ノート:シュレーディンガーの猫
IP:219.98.105.197(会話 / 投稿記録)、IP:219.98.151.188(会話 / 投稿記録)、IP:219.98.152.2(会話 / 投稿記録)の投稿内容は
hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/quantum.htm
を元にしているようですが、他に査読付き論文などを出典としてご存じの方はいますか?
なければWikipedia:検証可能性およびWikipedia:独自の調査に従って除去したいと思います。-222.227.233.183 2006年8月28日 (月) 15:35 (UTC)
シュレディンガーの猫の解釈
猫一匹のようなマクロの物質では実体としての猫の構成要件に比べて量子論的な効果は無視できると解釈すべきでは。Crazy柔術 2006年1月14日 (土) 09:18 (UTC)
もちろんその可能性もありますよね。157.80.48.198 2006年3月18日 (土) 17:36 (UTC)
コメントアウトされている「エヴェレット解釈の前提は、量子力学はミクロの世界だけでなくマクロの世界も記述できる、ということである。これは「観測者も記述の中に含める」という冒頭の考え方に由来する。しかしながら、それが成立するという合意は、一般的には得られていない。」 ←僕はこの文章すごく解り易くて好きですけどね。さすがに「マクロの世界も記述できる」を量子力学の解釈全体の前提とするのは難しいような。少なくともシュレーディンガーはそう思ってなかったからシュレ猫の話を持ち出したはずです。--W.stuart 2006年4月22日 (土) 18:51 (UTC)
修正提案について
これまでの議論についてまとめておきます。
- 科学の諸定義は哲学によって為されている。
- 哲学は論点整理の手段として有効である。
- 現時点では従来の科学の定義を変更する必要性がない。
- シュレーディンガーの猫の示す問題点と解決手段の条件は整理する必要がある。
- 特定の仮設を特別扱いする記述の存在は指摘されておらず、中立的な観点に欠けるとは言えない。
- Wikipedia:独自の調査によれば「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説を行う記事」は出典を明記する必要がない。
- 専門知識がなくとも誰でも検証できる解説以外の記述の存在は指摘されていない。
- ネットで公開されている匿名のテキストや専門外の人間の主張は文献としての条件を満たさない。
- あると主張する側が立証責任を負う。(悪魔の証明参照)
提案内容に対して具体的な異論がなかったので、既に本文に反映してあります。--量子力学のド素人ことryon 2007年1月30日 (火) 08:58 (UTC)
Was a beeさんのコメント20061126
- たった今ryonさんのページを知りました。どのように編集されるのも、各人の創意ではないでしょうか。が、ここは様々なタイプの不思議さんを集めてしまう荒れやすいページですので、文献名と具体的な参照ページを示しながら記述を行うべきだと思います。一点質問です。リンク先の記述(ざっくり要約して)「哲学は関係ない」という趣旨の文章を読ませていただきました。実際、量子力学は実用的な計算道具として使われる場合は、実に科学的に扱われます。しかしその存在論的、認識論的な側面を議論するなら、この問題を科学という知識体系の中だけで扱いきることは不可能ではないでしょうか。別に量子論は哲学の一分科だ、などとは誰も考えないでしょうが、量子論を理解するのに哲学的知識は必要ない、と考える人もまた、あまりいないのではないでしょうか。(もちろんこれは量子力学に限った話ではなく、科学理論全体について言えることですが)ここらへんの所はどうお考えでしょうか。またお時間のある時にでも、お返事ください。Was a bee 2006年11月26日 (日) 01:11 (UTC)
Wikipediaの方針は「検証可能なことのみ載せる」ことです。文献を明らかにすることは、その手段の1つにすぎません。論文等で示せることは、どのような実験結果が得られたかと、どのような主張が為されているかであって、必ずしも、科学的に何が正しいか検証可能になるわけではありません。逆に言えば、検証可能性が確保されているならば、出典を明示することは必要ないはずです。リンク先の内容は既にWikipediaに掲載されている内容から誰でも容易に検証可能なことだけに限定するように努めたつもりです。検証可能な部分については、間違いがあれば指摘してください。また、容易に検証できない内容があれば、資料として何が必要か指摘してください。
現代科学は実験結果に基づいています。どんなにそれらしい理論でも実験事実に合わない理論は採用されないし、どんなに信じられない理論でも実験事実に合う理論は採用されます。それは、量子力学も同じです。信じ難いけど事実は事実として認めるしかない、それが量子力学のはずです。量子力学に未知の部分が多いのは確かでしょう。しかし、だからと言って、哲学的知識が必要だということにはならないはずです。何故なら、科学は、未知の物事について納得するための物ではないからです。納得できるかどうかではなく、事実に合う物を正解とするのが科学です。未知の部分の「存在論的、認識論的な側面」を確定的に論じようとするから哲学的知識に頼る必要があるのであって、未知の部分には多様な可能性があって何が正しいかは分からないという科学的姿勢を貫けば哲学的知識に頼る必要はないはずです。哲学的知識は、納得したいという欲求に応えるものであって、科学的に必要なものではないはずです。専門家にも哲学に走る人は多数居るようです。しかし、それは、科学の範疇では飽きたらずに、納得を求める科学者が居ることを示しているだけであって、科学として哲学的知識が必要なことを意味していません。また、以上のことも、十分に検証可能なはずです。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月26日 (日) 08:59 (UTC)
科学は神の存在を否定しません。かといって肯定もしません。科学的手段で検証出来ない限り、神の存在を科学の領域で論じることはできません。神の存在を哲学的に論じることはできます。しかし、それは科学の領域外のことであり、それを科学的問題として扱うことは適切ではないでしょう。量子力学の未知の部分の「存在論的、認識論的な側面」も、科学的手段で検証出来ない限り、神の存在と同じです。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月26日 (日) 09:28 (UTC)
- 早速のご返答ありがとうございます。「存在論的、認識論的な側面は科学的に検証できないので、議論しない」。そうですね、これはほとんどの研究者にとって一般的な立場だと思います。しかしあくまで一つの立場です。しかも「そこの所を、あえて考えてみようじゃないか」という事で、有名になったのがこのシュレディンガーの思考実験です。ですから、○○という本ではこの実験をこう片付けている、○○という本ではこの実験をこう扱っている、といった解釈や立場についての文献が必要だと思われます。すなわち
- 様々な数学的定式化
- そしてそれに対する様々な意味付け
- この二点を、文献つきで列挙していくのが一番まとまりがいい記事にになると思います。いかがでしょうか。
- あと、私はこの問題について詳しくないので、あまり正確な事は書けませんが、ファインマンが経路積分について書いた本で、状態間の干渉が失われることは、別に「収縮」や「確定」の概念を持ち出さないでも、数学的に定式化可能な事を書いてたように思いますが、どうだったでしょうか。経路積分は二状態間の差が大きいと、積分が打ち消しあって、干渉効果が無視できるようになる、という事がすぐ理解できる定式化です。またお時間のある時に、お返事ください。Was a bee 2006年11月26日 (日) 10:35 (UTC)
シュレーディンガーの猫の思考実験は、本文の修正提案のとおり、「存在論的、認識論的な側面」を持ち出すまでもなく、量子力学の不可解な謎を提示しています。そして、その謎は、「存在論的、認識論的な側面」を持ち出しても解決できません。科学的観点では、「存在論的、認識論的な側面」は全く必要ないので、それを科学の項目に記述する必要は全くないはずです。
哲学で量子力学を論じることには反対はしません。しかし、科学と哲学の境界は明確にすべきです。その境界をあいまいにした現在の記述方法が適切とは思えません。科学を理解する人間にとって哲学が必要であっても、科学そのものは哲学を必要としません。現在の記述のような、科学理論が哲学を必要としているかのような書き方は、重大な誤解を産む恐れがあり、改めるべきでしょう。それは、細かい部分の間違いとは比べ物にならないくらい根本的で重大な問題であるはずです。
尚、この思考実験が提示した謎は量子力学一般の観測問題や解釈問題と言われる物であり、各解釈の詳細は、本項目に記述するよりは、別途、該当項目のページで説明する方が良いでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月26日 (日) 14:43 (UTC)
- それらの主張を「誰が」、「どこで」行っているのか。そしてその主張への批判が「皆無なのか」、またはそうでないのか。それらをリファレンスの形ではっきり示してくれるといいと思います。これはひとつにはryonさんのせっかくの編集が荒らされないようにするため、そしてもうひとつは個人的にも機会があれば文献を辿って勉強してみたいため、そして最後には文献が示されていなければ内容の確認ができない、という三点の理由からです。Was a bee 2006年11月27日 (月) 02:39 (UTC)
以前にも述べたとおり、修正提案は、歴史的事実関係を追記する趣旨の物ではなく、既にWikipediaに記述された事実関係等を元に、文章の書き方を改めた(哲学と科学を分離した)にすぎません。新事実も新理論も提示しておらず、既存の事実や理論を元に誰でも検証可能であるはずです。検証可能な部分については、間違いがあれば指摘してください。また、容易に検証できない内容があれば、何が検証不可能なのかを示し、その部分を検証可能とするための資料として何が必要か指摘してください。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月27日 (月) 12:05 (UTC)
- 単なる推敲とは大分違うでしょう。修正提案では「状態の重ね合わせ」や「状態の確定」というものを、非常に実在論的な概念として記述していますが、この点に関する見解の相違が、思考実験のそもそもの主要な問題点ではないでしょうか。そしてこの、概念の実在性、という問題は、科学の範囲でなく科学哲学の中で主に議論されている話題です。ですからシュレ猫問題において、「きれいに科学と哲学を分離できる」と主張するのは何故なのか、というのが疑問です。そう主張しているのは、誰が、どの本でなのだろう、と思うわけです。(他にも、意識の物理的な因果作用の有無について議論しているのは、物理学の分野ではなく、もっぱら心の哲学においてです。また「モデル」や「説明」というは、そもそもどういうモノなのだろう、という議論もく、主に科学哲学の世界で議論されています。いったいこういうテーマを抜きにしてシュレ猫問題は扱いきれるのか、というのが疑問に思われるわけです。)
- こういう事を言うのは失礼かもしれません。しかし「○○のド素人」と自称しつつ、上記のような点に関して何の文献を提示せずに編集するつもりだ、というのでは、少々厳しいかも知れませんが、私としては当記事の編集に賛同しかねます。これはウィキペディアのルールからも言えることです。以下の記事にぜひ一度目を通しておいてください。Wikipedia:出典を明記する。
- ちなみに現在の「哲学との関係」という節は、私としましてもかなり的外れのように思われます。ですから、私も、ある程度勉強した上で、編集に参加できればなと思っています。確実性のある良い記事にしていきましょう。:) Was a bee 2006年11月28日 (火) 00:53 (UTC)
「状態の重ね合わせ」については「それが現実的に指し示す意味については諸説あって完全な合意は形成されていない」と明記しており、「実在論的な概念」に偏った書き方はしていないはずです。様々な解釈については別項目に記述すると明記してあるので、この項目内では「実在論的な概念」を採用すべきか否かについては一切論じていません。
「科学哲学の中で主に議論されている話題」として扱う人が居るのはまぎれもない事実でしょう。しかし、そのことは、量子力学が哲学を必要とする根拠にはなりません。科学においては、誰かが主張しているかどうかではなく、それが科学理論として正しいとされる要件を備えているかどうかが重要です。それは、どんなに高名な人物の意見であろうとも揺らぐことはありません。逆に言えば、ド素人の主張であったとしても、内容が科学理論として正しいとされる要件を備えているならば、科学的に正しいとされます。
「意識の物理的な因果作用の有無について議論しているのは、物理学の分野ではなく、もっぱら心の哲学において」であるならば、それを量子力学の問題と捉える方が論理の飛躍であり、量子力学以外の問題と考える方が素直な解釈でしょう。よって、そのことは量子力学が哲学を必要とする根拠になっていません。
一般論として科学理論に哲学を持ち込むことが適切ではないことには争いがありません。そして、量子力学の特殊事情として哲学を必要とする根拠も示されていません。科学以外の物が必要だと言えるためには、科学によって解決できない問題が新たに導入する物によって解決できなければなりませんが、哲学で量子力学の問題が解決できることは示されていません。よって、量子力学に哲学が必要とする論は全く成り立っていません。
以上のことは既知の事実関係から容易に検証できる内容であり、新事実や新理論は含んでいません。それに出典を要求するのは過剰な証明を求める行為ではないでしょうか。それ相応の反証があるなら過剰な証明を要求することも理解できますが、見たところ、そうした反証は一切出ていないようです。反証は容易で、哲学で問題が解決できることを示せば良いだけです。その事例を一つ挙げるだけで事足ります。もちろん、そのために新真実等を持ち出すなら、出典が必要になります。
ウィキペディアの基本方針はWikipedia:検証可能性です。Wikipedia:出典を明記するは三方針から発生した詳細事項にすぎません。出典を明記するのは検証可能性を確保する手段のひとつであって、明らかに検証可能なことまでは出典を要求されていません。むしろ、出典を必要とするのは、量子力学が哲学を必要とする主張の方ではないでしょうか。これまでの話は、哲学的に考える人が居るという話ばかりであり、検証可能な形での証明は一切為されていません。これは検証可能性を確保するという基本ルールに反しているのではないでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月28日 (火) 11:30 (UTC)
- 哲学を持ち込むな、持ち込むな、と言いますが、別に哲学が提供するのは新しい理論でも、問題の解決でもありません。単に概念を用意し、論点を整理し、状況をはっきりさせるだけです。
- 今手元にほとんど何の本もありませんが、例えば『デイヴィッド・チャーマーズ著, 林 一訳 「意識する心」2001 ISBN 4-8269-0106-2』の407-435頁。「量子力学の解釈」を軽く紹介したいと思います。「量子力学は、経験的観測の結果を驚くほどうまく予測できる計算法を与えてくれるが、それが意味する世界像の意味を理解するのは途轍もなく難しい」。「この計算法の予測がこうも正確なものになるには、現実世界で何が起こっていると考えられるか。これが量子力学の解釈問題である」と規定して、「この問いに対する答えについては、コンセンサスになりつつあると言えるものすら、まるでない。」という文から始まります。そして、様々な解釈の内容とそれぞれ問題点を並列的に列挙しています。まだほとんど読み込んでいませんが、ざっくり目次だけ拾い上げると次のような構成になっています。
- 1.計算法を文字通り解釈する
- これは弱い意味での「科学的実在論」の立場です。観測と意識の問題が、理論のスキマを生んでしまいます。
- 2.ただで測定公準を手に入れようと試みる。
- シュレディンガー方程式を数学的にこねくり回すことで、観測問題が基本法則の巨視的統計的な振る舞いにすぎない、と示そうという試みのことです。すべてをシュレディンガー方程式に還元する、という意味でこれは還元主義的立場です。このスタンスには無理があることはシュレディンガー方程式の線形性から容易に論証できるとしています。
- 3.それは口にできない・・・
- これは計算はうまくいくが、実際に何が起こっているかについてはわからないとする、いわゆる科学的反実在論の立場です。道具主義などとも言われます。
- 4.さらなる物理の基本原理を措定する
- 別の納得しやすい根本法則を導入し、そこから解釈の問題をみかけ上のものとして片付ける立場。パラダイム転換のような形で、解釈問題を擬似問題として消去してしまおうという立場のことです。
- シュレディンガーの猫がすべて
- いわゆるエヴェレットを解釈をとりあげています。これは強力な「科学的実在論」の立場です。
- 以上のような各項目について、哲学タームを駆使しながら、それぞれの問題点と、主な論者を、参考文献つきでリストアップしています。こうした哲学タームを使用することで、科学タームだけによる説明より、はるかに締まった説明になるのではないでしょうか。Was a bee 2006年11月28日 (火) 18:20 (UTC)
「論点を整理し、状況をはっきりさせる」という基本趣旨には同意します。しかし、Wikipediaの量子力学の各項目における哲学の記述は、単なる論点整理ではなく、問題の解決の手段として書かれているように見えます。
例えば、「意識」に関する記述は、問題の解決の手段として「意識」を持ち込んでいるように見えます。そして、「意識」を特別視する発想は哲学から来ているのではないでしょうか。だとすると、問題解決の手段として哲学を使おうとしているのではないでしょうか。「科学的実在論」では現実に観測された現象を説明しにくいということであって、そこに「意識」が関わって来るのかどうかは別問題ではないでしょうか。
論点整理の手段として哲学を持ち込むのであれば、まず、そうしなければならない理由を明らかにすべきだと思います。科学で解決困難な謎が何なのかを明らかにしなければ、哲学を持ち込む理由が明確ではありません。純粋に科学的な謎があるということを明らかにしてこそ、哲学的な論点整理の必要性が明確になるのではないでしょうか。修正提案は、そのことに心がけて書いたつもりです。純粋な科学的謎が存在したからこそ、哲学的論点整理を必要としたのであって、その説明をすっ飛ばして哲学を用いるのでは、トンデモ論と変わりありません。
また、本来の追求すべき論点から外れた哲学的議論も目立ちます。例えば、ひとつの可能性として、将来、量子デコヒーレンス理論が正解であると結論が出たとします。しかし、その場合は、実在論と反実在論のどちらを取るかを決める必要はないはずです。「どちらも正しい可能性があるが、確定的なことは言えない」で良いはずです。発端となったシュレ猫も解決済み問題であり、哲学的な論点整理も必要ありません。とすると、何のために、実在論か反実在論かを議論するのでしょうか。以上の話は、何理論が正解であっても、常に付きまとう問題です。謎を解決する手段として論点整理しているのであり、そのために哲学を用いているはずです。それなのに、全く別の論点に逸れてまで哲学的な議論を繰り広げられ、それが、科学の延長上にあるかのように語られるのは正しくないでしょう。
まとめると、哲学が論点整理の手段として用いられていること、本来の論点を逸れて哲学的議論に走るのは本末転倒であること、そして、どのような哲学的立場においても、新たな謎の導入なくして問題の解決は困難であることを明記する必要があると思います。どのような限定的条件で哲学を用いるのかを明確にしないと、あらゆる哲学的考えが量子力学の一部であるかのようにド素人は勘違いしてしまいます。これは決して笑い事ではなくて、現実の問題として素人が陥り易い問題となっているのです。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月30日 (木) 13:01 (UTC)
このノートにおける論点も明確になったようなので、この辺りで、このノートの記述もサクッと整理しませんか?--量子力学のド素人ことryon 2006年11月30日 (木) 13:06 (UTC)
- >このノートの記述もサクッと整理しませんか?
- 論点が明確になったのかはあまり自信がありませんが、あまり長いと読みにくいので、ノートの整理、賛成します。
- >論点整理の手段として哲学を持ち込むのであれば、まず、そうしなければならない理由を明らかにすべきだと思います。科学で解決困難な謎が何なのかを明らかにしなければ、哲学を持ち込む理由が明確ではありません。
- 哲学はよりメタな立場であり、別に物理と並存する学問ではありません。哲学が必要な理由は明確です。ryonさんが気軽に使っている言い回し、例えば「ある理論が正解であると結論が出た」、ここで「正解」とはいったいどういう意味で使っているのか。定義できますか?こういった事を議論するのは、科学ではなく哲学、とくに科学哲学です。そして解釈問題といったテーマにおいて、こういう議論は不可避、かつ中心的でしょう?
