恋人よ (五輪真弓の曲)
「恋人よ」 | ||||
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五輪真弓 の シングル | ||||
初出アルバム『恋人よ』 | ||||
B面 | ジョーカー | |||
リリース | ||||
規格 |
7インチシングル盤 07SH-842 | |||
録音 | 1980年6月 | |||
ジャンル | ニューミュージック | |||
時間 | ||||
レーベル | CBS・ソニー / UMI | |||
作詞・作曲 | 五輪真弓 | |||
ゴールドディスク | ||||
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チャート最高順位 | ||||
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五輪真弓 シングル 年表 | ||||
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「恋人よ」(こいびとよ)は、1980年8月21日にCBSソニーから発売された五輪真弓の通算18枚目のシングル。
背景
[編集]表題曲は、五輪が木田高介(五輪がデビューした当時のプロデューサーで、1980年5月18日に交通事故死した)の葬儀に参列した際に、木田の妻が慟哭する姿を見て書き上げた[3]。二度と再会が叶うことのない”別れ”を綴った歌詞は、葬儀からの帰り道で思いついたのだという[4]。
当初は「枯葉」というタイトルだったが、途中で変更された[5]。
当初、B面に収録されている「ジョーカー」がA面の予定だったが、レコーディングの際に「恋人よ」の方が受けが良かったため、変更となった。
1980年代の韓国[注釈 1]においてもよく歌われた日本の歌である[6]。同曲は韓国以外にも、その後中国、香港、マレーシア、シンガポール、インドネシア[注釈 2]などアジアの国と地域に広がった[注釈 3]。ベトナムでは日本のポップスがほとんど知られていない中で日本の現代音楽の代名詞といえるほど[11]異例のヒットをした[12]。
制作
[編集]CBSソニーのディレクター中曽根皓二から「B面のアレンジはお任せする」と言われたアレンジャーの船山基紀が、スケールの大きいバラードだったので、48秒もあるイントロをつけていたが、A面に変わってからこの長いイントロをどうするか思案して、テレビ用に多少短くしたり、イントロのバイオリンのメロディをサックスに変えたりしている[3]。
五輪は自ら作詞作曲にした「恋人よ」をアレンジャーに編曲してもらった後、スタジオで初めてその音を聴き、当時について後に以下のように回想している[10]。「まるで映画音楽のようなストリングスの壮大かつ表現力豊かな音色が聴こえてきて、それまで聴いたことがない、魂が震えるような感覚を覚えました」[10]。
レコーディングの時の仮歌の出来が良かったので、そのバージョンのものがそのままリリースされた[13]。
記録
[編集]本作は、五輪のシングルでは唯一オリコンチャート週間1位を獲得し、100位内には35週間ランクインした。累計売上はミリオンセラーを記録した[14]。
TBSテレビ『ザ・ベストテン』には、1978年6月に「さよならだけは言わないで」で「今週のスポットライト」コーナーとして出演以来、2年ぶりとなった。1980年11月6日に第10位で登場。同年12月18日でついに首位獲得、12月25日、翌1981年1月8日と3週連続で第1位。同年2月5日の第9位まで合計13週間ランクされるロングセラーとなった[注釈 4]。
第22回日本レコード大賞で金賞ではあったものの、大賞は受賞していない[注釈 5]。
この曲のヒットにより、1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている[15]。
収録曲
[編集]全作詞・作曲: 五輪真弓、全編曲: 船山基紀。 | ||
# | タイトル | 時間 |
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1. | 「恋人よ」 | |
2. | 「ジョーカー」 | |
合計時間: |
カヴァー
[編集]日本国内
[編集]- 淡谷のり子 - アルバム『LAST SONG』(1984年)に収録
- 美空ひばり - アルバム『水仙の詩/美空ひばり 〜美空ひばり ポップスを唄う〜』(1984年)に収録
- 中澤裕子 - アルバム『FOLK SONGS 2』(2002年5月)に収録
- 工藤静香 - アルバム『昭和の階段 Vol.1』(2002年10月)に収録
- 徳永英明 - カバーアルバム『VOCALIST 2』(2006年8月)に収録
- 布施明 - アルバム『Ballade II』(2009年4月)に収録
- 五木ひろし - カバーアルバム『流行歌 』(2009年6月24日)に収録
- 樹里からん - アルバム『TORCH』(2011年2月)に収録
- 川上大輔 - シングル「アモーレ・アモーレ(期間限定スペシャル盤)」(2013年10月9日)カップリングに収録
- 吉幾三 - カバーアルバム『あの頃の青春を詩うvol.2』(2014年4月2日)に収録
- 姿月あさと - 宝塚歌劇団OGのカバーアルバム「麗人 REIJIN -Showa Era-」(2015年7月1日、ビクターエンターテインメント)収録[16]
- 川野夏美 - カバーアルバム『フォーク・ソングス ~唄い継ぐ、未来へ~ 』(2015年7月8日)に収録
- 米倉利紀 - カバーアルバム『うたびと』(2015年8月26日)に収録[17]
- 森恵 - カバーアルバム『COVERS Grace of The Guitar+』(2016年3月16日)に収録。
- JUJU - カバーアルバム『スナックJUJU 〜夜のRequest〜』(2016年10月28日)に収録[18]
- 島津亜矢 - アルバム『SINGER 4』(2017年9月20日)に収録
- 氷川きよし - アルバム『新・演歌名曲コレクション8 -冬のペガサス-勝負の花道〜オーケストラ』(2018年10月2日)に収録
