コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

矢切の渡し (曲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
現地松戸側の「矢切の渡し」碑。「細川たかし識(しるす)、昭和59年(1984年)3月吉日」とある

矢切の渡し」(やぎりのわたし)は、石本美由起の作詞、船村徹の作曲による演歌。1976年にちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表され、1982年にはちあきなおみのA面シングルとして発売された。翌1983年に多くの歌手によって競作され、中でも細川たかしのシングルが最高のセールスとなった。

解説

[編集]

東京都千葉県の県境を流れる江戸川で、葛飾区柴又松戸を結ぶ渡し舟がある矢切を舞台にした歌である。

元々は、1976年10月1日に発売されたちあきなおみのシングルEP「酒場川」のB面曲として発表された[1]プロデューサーだった中村一好をはじめとする製作陣は本作をシングルのA面として発売することを希望したが、ちあきの希望で「酒場川」がA面になり、本作はB面収録となった[2]。なお、この時にはタイトルは「矢切の渡し」と表記されていた。

人の耳にとまりにくい売り出しで、空前の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」の前に影は薄かった[1]。 

6年後の1982年、ちあき盤「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に用いられたことで好評を博し[注釈 1]、同年6月に開始したTBS系列のテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(梅沢も出演した)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。そこで、同年10月21日に本作をA面としたシングルが改めて発売された[3]

バーニングプロダクション社長・周防郁雄が同プロ所属の「細川たかしに歌わせてみたい」と[1]、翌1983年に細川のシングル(後述)が発売された。同年にはこの他、瀬川瑛子中条きよし春日八郎&藤野とし恵島倉千代子&船村徹、佐山友香など、競作で発売されたが、中でも最も売れたのが細川盤であった。ただし、当時の有線のチャートではちあき盤が首位にあった。また、瀬川盤はオリコン44位にランクインし、20万枚を売り上げた[4]

本作は他にも、美空ひばりがLPアルバムで、藤圭子が1984年にアルバム『蝶よ花よと』で、中森明菜が2007年のアルバム『艶華 -Enka-』でカバーするなど、LPアルバムでは1997年1月の時点で28人がレコード化した記録が残る[1]

1983年度の日本音楽著作権協会(JASRAC)発表による楽曲別の著作権使用料分配額では、「氷雨」に続いて年間2位にランクインされた[5]

本作の作曲を手がけた船村徹は、ちあきなおみに提供した楽曲が細川たかしの歌唱によってヒットしたことについて、「ちあきの歌は(楽曲のイメージ通りの)手漕ぎの櫓で、細川の歌はモーター付の船だ。」という評価を下している。また、ちあきの歌は「鑑賞用」で細部まで聴かせる歌なのに対して、細川の歌は一本調子で楽曲の難しい部分を省略した歌い方でありカラオケなどで誰でも歌えると世間に思わせてしまっている、とも発言している[2][6]

楽曲の製作過程

[編集]

作詞の石本美由起の出身地広島県大竹市には山口県との県境に「木野川渡し」(現在の小瀬川)があり、山口側には江戸へ移送される際に二度と帰れぬ故郷との別れを詠んだ吉田松陰歌碑があった[7][8]。石本はこの思い出が強く「渡しをテーマに創作してみよう」という気持ちは常にあった[9]1970年代半ば頃、映画『男はつらいよ』で「矢切の渡し」が紹介され、2つの渡しが心の中でつながりだした時に、テレビの紀行番組で「矢切の渡し」がなくなりそうだという話を聞いた。作曲家の船村徹もたまたま同じ番組を観ており、翌日現場に赴きその足で当時専属だった日本コロムビア本社に行くと偶然石本がおり、雑談は当然のように「矢切」へ行き着いた。船村の出身地・栃木県塩谷郡塩谷町周辺にも2ヶ所「鬼怒川の渡し」があった。場所こそ違うが渡しへの郷愁を共有していた2人は「渡しがなくなるなら、作品に残そう」と意気投合し、本曲の製作に至った[9]

ちあきなおみのシングル

[編集]
「矢切の渡し」
ちあきなおみシングル
初出アルバム『ちあきなおみ ベスト・ヒット VOL.2』
B面 別れの一本杉
リリース
規格 7インチレコード
ジャンル 演歌歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
作詞 石本美由起
作曲 船村徹
チャート最高順位
ちあきなおみ シングル 年表
あまぐも
(1978年)
矢切の渡し
(1982年)
Again
(1983年)
テンプレートを表示

