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藤原季綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 季綱
時代 平安時代中期-後期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位上越後守
主君 白河天皇
氏族 藤原南家貞嗣流
父母 父:藤原実範、母:高階業敏の娘
兄弟 成季季重季兼季綱行綱、興義、実慶
藤原親経の娘、藤原通宗の娘
友実尹通実兼、範貞、慶祐、陽仁、尋秀、悦子
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藤原 季綱(ふじわら の すえつな)は、平安時代中期から後期にかけての廷臣・漢詩人。藤原南家貞嗣流文章博士藤原実範の四男。官位従四位上越後守

経歴

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父・実範の後を継いで紀伝道の研鑽に励み、文章生から対策に及第。

後冷泉天皇蔵人右衛門尉として仕えたのち、後三条朝から白河朝初頭にかけて右衛門権佐(検非違使佐)を務める。承保2年(1075年備中権介に転じると、肥前権守三河守備前守越後守と20年以上の長きに亘って地方官を歴任した。

一方で、白河院に近臣として仕え、鳥羽の別邸を院に献上。これを拡張し構築されたのが鳥羽殿であり、院政期には政治の中心機構となっている。

白河院政期中期の康和4年(1102年)以前に卒去。

人物

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漢学者・漢詩人であり、文章生時代の天喜4年(1056年)の殿上詩合に参加している。また、詩作が『本朝無題詩』『本朝続文粋』『朝野群載』『中右記部類紙背漢詩集』などに採録されている。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ a b 『尊卑分脈』
  2. ^ 『除目大成抄』541
  3. ^ 『魚魯愚鈔』5-68
  4. ^ 『魚魯愚鈔』
  5. ^ 『衛門府補任』
  6. ^ a b 『水左記』
  7. ^ 『扶桑略記』
  8. ^ 『陽明文庫本中右記』
  9. ^ a b 『中右記』
  10. ^ 『朝野群載』第8
  11. ^ 『日本人名大辞典』

参考文献

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