長崎市立長崎高等学校
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長崎市立長崎高等学校 | |
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北緯32度44分53.4秒 東経129度52分40.2秒 / 北緯32.748167度 東経129.877833度座標: 北緯32度44分53.4秒 東経129度52分40.2秒 / 北緯32.748167度 東経129.877833度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
併合学校 |
長崎市立高等学校 長崎市立長崎第二商業高等学校 |
校訓 | 克己・明朗・友愛 |
設立年月日 | 1982年(昭和57年)4月1日 |
閉校年月日 | 2000年(平成12年)3月31日 |
課程 | 定時制課程 |
設置学科 |
普通科 商業科 |
所在地 | 〒850-0875 |
長崎県長崎市栄町2番23号(跡) | |
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長崎市立長崎高等学校(ながさきしりつながさきこうとうがっこう, Nagasaki City Nagasaki High School)は、かつて長崎県長崎市栄町2番23号にあった公立の高等学校。2000年(平成12年)に閉校した。
概要
[編集]沿革
[編集]長崎市立長崎高等学校は1982年(昭和57年)に市立の2つの定時制高等学校(長崎市立高等学校・長崎市立長崎第二商業高等学校)を統合して設立された。その後、2000年(平成12年)に長崎県立長崎西高等学校通信制と移管・統合した長崎県立鳴滝高等学校の開設に伴い閉校された。本項目では前史になる長崎市立高等学校と長崎市立長崎第二商業高等学校の沿革もあわせて記述する。
- 前身(長崎市立高等学校)
- 1926年(大正15年)
- 3月31日 - 実業補習学校規定により設置認可。
- 4月21日 - 「長崎夜間中学校」が開校。
- 7月1日 - 青年訓練所が開設。
- 設置目的 - 中学校の入学難を緩和し、勤労青少年に勉学の機会を与えるため。
- 校舎 - 旧制長崎県立瓊浦中学校内(竹ノ久保町、現在の長崎県立長崎西高等学校周辺)
- 1933年(昭和8年)3月24日 - 中学校令により、「長崎市立夜間中学校」と改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「長崎市立中学校」(旧制)と改称。(定員300名、修業年限3年)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、「長崎市立高等学校」(定時制課程)と改称。
- 1965年(昭和40年)
- 1982年(昭和57年)3月31日 - 長崎市立長崎第二商業高等学校との統合により閉校。
- 前身(長崎市立長崎第二商業高等学校)
- 1922年(大正11年)4月24日 - 「長崎市立商業高等補習学校」が開校。
- 校舎 - 新中川町の長崎市立商業学校(長崎市立長崎商業高等学校の前身)に附設。
- 1926年(大正15年)
- 4月1日 - 「長崎市立夜間商業学校」と改称。
- 7月1日 - 青年訓練所が開設。
- 1929年(昭和4年)3月29日 - 「長崎市立第二商業学校」と改称。(定員200名、修業年限4年)
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により、「長崎市立長崎第二商業高等学校」と改称。
- 6月18日 - 長崎市立長崎第二商業高等学校が長崎市立長崎商業高等学校内(当時 油木町)に移転。
- 1982年(昭和57年)3月31日 長崎市立高等学校との統合により閉校。
- 統合
- 1981年(昭和56年)9月17日 - 長崎市立高校と長崎第二商業高校の2校を統合し、定時制市立高等学校を翌年4月設置することを確認。
- 1982年(昭和57年)
- 1999年(平成11年)3月1日
- 長崎県議会において、長崎西高等学校通信制・長崎市立長崎高等学校を移管・統合し、定時制昼間部・定時制夜間部・通信制を有する単位制高等学校を2000年(平成12年)4月に開校することが発表。
- 2000年(平成12年)
- 3月2日 - 閉校式典を挙行。閉校記念誌「輝け夕月(ゆうづつ)」を発行。
- 3月31日 - 長崎県立鳴滝高等学校への移管・統合により閉校。
部活動
[編集]- 運動部
- 文化部
跡地
[編集]- 校舎は解体され、現在は長崎市医師会の建物が建っている。以前の校門付近に「長崎市立長崎高等学校跡」の碑が設置されている。
関連項目
[編集]- 長崎市立長崎商業高等学校 - 現存する長崎市立の高校(全日制)。
- 長崎県高等学校の廃校一覧
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 長崎市立長崎高等学校閉校記念誌「輝け夕月(ゆうづつ)」(2000年(平成12年)3月2日)