- 例えば「どちらも正しい可能性があるが、確定的なことは言えない」これは科学哲学の世界では過少決定とか決定不全性などと呼ばれます。en:underdetermination
- これは哲学タームですが、こういう哲学タームが、解釈問題といったテーマを論じるさい、非常に有用であることは単純な事実でしょう。故になぜryonさんが科学哲学のタームを拒否するのか、その理由のほうを聞きたいです。
- また「純粋な科学の問題」という言い回しを基本的な論拠としているryonさんの主張には、科学の神学化の傾向が見られます(参考[1])。もし可能なら哲学的概念いっさい抜きで、「純粋な科学」というものを定義してみてください。これは無理なことです。あとはryonさんのまとめに対し・・・
- 哲学が論点整理の手段として用いられること
- 同意です。
- 本来の論点を逸れて哲学的議論に走るのは本末転倒であること
- それは各哲学タームのリンク先で展開すればいい話です。同意です。
- そして、どのような哲学的立場においても、新たな謎の導入なくして問題の解決は困難であることを明記する必要があると思います。
- 哲学は問題を、整理・定位しますが、解決はしません。普通に文章化すれば、別に哲学がナゾが解いてくれるんだ!などと思う読者は、まず出てこないでしょう。あまりに疑わしい構成になるなら明記すると良いと思います。
- あらゆる哲学的考えが量子力学の一部であるかのようにド素人は勘違いしてしまいます。これは決して笑い事ではなくて、現実の問題として素人が陥り易い問題となっているのです。
- そんな紛らわしい書き方をしてる本が多いのでしょうか。解釈問題が科学哲学の知識なしで議論しきれないテーマであることは確かですから、そこらへんからの勘違いがあるのかもしれません。科学とその理論的基礎付けやあり方を議論するポジションとしての哲学、この両者の位置関係を逐一説明していくほうがいいのかもしれません。Was a bee 2006年11月30日 (木) 22:20 (UTC)
私事都合により間があいてしまって申し訳ないのですが。
科学に関する定義について、哲学を必要とすることは既に認めているとおりです。問題は、定義をコロコロ変えてはまずいということです。前提事項がコロコロ変わっては学問は成り立ちません。定義を変えるからには、そうすべき合理的理由が必要なはずです。定義を変更する合理的理由がない限り、既に決められた定義に基づいて、議論が為されるべきでしょう。だから、定義を変更しない限り、科学には哲学の入り込む余地はありません。つまり、「純粋な科学の問題」です。
逆に言えば、哲学を必要とするということは、従来の定義が怪しくなったということです。それならば、従来の定義によってどのように不都合が生じるのか、それを回避するにはどのような定義が必要なのかを明確にする必要があるはずですが、それについては記述されていません。というより、そのような不都合が存在しないように見えます。不都合がないのに定義変更するのは本末転倒でしょう。そのようなやり方を認めては学問の一貫性が失われます。
紛らわしい書き方は、Wikipediaにも見られます。シュレーディンガーの猫においても、本文の記述は誤解を与えかねません。「哲学との関係」という項目名は完全に誤解を与えます。「哲学的論点整理」なら誤解を与えないでしょう。「コペンハーゲン派の解釈およびエヴェレット解釈の前提」云々の記述も、事情を知らない人が見れば、誤解しても仕方のない記述です。また、論点として挙げるべき項目の一部しか取り上げられていません。要因推定とメカニズム解析が混同されているのもまずいでしょう。 --量子力学のド素人ことryon 2007年1月3日 (水) 11:56 (UTC)
- 何にせよryonさんの改定案にはどうもおかしく思われる部分が多いです。例えば
- 『意思説と関連づけて考える者もいるが、それは全くの誤解であり、この思考実験は意思説の是非とは直接的な関連はない。』
- 関係ないと言い切っていますが、意識が物理学のモデルの中で、どういうポジションをとるのかは、まだ分かっていないでしょう(この問題は意識のハードプロブレムと呼ばれます。)。しかしながら勿論、物理現象は現在知られている自然法則だけで、ほぼ因果的に閉じています(これは因果的閉包と呼ばれます。)。しかしながら量子力学の確率過程だけはご存知のように決定論的に記述することはできません。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」などと言って、隠れた変数をさがそうとしたのも、こうした非決定論的なモデルを嫌ったからでしょう。で、この因果的閉包のすきまに、意識を持ってくるような理論というのも、実際問題として、たくさん提示されていますよね(正しさや反証可能性はまた別の問題として、実際に提示されていますよね?)。例えばペンローズの量子脳理論なんかが一番有名な例ですね。もちろん、こうした理論は仮説の域を出ないものであり、その理論だけが予測できるような特有の現象を見つけたわけではありません。つまり確証を得てはいません。しかし『意識と確率過程を結びつけることは全くの誤解だ』と全ての人が考えるなら、こうした理論が提起されること自体ありえないですよね。
- 以上のように「意思説と関連づけて考える者もいるが、それは全くの誤解」といった主張を筆頭に、誰が、どの本の、どのページで、どういう理由から、そうした事を言っているのか。これをちゃんと参考文献の形で提示して欲しいワケです。そうでなければ私としてはryon氏の編集には賛同しかねます。今の私が言えることはそれだけです。Was a bee 2007年1月9日 (火) 11:26 (UTC)
「意識が量子力学的現象に一切作用していない」と断言出来ないだけであって、「意識が物理学のモデルの中で、どういうポジションをとるのか」と本件は全く関係がありません。肯定的に考えなければならない何らかの理由が無いのに、否定的断定が不可能であることだけをもって、関係があるとは言いません。そのような主張がまかり通るなら、何でもありになってしまいます。そしてそのことの是非と、全ての人が支持するかどうかは別問題です。「誰が、どの本の、どのページで、どういう理由から、そうした事を言っている」かとも別問題です。
反証可能性が別の問題とするのは、科学哲学に関する主張に一貫性が見られません。科学哲学的には反証可能性がない物は科学理論ではないはずであり、本件に関する議論については、反証可能性が担保されているかどうかは真っ先に論じなければならないはずです。「因果的閉包のすきまに、意識を持ってくるような理論」を提唱する人がいたとしても、反証可能性がないのであれば、それは科学理論としての要件を備えていないわけであり、ここでの議論の対象とはなり得ません。それでは、「トンデモ理論を提唱する物理学者もいる」という事実しか示せていません。
「量子力学の確率過程だけはご存知のように決定論的に記述することはできません」と断定するのは時期尚早であろうと思いますが、それは、シュレーディンガーの猫が提示した問題とは別の量子力学の問題です。シュレーディンガーの猫は、量子力学が決定論なのか非決定論なのか結論づけることができません。
そもそも、話がかなり横道にそれているように思います。シュレーディンガーの猫のページで記述すべきことは、その思考実験がどんな問題を提起しているかです。提起された問題とは別の問題は、別の項目のページに記述すべきことであるはずです。
提案したシュレーディンガー自身の意図としては、「非決定論では矛盾が生じるから決定論が正しい」であろうと思いますが、引用者側の意図は別にあります。決定論で解決するなら、解決済みの決定論的理論を提示すれば良いのであって、シュレーディンガーの猫は全く不要です。
シュレーディンガーの猫が提起している問題は、たったひとつ。非決定論的立場において、収縮を引き起こす要因を特定出来ないことです。思考実験の中で起きている全ての物理現象は、全て基本相互作用であり、基本相互作用が収縮を引き起こす要因であるならば、電磁相互作用が働いた時点で収縮が起きてしまい、二重スリット実験やボーアの量子条件等の説明がつかなくなり、量子力学が根底から破綻してしまいます。だから、収縮には基本相互作用以外の何らかの物理的作用(例えば、量子デコヒーレンス理論のような熱力学的作用)がなければならない。しかし、それらしい作用は全く見当たらない。それが、提起された問題です。
逆に言えば、要因が特定出来れば、シュレーディンガーの猫が提起した問題は完全に解決します。その要因がどのようにして収縮を引き起こすかのメカニズムは、シュレーディンガーの猫が提起した問題とは別問題であり、量子力学として探求すべき課題とはなっても、このページに記述すべき内容とはなりません。何故なら、要因さえ特定されれば、人間が猫を見る時には生死が確定していることになるのだから。生死が確定するなら、量子力学的には問題が残っても、この思考実験には何の問題も残りません。量子力学のド素人ことryon 2007年1月20日 (土) 17:18 (UTC)
と、誰が、どこで主張しているのか。文献の提示を強く希望します。
長くなったので節分けます。 意識の問題が量子力学の中に浮かび上がるのにのは、ちゃんとした理屈があります。 「観測で状態が確定する」というコペンハーゲン解釈において「観測って要は何・・・?」と考えると、意識の話はひとつの仮説として浮かび上がります。これはフォン・ノイマンに始まるひとつの流れです。
>シュレーディンガーの猫が提起している問題は、たったひとつ。非決定論的立場において、収縮を引き起こす要因を特定出来ない
ではエヴェレット解釈はどうなるのですか?「収縮」という現象が起きている、という前提でお話をされるのは何故ですか。
何にせよ、これ以上ここで内容について議論しても仕方ありません。文献を提示してください。 「○と□とは関係のない別の話だ」というなら、そう主張している本とページをお示しください。Was a bee 2007年1月20日 (土) 22:31 (UTC)
関係があると主張する方が証明の義務を背負います
「観測って要は何・・・?」と考えたとしても、意識の話はひとつの仮説と呼べるレベルにすら到達してないはずです。観測と意識の関係は相関関係に過ぎず、それが、別の要因によって二次的に発生する相関関係なのか、観測と意識の因果関係がもたらす相関関係なのかの検証が為されていません。さらに言えば、他の可能性について十分な検証を行なったとは言えず(でなければ、量子デコヒーレンス理論が生まれる余地がない)、短絡的発想に過ぎません。そのような短絡的発想が「ちゃんとした理屈」なのでしょうか。少なくとも、シュレーディンガーの猫が両者の関係を示す根拠とならないことは明らかでしょう。であるならば、関係があるとは言えないはずです。ここでの論点は、意識が量子力学に何らかの作用を及ぼすかどうかではありません。その主張がシュレーディンガーの猫から導かれるかどうかです。飛躍した短絡的発想ならば、導かれるとは言えません。つまり、関係があるとは言えないのです。
「収縮」について論じることと、「収縮」という現象が起きていると認定することは全く別問題です。「収縮」として観測される現象の正体が、パイロット解釈のような見かけの現象なのか、多世界解釈のような別の現象(干渉性の喪失)なのか、それとも、「収縮」そのものが起きているのかという問題は、シュレーディンガーの猫の答えを導くにあたっては確定させる必要がない問題です。その現象がどのタイミングで起きるかさえ確定すれば、量子力学として問題は残ったとしても、猫の生死の重ね合わせを見ずに済むので、シュレーディンガーの猫の問題は解決します。エヴェレット解釈を持ち出すなら、逆に、こちらがお聞きします。それは、シュレーディンガーの猫を解決していますか?干渉性の喪失を引き起こす要因が特定出来ないなら、問題は何も解決しないはずです。それでは、干渉性の喪失の説明がつかないことに変わりなく、猫の生死の重ね合わせを見なければならなくなります。問題を解決出来ないなら、ここで持ち出すのは適切ではないはずです。
哲学を論点整理に利用するなら、シュレーディンガーの猫がどのような問題を提起していて、その問題を解決するためにはどのような条件を備える必要があるかは、当然、論じて然るべきはずです。それを論じないなら、何のための科学哲学なのでしょうか?ある現象を別の現象に置き換えただけの目先の変更だけで解決したとする主張を許すなら、哲学を持ち出す意味はどこにあるのでしょうか?
文献が全てだと言うなら、これまでの議論は、一体、何だったのでしょうか。出典を明記するによれば、著作権や「さらに調べるときの参考になる」という理由を除けば、「事実を確認するの面や、中立的な観点などで、問題がないかどうかの確認が容易にな」るとして、「意見が分かれる項目」について検証可能性を担保する手段として、その記述を求められています。逆に言えば、意見が分かれる余地がない物については、検証可能性を理由に出典を要求する必要はないはずです。言い替えるならば、検証可能性を別の方法で担保出来るなら、出典は必要ないということです。これまでの議論は、そのための物ではなかったのですか?
2つの物事の関係を検証するのは極めて容易です。その2つの物事がどのように関係するのかを示せば良い。主張内容が明確であれば、その是非は容易に検証出来ます。しかし、その主張を明らかにせずに、関係がないことを証明しろと言うのは悪魔の証明です。関係があると主張されるなら、まず、関係があることを示されるべきでしょう。話はそれからです。量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 11:37 (UTC)
重要な論点であるはずなのに、議論が止まっている項目を箇条書きにしておきます。
- 修正提案の何が検証不可能か(2006年11月28日 (火) 11:30 (UTC)で停止)
- 哲学の必要性(2007年1月3日 (水) 11:56 (UTC)で停止)
- 意識を持ってくるような理論の反証可能性(2007年1月20日 (土) 17:18 (UTC)で停止)
量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 11:56 (UTC)
- まずご返答からです。
- 修正提案の何が検証不可能か(2006年11月28日 (火) 11:30 (UTC)で停止)⇒意識は関係ない、という話
- 哲学の必要性(2007年1月3日 (水) 11:56 (UTC)で停止)⇒ボキャブラリーの問題だけ
- 意識を持ってくるような理論の反証可能性(2007年1月20日 (土) 17:18 (UTC)で停止)⇒例えばペンローズは「ある」と主張。ただし自分自身の頭で議論の詳細を理解しているわけではないので、実際どうなのかについては保証できない。
- 何をこう単純な話で長引くのか分かりませんが、仮設をソースつきで列挙すれば終わりではないでしょうか?矛盾で唯一無二の完成された量子力学の理論があるというなら、それについて書きましょう。しかし理論にまだ穴があるのなら、穴の部分については現在提唱されている仮説を逐次列挙していきましょう。上にチャーマーズの文献を引いたように、唯一の理論はないでしょう。つまり私が言いたいのはこれだけです。
- 仮説があるなら列挙しましょう。
- 列挙せずに、ひとつの考えだけ書く、というのなら、その理由をソース付きで出しましょう。
- ちなみに別に私は意識が量子力学と関係しているはずだ!絶対そうに違いない!などと思っている人間ではないですよ。それもないとは言い切れないね、てな程度のものです。基本的に解釈の問題に対する私の(そして多くの人間の)態度は「保留」または「分からない」というものです。こうした場合、百科事典としては提唱されている仮説を利点と問題点とつけながら列挙していくのが普通の執筆方法ではないかと思います。ソースについてですが、上にチャーマーズの本も引いてありますし、ちょっと検索するか、入門書を調べれば出てくる範囲のことだと思います。最後になりますが、ryonさんには信じる理論もあるのでしょう。別に私はそれがオカシイ、とは全く思いません。ただそれしか書かないのならばオカシイと思います。つまり唯一無二の理論はないですね、ですから仮説を並立しましょうよ、というだけです。長くなりますが、どうぞこの点についてご理解のほどよろしくお願いします。Was a bee 2007年1月21日 (日) 13:00 (UTC)
主張がその都度コロコロ変わってるように見えます
科学哲学について
哲学の必要性は「ボキャブラリーの問題」ではありません。「『正解』とはいったいどういう意味で使っているのか」と定義を引き合いに出して哲学の必要性を論じた以上は、量子力学によって、従来の定義を疑う理由が生じているはずです。それが何なのかは一切示されていません。
これを言うのも二度目になりますが、「論点を整理し、状況をはっきりさせる」と自ら言った以上は、シュレーディンガーの猫がどのような問題を提起していて、その問題を解決するためにはどのような条件を備える必要があるかは、当然、論じて然るべきはずです。そして、それぞれの仮説が問題を解決しているかどうかについてまで論じる必要があるはずです。「論点を整理し、状況をはっきりさせる」と言った人が、どうして、それを論じることを否定するのかが分かりません。
項目名は「量子力学」ではなく「シュレーディンガーの猫」
何度も言いますが、このページの項目名は「シュレーディンガーの猫」であって「量子力学」ではありません。従って、論点は「シュレーディンガーの猫」と「意識が量子力学と関係している」ことの関係であって、「意識が量子力学と関係している」かどうかは全く別の問題です。「シュレーディンガーの猫」と「意識が量子力学と関係している」ことが関係しているのであれば、どのように関係するかを示せば反証可能であり、検証可能性は十分に確保されているはずです。よって、どのように関係するかを示してください。単純な話を長引かせる必要はないはずです。悪魔の証明は無用です。
人の有無ではなく科学的視点
ここで論点としていることは、「ある」と主張する人がいるかどうかではありません。それが科学的に妥当な主張であるか否かです。科学的に妥当ではないなら、科学的に妥当ではないとして扱うべきではないでしょうか。反証可能性が別の問題と言ってる以上、この点についての反論は無いわけですよね。
唐突な論点変更について
仮説を列挙すべきかどうかについては、これまで論点となっていません。「意識が量子力学と関係している」とする説を削除すべきだとは誰も言ってないはずです。修正提案でも「意識が量子力学と関係している」とする説を恣意的に削除したりはしていません。他の仮説と同様に、そうした説があることも記述してあるはずです。
必須の仮説は本命や対抗に該当する物であり、大穴についてまで列挙するなら、それが大穴であることも明記すべきでしょう。「意思説と関連づけて考える者もいるが〜」という記述は、正に、「提唱されている仮説を利点と問題点とつけながら列挙していく」行為その物です。「シュレーディンガーの猫」から導かれる物ではない飛躍した短絡的発想であることを明記することに、どうして異論があるのでしょうか。論点となっているのは、「利点と問題点」の記述内容に対してであったはずであり、仮説を紹介するかしないかではなかったはずです。
また、列挙するにしても、同じことを複数のページに書くのではなく、一カ所にまとめて他からはリンクで済ますことも編集上の都合として必要なことであるはずです。その点についても、「意識が量子力学と関係している」とする説だけを特別扱いして別ページに追いやるようなことはしていないはずです。
以上、まとめると、「それしか書かない」という話が何処から出て来たのか、全く理解出来ません。まるで、元の話を否定し易い話に作り替えて反論しているように見えます。量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 14:01 (UTC)
私の主張と違う話について
過去ログで、私の主張と違う話への反論がこんなにあります。
- 修正提案では「状態の重ね合わせ」や「状態の確定」というものを、非常に実在論的な概念として記述しています
- また「純粋な科学の問題」という言い回しを基本的な論拠としているryonさんの主張には、科学の神学化の傾向が見られます
- 「収縮」という現象が起きている、という前提でお話をされるのは何故ですか。
- ただそれしか書かないのならばオカシイと思います。
このうち3つは修正提案の記述と一致しない指摘です。「実在論的な概念」に偏った書き方はしていませんし、「収縮」についても「起きている、という前提」では書いてないはずですし、「それしか書かない」どころか種々の仮説を並記してあるはずです。見ただけで明らかに違うと分かるはずなのに、どうして、このような話が出て来るのでしょうか。量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 14:19 (UTC)
- 「コペンハーゲン解釈」⇒「すなわち観測で収縮」⇒「そうなると生き死に猫が同時に並存」⇒「常識に反する」⇒「コペンハーゲンなんかおかしい?」⇒「どうすればいいか?」⇒「考え方は色々」状況はまずこんな感じかと思います。
- もう細かい論点に入っても現時点では私には全ての細かい論証を追いきれませんし(記事を読む初学者にしてみれば、これは尚更です)、また現時点でちゃんと議論がかみ合っているようにも思えません。これはどうもお互いにそう感じているようです。ですから議論のたたき台として私は文献を提示しましたし、しろというなら、もっと探してきます。しかしそこに書かれている以上のことを私は主張する気はありません。これ以上参考文献なしで自説としてだけ話を続けるのなら、私としてももう返答しきれません。文献を提示してください。ほんとお願いします。Was a bee 2007年1月21日 (日) 14:33 (UTC)
誰に反論されてるのかは分かりませんが
「観測で収縮」が「常識に反する」とか、誰の主張なのかは知らないけれど、これ以上、ありもしない「自説」を捏造して物を言うのは勘弁していただきたい。
このページの項目とは違う問題であるという指摘に対しては何の反論も無く、その違うと言われた問題を、また新たに持ち出すのでは、議論がかみ合わないのも当然です。論点整理に応じず、相手の言ってる内容を理解しようとせず、「言いたい」ことだけを言うから、議論がかみ合わないのです。
私の説明に問題が無いとは言いません。しかし、先にあげた4つのうち3つは、修正提案の中で明言していることであり、それについて取り違えるのは、読まずに反論しているとしか思えません。最後の返信についてもそうです。ありもしない「自説」の存在を前提としており、「それしか書かない」という話が何処から出て来たのかという質問を全く見ていないとしか思えません。
主張した内容には何の反論も返って来ず、主張していない内容に反論が返ってくるのは、どういうことなんでしょうか。以後、取り違えのないように簡潔に項目を整理します。
- 科学哲学に基づいて科学の定義変更を必要とする量子力学上の都合とは?
- 思考実験の問題点と解決法が備えるべき条件を論じることを否定する哲学的理由は?
- 「シュレーディンガーの猫」と「意識が量子力学と関係している」説との関係は?
- 1月9日 11:26 (UTC)の引用文は「利点と問題点とつけながら列挙」ではないのか?
- 「それしか書かない」という話が何処から出て来たのか?
議論のたたき台として私は論点を整理しましたし、しろというなら、もっと整理します。しかしそこに書かれている以上のことを私は主張する気はありません。これ以上元の話を踏まえずに「自説」を捏造して話を続けるのなら、私としてももう返答しきれません。元の話を踏まえてください。ほんとお願いします。量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 15:25 (UTC)
細かいこと
現時点では、捏造された「自説」への反論を止めてもらうことが一番重要なことのなので、敢えて、次のような細かい指摘は省略しました。
「観測で収縮」が「常識に反する」と言うのは、「光速不変が納得できない」と同じです。その「常識」こそが検証されていないものであり、鵜呑みにすべきではないはずのものです。何度も言うように、このページの項目名は「シュレーディンガーの猫」であり、「量子力学」ではありません。よって、「観測で収縮」でも「シュレーディンガーの猫」として問題が生じないのであれば、「観測で収縮」が「常識に反する」と言うのは、この項目において扱う問題とは別個の問題です。
何度も言うように、以上は細かいことであり、まずは、捏造された「自説」への反論を止めてもらうことが第一です。あと、それに次いで、自分で持ち出した科学哲学の話にも責任を持っていただきたい。もちろん、発言を撤回するのも自由ですが。量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 15:43 (UTC)
- 科学哲学に基づいて科学の定義変更を必要とする量子力学上の都合とは?⇒「科学の定義変更」意味がわからない。ここは科哲の議論を一からやる場ではありませんのでこれ以上の基本次項の問題を議論するのは場違いと考えます。
- 思考実験の問題点と解決法が備えるべき条件を論じることを否定する哲学的理由は?⇒ここがウィキペディアであり、独自の研究を発表する場でも、議論をする場でもないから。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか
- 「シュレーディンガーの猫」と「意識が量子力学と関係している」説との関係は?⇒下参照
- 1月9日 11:26 (UTC)の引用文は「利点と問題点とつけながら列挙」ではないのか?⇒違います。関係ない、と言い切っていいます。
- 「それしか書かない」という話が何処から出て来たのか?⇒同上。
- デイヴィッド・チャーマーズ著, 林 一訳 『意識する心』 2001年 407-435頁 ISBN 4-8269-0106-2
- ロジャー・ペンローズ著, 林 一訳 『心の影』みすず書房 2001年 ISBN 462204126X
- ロジャー・ペンローズ著, 林 一訳 『心の影』みすず書房 2002年 ISBN 4622041278
- ジョン・エックルズ著 『Evolution of the Brain』 1989年 Routledge,an imprint of Taylor & Francis Books Ltd ISBN 0415026008
- 様々な研究者の論文リスト The Interpretation of Quantum MechanicsQuantum Mechanisms of ConsciousnessConsciousness and Physics, Misc
- 飲茶著 『哲学的な何か、あと科学とか』 二見書房 2006年 ISBN 4576061844
- 以上、繰り返しになりますが、もしこれ以上引き続きryonさんが文献を提示しない(または出来ない)のであれば、私としては現時点で「サポート」という判断はできません。Was a bee 2007年1月21日 (日) 16:19 (UTC)
その時の都合により言うことがコロコロ変わってます
科学哲学について
自分が持ち出した話に対して「意味がわからない」とは何ですか?では、11月30日 22:20 (UTC)の「定義できますか?」とは、どのような意図で持ち出したのですか?「科哲の議論を一からやる場ではありません」なら、自分から持ち出すべきではないですよね。反論出来なくなった途端にそのようなことを言い出すのは詭弁では?
「独自の研究を発表する場でも、議論をする場でもない」なら、11月28日 18:20 (UTC)「論点を整理し、状況をはっきりさせる」とは、どのような意図で持ち出したのですか?これも、自分から持ち出すべきではないですよね。反論出来なくなった途端にそのようなことを言い出すのは詭弁では?それに、独自の調査には「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説を行う記事」は例外と書かれています。「シュレーディンガーの猫」から「意識が量子力学と関係している」説が導けるかどうかは、「分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる」ことでしょう。
項目名は「量子力学」ではなく「シュレーディンガーの猫」
「シュレーディンガーの猫」と「意識が量子力学と関係している」説については次の通り。
- 「意識が量子力学と関係している」と主張する人がいることしか示せていない
- 「シュレーディンガーの猫」との関連性も示せていない
- デイヴィッド・チャーマーズやジョン・カリュー・エックルスは物理学者ではない
- 一番最後は何処の誰やら分からない人で、書かれた内容も自己矛盾だらけのトンデモ
貴方の言う文献とは、ネットで公開した匿名のテキストも含まれるのですか?だったら、私も匿名でダミーサイトを多数立ち上げれば良いのですね。それで貴方が納得するなら、実際にそうしましょうか?何処の誰かも分からん人の言うことよりは、まだ、自称物理学講師で氏名も明らかにしている人の方が信用出来ますね[14]。トンデモを参考文献に入れたという事実から、貴方がトンデモの矛盾を見抜けないことが明確になっただけでも、今回は、収穫と言えるでしょうか。
手品、それとも、基本的な日本語の問題?
