山森隆
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山森 隆 やまもり たかし | |
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生年月日 | 1858年10月30日 |
出生地 |
加賀国石川郡金沢九人橋下通 (現:石川県金沢市兼六元町) |
没年月日 | 1929年12月13日(71歳没) |
所属政党 | 立憲政友会 |
第6-7代 金沢市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1909年12月15日 - 1919年5月14日 |
選挙区 | 金沢市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1902年8月10日 - 1902年12月28日 1904年3月1日 - 1908年3月1日 |
選挙区 | 金沢市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1898年4月1日 - 1902年8月 |
在任期間 | 1893年 - 1902年 |
山森 隆(やまもり たかし、安政5年9月24日(1858年10月30日) - 昭和4年(1929年)12月13日)は、政治家。衆議院議員(2期)、金沢市長(2期)。
経歴
[編集]加賀藩士の子として金沢に生まれる。1866年(慶応2年)に明倫堂に入り、その後、済々館、石川県変則中学、石川師範学校で学んだ。卒業後の、1875年(明治8年)から小学校訓導を務めた。1880年(明治13年)、金沢区会議員となり、やがて議長に選出された。1885年(明治18年)、石川県教育会議員、金沢区書記となった。
1893年(明治26年)に金沢市会議員、1898年(明治31年)に石川県会議員に選出された。また1896年(明治29年)には北陸商報という新聞を創刊している。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙で再選された。
1909年(明治42年)、金沢市長に選出され、2期務めた。
参考文献
[編集]- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
公職 | ||
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先代 渡瀬政礼 |
金沢市長 第6-7代:1909年-1919年 |
次代 飯尾次郎三郎 |