牧野宏
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県成田市 |
生年月日 | 1937年11月9日 |
没年月日 | 1994年1月19日(56歳没) |
身長 体重 |
174 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1961年 |
初出場 | 1961年 |
最終出場 | 1962年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994年1月20日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]成田高等学校では投手、五番打者として活躍。1955年夏の県予選、南関東大会で3完封、5本塁打を記録。南関東大会決勝で鴻巣高を延長10回の末に破り、夏の甲子園に出場。甲子園では2回戦(初戦)で津久見高の田中喜八郎と投げ合うが、大差で完封負けを喫する[1]。高校同期に左翼手、四番打者の平山正行(南海)がいた。
法政大学へ進学。エース、中心打者として活躍するが、東京六大学野球リーグは当時、長嶋茂雄、杉浦忠らの立大全盛期であり、法大は優勝に届かなかった。しかし1957年秋季リーグで、シーズン最優秀防御率0.19のリーグ記録を達成。打者としては立大の長嶋と1厘差の打率.332でベストテン2位となる。1958年秋季リーグでは13試合に登板して12完投、立大に次ぐ2位となり、同季のベストナインに選出されている。1959年初頭に肋膜炎に罹患、春季リーグを棒に振るが、秋季リーグで打者として復活した。リーグ通算42試合登板、22勝11敗、防御率1.19、162奪三振。
卒業後は日本石油に入社するが、佐々木吉郎、伊藤正敏ら好投手がおり、病後ということもあって一塁手としての出場が多かった。1960年の都市対抗に出場。準々決勝からは四番打者として起用されるが、準決勝で高林恒夫のいた熊谷組に敗退[2]。
1961年に阪急に入団。実績のある右腕投手として期待され、同年は5月末から先発として起用される。しかし病の影響もあってすでに往時の力はなく、わずか1勝に終わった。1962年のシーズン途中から野手転向も模索するが、1963年には出場機会がなく、同年限りで現役引退。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1961 | 阪急 | 11 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | -- | -- | .167 | 163 | 34.0 | 49 | 5 | 12 | 1 | 1 | 16 | 0 | 0 | 30 | 26 | 6.88 | 1.79 |
1962 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | -- | 1.000 | 123 | 29.0 | 30 | 2 | 8 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 18 | 12 | 3.72 | 1.31 | |
通算:2年 | 25 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | -- | -- | .286 | 286 | 63.0 | 79 | 7 | 20 | 1 | 2 | 30 | 0 | 0 | 48 | 38 | 5.43 | 1.57 |
背番号
[編集]- 11(1961年 - 1963年)