「シュレーディンガーの猫」から導かれる結論ではなく、飛躍した短絡的発想だから関係があるとは言えないと既に何度も言ってるのは無視ですか?理由付きの問題点=「関係ない」を添えて紹介することが「利点と問題点とつけながら列挙」ではないなら、何が「利点と問題点とつけながら列挙」なのですか?
理由付きの評価を添えて紹介しても「それしか書かない」ってどういうことですか?明らかに書いてあるのに「書かない」ってどういうことですか?否定的な記述をすれば書いてあることも消え失せるのですか?それでは、「収縮」どころじゃない大騒ぎですね。そんなことが出来るなら、実際にやってみてください。量子力学のド素人ことryon 2007年1月21日 (日) 17:40 (UTC)
- これだけ突っ込んでやっとサイトをひとつ引用してくただけですか。で、どうですか?何とかいてありますか?エヴェレットにも意識系の理論にも「賛同者は多くない」と書いてありますね。これは事実です。単純に賛同者が多くないというのは、これは事実ですよ。で、いったいどこに「関係ない」と書いてありますか?
- ところで『哲学的な何か、あと科学とか』の記事に関して、「書かれた内容も自己矛盾だらけのトンデモ」と言うわけですが、私があのサイトを引用したのは、あなたにちゃんと状況を把握して欲しかったからです。誰にでも読みやすいようにあのサイトは構成されていますから(私はあそこまで分かりやすく文章を構成できません。いったいダミーサイトとは・・・)。何にせよ、あそこで紹介されている議論は量子力学に関するごくごく標準的な話でしかないと思うのですが、一体どこらへんが矛盾していてトンデモだったでしょうか。Was a bee 2007年1月22日 (月) 02:14 (UTC)
何度も言うけれど、「意識系の理論」に「単純に賛同者が多くない」のは量子力学の話。論点は「意識系の理論」が正しいかどうかではありません。「意識系の理論」を「シュレーディンガーの猫」と関連づけて考えることができるかどうかについては、誰も論じていません。「この思考実験を引用することを意思説と関連づけて考える」ことが誤解であり、「この思考実験は意思説の是非とは直接的な関連はない」とは、「シュレーディンガーの猫」から導かれる結論ではないという意味。導かれる結論であるなら、「賛同者が多くない」ことは説明がつかないはずです。この文章を「意識系の理論」は間違ってるという意味に取るなら、それは「引用すること」や「是非」を読み飛ばしているだけでは?
文献云々を言うなら、量より質を重視すべきでしょう。トンデモで数を水増ししても無意味どころか、逆効果です。「ちゃんと状況を把握」させたいなら、トンデモを紹介しても、何の役にも立ちません。「誰にでも読みやすい」トンデモでは、単にトンデモを普及させているだけです。論として成ってないのでは「ごくごく標準的な話」には成りません。論理のすり替え、前提事項がコロコロ変わる、説明無き唐突な断定等、あまりに酷すぎて、どこから突っ込めば良いのか分からないほどトンデモです。これは重箱の隅ではなく、根本的な間違いの指摘です。
とくに、二重スリット実験が決定論を否定する証拠であるかのような記述にはビックリです。回折を無視する前提において干渉縞が生じないことを理由に決定論を否定していますが、同じ前提の非決定論でも干渉縞が生じないことを論じていません。ここまでならまだ可愛い物です。後になってパイロット解釈なら決定論でも説明がつくと、自ら証明したはずのことを何食わぬ顔で覆すのだから、呆れて物も言えません。それ以前に、現代の量子力学でも断定的に言えない話を勝手に断定してたり、明らかな大嘘が書いてあったり、とても「量子力学に関するごくごく標準的な話」とは呼べない代物です。波と粒子の二重性の何が不思議かという本質さえ押さえてない様子で、おかしな所を全て挙げてはキリが無いくらい酷い内容です。
以上、「どこらへんが矛盾していてトンデモだった」か、その一部を指摘しました。事細かに指摘しろと言われるなら善処しますが、正直、あまり気乗りしません。一言で言うと、論外。いくらトンデモでも、もう少しマシな所があるだろうと言いたいですね。
そもそも、「賛同者が多くないというのは、これは事実」と認めながら、「賛同者が多くない」説を「ごくごく標準的な話」と言うのは自己矛盾していませんか?
- 理由付きの問題点を添えて紹介すること違うなら、何が「利点と問題点とつけながら列挙」なのですか?
- 明らかに書いてあるのに「書かない」ってどういうことですか?
以上、未回答事項も挙げておきます。量子力学のド素人ことryon 2007年1月22日 (月) 09:33 (UTC)
- そうですか、ありがとうございます。あなたの状況がよくわかりました。
- >「観測で収縮」が「常識に反する」と言うのは、「光速不変が納得できない」と同じです。
- この一言をとっても、編集すべき理解度に到底達していないことは明らかですが、再度確認することができました。文献を引用できないのは、単にあなたの主張が全て自説に過ぎないからです。もうこうした議論に関わる時間ももてないので、結果だけ書いておきます。文献の引用ができないryonさんの自説にもとづく編集には、断固反対です。Was a bee 2007年1月23日 (火) 03:34 (UTC)
スのG のコメント20070123
Wiki ryon さん、ウィキペディアに学術的な加筆をされる際に注意を払うべき基本的な方針、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:信頼できる情報源、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自の調査、Wikipedia:出典を明記する などはお読みいただいておりますでしょうか? ほかの記事にもいろいろ編集の手を広げておられるようですので、いちど確認させてください。「読んだけれど従うつもりはない」ということでしたら、そのようにおっしゃっていただいても構いません。--スのG 2007年1月23日 (火) 04:02 (UTC)
既に2006年11月28日 (火) 11:30 (UTC)や2007年1月21日 (日) 17:40 (UTC)に書いたとおり、私はWikipediaの基本方針に従っていることを示しています。それに対する反論はこれまで全く出ていません。反論が出ていないということは、Wikipediaの基本方針に反している証明が無いということです。
そもそも、あると主張しながら証明に足る文献を引用せず(哲学者や精神医学者やトンデモはありましたが)、ありもしない「自説」を捏造してまで「無いというなら文献を示せ」という悪魔の証明を挑む側こそ、Wikipediaの基本方針を再確認すべきでしょう。基本的な方針を読んでいるかどうかは、まず、Was a bee氏の方にこそ確認すべきではないでしょうか。
常識に反しているように見えても、真実である動かぬ証拠があるなら真実と認める。常識に従っているように見えても、間違いである動かぬ証拠があるなら間違いと認める。それは、科学哲学を主張する人なら、認めるべきはずのことです。それすら理解していないのでは、「編集すべき理解度に到底達していない」のはどちらでしょうか。
「一体どこらへんが矛盾していてトンデモだったでしょうか」と聞いておいて、具体的に指摘されたら綺麗サッパリ無視して話を逸らすようでは、建設的な議論になる余地は全く認められず、これ以上、話をするのは無意味でしょう。反発はあっても反論は全くなかったという事実を元に本文を編集することとします。量子力学のド素人ことryon 2007年1月23日 (火) 09:39 (UTC)
- では、Wikipedia:中立的な観点 をどうぞ。Wikipedia:中立的な観点#ひとつの帰結:敵のために書く、Wikipedia:中立的な観点#敵を応援などしたくない あたりでしょうかね。--スのG 2007年1月23日 (火) 09:58 (UTC)
- ひとまず各方針をお読み下さい。お待ちしておりますので。その上、各方針そのものに対する反論を示されるのも一法ではあります。--スのG 2007年1月23日 (火) 10:28 (UTC)
では、2007年1月21日 (日) 17:40 (UTC)をどうぞ。既に書かれたことを踏まえないなら議論は成立しません。量子力学のド素人ことryon 2007年1月23日 (火) 10:08 (UTC)
Wikipediaの基本方針には、「○○説は△△の点でおかしい」と言ってはいけないという決まりはありません。「○○説」を排除するなということであって、「○○説」に意義があるなら反論も併記しろというのが基本方針です。そして、「○○説」も「反論は□□の点でおかしい」という指摘も排除するつもりは無いし、書くなと言った憶えもありません。しかし、「□□の点でおかしい」という指摘が全く出て来ず、反論を排除しようとする人がいるわけです。
反論が見当違いなら、それを指摘すれば良いだけです。その議論をするために、ノートで意見を聞いているのです。「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる」内容を書いているのだから、おかしな所を指摘するのも容易であるはずです。
提案された内容が独自の調査に該当するなら、何処がどのように独自の調査なのか示せば良いだけです。本文が独自の調査にならないよう、事前にノートで議論しているのだから。ここはノートであって本文ではないのです。しかし、具体的に説明をせずに「独自の調査だ」と言い張るだけなら、その物言いこそ、検証不可能な独自の調査に過ぎません。
ひとまず各ログをお読み下さい。お待ちしておりますので。その上、各ログそのものに対する反論を示されるのも一法ではあります。量子力学のド素人ことryon 2007年1月23日 (火) 10:32 (UTC)
Was a bee さんのコメント20070203
いいかげん文献をひいたらどうでしょうか>ryonさん
- Wikipedia:独自の調査によれば「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説を行う記事」は出典を明記する必要がない。
- 専門知識がなくとも誰でも検証できる解説以外の記述の存在は指摘されていない。
- 量子力学の問題を<分別がある>というだけの普通の大人が検証できるわけがありません。道に出て10人ぐらいにアンケートとってみてはどうでしょうか。九割以上の人間がブラケットという言葉さえ知らないでしょう。いますぐにでも試してみてください。日本の大学進学率とその中で占める理工系学部、特に物理学科の学生が占める人数の比率を考えただけでもこの程度の事はすぐ分かるでしょう?
- ネットで公開されている匿名のテキストや専門外の人間の主張は文献としての条件を満たさない。
- 文献は一次ソースではなくとも、孫引きで追いかけられる文章にはそれなりの情報価値があります。また<専門>とは何でしょうか。それを言うならば、まず量子力学のド素人と自称するあなたこそが最も主張の妥当性を疑われるべき存在であり、主張の正当性を具体的に示す必要性の最も大きい人間です。
これ以上、文献を引用せずに自説という形でのみ主張をしつづけるのであれば、「方針に従う意思がない」または「方針を理解できていない」という意味において、しかるべき対処を検討します。Was a bee 2007年2月3日 (土) 16:18 (UTC)
- 見当違いの場所に投稿されているようなので適切な場所に移動しました。
- 量子力学の問題?確かに、専門家でさえ意見の分かれるような「量子力学の問題」なら普通の大人が検証できるわけがありませんね。私は、そのような問題が普通の大人に検証できると言ったことは一言もありません。一度たりとも、変更案にそのような問題が存在することが具体的に指摘されていないと言ってるだけです。それで、そのような検証困難な「量子力学の問題」が何処に記述されているのでしょうか?何時になったら、それを指摘していただけるのでしょうか?まずは、具体的に指摘してください。話はそれからです。
- これ以上、「普通の大人が検証できない量子力学の問題」を引用せずに独自の調査という形でのみ主張をしつづけるのであれば、「方針に従う意思がない」または「方針を理解できていない」という意味において、しかるべき対処を検討します。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 08:51 (UTC)
- 私もこうした量子論の問題について詳しくないので、amazonで一冊取り寄せました。
- 高林武彦 著、保江邦夫 編 『量子力学 観測と解釈問題』 海鳴社 2001年 ISBN 4-87525-204-8
- この本の第二章「観測と解釈問題」の第一節「まえおき」p65 に猫についての軽い記述があります。
- 私もこうした量子論の問題について詳しくないので、amazonで一冊取り寄せました。
- 『観測の問題に関してボーア、ハイゼンベルクの考察と並んで、以後の発展の基礎となったもうひとつの重要な仕事はノイマンによるものである。(中略)ノイマンは観測対象と観測装置の間の「切れ目」の移動(中略)が「無限の退行」を含意することになったので(中略)「抽象的自我」をおかねばならなかった(中略)この理論に対してはシュレディンガーがっ「猫」の例によって困難を指摘した(E. Schrodinger: Naturwiss., 23(1935), 807, 824, 844)』
- ryonさん、あなたは「猫の話は意思説とは関係ない」などと書いていましたが、「シュレ猫はノイマンの意識説に対して提示されたものだ」と、そうこの本には書かれています。この矛盾した状況に対する整合性のある解答はただ一つです。
- 物理学者 高林武彦(名大教授、専攻 量子力学・素粒子論・物理学史 1919-1999 )がウソつきである。
- 量子力学のド素人ことryonさん、すなわちあなたがウソつきである
- どちらでしょうか。Was a bee 2007年2月3日 (土) 17:12 (UTC)
- ryonさん、あなたは「猫の話は意思説とは関係ない」などと書いていましたが、「シュレ猫はノイマンの意識説に対して提示されたものだ」と、そうこの本には書かれています。この矛盾した状況に対する整合性のある解答はただ一つです。
- どちらも嘘をついていません。「シュレ猫はノイマンの意識説に対して提示されたものではない」と私は一言も言っていません。Was a bee氏が単に説明内容を無視しているだけです。いずれにせよ、ノートページは項目の内容について議論するというWikipediaの方針に従い、内容の議論と無関係な件については、これ以上コメントを差し控えさせていただきます。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 08:51 (UTC)
- 訂正、その文献が嘘をついていないというのは言い過ぎでした。歴史的経緯について断言するだけの裏付けをとってないので。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 10:06 (UTC)
2007年1月27日 (土) 01:57(JST)の版へのrevertについて
要約欄は編集内容の要約を書く欄であって、「個人的な解釈は不要」のような個人的感想を述べる欄ではありません。また、「個人的な解釈」と判断した理由が不明確であり、そのような不明確な理由に基づいて編集することは「個人的な解釈」と考えられます。
コメントアウトされた部分は、思考実験が示す現象の解説に過ぎず、そこには「個人的な解釈」を挟み込む余地がありません。その現象が示す問題をどう解釈するかの部分に「個人的な解釈」が割り込む余地があるのであって、現象の解説部分は既存の物理理論を用いて説明したに過ぎず、何ら「個人的な解釈」はありません。
コメントアウトされた部分の記述の主要部分は、トンネル効果やアルファ崩壊の記述そのまんまです。他の記述についても、既存の理論に基づいた説明に過ぎないことは、内部リンクを見れば明らかなはずです。これが「個人的な解釈」であるならば、内部リンクの記述も「個人的な解釈」となるはずです。それらの内部リンクの記述について異論を唱えないのであれば、コメントアウトされた部分の記述についても「個人的な解釈」とは言えないはずです。
それでも「個人的な解釈」と主張するなら、何が「個人的な解釈」なのかを明確に指摘すべきでしょう。
語意説明の追加
「確定」という単語に対して、多世界解釈派的な主張において、確定したと決め付けるのは「個人的な解釈」と言っているのかもしれないけれど、それは文意を無視した語意への過剰反応に過ぎません。確かに、多世界解釈では、死んだ猫と生きた猫が共存しており、その意味では、猫の生死は確定していません。しかし、何が自世界となるかは確定しているのであって、自世界の観測結果として猫の生死が確定しているのは、紛れも無い事実です。ここで「確定」と言っている現象は、「観測結果」に対応する物であって、その解釈として多世界解釈を否定する物ではありません。コペンハーゲン解釈における波動関数の収縮は、多世界解釈では干渉性の喪失に置き換わるだけであり、その結果として、「観測結果」は「確定」します。「確定」という記述は、干渉性の喪失を否定する記述ではありません。
以後、語意への過剰反応を防ぐため、括弧書きで確定の説明を追加します。量子力学のド素人ことryon 2007年1月27日 (土) 15:07 (UTC)
若干、ノートを追記しました。量子力学のド素人ことryon 2007年1月27日 (土) 15:19 (UTC)
kakannkannさんのコメント20072020
2007年1月30日 (火) 08:54の版について
最初に、シュレディンガー猫のとは何であるかを記述します。
量子力学では、Aという状態の波動関数とBという状態の波動関数の重ねあわせが容易に再現できます。この状態は単純にAという状態とBという状態の重ねあわせではありません。AとBの重ねあわせ状態であるということを確認する実験を容易に作ることができます。つまり、実験的に、AとBの重ねあわせ状態が存在することが示されます。
では、Aを死んだ猫、Bを生きた猫としましょう。その時、死んだ猫と生きた猫の重ねあわせ状態が存在するはずです。
初出は量子論の問題点を提示するためのものでしたが、現在では量子力学のエキゾチックな側面を強調する寝たとして使われています。
重要なことは、そのような猫の重ねあわせ状態の存在を物理学者は必ずしも否定してはいないということです。
- 量子力学では観測前の猫の状態は生と死の重ね合わせの状態と表現するが、それが現実的に指し示す意味については諸説あって完全な合意は形成されていない。二重スリット実験等、量子力学的実験の観測結果は、いずれも粒子として確定(もしくは、確定しているように見える状態になっている。以下、「確定」と言う場合は同じ。)した結果を示しており、
『いずれも』はおかしく、位置の観測実験を想定なさっているかもしれませんが、位置が収束する実験ばかりではありません。
- この思考実験においても、猫の生死は観測後には確定していると推測される。
前述のとおり、シュレディンガーの猫のポイントは、収束過程や観測問題ではなく、重ねあわせ状態の奇妙さであり、ずれています。
- 閉鎖状態であることを除けば、この思考実験と類似の現象が自然に発生することは十分に考えられるので、もし、この思考実験で生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにすることがあるならば、現実にもそのような現象が観測されていなければならないはずである。よって、生と死の重ね合わせのままであることはありえない。
上述の指摘とともに、現実的な問題として猫の重ねあわせ状態は観測されたことはありませんが、それは、観測上の困難であり、理論的な問題として猫の重ねあわせ状態を否定するものではありません。シュレディンガーの猫は理論的な奇妙さを指摘するものである以上論点がずれています。また、箱の中であるという条件は、物理的に大きな意義があります。これを無視しての議論はナンセンスです。
- また、非決定論を前提とするなら、アルファ粒子発生前の確定も各種実験結果と矛盾する。よって、非決定論において、猫の生死は、アルファ粒子発生から猫の生死を確認するまでの間に確定すると考えられる。
まず、非決定論は何をさしていますか?細かいですが、アルファ粒子発生の確定は、猫の観測までいえないでしょう。もちろん、アルファ粒子がいつ壊れたかはそれ相応の実験をせねば「確定」しませんし、実験せねば言及できません。
以上の理由で何らかの訂正が必要だと思われます。
- ある話を持ち出すことは、他の話を否定するものではありません。説明として分かり易いこと、説明に十分であることを条件として、持ち出す話を選んでいるだけです。「位置」も同じです。シュレーディンガーの猫を説明する上で、「位置」以外の説明が必要だと言うなら、その説明を追加すれば良いだけです。
- 本文は、重ねあわせ状態が観測されることがあり得ないことを記述しているのであって、多世界解釈のような観測不可能な重ねあわせ状態を否定するものではありません。多世界解釈を前提とするなら、猫の生死の確定を干渉性の喪失と読み替えれば済みます。これは、常識的範囲の読み替えで対応出来る問題であり、そこまで完璧に厳密な記述を要求されては何も投稿出来ません。科学が実験結果等から直接的または間接的に推測可能なことについて言及することはあっても、推測不可能な可能性を否定することはありません。よって、ある説を想定した記述をしていないということは、その説を否定していることを意味しません。そこまで詳しく書いていないというだけです。
- 猫の生死の観測は閉鎖状態で行なわれるわけではありません。蓋を開けた時点で閉鎖状態ではなくなります。「重ね合わせ状態は閉鎖空間のみで生じる」なら、蓋を開けた時点で生死は確定(もちろん、多世界解釈では干渉性の喪失と読み替える必要がある。以下、全て同じ)し、シュレーディンガーの猫は無事解決です。しかし、そう言えないからこそ、問題になるわけです。そもそも、「重ね合わせ状態は閉鎖空間のみで生じる」のであれば、量子力学は根底から覆ります。よって、「もし、この思考実験で生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにすることがあるならば、現実にもそのような現象が観測されていなければならないはず」とする記述は何ら的外れではありません。
- 「そのような猫の重ねあわせ状態の存在を物理学者は必ずしも否定してはいない」のであれば、重ねあわせ状態は奇妙でも何でもないはずです。そうならば、重ねあわせ状態の奇妙さを示す思考実験は前時代の異物であり、それを持ち出す理由がありません。
- 「アルファ粒子発生前の確定」が正しいなら、二重スリット実験では干渉縞が生じ得ません。波動説は完全に闇に葬り去られて、量子力学が根底から覆ります。
- ご指摘の通り、「アルファ粒子発生の確定は、猫の観測までいえない」ことがこの思考実験のキモです。アルファ粒子発生の有無が確定すれば猫の生死は自動的に確定するわけであり、言い替えると、猫の生死が確定しないならばアルファ粒子発生も確定していません。その説明は本文に明記してあります。
- そして、「猫の観測までいえない」ことは、アルファ粒子発生の確定が観測前に起きていないことを示しているわけではありません。アルファ粒子発生から猫の状態を見るまでの間に何が起きたか、それを調べる唯一の観測が「猫の観測」です。しかし、それでは、最終的に確定していることが観測されるだけであり、途中の状態は推定困難です。アルファ粒子発生と同時に確定したかもしれないし、蓋を開けるまで確定してなかったかもしれない。いつ、確定したのか、実験でそれを確認する方法が無い。基本相互作用しか働いていないのであれば、理論的にも特定出来ない。以上のことは完全な未解決問題です。もちろん、解決していると主張されるなら、その説を披露されることは歓迎します。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 06:15 (UTC)
- 少し訂正--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 06:18 (UTC)
- こちらの意図を誤解されているところがあると思いますが、指摘点をいくつか。
- 本文は、重ねあわせ状態が観測されることがあり得ないことを記述しているのであって、多世界解釈のような観測不可能な重ねあわせ状態を否定するものではありません。
- それ"が"まずくて、重ねあわせ状態の観測自体も量子論的には否定されません。
- 多世界解釈を前提とするなら、猫の生死の確定を干渉性の喪失と読み替えれば済みます。
- 多世界解釈を前提にしてませんが。それとはまったく別の、解釈に依存しない物理的な話です。
- 猫の生死の観測は閉鎖状態で行なわれるわけではありません。蓋を開けた時点で閉鎖状態ではなくなります。「重ね合わせ状態は閉鎖空間のみで生じる」なら、蓋を開けた時点で生死は確定(もちろん、多世界解釈では干渉性の喪失と読み替える必要がある。以下、全て同じ)し、シュレーディンガーの猫は無事解決です。しかし、そう言えないからこそ、問題になるわけです。そもそも、「重ね合わせ状態は閉鎖空間のみで生じる」のであれば、量子力学は根底から覆ります。よって、「もし、この思考実験で生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにすることがあるならば、現実にもそのような現象が観測されていなければならないはず」とする記述は何ら的外れではありません。
- 箱を開けた時点で収束することを問題視しているわけではなく、実験前の重ねあわせ状態の奇妙さを指摘していると思われるんですが。また、物理的な話として、閉鎖系であることは重ねあわせ状態にとって大事な意味を持ちます。なぜなら、外部との相互作用によって干渉状態が収束する可能性があるからです。デコヒーレンスを参照のこと。
- 「そのような猫の重ねあわせ状態の存在を物理学者は必ずしも否定してはいない」のであれば、重ねあわせ状態は奇妙でも何でもないはずです。そうならば、重ねあわせ状態の奇妙さを示す思考実験は前時代の異物であり、それを持ち出す理由がありません。
- 量子力学のエキゾチックな側面を強調する良い例として紹介される話で、その意味でいまだによく引用されています。
- 「アルファ粒子発生前の確定」が正しいなら、二重スリット実験では干渉縞が生じ得ません。
- いいえ。そんなことは申してません。α粒子の崩壊の確定は猫を観測するまでいえないので、「猫の生死は、アルファ粒子発生から猫の生死を確認するまでの間に確定すると」という表現は問題があると申しただけです。
- 重ねあわせ状態の観測が可能というなら、その理論を明示してください。もちろん、誰かが主張しているというレベルの独自の調査ではなくて、現実に即した理論としてです。
- 量子デコヒーレンスの項目には「必ずしも空間的に外側である必要すらない(猫の持つ体温でも良い)」と明言されてます。それによれば、猫のような存在を内包していれば閉鎖系であっても干渉状態が収束しない条件とはなりません。百歩譲って閉鎖系であることが大事だとしても、「生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにする」ときは閉鎖系ではなくなっているので、外部との相互作用によって干渉状態が収束する可能性があることがあることは、本文の記述を否定するどころか補足事項になるだけです。
- 直前にも書いてありますが(既に書かれていることを踏まえて物を言うのは、議論をする上で必須の姿勢では?)、「猫の観測までいえない」ことは、アルファ粒子発生の確定が観測前に起きていないことを示しているわけではありません。アルファ粒子発生から猫の状態を見るまでの間に何が起きたか、それを調べる唯一の観測が「猫の観測」です。しかし、それでは、最終的に確定していることが観測されるだけであり、途中の状態は推定困難です。アルファ粒子発生と同時に確定したかもしれないし、蓋を開けるまで確定してなかったかもしれない。いつ、確定したのか、実験でそれを確認する方法が無い。基本相互作用しか働いていないのであれば、理論的にも特定出来ない。以上のことは完全な未解決問題です。もちろん、解決していると主張されるなら、その説を披露されることは歓迎します。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 10:15 (UTC)
- どうも、こちらの主張したいことにたいして、誤解なさっているように思います。
- 重ねあわせ状態の観測が可能というなら、その理論を明示してください。もちろん、誰かが主張しているというレベルの独自の調査ではなくて、現実に即した理論としてです。
- ミクロの場合、(状態|A>と状態|B>の重ねあわせ状態のひとつである)状態|A>+|B>であるかどうかを測定する実験は、(|A>+|B>)(<A|+<B|)であたえられます(係数を無視してます)。このテストをこれをナイーブに巨視系に導入することは、理論的には否定されません。現実的であるかどうかは別として。
- 量子デコヒーレンスの項目には「必ずしも空間的に外側である必要すらない(猫の持つ体温でも良い)」と明言されてます。それによれば、猫のような存在を内包していれば閉鎖系であっても干渉状態が収束しない条件とはなりません。百歩譲って閉鎖系であることが大事だとしても、「生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにする」ときは閉鎖系ではなくなっているので、外部との相互作用によって干渉状態が収束する可能性があることがあることは、本文の記述を否定するどころか補足事項になるだけです。
- 「閉鎖系でなければ、波束の収束が起きるかも知れない」といった記憶がありますが、裏である「閉鎖系であることは干渉状態が収束しない条件」とは主張していませんよ。また、外部との相互作用によって干渉状態が収束するかどうかは、どちらかといえば「収束の是非」であり、シュレディンガーの猫の「重ね合わせ問題」とはまた違った問題でしょう。
- 直前にも書いてありますが(既に書かれていることを踏まえて物を言うのは、議論をする上で必須の姿勢では?)、「猫の観測までいえない」ことは、アルファ粒子発生の確定が観測前に起きていないことを示しているわけではありません。アルファ粒子発生から猫の状態を見るまでの間に何が起きたか、それを調べる唯一の観測が「猫の観測」です。しかし、それでは、最終的に確定していることが観測されるだけであり、途中の状態は推定困難です。アルファ粒子発生と同時に確定したかもしれないし、蓋を開けるまで確定してなかったかもしれない。いつ、確定したのか、実験でそれを確認する方法が無い。基本相互作用しか働いていないのであれば、理論的にも特定出来ない。以上のことは完全な未解決問題です。もちろん、解決していると主張されるなら、その説を披露されることは歓迎します
- ええ、そのとおりです。むしろ、上述のことと同様のことを述べていると思います。だからこそ、「猫の生死は、アルファ粒子発生から猫の生死を確認するまでの間に確定すると」という表現は、「アルファ粒子発生から」という表現がα粒子発生が猫の収束以前に収束していることを示唆しているので、問題があると申しているんですが。
- 科学分野の記述について、現実的でないことを論じる意味は何ですか?現実的な可能性としてあり得る話を想定した記述をしろと言うなら分かりますが、現実に即しているかどうかさえ分からない机上の空論の域を出ていないことを想定していないという理由で、どうして記述に問題があると言えるのですか?
