藤原尹通
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藤原 尹通(ふじわら の まさみち、永保元年(1081年) - 保安3年4月2日(1122年5月9日))は、平安時代後期の貴族。藤原南家貞嗣流、大学頭・藤原季綱の次男。官位は正五位下・左衛門権佐。
経歴
[編集]堀河朝の康和5年(1103年)文章得業生となるとともに、同年に生まれた春宮・宗仁親王の東宮蔵人にも補せられている。嘉承2年(1107年)対策に及第、鳥羽天皇の即位ととも六位蔵人に任ぜられ、左衛門尉も兼ねた。
その後、安芸守や皇后宮大進を務める間に、永久2年(1114年)正五位下に至る。保安元年(1120年)左衛門権佐に遷った。
官歴
[編集]- 承徳2年(1098年) 3月21日:給氏院学問料[1]
- 康和3年(1101年) 10月27日:見学生[2]
- 康和5年(1103年) 8月17日:東宮蔵人(東宮・宗仁親王)[3]。日付不詳:文章得業生[4]。12月29日:給料[1]
- 嘉承2年(1107年) 正月:見正六位上越前大掾[4]。正月10日:献策[1]。7月19日:六位蔵人(秀才)[5]。12月22日:左衛門尉[1]。12月25日:検非違使宣旨[1]
- 天永2年(1111年) 4月18日:見安芸守[6]
- 永久2年(1114年) 11月29日:正五位下[1]
- 永久5年(1117年) 11月23日:見安芸守皇后宮大進(皇后・令子内親王)[7]
- 保安元年(1120年) 12月14日:左衛門権佐[1]。12月19日:検非違使宣旨[1]
- 保安3年(1122年) 4月2日:卒去[8]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:藤原季綱
- 母:藤原通宗の娘
- 妻:藤原忠季の娘
- 男子:藤原知通(1102-1141)
- 男子:藤原尹経
- 妻:高階基実の娘
- 男子:藤原行通
- 妻:但馬内侍
- 男子:尹覚
- 生母不詳の子女
- 男子:観智
- 男子:済玄