石川県第1区 (1920-1924)
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石川県第1区(いしかわけんだい1く)は、かつて存在した衆議院の選挙区。1920年の第14回衆議院議員総選挙から1924年の第15回衆議院議員総選挙まで設置された。また、この項では同一区域である1902年の第7回衆議院議員総選挙から1917年の第13回衆議院議員総選挙まで設置された金沢市選挙区についても解説する。
区域
[編集]選挙結果
[編集]第15回衆議院議員総選挙 (1924年(大正13年)5月10日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 永井柳太郎 | 43 | 憲政会 | 現 | 3,458票 | % |
曄道文芸 | 39 | 政友本党 | 新 | 2,057票 | % |
第14回衆議院議員総選挙 (1920年(大正9年)5月10日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 永井柳太郎 | 39 | 中立 | 新 | 3,305票 | % |
米原於菟男 | 立憲政友会 | 新 | 1,955票 | % |
第13回衆議院議員総選挙 (1917年(大正6年)4月20日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中橋徳五郎 | 55 | 立憲政友会 | 現 | 1,319票 | % |
永井柳太郎 | 36 | 中立 | 新 | 1,116票 | % |
再選挙[1] (1916年(大正5年)12月19日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中橋徳五郎 | 55 | 立憲政友会 | 新 | 1,275票 | % |
横井伊佐美 | 憲政会 | 新 | 736票 | % |
第12回衆議院議員総選挙 (1915年(大正4年)3月25日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 横山章 | 立憲同志会 | 現 | 1,840票 | % | |
中橋徳五郎 | 53 | 立憲政友会 | 新 | 1,066票 | % |
第10回衆議院議員総選挙 (1908年(明治41年)5月15日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 戸水寛人 | 46 | 無所属 | 新 | 1,697票 | % |
山森隆 | 立憲政友会 | 現 | 690票 | % |
第9回衆議院議員総選挙 (1904年(明治37年)3月1日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 山森隆 | 立憲政友会 | 元 | 471票 | % | |
水登勇太郎 | 自由党 | 現 | 48票 | % |
第8回衆議院議員総選挙 (1903年(明治36年)3月1日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 水登勇太郎 | 無所属 | 新 | 611票 | % | |
山森隆 | 立憲政友会 | 現 | 372票 | % |
第7回衆議院議員総選挙 (1902年(明治35年)8月10日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 山森隆 | 立憲政友会 | 新 | 484票 | % | |
水登勇太郎 | 中立 | 新 | 464票 | % | ||
金子元三郎 | 中立 | 新 | 13票 | % |
註釈
[編集]参考文献
[編集]- 『石川県議会史 第1巻』1969年
- 『石川県議会史 第2巻』1968年