- 言ったとか、言ってないとか等の話については回答するつもりはありません。ノートは記述内容の是非について論じる場であり、特定の個人の言動について議論する場ではないので。「外部との相互作用によって干渉状態が収束する可能性があることがあることは、本文の記述を否定するどころか補足事項になるだけ」に対して異論が無いのであれば、その件に関する話はこれで終わりです。
- アルファ粒子発生という表現が問題?なるほど、「カモシカのような足」という表現は間違いだと、「カモシカの足のような足」と表現すべきだと仰るのですね。確かに、その通りです。しかし、表現にそこまで厳密さを求めるなら、迂闊に何も言えなくなりますね。一々事細かに注釈をつけなければならないのでは簡潔な説明もままなりません。しかも、誤解の余地があっても、その後の「アルファ粒子が発生した状態と発生していない状態の重ね合わせ状態」等の記述で修正されているはずなのに、一字一句正確に書かなければならないとする理由は何なのでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 12:33 (UTC)
僕の投稿をよく読んでいただきたく思います。
- 科学分野の記述について、現実的でないことを論じる意味は何ですか?現実的な可能性としてあり得る話を想定した記述をしろと言うなら分かりますが、現実に即しているかどうかさえ分からない机上の空論の域を出ていないことを想定していないという理由で、どうして記述に問題があると言えるのですか?
シュレディンガーの猫は、量子力学の理論的な側面に対する仮想実験です。つまり、そもそもが机上の空論です。従って、現実的であるかどうかは必ずしも重要視されません。
- 言ったとか、言ってないとか等の話については回答するつもりはありません。ノートは記述内容の是非について論じる場であり、特定の個人の言動について議論する場ではないので。
いえ、僕がいった、いってないといったことは、2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)の文章の内容をさしています。
- また、物理的な話として、閉鎖系であることは重ねあわせ状態にとって大事な意味を持ちます。なぜなら、外部との相互作用によって干渉状態が収束する可能性があるからです。デコヒーレンスを参照のこと。
を
- 「閉鎖系でなければ、波束の収束が起きるかも知れない」
と申しました。不用意に括弧を使ったのは僕のミスですので謝罪します。しかし、僕の書いたことをよく理解してそれから反論していただきたく思います。
- 「外部との相互作用によって干渉状態が収束する可能性があることがあることは、本文の記述を否定するどころか補足事項になるだけ」に対して異論が無いのであれば、その件に関する話はこれで終わりです。
視点がずれていると前の投稿で申していますが。お願いですから文章を読んでください。
- アルファ粒子発生という表現が問題?なるほど、「カモシカのような足」という表現は間違いだと、「カモシカの足のような足」と表現すべきだと仰るのですね。確かに、その通りです。しかし、表現にそこまで厳密さを求めるなら、迂闊に何も言えなくなりますね。一々事細かに注釈をつけなければならないのでは簡潔な説明もままなりません。しかも、誤解の余地があっても、その後の「アルファ粒子が発生した状態と発生していない状態の重ね合わせ状態」等の記述で修正されているはずなのに、一字一句正確に書かなければならないとする理由は何なのでしょうか。
書き加える以外の選択肢もあるでしょう。つまり、削除すれば、より簡潔になって問題がないでしょう。
Kakannkann 2007年2月3日 (土) 13:03 (UTC)
- 論点整理をきちんとしていただきたい。繰り返しますが、ノートページは記述内容の是非について論じる場であり、特定の個人の言動について議論する場ではありません。多少の脱線はともかく、自分で持ち出した議題(記述内容の是非)を忘れて放っぽりださないようにしてください。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 13:12 (UTC)
- 論点は2007年2月2日 (金) 17:51 (UTC) で提示したとおりです。また、その詳細は以下の議論で明確になったと思いますが、どこか不明なことがあるならご質問ください。ただ、論点が明確ではないとおっしゃるなら、最初にそのようにおっしゃっていただきたかったです。
- 個人の言動についてはうんぬんについては、2007年2月3日 (土) 11:07 (UTC) の投稿で確かに「いった」という表現を使いましたが、それは2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)の内容の引用であり、2007年2月3日 (土) 13:03 (UTC)の投稿でそのことは提示してあります。不用意な表現を使ったのは私の不注意ですが、2007年2月3日 (土) 10:32 (UTC) の議論(の一部)が、私の議論を取り違えていることを指摘しており、個人の言動についての議論ではありません。お願いですから投稿をよく読んでください。
- 思考実験が机上の空論で良いかどうかと、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いかどうかは、全くの別問題です。思考実験は、机上の空論なのだから、正しさを証明する手段には使えません。あくまで、矛盾が生じることを示して、理論への懐疑を提示するだけです。想定が間違っているのか、あるいは、理論が間違っているのかを検証し、真実を追究するのが思考実験の役割です。想定に間違いがなければ、机上の空論でも全く差し支えがないのが思考実験です。一方で、現実に即していなければ科学理論とは呼べません。机上の空論の理論は、思考実験の対象にさえなりません。(そもそも、論点を整理していれば、このような混同はあり得ないはずです。)
- 「シュレディンガーの猫は理論的な奇妙さを指摘するものである」とする主張は、2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)で終わっています。自分で持ち出した議題を忘れ、「いまだによく引用されています」と証明にならない話を持ち出した時点で、反論が放棄されています。物理学者が必ずしも否定せず、それで矛盾が何も生じないなら、それは解決済問題です。ある思考実験に解決済問題Aと未解決問題Bが含まれる時、「その思考実験はAを提示するものであってBを提示しているわけではない」とは言いません。逆です。奇妙なのは、解決済問題よりも未解決問題の方です。これに反論するならば、Aが未解決でBが解決済であることを示すか、あるいは、未解決問題より解決済問題の方がより奇妙であることを示す必要があります。「いまだによく引用されています」では、単にそう思う人がいることを示しているだけであって、反論として成り立っていません。(本件については、自分で持ち出した議題に関する議論を忘れ、その証明とならない脱線をしています。)
- そもそも、重ね合わせの奇妙さを示すなら、他にいくらでも奇妙さを示す方法はあるはずで、シュレーディンガーの猫は必要ないはずです。二重スリット実験でも十分なはずです。それでは、シュレーディンガーの猫の存在意義が否定されますね。
- 「削除すれば、より簡潔」?それならば、Wikipedia内の全記述を削除してください。そうすれば簡潔になりますね。その代わりに、説明する内容も無に帰しますが。「削除すれば、より簡潔」という論理が成り立つなら、今直ぐにでもそうすべきでは?(これは、物事を論じる上の大前提が何処かに置き忘れられている事例です。)
- 以上、論理の混同、証明とならない脱線、大前提の忘却等が議論の妨げになっているのでは?「僕の書いたことをよく理解して」「お願いですから投稿をよく読んでください」と責任転嫁をする前に、ご自身の姿勢を見つめ返されるべきと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 13:46 (UTC)
- 論点が他のところに移ったようですが、とりあえず、返答差し上げます。
- 思考実験は、机上の空論なのだから、正しさを証明する手段には使えません。あくまで、矛盾が生じることを示して、理論への懐疑を提示するだけです。想定が間違っているのか、あるいは、理論が間違っているのかを検証し、真実を追究するのが思考実験の役割です。
- まさにそのとおりで、シュレディンガーの猫はそのような思考実験であります。これは、僕も、2007年2月2日 (金) 17:51 (UTC)で指摘しています。従って、そのような思考実験の概要を述べる際に、現実的でないことを議論するべきではないとはいえないということになります。
- 想定に間違いがなければ、机上の空論でも全く差し支えがないのが思考実験です。一方で、現実に即していなければ科学理論とは呼べません。机上の空論の理論は、思考実験の対象にさえなりません。(そもそも、論点を整理していれば、このような混同はあり得ないはずです。)
- 思考実験は机上の空論でも良いが、科学的な思考実験は現実性を持たなければならないということでしょうか?もしそうなら、かなり沢山の思考実験は、実際に実験可能であるもの以外、科学的ではなくなると思いますがそういう立場なのでしょうか?もしそうなら、厳密なシュレディンガーの猫の実験は科学的ではありません。論点を整理以前の話だと思いますが。誤読なら申し訳ないのですが。
- 「シュレディンガーの猫は理論的な奇妙さを指摘するものである」とする主張は、2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)で終わっています。自分で持ち出した議題を忘れ、「いまだによく引用されています」と証明にならない話を持ち出した時点で、反論が放棄されています。物理学者が必ずしも否定せず、それで矛盾が何も生じないなら、それは解決済問題です。
- 僕は理論が奇妙だと申しましたが、間違っていると書いた記憶はありません。「シュレディンガーの猫は理論的な奇妙さを指摘するものである」従って、「量子力学のエキゾチックな側面を強調する良い例として紹介される話で、その意味でいまだによく引用されています」と話が続きますし、理論的な間違いを指摘してないので、「物理学者が必ずしも否定せず、それで矛盾が何も生じない」のです。まったく首尾一貫しているとおもいます。
- ある思考実験に解決済問題Aと未解決問題Bが含まれる時、「その思考実験はAを提示するものであってBを提示しているわけではない」とは言いません。逆です。奇妙なのは、解決済問題よりも未解決問題の方です。これに反論するならば、Aが未解決でBが解決済であることを示すか、あるいは、未解決問題より解決済問題の方がより奇妙であることを示す必要があります。「いまだによく引用されています」では、単にそう思う人がいることを示しているだけであって、反論として成り立っていません。(本件については、自分で持ち出した議題に関する議論を忘れ、その証明とならない脱線をしています。)
- おっしゃるとおり、この問題はほとんど解決問題です。ただ、奇妙で考えにくいというだけで。現実的な実験の場合、猫の収縮は起きているかどうかについても、デコヒーレンスでほとんど解決してますし。そもそも、貴方はシュレディンガーの猫で、何が解決してないとおっしゃるのですか?
- そもそも、重ね合わせの奇妙さを示すなら、他にいくらでも奇妙さを示す方法はあるはずで、シュレーディンガーの猫は必要ないはずです。二重スリット実験でも十分なはずです。それでは、シュレーディンガーの猫の存在意義が否定されますね。
- シュレディンガーの猫のポイントは、猫という巨視的なものの重ね合わせであり、それは二重スリット実験にはないものです。そこに、この仮想実験の意義があると思います。それは、wikipediaの思考実験の内容に書かれていることだと思いますよ。
- 「削除すれば、より簡潔」?それならば、Wikipedia内の全記述を削除してください。そうすれば簡潔になりますね。その代わりに、説明する内容も無に帰しますが。「削除すれば、より簡潔」という論理が成り立つなら、今直ぐにでもそうすべきでは?(これは、物事を論じる上の大前提が何処かに置き忘れられている事例です。)
- 僕はそのようなことを主張していません。ただ、厳密ではない記述を付け加えるくらいなら、そのような記述は不用であると考え、削除を提案しましたが。
- 以上、論理の混同、証明とならない脱線、大前提の忘却等が議論の妨げになっているのでは?
- 以上により、理論の混同でも、証明とならない脱線でも、前提の大忘却でもないと示せたと思います。
記事の内容とは直接関係がないが
- 「アルファ粒子発生」という語句が正確性を欠くことは最初から分かってました。読者が特定の語句の意味に固執すれば、誤解の余地があるのは十分分かっています。しかし、文章全体として誤解の余地はないはずだし、冗長すぎる記述はかえって理解を妨げるから、敢えて、語意の不正確さには目をつぶっているだけです。
- だから、語意に対する反発である可能性は予想していました。しかし、揚げ足取りをしていると決め付けるのも失礼だから、敢えて、言わなかっただけです。全体的な趣旨として、この思考実験が、確定要因が特定出来ないという未解決問題より「理論的な奇妙さ」という解決済問題を提示するものだと主張していることは明らかであり、想像で架空の揚げ足取りをでっち上げる必要もありません。重箱の隅を突く必要も無いと思ったから、敢えて棚上げしただけです。
- 脱線しないように論点に絞って議論をしているだけなのに、それを、「投稿をよく読んでください」とか「お願いですから文章を読んでください」とか、自分の脱線を棚上げする姿勢はどうなんですかね。こんなことはあんまり言いたくないので、この文章は近日中に消すつもりです。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 14:01 (UTC)
- だから、語意に対する反発である可能性は予想していました。しかし、揚げ足取りをしていると決め付けるのも失礼だから、敢えて、言わなかっただけです。
- 好意的解釈痛み入ります。ですから、私が重箱の隅ではないことを意図していると想像なさり、それに対して反論なさったのですね。それを、文章をよく読んでいないと申し上げた私の不徳をお許しください。
- 全体的な趣旨として、この思考実験が、確定要因が特定出来ないという未解決問題より「理論的な奇妙さ」という解決済問題を提示するものだと主張していることは明らかであり、想像で架空の揚げ足取りをでっち上げる必要もありません。重箱の隅を突く必要も無いと思ったから、敢えて棚上げしただけです。
- 確定要因が特定できないという問題は「収束問題」であって、シュレディンガーの猫固有の問題ではないとおもいます。最初のシュレディンガーの指摘は、「EPRパラドクス」の解説としてこのような重ねあわせ状態を考えるのが直感的ではないというものだったと思います。また、シュレディンガーの猫状態いうと言葉があり、それは、このような重ねあわせ状態をさしています。力点がどこにあるかは明確でしょう。
- 確定要因が特定できないという問題は「収束問題」であって、シュレディンガーの猫固有の問題ではないとおもいます。最初のシュレディンガーの指摘は、「EPRパラドクス」の解説としてこのような重ねあわせ状態を考えるのが直感的ではないというものだったと思います。また、シュレディンガーの猫状態いうと言葉があり、それは、このような重ねあわせ状態をさしています。力点がどこにあるかは明確でしょう。
- と書きましたが、収束問題以外に力点があるという主張はいいすぎだと思い、撤回します。重ねあわせの部分にも力点がある、とします。
- 思考実験が机上の空論で良いかどうかと、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いかどうかは、全くの別問題です。それに続く文章は、その詳細の説明であり、それに対して返信をつけても、別問題でないことを示せないのでは反論になっていません。脱線せずに本題を議論してください。(証明とならない脱線)
- 二重スリット実験に巨視的なものの重ね合わせがない?着弾が目に見えるのは、多数の分子に化学変化が生じていることを示しているはずです。これは巨視的ではないのですか?そこに着弾したかしなかったか、それは巨視的なものの重ね合わせではないのですか?(念のために言っておくと、閉鎖系云々とか堂々巡りは勘弁で。)そもそも、量子力学における「巨視的」の定義とは?貴方は量子力学では明確に定義出来ないと言ってたはずでは?定義出来ないなら、巨視的であるか否かを区別する理由はないはずです。
- デコヒーレンスでほとんど解決?では、そのデコヒーレンスは万人に認められる理論ですか?私の知る限りでは不完全な理論だったはずですが。Wikipediaにもそう書いてあります。
- 厳密ではない記述は削除すべき?削除の方針や無意味な記述によれば、それは編集によって内容を改善すべきであって、削除するのは適切な対応ではありません。その厳密さが致命的な問題ではないことについては何の反論も無いわけであり、削除しなければならない理由がありません。(前提の大忘却)
- 「シュレディンガーの猫固有の問題ではないとおもいます」って、貴方が思うだけですか。他に、観測問題の矛盾を示す物が無ければ、立派に固有の問題になるはずです。それを示さないなら反論になっていません。論点は、誰かの思想ではなく、科学です。
- 以上、論理の混同、証明とならない脱線、大前提の忘却等でない証明になってないようです。尚、自ら論点整理されないようなので、こちらで勝手に整理させていただきます。
- この思考実験が示す問題
- 重ね合わせの奇妙さは、この思考実験でなくても示せる
- この思考実験の結果は観測問題と密接に関係し、他に適切な事例は示されていない
- 重ね合わせの奇妙さは理論的矛盾を生じない解決済問題である
- 観測問題は未解決問題である
- 語意は正確ではないが致命的ではなく、その語意を使った説明は不要とは言えない
- この思考実験が示す問題
- --量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 15:42 (UTC)
- リンク修正--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 15:44 (UTC)
- 誤記修正--量子力学のド素人ことryon 2007年2月3日 (土) 15:50 (UTC)
- (この場所にあったWas a bee氏のコメントはつける場所を間違えていると思われるので、本来あるべき上の段落へ移動しました。)
- 以前の投稿を消されているようですが、貴方の言動は貴方がどれだけ物理を理解し、どのような態度で編集に当たっているかを如実に表現する重要なものです。非常に重要な情報ですので、是非消さないでいただきたいと思います。
- 思考実験が机上の空論で良いかどうかと、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いかどうかは、全くの別問題です。それに続く文章は、その詳細の説明であり、それに対して返信をつけても、別問題であることを示せないのでは反論になっていません。脱線せずに本題を議論してください。(証明とならない脱線)
- 詳細な説明であるならば、序文の具体的内容を含んでいるはずです。実際、それに成功していると僕は思います。それに返信することは、序文の具体的内容に返信することと一致しています。まさしく脱線ではないと思います。
- 二重スリット実験に巨視的なものの重ね合わせがない?着弾が目に見えるのは、多数の分子に化学変化が生じていることを示しているはずです。これは巨視的ではないのですか?そこに着弾したかしなかったか、それは巨視的なものの重ね合わせではないのですか?(念のために言っておくと、閉鎖系云々とか堂々巡りは勘弁で。)
- つまり、貴方は二重スリット問題は、例えば電子や光子の重ねあわせ状態を強調するものではなく、輝点の重ねあわせ状態に注目される実験であり、その意味で興味をもたれているということでしょうか?実際はそうではありませんし、輝点は猫よりも十分小さいので、日常的なスケールを強調できていません。
- そもそも、量子力学における「巨視的」の定義とは?貴方は量子力学では明確に定義出来ないと言ってたはずでは?定義出来ないなら、巨視的であるか否かを区別する理由はないはずです。
- ここでの議論で述べた記憶はないのですが、おそらく、古典、量子の切断のことをおっしゃっているのでしょうか?ここでいっている巨視的は、数が多い(つまり、そういう近似を用いることができる)ということで、量子、古典の境目ではありません。
- デコヒーレンスでほとんど解決?では、そのデコヒーレンスは万人に認められる理論ですか?私の知る限りでは不完全な理論だったはずですが。Wikipediaにもそう書いてあります。
- ですから、ほとんどと申しています。
- 厳密ではない記述は削除すべき?削除の方針や無意味な記述によれば、それは編集によって内容を改善すべきであって、削除するのは適切な対応ではありません。その厳密さが致命的な問題ではないことについては何の反論も無いわけであり、削除しなければならない理由がありません。(前提の大忘却)
- 誤解が生じるということで示せてあると思いますが。
- 「シュレディンガーの猫固有の問題ではないとおもいます」って、貴方が思うだけですか。他に、観測問題の矛盾を示す物が無ければ、立派に固有の問題になるはずです。それを示さないなら反論になっていません。論点は、誰かの思想ではなく、科学です。
- いや、観測問題の矛盾など示してませんよ。(主観的に)奇妙だというだけの話で。
- 以上、論理の混同、証明とならない脱線、大前提の忘却等でない証明になってないようです。尚、自ら論点整理されないようなので、こちらで勝手に整理させていただきます。
- その点どう判断なさるかは読者にお任せしましょう。論点整理ありがとうございます。
- この思考実験が示す問題
- 重ね合わせの奇妙さは、この思考実験でなくても示せる
- この思考実験が示す問題
- 猫スケールの巨視的なものはこの実験でなくては示せません。
- この思考実験の結果は観測問題と密接に関係し、他に適切な事例は示されていない
- 一般に波束の収束という現象は無数に確認されています。
- 重ね合わせの奇妙さは理論的矛盾を生じない解決済問題である
- 同意
- 観測問題は未解決問題である
- 同意。しかし、これはシュレディンガーの猫のみではなく、量子力学すべての実験についていえることです。
- 語意は正確ではないが致命的ではなく、その語意を使った説明は不要とは言えない
- 誤解を生む可能性のあり、厳密でない説明は排除されるべきである。
- (この場所にあったWas a bee氏のコメントはつける場所を間違えていると思われるので、本来あるべき上の段落へ移動しました。)
- 論点から外れた議論を続けても、収拾がつきません。Wikipediaの方針ではノートページは記事の内容について議論するものです。そうでない記述は削除されても仕方ないはずです。その主張内容が正しいかどうかは別問題です。記事の改善に関する論点を整理し、極端な脱線は取り除くのは、議論を収拾させるために必要な行為です。それは、どんなに正しい内容であっても、例外ではありません。(本当に必要なら、コメントアウトしてあるだけだからいつでも回復出来ます。)
- 貴方は2007年2月3日 (土) 14:29 (UTC)に「論点が他のところに移った」と、誰にも持ち出していない論点を作り出して、議論を明後日の方向に持って行っています。このようなことは、一度や二度ではありません。これまで何度も行なっています。論点を整理せず、記事の改善に必要の無い脱線した論点を作るのはご遠慮願いたい。
- 何度も言いますが、思考実験が机上の空論(机上の空論に関する説明が必要なようなので、後で追記します。)で良いかどうかと、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いかどうかは、全くの別問題です。貴方は、理論が机上の空論で良いと主張しています。その裏付けになることを述べないのであれば、反論にはなっていません。そして、思考実験が机上の空論であることは、その裏付けになりません。(証明とならない脱線)
- 「輝点は猫よりも十分小さい」?「日常的なスケールを強調」?つまり、目に見える程度の物は「巨視的」ではないと?シュレーディンガーの猫は量子力学に関する思考実験だったのでは?「巨視的」とは量子力学的な用語として持ち出したのではなかったのですか?まさか、輝点程度の大きさなら量子力学的実験に耐えると仰りたいのですか?一体、貴方の言う「巨視的」とは何ですか?