ちあきなおみのシングル「矢切の渡し」は、1982年10月21日に発売された。発売元は日本コロムビアである。

上記の通り梅沢が本作を使って話題になったことにより、コロムビアは急遽、ちあき本人が一度もテレビなどで歌ったことがなく、B面曲として埋もれていた本作をシングルA面として再び発売することを決めた[2]

1982年に放送され、ちあきも出演した毎日放送製作・TBS系列のテレビドラマ『ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難』では劇中歌としてちあきが本作を歌唱した。

ちあき盤は翌年に細川盤が日本コロムビアから発売された際に生産中止となっている(ちあきは1983年当時、ビクターに移籍し、アルバムで外国の曲を日本語でカバーする活動をしていた)。

B面の「別れの一本杉」は春日八郎のカバーである。作曲は同じく船村徹による。

収録曲

[編集]

(全作曲・編曲:船村徹

  1. 矢切の渡し [3:52]
    作詞:石本美由起
  2. 別れの一本杉 [3:32]
    作詞:高野公男

細川たかしのシングル

[編集]
「矢切の渡し」
細川たかしシングル
B面 おんな岬
リリース
規格 7インチレコード
ジャンル 演歌歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
作詞 石本美由起
作曲 船村徹
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン
  • 1983年度年間2位(オリコン)
  • 2位(ザ・ベストテン
  • 1位(ザ・トップテン
  • 1983年度年間1位(ザ・ベストテン)
  • 細川たかし シングル 年表
    北酒場
    (1982年)
    矢切の渡し
    (1983年)
    新宿情話
    (1984年)
    テンプレートを表示

    細川たかしのシングル「矢切の渡し」は、1983年2月21日に19枚目のシングルとして発売された。発売元はちあき盤と同じく日本コロムビアである。

    解説

    [編集]
    • オリコンの週間ヒットチャートでは3週にわたって第1位を獲得、1983年のオリコン年間ヒットチャートにおいては第2位にランクインされる大ヒットとなった。細川は本作で同年に『第25回日本レコード大賞』を受賞した。同年には『第34回NHK紅白歌合戦』でも大トリで披露している。
    • 前年には「北酒場」(1982年3月21日[注釈 2])で第24回日本レコード大賞を受賞していたため、レコ大史上初の2年連続受賞歌手となった。後に他のミュージシャンも連続受賞を果たしているが、「発売したシングル盤が2作連続して日本レコード大賞を受賞」というのは現在においても細川のみである。
    • 当時の人気番組であったTBS系の音楽番組ザ・ベストテン』では3月31日放送分で初登場し、連続13週ランクインした。前年に続き、2年連続で年間ランキング1位を獲得した。また、当時は賞レース番組であったフジテレビ系『FNS歌謡祭』の第12回放送でグランプリを受賞した(前年の第11回放送では、「北酒場」で最優秀視聴者賞を受賞している)。

    収録曲

    [編集]
    1. 矢切の渡し [3:49]
      作詞:石本美由起/作曲:船村徹/編曲:薗広昭
    2. おんな岬 [4:11]
      作詞:千家和也/作曲:浜圭介/編曲:竜崎孝路

    価格

    [編集]
    • 発売当時の値段は700円

    関連作品

    [編集]

    関連項目

    [編集]

    脚注

    [編集]

    注釈

    [編集]
    1. ^ 梅沢は『第34回NHK紅白歌合戦』(自身も「夢芝居」のヒットにより歌手として出場)でも、細川の「矢切の渡し」歌唱時に舞踊を披露している。
    2. ^ 2003年10月22日には、「北酒場」「矢切の渡し」のカップリングでマキシシングル化された。

    出典

    [編集]
    1. ^ a b c d 読売新聞社文化部『この歌 あの歌手(下)』社会思想社、1997年、204-205頁
    2. ^ a b c 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』(石田伸也著、徳間書店、2008年)
    3. ^ 「歌伝説・ちあきなおみの世界」(NHK-BS22005年11月6日放送)
    4. ^ 「歌手生活20年『命くれない』がヒット中 紅白出場に賭ける瀬川瑛子(クラウンレコード)」『国会ニュース』1987年6月号、118頁。NDLJP:2859760/60
    5. ^ 「歌謡界『アンコ椿』の夢よ再び──新人づくり四苦八苦(ニュースの周辺)」『日本経済新聞』1985年1月31日付夕刊、3頁。
    6. ^ たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京、2007年2月16日放送)
    7. ^ みち紀行 - 中国新聞 第5部 防府から井原へ④ 大竹市
    8. ^ 舟運の話 - 国土交通省 中国地方整備局
    9. ^ a b 『この歌 あの歌手(下)』202-203頁