九州産交硬式野球部
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チーム名(通称) | 九州産交 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1967年 |
廃部 | 1987年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 6回 |
最近の出場 | 1985年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 6回 |
最近の出場 | 1982年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
九州産交硬式野球部(きゅうしゅうさんこうこうしきやきゅうぶ)は、熊本県熊本市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属した社会人野球の企業チームである。1987年に解散した。
概要
[編集]1967年春、九州産業交通の準硬式野球部が硬式野球部に転向し『九州産交硬式野球部』として創部した[1]。
1970年、活動4年目で都市対抗野球に初出場し[1]、1回戦で日本通運を延長の末破り初勝利をあげた。
1975年に日本選手権に初出場すると、翌1976年の日本選手権ではベスト4まで進出した。
1987年9月の日本選手権予選で敗れ、シーズン終了とともに解散となった[2][3]。
設立・沿革
[編集]主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場6回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場6回、4強1回(1976年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 小林浩二(外野手) - 1971年ドラフト3位で大洋ホエールズに入団
- 入江道生(内野手) - 1973年ドラフト6位で広島東洋カープに入団
- 渡辺長助(捕手) - 1978年ドラフト3位で阪神タイガースに入団
- 谷崎浩二(投手) - 1978年ドラフト4位で近鉄バファローズから指名を受け、翌1979年シーズン終了後に入団
- 赤星鉄治(捕手) - 1981年ドラフト2位で南海ホークスに入団
- 二村忠美(外野手) - 1982年ドラフト3位で日本ハムファイターズに入団
- 野田浩司(投手) - 1987年ドラフト1位で阪神タイガースに入団[注 1]
- 城土大二郎(内野手) - 1987年ドラフト3位で西武ライオンズに入団
かつて在籍していた選手
[編集]- 柿木孝哉(内野手)
- 林幸義(内野手) - 1971年ドラフト5位で阪神タイガースに指名されるも入団拒否。退部後、高校野球監督。
- 坂東一彦(内野手) - 退部後、大分県立大分雄城台高等学校やBAN BASEBALL CLUBの監督を務めた。
- 井上新一(外野手) - 1977年ドラフト5位で南海ホークスに指名されるも入団拒否。アマチュア野球世界選手権日本代表。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 高卒2年目であり、NPB及び日本野球連盟との規定で「高卒で社会人野球加入した選手は3年間ドラフト指名不可能」の規則で1988年のドラフト会議まで指名不可能であったが、当チームの廃部に伴い救済措置・特例で指名されプロ入りした。