- 絢香 - アルバム『遊音倶楽部 〜2nd grade〜』(2020年5月13日)に収録
- 坂本冬美 - アルバム『Love Emotion』(2021年10月)に収録
- Ms.OOJA - アルバム『流しのOOJA 2 ~VINTAGE SONG COVERS~』(2022年9月21日)に収録
日本国外
[編集]- ベトナムの女性歌手ミー・タム(Mỹ Tâm)が、2005年にリリースしたアルバム『The Color of My Life』に収録し、ステージでも披露するなど、日本の歌としては同国で最も有名な曲の一つである。北海道テレビ『水曜どうでしょう』の「原付ベトナム横断1800キロ」の企画において、現地ガイドや宮廷音楽家たちが知っている日本の歌として「恋人よ(Người yêu dấu ơi)」を挙げている。
- 香港の歌手アラン・タム(譚詠麟)によって「忘不了你」というタイトルでカバーされている。
- 韓国の歌手、鄰愛(린애; Linae)によって「離別後愛(이별후애 )」というタイトルでカバーされている。シム・ヒョンボ(심현보; Sim Hyeonbo)による韓国語歌詞。2002年リリースの鄰愛のアルバム『린애 1집 (The First)』2曲目収録。
- 2007年4月には、ロシアの女性デュオARAHISによってカヴァーされた(アルバム『メチター』に収録)。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時の韓国は日本大衆文化の流入制限下であった。
- ^ インドネシアでは「恋人よ」よりも「心の友」が大ヒットし、「心の友」は時としてインドネシアの「第二の国歌」とまで言われている[7]。そもそもインドネシア(およびマレーシア)はイスラム教国家のため婚前の男女関係は制限され[8]、イスラム教国家の中では世俗的音楽に寛容だが、スカルノ政権時代はビートルズの曲を演奏したミュージシャンが逮捕され、スハルト政権時代に音楽は統制された[9]。
- ^ 本人はこれについて、「曲自身が持つ力で、それまで私が訪れたこともない国々にまで独り歩きしちゃったんです。初めて香港のステージを踏んだ時は、『憧れの人がきた!』みたいな、みんな目をキラキラさせて私の歌を聴いてくれて。それまで外国へ行って何かしら力を与えられるなんて考えたことなかったから、私自身もこの曲に大きな勇気をもらいました」と回想している[10]。
- ^ 『ザ・ベストテン』で10位内のランクインは、本作が唯一だった。
- ^ 大賞は八代亜紀「雨の慕情」、次点は五木ひろし「ふたりの夜明け」。
出典
[編集]- ^ “第22回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2021年7月22日閲覧。
- ^ 「オリコンチャートブック 1968-1997」ORICON BOOKS、1997年12月11日、35ページ。
- ^ a b 「ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代」2019年10月10日、リットーミュージック、82-83ページ。
- ^ 恋人よ〜究極の“別れの歌”の誕生秘話、伝説のグループに在籍した才人の死|季節(いま)の歌|TAP the POP2022年4月26日閲覧。
- ^ 「ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代」2019年10月10日、リットーミュージック、87ページ。
- ^ 関川夏央『韓国を読む―こんなに知らないとなりの国』集英社、1986年、114頁。ISBN 4-08-775078-7。
- ^ 平賀富一 (2017年2月21日). “音楽が繋ぐ日本とインドネシア-「心の友」から「JKT48」へ-”. ニッセイ基礎研究所
- ^ “インドネシア人と恋愛して学んだ、恋愛観の違い6選”. Guanxi Times. (2019年7月27日)
- ^ 金悠進 (Kim Yujin)「動員と秩序の文化政治 – インドネシア・ロック音楽産業の持続的発展とその陰影 –」『アジア・アフリカ地域研究』第21巻、第1号、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、83-103頁、2021年9月30日 。
- ^ a b c “私にとって音楽は自分を飛躍させるもの。不死鳥のように、どこまでも飛んでいきたい。”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」より「Ms Wendy」 (2013年5月). 2023年6月16日閲覧。
- ^ 『かけはし(JITCO JOURNAL)』 26巻、125号、公益財団法人国際人材協力機構、2016年4月1日 。
- ^ ホー, ホアン ホア (HO, Hoang Hoa)「ベトナムにおける日本文化」『アジア太平洋地域におけるグローバリゼイション、ローカリゼイションと日本文化 Volume 3』、国際日本文化研究センター、207-212頁、2010年3月30日 。
- ^ “イルカさんと五輪真弓さんは中野区の小学校に通った同学年”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2021年4月2日). 2021年4月2日閲覧。
- ^ 富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、583頁。ISBN 978-4-636-82548-0
- ^ “第31回NHK紅白歌合戦”. NHK紅白歌合戦ヒストリー. NHK. 2022年1月27日閲覧。
- ^ “宝塚OGによるカバーアルバム第2弾発売決定 昭和の歌謡名曲が男役歴代トップスター達によって蘇る”. Billboard Japan. 2015年4月23日閲覧。
- ^ “米倉利紀が初のカバー集で沢田研二、松田聖子、オリラブ、米米らを熱唱”. 音楽ナタリー (2015年8月26日). 2015年8月27日閲覧。
- ^ “JUJU|Snack JuJu Special Site”. JUJU OFFICIAL SITE. 2016年11月15日閲覧。