牧野彦太郎
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牧野 彦太郎(まきの ひこたろう、1866年7月15日(慶応2年6月4日[1][2]) - 1940年(昭和15年)7月9日[3])は、明治から昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。
経歴
[編集]牧野丈之助の長男として[2]、美濃国恵那郡付知村(岐阜県恵那郡付知町を経て現中津川市付知町)に生まれる[4]。1904年(明治37年)3月、家督を相続する[2]。1890年(明治23年)慶應義塾を卒業する[3]。
1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選[3]。衆議院議員を1期務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院事務局 1912, 28頁.
- ^ a b c 人事興信所 1915, ま77頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 455頁.
- ^ 衆議院事務局 1940, 410頁.
参考文献
[編集]- 『第二十九回帝国議会 衆議院議員名簿』衆議院事務局〈衆議院公報号外〉、1912年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院事務局 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。