- ほとんど?量子力学としては未解決であることを認めるなら、これは反論ではないですね。(証明とならない脱線)
- 観測問題の矛盾など示してません?だから、主観的判断をゴリ押しするのではなく、何らかの反論をしてください。
- 失礼ながら一言言わせてもらえれば、貴方は自然法則と人間が作ったルールを区別出来ていないようです。そのことを、まず、省みるべきでは?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 09:22 (UTC)
- 机上の空論の問題をまとめると次のようなことでしょう。
- 既知の理論しか適用出来ない
- 思考段階での誤りがないとは断言出来ない
- 後者を理由に机上の空論を否定してしまうと理論的考察が一切出来ません。よって、これは、机上の空論を否定する理由にはならないでしょう。机上の空論の最大の問題は、既知の理論しか適用しないことです。未知の理論が存在する可能性が高いとき、机上の空論では何の証明にもならないことは明らかです。
- 一方で、思考実験は、証明の根拠に使う物ではありません。既知の理論と矛盾しないかは検証できても、未知の理論との矛盾までは検証出来ません。言い替えれば、既知の理論との整合性を検証するだけなら、机上の空論でも差し支えないということです。
- 多世界解釈のような観測不可能な重ね合わせ状態であれば、観測結果とは何ら矛盾しません。それが、正しいかどうかは別として、間違っていると断言出来ないことは確かです。しかし、観測可能な重ね合わせ状態については、有志以来、一度でも観測されていない限り、現実と一致しない机上の空論に過ぎません。それは、人間の決めたルール(自然法則かも知れない物=候補であって、自然法則その物ではない)から生み出された物です。しかし、そのルールは現実からの推測によって作られたルールであり、現実を無視するのでは本末転倒です。いずれにせよ、現実の観測結果と一致しない点で、推測の元になる現象の実在すら確認されていない、完全に未知のルールを必要としています。それでは、殆ど妄想に近いと言えます。そのような机上の空論を想定した記述ではない、ということが、どうして記述を修正する理由になるのでしょうか?そのような机上の空論の内容を否定しているわけではないのに、どうして記述を修正する必要があるのでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 09:41 (UTC)
- 量子力学すべての実験についていえる?それで、何時になったら、その事例を示してもらえるのでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 09:44 (UTC)
まとめ
- 語意に問題があるなら適切な言葉に言い替えよ
- 机上の空論を想定した記述は必須ではない(机上の空論の中身を根拠無く否定するのは不適切だが)
--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 09:52 (UTC)
- 観測問題はシュレーディンガーの猫の固有の問題か?(詳細は別途)
- 巨視的な重ね合わせはシュレーディンガーの猫の固有の問題か?(詳細は別途)
追記--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 09:55 (UTC) この部分までのまとめなので切り離さないでください。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 12:00 (UTC)
大きな誤解や錯誤があるように思われます。
- 貴方は2007年2月3日 (土) 14:29 (UTC)に「論点が他のところに移った」と、誰にも持ち出していない論点を作り出して、議論を明後日の方向に持って行っています。このようなことは、一度や二度ではありません。これまで何度も行なっています。論点を整理せず、記事の改善に必要の無い脱線した論点を作るのはご遠慮願いたい。
僕は論点にしたつもりはありませんよ。実際このことに貴方が触れたのは、この投稿が初めてですし、同時に、僕も触れていないことに対して追求もしてません。旧来の話の流れにまったく影響を与えていない、完全なコメントをいまさらここで持ち出す貴方の意図が良くわかりません。論点が変わったということは何をさしているかというと、2007年2月3日 (土) 13:46 (UTC) の、
- 「シュレディンガーの猫は理論的な奇妙さを指摘するものである」とする主張は、2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)で終わっています。自分で持ち出した議題を忘れ、「いまだによく引用されています」と証明にならない話を持ち出した時点で、反論が放棄されています。物理学者が必ずしも否定せず、それで矛盾が何も生じないなら、それは解決済問題です。ある思考実験に解決済問題Aと未解決問題Bが含まれる時、「その思考実験はAを提示するものであってBを提示しているわけではない」とは言いません。逆です。奇妙なのは、解決済問題よりも未解決問題の方です。これに反論するならば、Aが未解決でBが解決済であることを示すか、あるいは、未解決問題より解決済問題の方がより奇妙であることを示す必要があります。「いまだによく引用されています」では、単にそう思う人がいることを示しているだけであって、反論として成り立っていません。(本件については、自分で持ち出した議題に関する議論を忘れ、その証明とならない脱線をしています。)
- 以上、論理の混同、証明とならない脱線、大前提の忘却等が議論の妨げになっているのでは?「僕の書いたことをよく理解して」「お願いですから投稿をよく読んでください」と責任転嫁をする前に、ご自身の姿勢を見つめ返されるべきと思います。
等、シュレーディンガーの猫に対する直接的な言及ではなく、僕の議論態度や議論方法に対する言及によって、僕の議論の不当性を立証する方向にシフトしたことをさしています。もちろん、この方向転換が不当であるとはいいませんが。
- 何度も言いますが、思考実験が机上の空論(机上の空論に関する説明が必要なようなので、後で追記します。)で良いかどうかと、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いかどうかは、全くの別問題です。貴方は、理論が机上の空論で良いと主張しています。
そんなことをどこで主張していますか。僕はまったく主張していないと思っていますが、誤ったことを書いてしまったかもしれませんので、その箇所を指摘していただけるとありがたいです。
- その裏付けになることを述べないのであれば、反論にはなっていません。そして、思考実験が机上の空論であることは、その裏付けになりません。(証明とならない脱線)
僕がおそらく主張していないことを提示し、その説明責任を求められても、まったく無意味な話です。引用元に証明にならない脱線という言葉がありますが、なるほど、適当な場所に置かれているように思います。
- 「輝点は猫よりも十分小さい」?「日常的なスケールを強調」?つまり、目に見える程度の物は「巨視的」ではないと?
そんなことは一言も言ってませんよ。双方とも巨視的であるが、猫のほうがより巨視的であり、日常的なスケールであるといっているに過ぎません。僕の意図を想像し、踏まえようとしていただけるのはありがたいですが、まったく成功していないので、むしろ、字面どうり判断してください。
- シュレーディンガーの猫は量子力学に関する思考実験だったのでは?「巨視的」とは量子力学的な用語として持ち出したのではなかったのですか?
はい。そのとおりです。
- まさか、輝点程度の大きさなら量子力学的実験に耐えると仰りたいのですか?一体、貴方の言う「巨視的」とは何ですか?
これは、上述によってまったく意味のなさない主張であることを示したと思いますが、個人的な興味から言及しておきますと、僕は輝点のサイズが量子力学に耐えられるほどの大きさであるかどうかを知りません。この話題を持ち出したWiki ryonさんは当然ご存知であろうと思いますので、後学のために教えていただけるとありがたいです。
- ほとんど?量子力学としては未解決であることを認めるなら、これは反論ではないですね。(証明とならない脱線)
どの程度解決しているかということは重要な問題です。同様の観測問題はまったく解決しておらず、その意味で、この問題は観測問題を特徴付けるものとしての力点が多少落ちる(ないとはいわないですよ)という主張をします。
- 誤解が生じるということで示せてある?貴方の主観的判断をゴリ押しするのではなく、以下の主張に対して反論したらどうですか。これを言うのは二度目ですが、削除の方針や無意味な記述によれば、それは編集によって内容を改善すべきであって、削除するのは適切な対応ではありません。その厳密さが致命的な問題ではないことについては何の反論も無いわけであり、削除しなければならない理由がありません。(前提の大忘却)
僕は即、削除せよといった記憶はありませんよ。2007年2月3日 (土) 12:33 (UTC) によると、
- アルファ粒子発生という表現が問題?なるほど、「カモシカのような足」という表現は間違いだと、「カモシカの足のような足」と表現すべきだと仰るのですね。確かに、その通りです。しかし、表現にそこまで厳密さを求めるなら、迂闊に何も言えなくなりますね。一々事細かに注釈をつけなければならないのでは簡潔な説明もままなりません。
と、説明を加えると簡潔さが失われることを貴方は指摘しています。それを踏まえて削除してはどうかという提案はしました。ただ、上述引用以降の文を無視したことについては不用意でした。後に述べられている項目の是非を議論する時に、改めて言及します。
- 観測問題の矛盾はなど示してません?だから、主観的判断をゴリ押しするのではなく、何らかの反論をしてください。
この点は多少口が滑ったと認めます。観測問題の矛盾とは波束の収縮がシュレーディンガー方程式による時間発展に矛盾するという純粋に理論的なものです。その意味で上述のような主張しましたが、確かに、波束の収縮と解釈される実験事実があり、それと理論が矛盾するという意味であるならまさにシュレーディンガーの猫は観測問題の矛盾を示しています。しかしながら、その立場なら、あらゆるの量子実験が矛盾を示しめしていることになります。量子実験は波束の収縮と考えられる現象を起こすものだからです。
- 失礼ながら一言言わせてもらえれば、貴方は自然法則と人間が作ったルールを区別出来ていないようです。そのことを、まず、省みるべきでは?
それは貴方の誤読だと思いますよ。
- 机上の空論の問題をまとめると次のようなことでしょう。
既知の理論しか適用出来ない 思考段階での誤りがないとは断言出来ない 後者を理由に机上の空論を否定してしまうと理論的考察が一切出来ません。よって、これは、机上の空論を否定する理由にはならないでしょう。机上の空論の最大の問題は、既知の理論しか適用しないことです。未知の理論が存在する可能性が高いとき、机上の空論では何の証明にもならないことは明らかです。 一方で、思考実験は、証明の根拠に使う物ではありません。既知の理論と矛盾しないかは検証できても、未知の理論との矛盾までは検証出来ません。言い替えれば、既知の理論との整合性を検証するだけなら、机上の空論でも差し支えないということです。
これは何度も僕は認めています。それに反する発言をした記憶はまったくありません。
- 多世界解釈のような観測不可能な重ね合わせ状態であれば、観測結果とは何ら矛盾しません。それが、正しいかどうかは別として、間違っていると断言出来ないことは確かです。しかし、観測可能な重ね合わせ状態については、有志以来、一度でも観測されていない限り、現実と一致しない机上の空論に過ぎません。それは、人間の決めたルール(自然法則かも知れない物=候補であって、自然法則その物ではない)から生み出された物です。しかし、そのルールは現実からの推測によって作られたルールであり、現実を無視するのでは本末転倒です。
多世界解釈の重ねあわせ状態とシュレディンガーの猫の重ね合わせ状態は、まったく異なります。前者は干渉項を失っているのに対して、後者は干渉項を失っていないのですから。そして、前者はそのような定式化を実験的に正当化できないのに対して、シュレーディンガーの猫は実験の設定から、そのような定式化が導出されるのですから。
- いずれにせよ、現実の観測結果と一致しない点で、推測の元になる現象の実在すら確認されていない、完全に未知のルールを必要としています。それでは、殆ど妄想に近いと言えます。
繰り返しになりますが、シュレーディンガーの猫の重ねあわせ状態は、仮想実験の内容を前提として、既知のルールから導出されるものです。
- 論点にしたつもりはありません?「とりあえず、返答差し上げます」と自分で言ったのに?
- 議論の不当性を立証する方向にシフト?普通は、主たる主張は括弧書きにしないものです。括弧書きは説明上の補足であり、主たる主張は括弧書きにしていない方にあります。よって、主たる主張は、反論が放棄されている=反論していない=同意に等しいであり、「僕の議論の不当性を立証」ではありません。文章全体を読めば「僕の議論の不当性を立証」は目的ではなく、証明の手段の一つとして利用しているに過ぎないことが分かるはずです。それも、主たる手段ではありません。主たる主張に反論しないのでは、相手の主張を全く崩せません。それでは、反発であっても反論にはなってません。
- まったく主張していない?2007年2月3日 (土) 12:33 (UTC)の「机上の空論の域を出ていないことを想定していないという理由で、どうして記述に問題があると言えるのですか?」に対して、2007年2月3日 (土) 13:03 (UTC)で「シュレディンガーの猫は、量子力学の理論的な側面に対する仮想実験です。つまり、そもそもが机上の空論です。従って、現実的であるかどうかは必ずしも重要視されません。」と反論されてますね。しっかりと主張しているじゃないですか。
- 日常的なスケールである?「双方とも巨視的」であるなら、「猫のほうがより巨視的」と言うのは五十歩百歩では?(そう主張している可能性は想定内だったけど、まさか、堂々とそんな主張をするとは思いませんでした。)
- 輝点のサイズが〜知りません?知らないなら、どうして、二重スリット実験では駄目だと断言出来るのですか?断言するからには、貴方は輝点の重ね合わせなど全く奇妙ではないと仰るのですね?右上、左上、右下、左下、中央、その他諸々の着弾点の重ね合わせがあっても全く奇妙ではないと仰るのですね?つまり、貴方は、そのような重ね合わせ、もしくは、それに類似した現象を見たことがあると?でも、猫の重ね合わせだけは見たことがないと?それなら、確かに、シュレーディンガーの猫の固有の問題ですね。後学のためにも、ぜひ、その体験を語っていただきたい。
- どの程度解決しているか?だから、デコヒーレンス固有の問題と、量子力学全体の問題を混同しないでください。デコヒーレンスが誰もケチを付けられない完璧な理論となったなら、デコヒーレンス=量子力学となるのでしょうが、現時点では、量子力学の一つの仮説に過ぎません。一つの仮説においてどの程度解決しているかは、量子力学全体としてどの程度解決しているかと同義ではありません。
- 即、削除せよといった記憶はありません?誰が「即」を論点にしているのですか?論点は削除するかどうかであって「即」ではありません。無意味に論点を広げないでください。
- 説明を加えると簡潔さが失われる?元の文章を引用したってことは、その文章を読み直す機会があったことを示しています。これは元の文章を全く違う意味に組み替えた物であり、誤読ですらありません。この文章で言う「注釈」とは、「『カモシカのような足』は正確に言えば『カモシカの足のような足』」とする説明であり、「カモシカのような足」という語句を使った説明文ではないのは明らかでしょう。つまり、貴方の文章で言う所の加える説明とは、「アルファ粒子発生」という語句の正確な意図の説明であって、その語句を使った説明文ではありません。その語句を使った説明文について「加えると簡潔さが失われる」と私が認めたかのような捏造は止めていただきたい。(これに至っては論外です。本当に勘弁していただきたい。)
- 観測問題の矛盾とは〜純粋に理論的なもの?細かいツッコミは棚上げするとして、それ、観測問題ではなくて解釈問題では?似て非なる問題を混同しているのでは?確かに、解釈問題はあらゆる量子力学の現象につきものであって、シュレーディンガーの猫に固有の問題ではないですよ。解釈問題はね。
- 既知のルールから導出される?ほら、自然法則と人間が作ったルールを区別出来てないようですね。その既知のルールとやらの観測可能な重ね合わせは、現実的かどうか疑わしいと自分で認めてましたよね。つまり、本物の自然法則なのかどうか怪しい代物です。そもそも、閉鎖系でなくても重ね合わせを維持する(観測するには閉鎖系でなくなる必要がある)ことを想定するなら、シュレーディンガーの猫のような閉鎖系で実験を行なう必要はなくなります。よって、それは、シュレーディンガーの猫の固有の問題とは言えなくなるはずです。
- 論点を整理して議論すれば、あっという間に終わる議論のはずでしょう。それが迷走して明後日の方に行ってます。どうして論点を絞ろうとしないのか疑問です。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 12:57 (UTC)
- 論点にしたつもりはありません?「とりあえず、返答差し上げます」と自分で言ったのに?
2007年2月3日 (土) 14:29 (UTC) によると、
- 論点が他のところに移ったようですが、とりあえず、返答差し上げます。
とありますが、「が」という接続詞から見るに、むしろ「とりあえず返答差し上げます」というのは、論点にしないということを意図していると思われますが。
- 議論の不当性を立証する方向にシフト?普通は、主たる主張は括弧書きにしないものです。括弧書きは説明上の補足であり、主たる主張は括弧書きにしていない方にあります。よって、主たる主張は、反論が放棄されている=反論していない=同意に等しいであり、「僕の議論の不当性を立証」ではありません。
括弧書きの部分だけをさして、いるわけではありませんよ。全体を指してそのように称しているんですから。
- 文章全体を読めば「僕の議論の不当性を立証」は目的ではなく、証明の手段の一つとして利用しているに過ぎないことが分かるはずです。
目的としたといった記憶はありません。貴方のイメージではそうなのかもしれませんが、僕はそういうことを意図していませんよ。
- それも、主たる手段ではありません。主たる主張に反論しないのでは、相手の主張を全く崩せません。それでは、反発であっても反論にはなってません。
ですから、これは論点でもなんでもない、コメントだと何回もいってます。どういう意図で、取るに足らないコメントにここまで力点を置かれるのか、私には良くわかりません。
- まったく主張していない?2007年2月3日 (土) 12:33 (UTC)の「机上の空論の域を出ていないことを想定していないという理由で、どうして記述に問題があると言えるのですか?」に対して、2007年2月3日 (土) 13:03 (UTC)で「シュレディンガーの猫は、量子力学の理論的な側面に対する仮想実験です。つまり、そもそもが机上の空論です。従って、現実的であるかどうかは必ずしも重要視されません。」と反論されてますね。しっかりと主張しているじゃないですか。
僕は、シュレディンガーの猫は仮想実験だから机上の空論であってよいと主張しました。これと同じことは貴方も主張なさっているはずですよ。例えば、2007年2月4日 (日) 09:22 (UTC)
- 一方で、思考実験は、証明の根拠に使う物ではありません。既知の理論と矛盾しないかは検証できても、未知の理論との矛盾までは検証出来ません。言い替えれば、既知の理論との整合性を検証するだけなら、机上の空論でも差し支えないということです。
とあります。ここで問題になっているのは2007年2月4日 (日) 09:22 (UTC) の
- 貴方は、理論が机上の空論で良いと主張しています。
じゃないんですか?よく落ち着いて、じっくり読んでください。
- 日常的なスケールである?「双方とも巨視的」であるなら、「猫のほうがより巨視的」と言うのは五十歩百歩では?(そう主張している可能性は想定内だったけど、まさか、堂々とそんな主張をするとは思いませんでした。)
大きさが10のん乗のオーダーで違うんですから、大きな違いでしょう。
- 輝点のサイズが〜知りません?知らないなら、どうして、二重スリット実験では駄目だと断言出来るのですか?
