小笠原長賢
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 正徳5年(1715年) |
死没 | 明和6年7月8日(1769年8月9日) |
別名 | 齋吉、采女、平八(通称) |
戒名 | 禅無 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家重 |
藩 | 遠江掛川藩世嗣 |
氏族 | 小笠原氏(府中小笠原氏) |
父母 |
小笠原長剛 小笠原長煕 |
兄弟 | 長賢、知定 |
子 | 長儀 |
小笠原 長賢(おがさわら ながよし)は、江戸時代中期の旗本、遠江国掛川藩の世嗣。通称は齋吉、采女、平八。
略歴
[編集]掛川藩分家で3000石を領した旗本・小笠原長剛の次男として誕生。藩祖・小笠原忠知の曾孫にあたる。
享保19年(1734年)12月16日、掛川藩初代藩主・小笠原長煕の養子となったが、元文元年(1736年)12月6日に病気のため生家に戻り、延享2年(1745年)12月27日に家督を継いだ。弟で生家の嫡子だった知定が早世したためと思われる。掛川藩嫡子は、藩祖・忠知の兄・小笠原忠脩の子孫である5000石旗本小笠原家から長庸が養子に入り、跡を継いだ。
寛延元年(1748年)4月2日に致仕。明和6年(1769年)7月8日に55歳で死去。法名は禅無。養子の長儀(小笠原政登の三男)が跡を継いだ。
参考文献
[編集]- 寛政重修諸家譜 巻第百九十