  50. ^ フジテレビ系テレビドラマ「旅がらす事件帖」主題歌。
  51. ^ 日本テレビ系テレビドラマ「幻之介世直し帖」主題歌。
  52. ^ ニッカウヰスキーハイニッカ」CMソング。
  53. ^ 小林旭 with 東京スカパラダイスオーケストラ名義。
  54. ^ 八代亜紀とのデュエット。
  55. ^ 浅丘ルリ子とのデュエット。

出典

[編集]
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  4. ^ 旭, 小林. “「俺はいいとこAダッシュさ」小林旭が語る“銀幕スター列伝” 石原裕次郎、萬屋錦之介、三船敏郎、鶴田浩二…”. 文春オンライン. 2023年6月4日閲覧。
  5. ^ 小林旭『さすらい』新潮社、2001年。ISBN 4-10-450401-7 
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  8. ^ 毎日放送テレビ制作局(編)『突ガバ読本』シンコーミュージック、1984年、86-87頁。ISBN 4-401-61148-9
  9. ^ 日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバーダイナマイトが百五十屯の破壊力”. Tap The Pop (2018年11月17日). 2022年8月16日閲覧。
  10. ^ ギターを持った渡り鳥”. 日活. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
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  12. ^ a b 小林旭 『さすらい』 新潮社
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  14. ^ a b c 実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界、第五章 落日の「栄光」、267-271ページ。
  15. ^ 「お嬢」「おじさん」と呼び合った”. NEWSポストセブン. 2022年8月17日閲覧。
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  18. ^ 小林旭 インタビュー”. MUSICSHELF (2007年11月29日). 2014年7月6日閲覧。
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  20. ^ a b c d e f “東てる美「小林旭にイジメられ」舞台降板”. nikkansports.com. (2014年3月26日). オリジナルの2014年3月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140327072946/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140326-1275490.html 2014年7月6日閲覧。 
  21. ^ a b c “東てる美 小林旭に受けた“いじめ”で「女優人生で最悪の4日間」(女性自身)”. Yahoo!ニュース. (2014年4月3日). オリジナルの2014年5月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140508030840/http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140403-00010002-jisin-ent 2014年7月6日閲覧。 
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  23. ^ “小林旭「バイキング」に登場!人生初のコメンテーターに挑戦”. ザテレビジョン. (2017年10月4日). オリジナルの2017年10月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171006130549/https://thetv.jp/news/detail/123315/ 2017年10月6日閲覧。 
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  30. ^ 小林 旭 公式/Akira Kobayashi official [@mightyguy_akira] (2024年5月4日). "本日無事にモンゴル観光大使に正式任命頂きました。モンゴル政府、大使館関係者の皆々様、ありがとうございました、そして、式典からショーまで暑い中駆けつけてくださった皆様、ありがとうございました。モンゴルのお祭りは楽しんで頂けましたか?". X(旧Twitter)より2024年5月4日閲覧
  31. ^ ““マイトガイ”小林旭、全治3カ月の重傷を負っていた 9月中旬に都内自宅階段で転倒”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2024年10月24日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/10/24/kiji/20241024s00041000163000c.html 2024年10月24日閲覧。 
  32. ^ a b c ジャッキー・チェンが「マイ・アイドル」「サインがほしい」という日本人は?”. OHTA PUBLISHING CO. 2022年7月30日閲覧。
  33. ^ ジョン・ウーを魅了したマイトガイこと小林旭の魅力とは”. CINEMATODAY. 2022年7月30日閲覧。
  34. ^ a b 本格デビューから65周年を迎える、我らがマイトガイ・小林旭の歴史を辿る計22作品!「小林旭 デビュー65周年記念 日活DVDシリーズ」DVDが4月2日より順次発売決定!”. PR TIMES. 2022年7月30日閲覧。
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  37. ^ a b 2014年9月3日・夢グループ主催「小林旭、浅丘ルリ子60周年記念イベント」での回想より
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  39. ^ http://music-calendar.jp/2015110301
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  47. ^ 小林旭、過去の撮影で実弾使用 警視庁の取り調べも 日刊スポーツ 2017年10月5日12時51分(日刊スポーツ新聞社、2017年10月20日閲覧)
  48. ^ NHK音楽特番「我が心の大滝詠一」。“ロンバケ”誕生40周年に、小林旭や島津亜矢、氷川きよしらが大滝作品を。小泉今日子は大滝とデュエット”. オトカゼ (2021年3月18日). 2021年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月29日閲覧。
  49. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第128号、マドラ出版、1990年5月1日、106 - 107頁、NDLJP:1853094/55 

関連項目

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外部リンク

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