ひとつは、二重スリット実験は輝点の大きさに注目される使い方をこれまでされていないから。もうひとつは輝点のサイズは猫より十分小さいから。
- 断言するからには、貴方は輝点の重ね合わせなど全く奇妙ではないと仰るのですね?
右上、左上、右下、左下、中央、その他諸々の着弾点の重ね合わせがあっても全く奇妙ではないと仰るのですね?
僕が断言する理由は上述であり、これは貴方の創造の世界での話です。
- つまり、貴方は、そのような重ね合わせ、もしくは、それに類似した現象を見たことがあると?
そのような重ねあわせというのはどういうものですか?もう少し厳密にお願いします。単純に重ねあわせ状態なら、電子の重ねあわせや光子の重ねあわせなど腐るほどあります。
- でも、猫の重ね合わせだけは見たことがないと?それなら、確かに、シュレーディンガーの猫の固有の問題ですね。後学のためにも、ぜひ、その体験を語っていただきたい。
ミクロの世界では幾らでも重ねあわせ状態が観測されており、マクロな世界ではそのような重ねあわせ状態がないので、固有の問題なんですね。私の議論の補足ありがとうございます。
- どの程度解決しているか?だから、デコヒーレンス固有の問題と、量子力学全体の問題を混同しないでください。デコヒーレンスが誰もケチを付けられない完璧な理論となったなら、デコヒーレンス=量子力学となるのでしょうが、現時点では、量子力学の一つの仮説に過ぎません。一つの仮説においてどの程度解決しているかは、量子力学全体としてどの程度解決しているかと同義ではありません。
有力な仮説といって欲しいですな。実験的なサポートがないわけではないんですから。
- 即、削除せよといった記憶はありません?誰が「即」を論点にしているのですか?論点は削除するかどうかであって「即」ではありません。無意味に論点を広げないでください。
貴方が、説明を加えると簡潔さが失われるならば削除してはどうかです。貴方は、最初の部分を無視してここに記述なさいました。それを強調するために即という言葉を使用しました。
- 説明を加えると簡潔さが失われる?元の文章を引用したってことは、その文章を読み直す機会があったことを示しています。これは元の文章を全く違う意味に組み替えた物であり、誤読ですらありません。この文章で言う「注釈」とは、「『カモシカのような足』は正確に言えば『カモシカの足のような足』」とする説明であり、「カモシカのような足」という語句を使った説明文ではないのは明らかでしょう。つまり、貴方の文章で言う所の加える説明とは、「アルファ粒子発生」という語句の正確な意図の説明であって、その語句を使った説明文ではありません。
その語句を使った説明文について「加えると簡潔さが失われる」と私が認めたかのような捏造は止めていただきたい。(これに至っては論外です。本当に勘弁していただきたい。)
なるほど、つまり、「加えると簡潔さが失われる」と認めていないということですか。誤読失礼しました。では、その上で質問します。「加えると簡潔さが失われる」と思いますか、思いませんか?
- 観測問題の矛盾とは〜純粋に理論的なもの?細かいツッコミは棚上げするとして、それ、観測問題ではなくて解釈問題では?似て非なる問題を混同しているのでは?確かに、解釈問題はあらゆる量子力学の現象につきものであって、シュレーディンガーの猫に固有の問題ではないですよ。解釈問題はね。
- 既知のルールから導出される?ほら、自然法則と人間が作ったルールを区別出来てないようですね。その既知のルールとやらの観測可能な重ね合わせは、現実的かどうか疑わしいと自分で認めてましたよね。つまり、本物の自然法則なのかどうか怪しい代物です。
ええ、仮想実験ですから、現実性は除外されます。それは散々申し上げたと思いますが。そして、ルールの内容は、「実験によって、所定の確率である状態になる波動関数は、その状態の重ねあわせで与えられる」というもの。これが怪しければ、量子力学は根底から崩壊します。貴方の量子力学観が良くわかりました。
- そもそも、閉鎖系でなくても重ね合わせを維持する(観測するには閉鎖系でなくなる必要がある)ことを想定するなら、シュレーディンガーの猫のような閉鎖系で実験を行なう必要はなくなります。よって、それは、シュレーディンガーの猫の固有の問題とは言えなくなるはずです。
そんなことはまったく想定してませんよ。
- 論点を整理して議論すれば、あっという間に終わる議論のはずでしょう。それが迷走して明後日の方に行ってます。どうして論点を絞ろうとしないのか疑問です。
論点を絞るほど複雑な議論ですか?
まともな議論にならない理由の考察
他人に対して「誤解」「錯誤」「誤読」を指摘するときは、自分が「誤解」「錯誤」「誤読」をしている可能性を考えなければなりません。「説明を加えると簡潔さが失われることを貴方は指摘しています」は、正にそれです。
思うに、「誤解」「錯誤」「誤読」をしているのは貴方の方なのでしょう。そのうえで反論しようとするから、話がまとまらない。私は、貴方が本来の私の主張への反論をしていると解釈する。だから、貴方の主張が反論になっていないと指摘する。でも、貴方は、私の主張に対してではなく、「誤解」「錯誤」「誤読」に対して反論しているから、そんなことを言った憶えは無いと言う。
簡単にまとめると、私はAと主張する。しかし、貴方はBと誤読する。そして、Bの否定のためにCという主張をする。しかし、私には、Aの否定のためにCという主張をしているように見える。私は、どうして、CがAの否定根拠になるのか首を傾げる。一方で、貴方はBを否定するつもりだから、Cが根拠になっていると思っている。私は、CではAを否定する根拠にならないと言う。貴方は、Aを否定した憶えは無いと言う。
これまでのパターンを見る限り、確かに、Cについては存在しています。私が、「貴方がCでBを否定したつもり」を「貴方がCでAを否定した」と認識しているケースは多々あるけれど、CをDに誤解したというケースは殆ど示されていません。ということは、この推測はほぼ当たってるのではないかと思います。思うに、ド素人を自称しているから、ド素人ならBという主張をするだろうと決め付けているのではないかと。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 13:40 (UTC)
2007年2月4日 (日) 12:57 (UTC)の「まったく主張していない?〜しっかりと主張しているじゃないですか。」は、「貴方がCでBを否定したつもり」を「貴方がCでAを否定した」と私が認識している事例かと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 13:46 (UTC)
- まず最初に、僕は貴方の誤読をたくさん指摘した記憶がありますが、貴方が指摘したのは、「説明を加えると簡潔さが失われることを貴方は指摘しています」の部分のみですよね。そして、貴方は、貴方の意見が誤読ではない、つまり、僕の表現から日本語の必然として、そのように読みとめるということを立証していません。誤読であるということをおっしゃりたいならばちゃんと議論なさるべきだと思います。
- 簡単にまとめると、私はAと主張する。しかし、貴方はBと誤読する。そして、Bの否定のためにCという主張をする。しかし、私には、Aの否定のためにCという主張をしているように見える。私は、どうして、CがAの否定根拠になるのか首を傾げる。一方で、貴方はBを否定するつもりだから、Cが根拠になっていると思っている。私は、CではAを否定する根拠にならないと言う。貴方は、Aを否定した憶えは無いと言う。
- このような例は何をたとえているのですか?僕が連想するのは、A「理論の実験検証可能性がない」とB「仮想実験の現実性がない」を混乱していることですが。そして、僕はAに類するもの、例えば多世界解釈、をまったく主張していないし、意図すらもしていません。そもそも、貴方は僕が多世界解釈党だと思っているのかもしれませんが、多世界解釈は理解して(人に説明できる程度の)いますが信じてませんよ。僕は確率過程量子化党ですから。
- これまでのパターンを見る限り、確かに、Cについては存在しています。私が、「貴方がCでBを否定したつもり」を「貴方がCでAを否定した」と認識しているケースは多々あるけれど、CをDに誤解したというケースは殆ど示されていません。ということは、この推測はほぼ当たってるのではないかと思います。思うに、ド素人を自称しているから、ド素人ならBという主張をするだろうと決め付けているのではないかと。
- とんでもない。ど素人はこのような主張はしないでしょう。
2007年2月4日 (日) 13:46 (UTC)の部分はまさに僕の意図したとおりの場所です。しつこいようですが、僕はAに類することを主張したことはありませんよ。 Kakannkann 2007年2月4日 (日) 14:44 (UTC) Kakannkann 2007年2月4日 (日) 15:00 (UTC)
- 一般論として、いくつかお話を。
- 非常に大きな物事の概要を理解し、その概要に基づいて議論を進めたとしても、概要から漏れてしまったたくさんの内容がその議論と矛盾し、まったくお話にならない結果になることがあると思います。
- ノーベル物理学賞を受賞したファインマンは素人に簡単に説明できなければその物事を理解したことにならないと主張していましたが、彼はスピンという物理現象を素人にわかるよう簡単に説明することができず、「スピンを理解できていないんだよ」と認めた逸話があります。
「机上の空論の域を出ていないこと」の「こと」は思考実験=シュレーディンガーの猫ではありません。それでは、文章の意味が通りません。「こと」が指しているのは、それによって検証される科学理論です。それは、文章を読めば分かるはずです。具体的に言えば、貴方の言う、観測可能な重ね合わせのことです。これは、AをBと誤読した典型的事例ですね。文章のつながりを考えれば、このような誤読をする理由が全く分かりません。それでは、私の主張の脈略がなくなります。「論点が他のところに移った」と言われるのも、それが原因でしょう。これは、正しく、ド素人ならBという主張をするだろうと決め付けているように見えます。
もう少し厳密にお願いします?ワザと言ってますか?自分で「双方とも巨視的」と認めたのではないですか?電子の重ねあわせや光子の重ねあわせ?何故、そこで「巨視的」ではない物が出て来るのですか?「巨視的」な重ね合わせに決まってるでしょう。「猫より十分小さい」けれども「巨視的」な重ね合わせですよ。もう、ここまでくると故意にフザけているとしか思えません。
そんなことはまったく想定してません?観測可能な重ね合わせは撤回するのですか?
誤読をたくさん指摘した?貴方が誤読だと言ってただけですね。私の誤読ではなく貴方の誤読だろうとは思っていましたが、論点が逸れることので敢えて無視しました。
何をたとえている?ABCという喩えを使うのは、それが何であるのか具体的に特定しなくても、一般論として成り立っているからです。一般論として、その文章を理解するのが先決です。具体例は、それから考えるべきことでしょう。というか、今回の返事の冒頭で具体例は出ていますけどね。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 15:24 (UTC)
2007年2月4日 (日) 12:57 (UTC)の「まったく主張していない?〜しっかりと主張しているじゃないですか。」は、「貴方がCでBを否定したつもり」を「貴方がCでAを否定した」と私が認識している事例とする指摘はドンピシャだったようです。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 15:27 (UTC)
- 「机上の空論の域を出ていないこと」の「こと」は思考実験=シュレーディンガーの猫ではありません。それでは、文章の意味が通りません。「こと」が指しているのは、それによって検証される科学理論です。それは、文章を読めば分かるはずです。具体的に言えば、貴方の言う、観測可能な重ね合わせのことです。
- その時点では、「それによって検証される科学理論」を貴方はまったく提示しておりません。提示されてないものが「これ」であるというのは無茶な話です。あなた自身が明確に科学理論ということを主張しだしたのは2007年2月3日 (土) 13:46 (UTC) からです。
- 思考実験が机上の空論で良いかどうかと、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いかどうかは、全くの別問題です。思考実験は、机上の空論なのだから、正しさを証明する手段には使えません。あくまで、矛盾が生じることを示して、理論への懐疑を提示するだけです。想定が間違っているのか、あるいは、理論が間違っているのかを検証し、真実を追究するのが思考実験の役割です。想定に間違いがなければ、机上の空論でも全く差し支えがないのが思考実験です。一方で、現実に即していなければ科学理論とは呼べません。机上の空論の理論は、思考実験の対象にさえなりません。(そもそも、論点を整理していれば、このような混同はあり得ないはずです。)
- その件に関しては、2007年2月3日 (土) 14:29 (UTC) で、
- 想定に間違いがなければ、机上の空論でも全く差し支えがないのが思考実験です。一方で、現実に即していなければ科学理論とは呼べません。机上の空論の理論は、思考実験の対象にさえなりません。(そもそも、論点を整理していれば、このような混同はあり得ないはずです。)
- 思考実験は机上の空論でも良いが、科学的な思考実験は現実性を持たなければならないということでしょうか?もしそうなら、かなり沢山の思考実験は、実際に実験可能であるもの以外、科学的ではなくなると思いますがそういう立場なのでしょうか?もしそうなら、厳密なシュレディンガーの猫の実験は科学的ではありません。論点を整理以前の話だと思いますが。誤読なら申し訳ないのですが。
- とお聞きしています。これに対して誤読であるという指摘がないので、解釈に問題がないと判断しました。
- これは、AをBと誤読した典型的事例ですね。文章のつながりを考えれば、このような誤読をする理由が全く分かりません。それでは、私の主張の脈略がなくなります。「論点が他のところに移った」と言われるのも、それが原因でしょう。これは、正しく、ド素人ならBという主張をするだろうと決め付けているように見えます。
- 従って、話の流れから必然であったといえます。
- もう少し厳密にお願いします?ワザと言ってますか?自分で「双方とも巨視的」と認めたのではないですか?電子の重ねあわせや光子の重ねあわせ?何故、そこで「巨視的」ではない物が出て来るのですか?「巨視的」な重ね合わせに決まってるでしょう。「猫より十分小さい」けれども「巨視的」な重ね合わせですよ。もう、ここまでくると故意にフザけているとしか思えません。
- いや、わからなかったものですからお聞きしたまでのこと。愚昧であることをお許しください。一例は10μm程度の超伝導干渉素子が、重ねあわせ状態を示すことが知られています。参考文献は岩波基礎物理シリーズの量子力学の刊のコーヒーブレイクに記載されていたと思うのですが、現在手元に本がなく、http://www.brl.ntt.co.jp/J/activities/file/report04/report22.htmlを参考にしました。
- そんなことはまったく想定してません?観測可能な重ね合わせは撤回するのですか?
- いいえ。箱の中の重ねあわせ状態は仮定しますが、観測後の重ねあわせ状態は仮定しません。
- 誤読をたくさん指摘した?貴方が誤読だと言ってただけですね。私の誤読ではなく貴方の誤読だろうとは思っていましたが、論点が逸れることので敢えて無視しました。
- そうおっしゃるなら指摘なさればよろしいでしょう。そのような誤解が議論の流れを断ち切る以上の問題点を生じることは、現在の流れで明白でしょう。過去、貴方の発言したことを一字一句調査し、その上で誤読でなければ誤読でないと主張し、誤読であれば謝罪します。そうして、お互いの主張する真意を理解し、その上で議論を尽くすのが筋だと考えます。
提案
誤読、前提事項の忘却等が目立ち、収拾がつきそうも無いので、「2007年1月30日 (火) 08:54の版について」は一から仕切り直しを提案します。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 15:43 (UTC)
- これまでの議論は無意味だとは思いません。そういう議論の積み重ねを踏まえて、また、議論の整理をする方が、同様の議論をまた繰り返すよりも効率的だと考えます。お互いの発言のログは残っているので、とことんやりあい、枝葉の一つ一つを虱潰していきましょう。ただ、残念なことに、今週は忙しいので、返事は週末になるかもしれません。
- Kakannkann 2007年2月4日 (日) 16:44 (UTC)
まったく提示しておりません?「重ねあわせ状態の観測自体も量子論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)、「これをナイーブに巨視系に導入することは、理論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 11:07 (UTC)。自分で提示した理論を簡単に忘れないでください。
誤読であるという指摘がない?そこに突っ込んだらキリが無いから放置しただけです。重箱の隅を突くより、重大な間違い等を指摘することを優先しただけです。ただでさえまとまらないのに、そこまで細かいツッコミをしていられません。
10μm程度の超伝導干渉素子?それは知りませんでした。それで、それは、重ね合わせ状態のまま観測されるのですか?観測したら、重ね合わせでなくなるなら、今回の議論とは別問題ですね。
観測後の重ねあわせ状態は仮定しません?「重ねあわせ状態の観測自体も量子論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)、「これをナイーブに巨視系に導入することは、理論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 11:07 (UTC)。自分で提示した過程を忘れないでください。
私は、前提事項を固定して一貫して話を進めているつもりですが、どうやら、貴方は、その場限りの前提事項で物を言ってるようです。そして、一度、返信の往復が行なわれると過去の前提事項はリセットされるわけですね。以前に話していたことは何処かに行ってしまい、そこから唐突に新たな話が始まる。それでは議論になりません。一貫した前提事項を元に話を進めてこその議論です。予告も無く前提事項がコロコロ変わる物は有益どころか議論ですらありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月5日 (月) 09:31 (UTC)
混同項目のまとめ
貴方は次のようなことを混同していると思われます。
- 自然法則と人間の決めたルールを混同している
- 思考実験と、それによって検証される理論を混同している
- 確定する要因や時期を特定できないことと確定そのものの様子が分からないことを混同している
これらが誤読ではないことを証明します。
波動関数単体では現実に起きている現象と一致しません。つまり、波動関数だけでは理論として不完全です。収縮に相当する何か(多世界解釈で言えば干渉性の喪失)とセットでなければ、理論として完全にはなりません。理論が不完全であることを自覚しているならば、不完全な理論の不完全さによる帰結を「理論的」とは言いません。それを「理論的」と言うのは、特殊相対性理論の高速不変だけを採用し、時間や距離が絶対であるとして、それによって導かれた結論を「理論的」と言うのと同じです。よって、観測可能な重ね合わせを理論的と称するのは、自然法則と人間の決めたルールを混同している良い証拠です。
思考実験は、既知の理論に基づいた検証しかできない点で、机上の空論です。しかし、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いということにはなりません。原則として、思考実験の対象となるのは、その思考実験によらなければ不完全さが明らかに出来ない理論だけです。思考実験によるまでもなく不完全さが明らかになっているなら、思考実験をするまでもありません。明らかに不完全な理論によって導かれる結論が奇妙なのは当たり前です。それは、その理論が明らかに不完全だからであって、思考実験によって不完全さが暴かれたわけではありません。つまり、その思考実験の固有の問題ではないわけです。
確定要因や時期と確定そのものの様子は、相互に関連する問題でありながら、かつ、それぞれ独立した別個の問題でもあります。道具主義の立場では、要因や時期を特定する必要はあっても、確定そのものの様子を明らかにする必要はありません。始まりと終わりの状態が明らかで、かつ、その変化が何時、何をきっかけとして起こるかさえ分かっていれば、確定そのもののが完全なブラックボックスであっても、法則を立てることは可能です。逆に言えば、何時、何をきっかけとして起こるかが分からなければ、法則を立てることが出来ず、道具主義を満足することは出来ません。よって、確定要因や時期と確定そのものの様子は、科学哲学的な要請から明確に区別できるものです。
ついでに言えば、科学的な遊びと本気の科学も誤解しているのでしょうね。確かに、遊びとして見れば、猫くらいの大きさが無いと面白みがありません。しかし、科学的には、同じ巨視的な存在で起きていることであれば、同等の価値が認められます。それは、貴方が挙げた「10μm程度の超伝導干渉素子」の記事に、「巨視的な物体でもあるにかかわらず、量子的な重ね合わせを表す現象は、シュレディンガーの猫とも言われている。」と書かれていることからも明らかでしょう。本気の科学にとっては、「10μm程度の超伝導干渉素子」でも、猫の重ね合わせと同じくらい価値があるわけですから。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月5日 (月) 09:31 (UTC)
- まったく提示しておりません?「重ねあわせ状態の観測自体も量子論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)、「これをナイーブに巨視系に導入することは、理論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 11:07 (UTC)。自分で提示した理論を簡単に忘れないでください。
- 僕がそこでさしているのはスタンダードで、観測問題とはかかわらない普通の量子力学のことをさしてそのように言いました。実際、それ以前に僕は机上の空論となる何らかの理論を提示していませんので、ここでの理論は明らかにスタンダードな量子力学でしょう。それが、貴方のいうところ、「机上の空論の域を出ていないこと」のことであるというなら、貴方は、量子力学は机上の空論の域を超えていないことだとおっしゃるわけですか?
