藤原実兼 (蔵人)
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 応徳2年(1085年) |
死没 | 天永3年4月2日(1112年4月29日) |
官位 | 蔵人 |
主君 | 鳥羽天皇 |
氏族 | 藤原南家貞嗣流 |
父母 | 父:藤原季綱、母:藤原通宗の娘 |
兄弟 | 友実、尹通、実兼、範貞、慶祐、陽仁、尋秀、悦子、女子 |
妻 | 源有家の娘 |
子 | 信西 |
藤原 実兼(ふじわら の さねかね)は、平安時代後期の貴族・漢詩人。藤原南家貞嗣流、右衛門権佐・藤原季綱の次男[1]。官位は正六位上・六位蔵人。院政期に院近臣として権勢を得た信西(藤原通憲)の実父。
経歴
[編集]文章生であった一方、康和5年(1103年)東宮昇殿を許されるなど、東宮・宗仁親王の身近に仕える。嘉承2年(1107年)宗仁親王が即位(鳥羽天皇)すると、非蔵人を経て、翌天仁元年(1108年)文章生のまま六位蔵人に補せられた。
若年時より博識を謳われ、『本朝無題詩』『朝野群載』『和漢兼作集』『擲金抄』『本朝小序集』などに漢詩・和歌作品が収録されている他、帥中納言・大江匡房の談話集である『江談抄』の筆録者であるともされている。
将来を嘱望されたが、天永3年(1112年)蔵人所において頓死。享年28。余りに急な死であり、殺害説も流布されたが、訴える者がおらず、何の沙汰もなかったという[2]。実兼が早世したため、一子・通憲は高階経敏の養子となっている。
官歴
[編集]- 康和5年(1103年) 12月10日:東宮昇殿、見進士[3]
- 嘉承2年(1107年) 12月30日:見非蔵人[3]
- 天仁元年(1108年) 12月5日:六位蔵人、見進士[3]
- 天永3年(1112年) 4月2日:卒去[3]
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 市川久編『蔵人補任』続群書類従完成会、1989年