- 誤読であるという指摘がない?そこに突っ込んだらキリが無いから放置しただけです。重箱の隅を突くより、重大な間違い等を指摘することを優先しただけです。ただでさえまとまらないのに、そこまで細かいツッコミをしていられません。
- 重大な指摘以前に、お互いの前提としていることを確かめ合わなければ、そもそも議論になりません。
- 10μm程度の超伝導干渉素子?それは知りませんでした。それで、それは、重ね合わせ状態のまま観測されるのですか?観測したら、重ね合わせでなくなるなら、今回の議論とは別問題ですね。
- 今回の議論で問題になっていることは、重ね合わせ状態の観測が可能かどうかではなかったですか?2007年2月3日 (土) 10:32 (UTC) によると、
- 重ねあわせ状態の観測が可能というなら、その理論を明示してください。もちろん、誰かが主張しているというレベルの独自の調査ではなくて、現実に即した理論としてです。
- とあります。それは、重ねあわせ状態のまま観測されるということとは異なります。そして、観測したからといって必ずしも重ねあわせ状態でなくなるわけではありません。なぜなら、状態の収束によって重ねあわせ状態に収束することがあるからです。(そして、2007年2月3日 (土) 11:07 (UTC) で提示した実験は、まさにそういう実験です)
- 観測後の重ねあわせ状態は仮定しません?「重ねあわせ状態の観測自体も量子論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 09:40 (UTC)、
- 上述よりまったく問題がありません。
- 「これをナイーブに巨視系に導入することは、理論的には否定されません」2007年2月3日 (土) 11:07 (UTC)。自分で提示した過程を忘れないでください。
- この発言は、観測前の重ねあわせ状態をさしているものです。
- 私は、前提事項を固定して一貫して話を進めているつもりですが、どうやら、貴方は、その場限りの前提事項で物を言ってるようです。
- 僕が前提としていることは量子力学です。この議論の場合、関連する広範な量子力学の知識を前提とし、それにのっとって議論することにまったく問題がないと考えます。ところが、量子力学の当然の知識を、その場限りの前提事項であると認識されているようです。これには唖然とせざるをえません。
- そして、一度、返信の往復が行なわれると過去の前提事項はリセットされるわけですね。以前に話していたことは何処かに行ってしまい、そこから唐突に新たな話が始まる。それでは議論になりません。
- リセットなどしていませんよ。矛盾する命題はまったく持ち出していません。あるというなら、ご証明ください。矛盾があるならば訂正しますので。
- 一貫した前提事項を元に話を進めてこその議論です。予告も無く前提事項がコロコロ変わる物は有益どころか議論ですらありません。
- 私は量子力学の知識を一貫して前提としています。参考文献も提示することができます。ただ、貴方は、いくつかの量子力学の知識を仮定していないのでそのように思われるのでしょう。
- >道具主義を満足することは出来ません。
- え?ryonさん、あなたは道具主義があくまでひとつの立場にすぎないにも関わらず、道具主義の立場のみから編集すること宣言するわけですか?そして科学哲学がいつから道具主義を要請する学問になったんですか?しかも道具主義の立場をとるような事をいいながら、
- >自然法則と人間の決めたルールを混同している
- こうやって自然法則についてだけは実在論の立場をとるんですか。単純な歴史的事実として、自然法則は人間が特定の自然の斉一性を仮定した上で、観測結果から帰納、またはアブダクションしただけのルールにすぎないですよね。どういった斉一性を仮定するかについては、グルーのパラドックスで示唆されるように多くの問題も残されています。いったいあなたは何をお考えになっているのでしょうか。Was a bee 2007年2月5日 (月) 11:03 (UTC)
その文章のどの部分に「道具主義の立場のみから編集する」と書いてありますか?一部の発言を切り貼りして人の発言を捏造するのは止めてください。その文章は、一方が道具主義の十分条件を満たし、もう一方が道具主義の必要条件を満たさないという違いから、両者が区別出来ると言ってるだけです。両者の区別に道具主義が道具として利用出来ると言ってるだけで、道具主義的立場に立つべきかどうかなど、その文章の何処にも書いていません。
何処に、実在論の立場と書いてあるのですか?一部の発言を切り貼りして人の発言を捏造するのは止めてください。元の文章には、「観測結果から帰納、またはアブダクションしただけのルール」が絶対などとは一言も書いていません。「観測結果から帰納、またはアブダクションしただけのルール」でさえない物は、自然法則と一致しているとは推測出来ないと言ってるだけです。
何か物を言うなら、きちんと読んでからにしていただきたい。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月5日 (月) 12:10 (UTC)
- >自然法則と一致しているとは推測出来ないと
- 一致させるべき対象としての自然法則が、独立して存在している、という仮定が実在論です。もうあなたには何を言っても無駄なのかもしれませんが、いつになったら文献の引用をしてくれますか?「私(ryonさんのこと)の主張は○○という本のn頁からm頁にかいてあるから、常識として読んでおけ」こう言ってくれれば終わりです。ただこれだけの事です。どうぞはやく文献と頁をご指定ください。これはもう何度も何度もあなたにお伝えしていることです。これまでの再三再四に渡るお願いにも関わらず、あなたはまったく自説を裏付ける文献を引用しません。もうここまで来るとそろそろ、「ブロック」という言葉が現実味を帯びてきてしまいます。ぜひ真剣なご対応をしていただけること願っています。Was a bee 2007年2月6日 (火) 00:24 (UTC)
「独立して存在している、という仮定」とは独立性テーゼのことを指しているのだと思うけど、
- その文章の何処が独立性テーゼを肯定しているのか?
- その文章の何処が知識テーゼを肯定しているのか?
それらを具体的に指摘してから物を言ってください。というか、物を言うなら書かれてある文章を理解してからにしてください。
あと、いつにあったら文献の引用が必要な「自説」とやらの存在を指摘してくれるのですか?これはもう何度も何度もあなたにお伝えしていることです。これまでの再三再四に渡るお願いにも関わらず、あなたはまったく自説を裏付ける具体的指摘をしません。もうここまで来るとそろそろ、「ブロック」という言葉が現実味を帯びてきてしまいます。ぜひ真剣なご対応をしていただけること願っています。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 09:28 (UTC)
- 波動関数単体では現実に起きている現象と一致しません。つまり、波動関数だけでは理論として不完全です。収縮に相当する何か(多世界解釈で言えば干渉性の喪失)とセットでなければ、理論として完全にはなりません。
- ですから、重ねあわせ状態を確認する観測を提示しています。もちろん、理論的に可能であるというレベルで、実験屋さんが実現可能であると考えるかどうかは別ですが。
- 理論が不完全であることを自覚しているならば、不完全な理論の不完全さによる帰結を「理論的」とは言いません。それを「理論的」と言うのは、特殊相対性理論の高速不変だけを採用し、時間や距離が絶対であるとして、それによって導かれた結論を「理論的」と言うのと同じです。よって、観測可能な重ね合わせを理論的と称するのは、自然法則と人間の決めたルールを混同している良い証拠です。
- 特殊相対性理論についての記述は噴飯ものですが、あえて訂正は入れません。また、不完全な理論の不完全さによる帰結とは、波動関数の重ねあわせのことだと思いますが、つまり貴方は波動関数の重ね合わせによる記述は不完全だとおっしゃるわけですか?それこそ、アインシュタインのように!残念ながら、それは貴方の思想信条でしかありません。特定の思想を前提として非難されても困惑します。そもそも、ある理論があって、その前提から理論展開によって導出されるなら、それは「理論的」なものであるといえるでしょう。実際的ではないかもしれませんが。
- 思考実験は、既知の理論に基づいた検証しかできない点で、机上の空論です。しかし、その思考実験で検証される理論が机上の空論で良いということにはなりません。原則として、思考実験の対象となるのは、その思考実験によらなければ不完全さが明らかに出来ない理論だけです。
- 等価原理のような、加速するロケットと重力場を同一視する思考実験は一般相対性理論の不完全さを明らかにしません。思考実験の用いられ方はさまざまです。
- 思考実験によるまでもなく不完全さが明らかになっているなら、思考実験をするまでもありません。明らかに不完全な理論によって導かれる結論が奇妙なのは当たり前です。それは、その理論が明らかに不完全だからであって、思考実験によって不完全さが暴かれたわけではありません。つまり、その思考実験の固有の問題ではないわけです。
- この思考実験は、問題点を明確化するという意味で有効です。実際、初出はそのような目的でかかれたものなのですから。
- 確定要因や時期と確定そのものの様子は、相互に関連する問題でありながら、かつ、それぞれ独立した別個の問題でもあります。道具主義の立場では、要因や時期を特定する必要はあっても、確定そのものの様子を明らかにする必要はありません。始まりと終わりの状態が明らかで、かつ、その変化が何時、何をきっかけとして起こるかさえ分かっていれば、確定そのもののが完全なブラックボックスであっても、法則を立てることは可能です。逆に言えば、何時、何をきっかけとして起こるかが分からなければ、法則を立てることが出来ず、道具主義を満足することは出来ません。よって、確定要因や時期と確定そのものの様子は、科学哲学的な要請から明確に区別できるものです。
- 僕は、この議論ではむしろ、収束問題が猫問題のポイントではないという立場ですよ。まったく関係ありません。
- ついでに言えば、科学的な遊びと本気の科学も誤解しているのでしょうね。確かに、遊びとして見れば、猫くらいの大きさが無いと面白みがありません。
- それはシュレディンガーの猫は科学的な遊びだということですか?とんでもない。猫ぐらいの大きさがあるということに科学的意義があるわけなんですから。
- しかし、科学的には、同じ巨視的な存在で起きていることであれば、同等の価値が認められます。それは、貴方が挙げた「10μm程度の超伝導干渉素子」の記事に、「巨視的な物体でもあるにかかわらず、量子的な重ね合わせを表す現象は、シュレディンガーの猫とも言われている。」と書かれていることからも明らかでしょう。本気の科学にとっては、「10μm程度の超伝導干渉素子」でも、猫の重ね合わせと同じくらい価値があるわけですから。
- 大きさが明らかに違いますよ。そこが重要です。そして、10μmでは実験的に構成できますが、猫では構成できていません。ここも重要です。
そろそろ、同じことを複数の場所に分けて書くのは止めませんか?引用した部分の一部に対する答えでしかないのに、全文引用するのも記述を無駄に長くしているだけです。一字一句正確である必要性があるような状況であるならいざいらず、概要だけ踏まえれば済むときに、全文引用する必要はないはずです。そもそも、説明の途中で、かつ、結論を左右しないことを一々引用するのは、何故ですか。全体の趣旨への反論を書けば簡潔に済むのに。
スタンダード?普通の量子力学?貴方の言う普通とは、現実の現象を無視することですか?貴方の言う「明らかにスタンダード」とは現実の現象を無視することですか?量子力学は机上の空論の域を超えていない?現実に反する机上の空論を持ち出しているのは貴方。特殊相対性理論=「高速不変&時間と距離は絶対」と同様の主張をしているのは貴方。それがスタンダードな量子力学だと言い張ってるのは貴方。私は、貴方の主張が机上の空論だと言ってるだけ。一体、誰が、スタンダードな量子力学を否定したのですか?
確かめ合わなければ?確かめ合っても、直ぐに忘れるのでは無駄ですよ。リセットなどしていません?「双方とも巨視的」という前提を確かめ合ったはずなのに、何時の間にか、その前提を無視して、一方を巨視的でないものにすり替えてるのは何方ですか?確かめ合っても、確かめ合っても、その都度、忘れて行くのではキリがありません。細部の忘却は無視して、重要な部分の忘却に絞って物を言うのは、議論をまとめようとする努力です。それすら無駄にしているのは貴方のせいでは?
重ねあわせ状態のまま観測されるということとは異なります?それでは、観測された物は重ねあわせ状態ではないですよね。重ねあわせ状態であった痕跡は観測されても、重ね合わせ状態は観測されてないですよね。状態の収束によって重ねあわせ状態に収束することがある?それは、新たに別の重ねあわせ状態を作れるという話に過ぎず、それでは、重ねあわせ状態を観測出来たことになっていませんよね。まあ、貴方が、何が言いたいのかはだいたい分かって来ました。ようするに、「カモシカの足」は間違いで「カモシカの足のような足」が正しいという話ですね。以前に、「揚げ足取りをしていると決め付けるのも失礼だから、敢えて、言わなかった」と言ったはずですが、また裏切られましたね。「カモシカの足」を「カモシカの足のような足」に直したいならご自由にどうぞ。でも、「カモシカの足」は正しくないという理由で、「カモシカの足」を使った説明文を丸ごと削除するのはご遠慮願いたい。
噴飯もの?喩えが噴飯ものってことは、喩えられたもとの話も同じくらい噴飯ものってことですね。波動関数の重ね合わせによる記述は不完全?誰が、そんなことを言ってるのですか?アインシュタインのように?彼に対立する理論は、現実を無視した理論だったのですか?それは初耳ですね。私の知る限りでは、アインシュタインが反対していた理論も現実に即した理論だったはずです。そして、アインシュタインの主張もね。隠れた変数を必須とするどうかの違いだったはず。現実に反する理論や前提から理論展開によって導出されたら「理論的」?確かに、どんな内容の理論であろうとも、その理論に従えば、国語的には「理論的」ですね。国語的にはね。しかし、現実を無視した理論展開をするなら、それこそ「貴方の思想信条」でしょう。
加速するロケットと重力場を同一視する思考実験?それが何か?その時点で、その思考実験以外で不完全さが明らかにできていなかったのは事実ですね。確かに元の文章は、その思考実験で不完全さを明らかに出来る場合に限定しているようにも読めます。その点は私の記述ミスです。しかし、全体の趣旨を考えれば、その思考実験で不完全さを明らかに出来るかどうかは問題にしておらず、その思考実験以外で不完全さを明らかにできないことに主眼をおいていることは明らかなはずです。でなければ、文章の意味が通りません。文章の意味が通らない時点で、どうして、それが相手の主張とは違う可能性を考えないのですか?こいつは訳分からないことを言ってるに決まってると決め付けているからではないのですか?
問題点を明確化する?「初出」が何であろうと、貴方の言う問題点は、現代において、猫の思考実験に頼らずとも明確です。既に役割を終えている物を今になって持ち出すなら、それが必要となる理由は何ですか?他に問題点があるからではないのですか?
収束問題が猫問題のポイントではないという立場?だから、貴方のその立場は2つの物事を区別出来ていないことに基づいているのですよ。貴方の言う「収束問題」とは、確定そのものの様子のことです。貴方は、確定要因や時期については、猫問題固有の話ではないことを全く説明出来ていません。違う論点への反論では、その論点への反論とはなっていません。「関係ありません」は反論してから言ってください。
猫では構成できていません?「シュレディンガーの猫のポイントは〜重ねあわせ状態の奇妙さ」ではなかったのですか?「実験的に構成」できれば奇妙ではないんですね。
論点整理
Kakannkann氏の言ってる内容を簡潔にまとめると
- 語意等の正確さについて
- この思考実験が提示する問題は何か?
まず、前者については、少し注釈を付け足せば済むようなことでしょう。どうぞ、ご自由に追加してください。念のために言うと、ご自由にと言ったのは追加についてです。削除をご自由にとは言ってないので。
後者については、現状の記述は、確定要因や時期を示しているという内容。これに対して、Kakannkann氏の主張は、確定そのものの様子ではないという主張。これは、どちらも全く対立がない主張です。簡単に言えば、「Aだ」「いや、Bではない」と言い合ってるだけで、話が全く噛み合っていない。私も確定そのものの様子ではないとする主張には全く異論がありません。この件について議論するなら、確定要因や時期を示しているかどうかについて論じるべきでしょう。
ここまでグダグダもめて来た割に、非常に単純な問題でした。この論点整理はご自身にやってもらいたかった。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月5日 (月) 13:05 (UTC) 語句修正--量子力学のド素人ことryon 2007年2月5日 (月) 13:12 (UTC)
- 僕の議論で猫の重ねあわせが観測可能であるということについて
- 1 そもそも、観測とは?
- まず、そもそも、ある状態が観測されるということはどういうことでしょうか?たとえば、我々が、二重スリット問題で電子の重ね合わせ状態が観測されたといった場合、得られた輝点の統計処理しそのことから電子の重ねあわせを状態があったとします。量子力学は統計的な予言しかできず、それゆえ、量子力学における実験や観測は本質的に無数の実験の繰り返しによって、このような統計処理をする必要があることは、大概のテキストに載っていることです。しかしながら、2007年2月5日 (月) 13:12 (UTC)の発言によると、
- 「重ねあわせ状態のまま観測されるということとは異なります?それでは、観測された物は重ねあわせ状態ではないですよね。重ねあわせ状態であった痕跡は観測されても、重ね合わせ状態は観測されてないですよね。状態の収束によって重ねあわせ状態に収束することがある?それは、新たに別の重ねあわせ状態を作れるという話に過ぎず、それでは、重ねあわせ状態を観測出来たことになっていませんよね。」
- と、むしろ、古典力学的な観測を前提とするような発言をなさっています。「重ねあわせ状態のまま観測される」は明らかに量子力学的な概念ではありません。おそらく、 Wiki ryonさんの独自の定義であるとおもわれます。そうでもないとおっしゃるならソースをお願いします。
- 2 実現可能な実験について
- 猫の重ねあわせ状態が現実的ではないと僕は申しました。しかしながら、この現実的ではないというのは、現実に矛盾する理論に基づいているからではありません。実際に実験室でこの実験を行う場合、技術的な問題で実験できないという意味です。例えば、紐理論の検証が太陽系の惑星の公転軌道スケールの加速器を必要とするように、猫の重ねあわせ状態に対する"yes-no test"は、猫の各原子に対しての大規模な実験になるでしょう。これは、観測問題が、実験的に検証できない(少なくとも、現時点ではそのような論文を僕は知らない)こととはまた異なる問題です。また、シュレーディンガーの考案したシュレーディンガーの猫自体も、これと同様、技術的な困難なポイントをたくさん持っています。上述のことは、実験の詳細としてエルミート演算子を与えましたが、それをみれば良くわかることであると思いますが、あえて説明させていただきます。
- 3 量子力学の良くない側面を使っていることに関して。
- 007年2月5日 (月) 09:31 (UTC)の発言
- 「それを「理論的」と言うのは、特殊相対性理論の高速不変だけを採用し、時間や距離が絶対であるとして、それによって導かれた結論を「理論的」と言うのと同じです。」
- とありますが、果たして僕の議論ではそのような側面を使っているのでしょうか?量子力学の不完全な側面は、状態の収束がシュレーディンガー方程式の時間発展で導入することができないということです。つまり、シュレーディンガー方程式と同時に状態の収束を議論するのはまずいということになります。ところが、僕はこの系のシュレディンガー方程式を議論した記憶はありません。実験観測事実として収束に近似する現象があることを認め、ヒルベルト空間の線形性と、射影演算子に関する言及はしましたが、もし、これらが理論的に何らかの矛盾を生むのなら、明らかに量子力学は崩壊します。また、こういったもろもろも道具は量子力学での基本的なツールで、大概の教科書に載っている常識的なものです。もし、そうでないというなら、その証拠となる文献をお願いします。
- 007年2月5日 (月) 09:31 (UTC)の発言
- 4主張
- 実験が理論的に可能である以上、
- この思考実験においても、猫の生死は観測後には確定していると推測される。閉鎖状態であることを除けば、この思考実験と類似の現象が自然に発生することは十分に考えられるので、もし、この思考実験で生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにすることがあるならば、現実にもそのような現象が観測されていなければならないはずである。よって、生と死の重ね合わせのままであることはありえない。
- という表記は望ましくない。
- 実験が理論的に可能である以上、
訂正と場所移動
議論の仕方等
全文引用しても誤謬が発生しているので、全文引用には誤謬防止効果は認められません。また、元の文章が残っていれば、誤謬であるかどうかは検証出来るので、全文引用の必要性はありません。同一ページ内の引用は、意見の対象を示すポインターです。最小限の引用で対象は明確に出来るはずです。また、字数を増やせば、見辛くなり、その文だけ原文との比較がしんどくなります。つまり、逆効果。よって、引用は最小限に止めましょう。
「双方とも巨視的」という前提を忘れているという指摘は、猫と輝点の比較だった話が、猫と電子(または光子)の比較にすり替わっていること、つまり、巨視的な輝点が微視的な電子(または光子)にすり替わっていることを指摘しています。猫と輝点の大きさの「数値に大きな開きがある」議論そのものではありません。
私の主張が一貫性を失うように見えたら、まず、文章の誤読を疑ってください。それでも、本当に一貫性に欠けていると自身があるなら、何処が一貫性に欠けているかを指摘していただきたい。主張内容その物に反論しても事態がややこしくなるだけです。本当に一貫性に欠けているなら、それは自己矛盾を生じているのであり、それを指摘すれば片がつくことです。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 10:08 (UTC)
前提について
私は、本議論ではあらゆる物理的、量子力学的命題を前提として良いと考えています。Wiki ryonさんは書いていない前提を導入すると、それは前提をリセットしたとかおっしゃいますが、例えば、1=-x^2の解が実数ではないことを証明する際に√2が無理数であることを使いませんが、そのことをリセットしたとは言いません。また、A、Bという二つの前提を必要とする証明があったとき、最初にAを使い、後にBを使ったとしても、Bを使ったときに、Aをリセットしたとはいわないでしょう。もし、そのような前提があるなら最初から提示すべきだといわれるかもしれませんが、膨大な量子力学のもろもろのことをここに書くのは本を一冊書く分量でも足りません。したがって、必要になるたびに適当な説明を加えて導入するやり方で十分だと思われます。
Kakannkann 2007年2月7日 (水) 14:27 (UTC)
出自不明の議論について
- 重複ですが、2007年2月5日 (月) 13:05 (UTC)の
- 「重ねあわせ状態のまま観測されるということとは異なります?それでは、観測された物は重ねあわせ状態ではないですよね。重ねあわせ状態であった痕跡は観測されても、重ね合わせ状態は観測されてないですよね。状態の収束によって重ねあわせ状態に収束することがある?それは、新たに別の重ねあわせ状態を作れるという話に過ぎず、それでは、重ねあわせ状態を観測出来たことになっていませんよね。」
- の根拠は何ですか?これは、古典的な実験であり、量子力学的ではありませんが、これはどのような文献で述べられていることなのでしょうか?
- 仮想実験について2007年2月5日 (月) 13:12 (UTC)
- 「加速するロケットと重力場を同一視する思考実験?それが何か?その時点で、その思考実験以外で不完全さが明らかにできていなかったのは事実ですね。確かに元の文章は、その思考実験で不完全さを明らかに出来る場合に限定しているようにも読めます。その点は私の記述ミスです。しかし、全体の趣旨を考えれば、その思考実験で不完全さを明らかに出来るかどうかは問題にしておらず、その思考実験以外で不完全さを明らかにできないことに主眼をおいていることは明らかなはずです。でなければ、文章の意味が通りません。文章の意味が通らない時点で、どうして、それが相手の主張とは違う可能性を考えないのですか?こいつは訳分からないことを言ってるに決まってると決め付けているからではないのですか?」
- とありますが、仮想実験がどうあるべきかということを述べていらっしゃるようですが、その根拠となる文献は何ですか?
- 2007年2月5日 (月) 13:05 (UTC)の
- 噴飯もの?喩えが噴飯ものってことは、喩えられたもとの話も同じくらい噴飯ものってことですね。波動関数の重ね合わせによる記述は不完全?誰が、そんなことを言ってるのですか?アインシュタインのように?彼に対立する理論は、現実を無視した理論だったのですか?それは初耳ですね。私の知る限りでは、アインシュタインが反対していた理論も現実に即した理論だったはずです。そして、アインシュタインの主張もね。隠れた変数を必須とするどうかの違いだったはず。
- とありますが、アインシュタインの主張が現実に即していた、隠れた変数を必須とするかどうかの違いである、の出展は何ですか?
- 2007年2月5日 (月) 13:05 (UTC)の
- 現実に反する理論や前提から理論展開によって導出されたら「理論的」?確かに、どんな内容の理論であろうとも、その理論に従えば、国語的には「理論的」ですね。国語的にはね。しかし、現実を無視した理論展開をするなら、それこそ「貴方の思想信条」でしょう。
- このように、論理的、非論理的を定義している文献は何ですか?
本文の論拠について
- 「いずれの現象も量子力学的には基本相互作用に過ぎない。基本相互作用によって状態が確定すると仮定すると、基本相互作用は常時作用しているため、量子の状態が常時確定していなければならなくなる。それでは、二重スリット実験の結果や量子条件等の辻褄が合わなくなるため、基本相互作用によって状態が確定するとは考えにくい。しかし、そうすると、一連の現象の中に状態を確定させる原因がないことになる。そのため、猫の生死が決定される経緯について確定的な結論を出すことができず、それこそが量子力学は不完全だと言われる所以である。」
の論拠と出典をお願いします。
参考文献
過去の投稿を見るといくつかの参考文献が提示されていますが、ページの整理に伴い失われているようです。これは、議論の根拠を追っかける意味でも大きな損失だと思いますので、改めて参考文献を提示する欄を作ります。勝手ながらよろしくお願いします。
Kakannkann 2007年2月3日 (土) 18:00 (UTC)
- 原著の英訳版
- 量子力学の全般的考察
- 高林武彦 著、保江邦夫 編 『量子力学 観測と解釈問題』 海鳴社 2001年 ISBN 4-87525-204-8
- 第二章「観測と解釈問題」の第一節「まえおき」p65 に猫についての軽い記述がある。
- 『観測の問題に関してボーア、ハイゼンベルクの考察と並んで、以後の発展の基礎となったもうひとつの重要な仕事はノイマンによるものである。(中略)ノイマンは観測対象と観測装置の間の「切れ目」の移動(中略)が「無限の退行」を含意することになったので(中略)「抽象的自我」をおかねばならなかった(中略)この理論に対してはシュレディンガーがっ「猫」の例によって困難を指摘した(E. Schrodinger: Naturwiss., 23(1935), 807, 824, 844)』
- 意識説に関わる文献
- 解説系
- 『デイヴィッド・チャーマーズ著, 林 一訳 「意識する心」2001 ISBN 4-8269-0106-2』の407-435頁。「量子力学の解釈」
- 状況の一般的なレビュー。著者チャーマーズ自身は物理的なものの因果的閉鎖性を前提としており、意識が確率過程に絡むという立場は取らない。この節は次のような文から始まる。「量子力学は、経験的観測の結果を驚くほどうまく予測できる計算法を与えてくれるが、それが意味する世界像の意味を理解するのは途轍もなく難しい」。「この計算法の予測がこうも正確なものになるには、現実世界で何が起こっていると考えられるか。これが量子力学の解釈問題である」と規定し、「この問いに対する答えについては、コンセンサスになりつつあると言えるものすら、まるでない。」と続く。そして、様々な解釈を列挙し、それぞれの利点と問題点を並列的に解説していく。
- デイヴィッド・チャーマーズは「心の哲学の分野における指導的な哲学者」であって物理学者ではありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 09:42 (UTC)
- 状況の一般的なレビュー。著者チャーマーズ自身は物理的なものの因果的閉鎖性を前提としており、意識が確率過程に絡むという立場は取らない。この節は次のような文から始まる。「量子力学は、経験的観測の結果を驚くほどうまく予測できる計算法を与えてくれるが、それが意味する世界像の意味を理解するのは途轍もなく難しい」。「この計算法の予測がこうも正確なものになるには、現実世界で何が起こっていると考えられるか。これが量子力学の解釈問題である」と規定し、「この問いに対する答えについては、コンセンサスになりつつあると言えるものすら、まるでない。」と続く。そして、様々な解釈を列挙し、それぞれの利点と問題点を並列的に解説していく。
- 意識説に関わる様々な研究者の論文リスト
- The Interpretation of Quantum Mechanics
- Quantum Mechanisms of Consciousness
- Consciousness and Physics, Misc
- 飲茶著 『哲学的な何か、あと科学とか』 二見書房 2006年 ISBN 4576061844
- 読みやすくてもトンデモはトンデモです。紹介するなら読みやすいトンデモではなく、読みやすい科学的記述を紹介すべきでしょう。いずれにせよ、文献としての条件を満たしていないので、参考文献として紹介する理由が不明です。独自の調査というより、以前にも指摘したとおり、論理のすり替え、前提事項がコロコロ変わる、説明無き唐突な断定等(これらの純粋な論理展開に関する検証は量子力学の知識を必要としません。何故なら、素人に論理展開が検証出来ない記述では「読みやすい」とは言えないからです。「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる」ものです。)、あまりに酷すぎて、どこから突っ込めば良いのか分からないほどトンデモです。
- とくに、二重スリット実験が決定論を否定する証拠であるかのような記述にはビックリです。回折を無視する前提[28]において干渉縞が生じないことを理由に決定論を否定[29]していますが、同じ前提の非決定論でも干渉縞が生じないことを論じていません。ここまでならまだ可愛い物です。後になってパイロット解釈なら決定論でも説明がつくと、自ら証明したはずのことを何食わぬ顔で覆すのだから、呆れて物も言えません。それ以前に、現代の量子力学でも断定的に言えない話を勝手に断定してたり、明らかな大嘘が書いてあったり、とても「量子力学に関するごくごく標準的な話」とは呼べない代物です。波と粒子の二重性の何が不思議かという本質さえ押さえてない様子で、おかしな所を全て挙げてはキリが無いくらい酷い内容です。
- 2007年1月22日 (月) 02:14 (UTC)で「賛同者が多くないというのは、これは事実」と自ら認めた内容の記述に対して、2007年1月22日 (月) 02:14 (UTC)では「量子力学に関するごくごく標準的な話」と言っています。「賛同者が多くない」のか「ごくごく標準的な話」なのか、一体、どちらが正しいのでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 09:42 (UTC)
- 括弧書き追加--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 10:18 (UTC)
- ノイマンにはじまる意識説として扱われる立場。この立場では物理的なものの因果的閉鎖性を否定する。
- ロジャー・ペンローズ著, 林 一訳 『心の影』みすず書房 2001年 ISBN 462204126X
- ロジャー・ペンローズ著, 林 一訳 『心の影』みすず書房 2002年 ISBN 4622041278
- ジョン・エックルズ著 『Evolution of the Brain』 1989年 Routledge,an imprint of Taylor & Francis Books Ltd ISBN 0415026008
- ジョン・エックルズは神経生理学者であって物理学者ではありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 09:42 (UTC)
- ロジャー・ペンローズの量子脳理論は「プロトサイエンス(未科学)の領域」と紹介されています。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月6日 (火) 10:12 (UTC)
コメントの同意無き除去はおやめ下さい
Wiki ryonさんによる他ユーザーのコメントの除去が目に余ります。昨日のWas a beeさんのコメントをコメントアウトするのは度を過ぎています。Wiki ryonさんは方針を知らなかったのでしょうけれど、この除去行為は Wikipedia:荒らし#ノート荒らし に抵触しています。今回は私が戻しておきますが、他ユーザーのコメントの除去は議論が収束し、相手の同意があるまではおやめください。ノートページが肥大化しているのは事実ですから、各議論が収束した段階で、ログ化やサブページ化を第三者に行ってもらえばよいでしょう。--スのG 2007年2月4日 (日) 10:57 (UTC)
:「昨日のWas a beeさんのコメントをコメントアウト」という事実はありません。事実無根の罪を着せるのは止めてください。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 11:43 (UTC)
:::私の身の潔白を証明していただいてありがとうございます。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 11:58 (UTC)
- この件はこの件ですが、貴方のコメントの削除の方針については、僕自身は筋が通ってないと思います。特に、以前の文章を検索し検証する作業が煩雑になりますし、勝手に人の書いた文章の場所を変えてしまうのは混乱の元です。実際、上述の指摘は、そのような文章の置き換えが原因であろうと思われます。
:::::違う所に返信がついている方が混乱の元でしょう。混乱を防ぐために、単純ミスを訂正しただけです。(移動前の場所に移動する旨のコメントを入れなかったのは私の不注意ですが。)そして、自らコメントアウトを解除している以上、解除の対象として「昨日のWas a beeさんのコメント」が存在していないことは自覚しているはずです。つまり、事実無根であることは知っているはずです。「文章の置き換えが原因」での混乱とは考えられません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 13:04 (UTC)
:::::移動先に「Was a bee さんのコメント20070203」と自分で書いていて、知らなかったとは考えられません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 13:13 (UTC)
位置の移動に気が付かなかったための事実誤認です。撤回し、Wiki ryonさんにお詫び申し上げます。「Was a bee さんのコメント20070203」と書いたのは、編集画面しか見ていなかったためです。混乱を招いたことを関係者のみなさまにお詫びし、本件からは撤退いたします。--スのG 2007年2月4日 (日) 15:04 (UTC)
- 移動前の場所に移動する旨のコメントを入れるべきでした。この点は私の不注意です。申し訳ありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月4日 (日) 15:35 (UTC)
Kakannkann氏との議論について確認
Wikipedia:ノートページによれば、ノートは記述内容について議論する場であって、自己満足のために議論する場ではありません。自己満足的議論をしたいなら、自らwebサイトを開設するなど、それに相応しい場でするべきであって、ノートで延々と続けるのは不適切でしょう。だから、横道から逸れた議論は、常に収束させる努力が必要です。そうした努力をせず、横道の発生を無限に許容したのでは、議論が発散するばかりで、永遠に収束することはないでしょう。言い負けることを恐れて全ての横道に対して反論するのは、自己満足に過ぎません。それは、百科事典としてWikipediaを利用する人にとっては無益なばかりか、サーバに対する負荷、読み手に対する負荷等を考えれば迷惑行為でしかありません。論点の逸れた議論は、適宜、軌道修正をすべきであり、それが出来ないようでは議論能力が皆無としか言い様がありません。
ということで、まずは、個別の問題は棚上げし、軌道修正を提案します。今回は、議論のやり方に関する基本方針についてだけ述べ、他の問題については触れません。それについて、反論出来ないから逃げたと思われるなら、それでも構いません。ただ、Wikipediaが一部の議論者の私物ではないことだけは、きちんと弁えておきたい、それだけです。
「1=-x^2の解が実数ではないこと」「√2が無理数であること」云々は全く持って的外れです。それは、2007年2月6日 (火) 10:08 (UTC)で既に明らかになっているはずです。これは、そこで指摘した通り、「A、Bという二つの前提を必要とする」というような、両立する前提に関する問題ではありません。前提が完全にひっくり返っているのです。「A」という前提で話していたのに、いつの間にか前提が「NOT A」になっているのですから。「巨視的」を前提とする議論において、「巨視的」な物に関する言及であるにもかかわらず、その言及の対象物が「巨視的」ではない物にすり替わっているのですから。
これとは事情が違いますが、論点が絞り込めずに、無駄に議論が発散しているのも確かでしょう。凄く的外れなやり取りを繰り返しているように思います。
このような議論の仕方に問題があるという事実関係を認めないのであれば、これ以上、議論を続けることはできません。何故なら、議論のための基本的姿勢を持ち合わせていない人と議論するということは、無益な発散に加担することであり、横道を増やして議論を発散させる行為と同罪だからです。正直言って、ここまでの議論において、横道に逸れていることを知りながら、適宜、適切な軌道修正が出来ず、延々と議論を発散させ続けた自らの失態を恥じています。その反省に基づいて、議論の軌道修正を提案します。もし、提案に応じていただけないなら、以後、返事はしないこととします。他の方への迷惑を考えると、これ失態を繰り返すべきではないと思うので。
- 2007年2月6日 (火) 10:08 (UTC)で指摘されていることは、2007年2月4日 (日) 14:25 (UTC) の、
- 「「つまり、貴方は、そのような重ね合わせ、もしくは、それに類似した現象を見たことがあると? 」そのような重ねあわせというのはどういうものですか?もう少し厳密にお願いします。単純に重ねあわせ状態なら、電子の重ねあわせや光子の重ねあわせなど腐るほどあります。」
- のことをさしていると思いますが、私はあなた質問の意図を明確に把握していないことを明記した上、このように答えました。後に貴方からこの件について、2007年2月4日 (日) 15:24 (UTC)で
- 「もう少し厳密にお願いします?ワザと言ってますか?自分で「双方とも巨視的」と認めたのではないですか?電子の重ねあわせや光子の重ねあわせ?何故、そこで「巨視的」ではない物が出て来るのですか?「巨視的」な重ね合わせに決まってるでしょう。「猫より十分小さい」けれども「巨視的」な重ね合わせですよ。もう、ここまでくると故意にフザけているとしか思えません。」
- というご指摘を受け、2007年2月4日 (日) 16:44 (UTC) で
- 「いや、わからなかったものですからお聞きしたまでのこと。愚昧であることをお許しください。一例は10μm程度の超伝導干渉素子が、重ねあわせ状態を示すことが知られています。参考文献は岩波基礎物理シリーズの量子力学の刊のコーヒーブレイクに記載されていたと思うのですが、現在手元に本がなく、http://www.brl.ntt.co.jp/J/activities/file/report04/report22.htmlを参考にしました。 」
- と謝罪を行い、議論にのっとった巨視的な重ねあわせの例すら出しています。
- この件については僕自身も問題点を認めていますし、代案も提示しているのに、このように取り上げる必要性はなぜあるのでしょうか。また、貴方とのこの件でのメインの議論は、電子によって構成された輝点のサイズと猫のスケールの話だったと思います。
- おそらく、お互いの主張が平行線である以上、問題は長期化するでしょうし、貴方の語調であるならば、ブロックのようなことを提案されるかもしれません。その際、どちらがより物理を踏まえた正当な議論をしているのか、論理的な議論をしているのか、誰が揚げ足を取るような末節の議論をはじめ、言いがかりに終始したか、誰が以前の前提を忘却し勝手な前提を作り上げたか、だれが礼儀にかなった言動をしていなのか、そういったことは第三者によって判断されるでしょう。
- Kakannkann 2007年2月8日 (木) 14:06 (UTC)
- 微修正
- Kakannkann 2007年2月8日 (木) 14:09 (UTC)
- 訂正
- Kakannkann 2007年2月8日 (木) 14:20 (UTC)
- 「謝罪」云々は全く論点が完全に逸れています。というか、そのような話が出て来るのも、論点整理の前提を忘却しているからですね。議論を成り立たせるために何が必要かを論じているのであって、謝罪や礼儀等の個人的なことを問題にしているのではありません。私は、今まで、個人間の問題については一言も言及していないはずです。そして、これからも言及するつもりはありません。Wikipediaは議論者の私物ではないのですから。
- 議論をするためには、前提をコロコロ変えてはならない、変えるなら変えると宣言すべきだと私は指摘しました。そして、貴方が予告も無く前提をコロコロ変えている具体例として、「双方とも巨視的」に関する話を証拠として提示しているのです。思い出していただけましたか?にもかかわらず、貴方は、その証拠を認めようとせず、具体例に該当しない比喩を用いて「そのことをリセットしたとは言いません」として、前提を変えていることを認めませんでした。そのような姿勢では議論が成り立たないと、私は指摘したのです。思い出していただけましたか?
- 双方とも巨視的であるなら猫も輝点も区別する理由が無いのではないかと私は一貫して主張して来たはずであり、それに対して貴方は数度反論を行なって来たはずです。
- 「猫スケールの巨視的なものは〜」2007年2月3日 (土) 16:35 (UTC)
- 「双方とも巨視的であるが、〜」2007年2月4日 (日) 11:43 (UTC)
- 「輝点のサイズは猫より十分小さい」2007年2月4日 (日) 14:25 (UTC)
- これだけ反論を繰り返しておいて、その対象が何か「わからなかったものですからお聞きした」と仰るなら、貴方は、それまで何に対して反論していたのですか?過去に一度だけ出た話なら、忘れてしまうのも仕方が無いでしょう。しかし、今現在、連続したやり取りの中に何度も(少なくとも三往復はしています)出て来る事項を忘れる人が居ますか?もし、忘れたとするなら、貴方は自身の中に忘れっぽいという議論の障害になる問題を抱えていることになりますね。もし、忘れたのではないなら、貴方は、最初から何が対象か分からないのに反論をしていたことになります。いずれにせよ、これでは、まともな議論になりません。それでは、お婆さんが聞いたことを次から次に忘れて堂々巡りに陥る志村けんお得意のコントそのものです。(実は、論点を整理して論じる癖がついていないから、論点を混同し易いだけだと想像しています。そのことを自覚してもらうだけでも、少しは議論が成り立ち易くなるでしょう。)
- それ以上に問題なのは、貴方が手の内を明かさないことです。何かを主張しながら、というか、ある主張を前提にして物を言いながら、その主張内容の明言を避けて、相手にそれを探らせようとしています。そして、その過程で出て来た指摘に対して重箱の隅を突いてきます。「理論的」は、正にそれです。そう言うためには観測結果との辻褄合わせが必要なのに、それについては一切言及しない。言い替えれば、その主張について一言明言しさえずれば、他の多くのやり取りが全く無用の長物となるにも関わらず、敢えて、直球勝負を避け、無駄に議論を長引かせています。証明どころか、内容さえ言わないのでは、悪魔の証明以前の問題です。恐らく、貴方は、負けない議論をしようとしているのでしょう。だから、自らが明かすべきことを明かさず、相手に対して過剰な証明を要求するのだと思います。
- 議論をするのに必要な条件が整っていないという事実を認め、その改善に努めない限り、永久に議論は成り立ちません。もちろん、それは私に対しても言えることです。だからこそ、今、どうすれば議論が成り立つかという話をしているのです。それを拒否すると言うなら、以後、返信をすることはできません。議論にならないやり取りを延々と続けることは、他の方への迷惑となるだけなので。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月9日 (金) 11:12 (UTC)
- 一度書いたことを消す理由が分かりませんが。
- 2007年2月4日 (日) 12:57 (UTC)の「そのような重ね合わせ」の話は、「輝点のサイズ」で始まっています。そして、「そのような重ね合わせ」の直前にも「着弾点の重ね合わせ」と明記してあります。正常な人の主張なら、一連の流れの中の話で唐突に説明もなく前提が変わるはずがありません。普通に読めば、「そのような重ね合わせ」が輝点の重ね合わせをさすことは明らかです。にもかかわらず、「わからなかった」と言うのは「量子力学のド素人ことryonは頭がおかしいから、一連の話の中で直前に述べたことさえ話の前提になっているとは限らない」と、そう仰るのでしょうか?それとも、貴方が直前の話を忘れてしまっているのか、どちらですか?少なくとも、どちらかでなければ、この状況は説明がつきません。
- Kakannkann氏は「わからなかった」ことは認めましたが、それが分かって当り前であること、そして、そのような当然読み解くべきことを読み解けないことが、議論の正常な進行にとって致命的な妨げの原因になっていることは認めていません。単純ミスの指摘ではなく、議論をする姿勢を問題視しているのです。Kakannkann氏はミスしか認めず、姿勢の問題を一度たりとも認めていません。
- また、10μm程度の超伝導干渉素子の重ね合わせの事例を提示したことは、ミスにミスの上塗りをしているだけです。自ら持ち出した観測可能な重ね合わせという前提を忘れています。巨視的な重ね合わせの事例を示しただけで、その事例が観測可能な重ね合わせであることを全く示していません。
- あと、本当に「観測結果とのつじつまあわせ云々について、まとめた投稿がなされている」なら、それが何月何日何時何分の投稿かくらいは示せるはずです。探すのが面倒だという言い訳は認めません。無駄にノートを長くして探しにくくしたのは、Kakannkann氏自身ですから。それでも、私は、その都度、発言日時を提示して来たはずです。他人に無駄な努力をさせている以上、自分もその努力を背負うのは当然のことでしょう--量子力学のド素人ことryon 2007年2月10日 (土) 11:11 (UTC)
- 議論を収束させることについての同意がないので、ここで本来の論点について述べることが適切かどうか判断できません。他の利用者への迷惑とならないよう、これまでの論点は利用者‐会話:Wiki_ryon#シュレーディンガーの猫についてにまとめておきます。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月10日 (土) 11:31 (UTC)
序文について
[30] この編集で序文に加筆されました、「尚、良く誤解されることだが、この思考実験は、人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことを証明するものではない。」という記述について、提案があります
この記述の後半部分は「意識を物理的に説明する理論は現在の所無い」という、いわゆる常識に照らし合わせれば理解できるのですが、そうすると、前半部部の「良く誤解されることだが」がなぜ誤解されるのかがわかりません(常識に反する)。一方で、この文章は「意識を物理的に説明する理論は現在の所無い」という前提無しに読むと「意識が量子力学的作用を及ぼすこと」が完全に否定されたような誤解を与えます。(Was a beeさまとWikiryonさまの議論はここからしょうじているのではないかと推察します)
以上のような誤解を回避するためにうえに挙げました文章を
「『○○』といった、あたかもこの思考実験をして、意識が量子力学的作用を及ぼすことを証明するものであるという誤解もあるが、意識を物理的に説明する理論は現在の所無く、意識が量子力学的作用を及ぼすかどうかは、哲学的な研究も含めて現在多用な議論がある。(参照文献は『デイヴィッド・チャーマーズ著, 林 一訳 「意識する心」2001 ISBN 4-8269-0106-2』の407-435頁。「量子力学の解釈」、等その他このノートで挙げられている参考文献)」
と変えることを提案します。そのときに、Wikiryon様には冒頭部分の「誤解のある例」の出典を挙げて頂きたいのですが、よろしいでしょうか。宜しくお願いします。--Kwansai 2007年2月16日 (金) 04:32 (UTC)
- 冒頭の記述は一般人の誤解を指しています。百科事典という前提においては、読者は専門家に限定しない(むしろ、「誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめたもの」は素人を読者と想定している)ため、一般人の誤解について誤りを訂正することは、その前提に合致した記述であると思います。そうした一般人の誤解で良ければ、検索すればいくらでも出て来るものであり(既にこのノート内でも挙げられているようです)、出典を示す必要性に乏しいでしょう。(専門家の見解について言及するなら、該当する専門家の見解を出典として示す必要がある。また、多数派か少数派か等の数の比較をするならば、統計データを出す必要がある。しかし、本件はどちらにも該当しない。)どうしても気になるなら、「良く誤解されることだが」を「誤解する人がいるが」に修正すれば良いでしょう。
- 証拠がないことと、科学的に否定されることは全く別です。よって、「意識が量子力学的作用を及ぼすこと」が完全に否定されると読むのは完全な誤読です。そして、それは科学等の項目で科学全般の問題として包括的に説明すべきことであり、本項目で説明するのは完全な蛇足でしょう。(ちなみに、Was a bee氏は修正前の記述にしか言及しておらず、修正された後の記述には目を通していないようです。)
- 科学的方法では「意識が量子力学的作用を及ぼす」とする説が間違いであるとは断言出来ない一方、量子力学にその説を導入しなければならない合理的理由があるわけでもありません。今回の提案では、「意識が量子力学的作用を及ぼす」とする説が、量子力学的観点からの要請であるかのような誤解を与えます。それでは「良く誤解されることだが〜」が打ち消されてキャンセルされてしまいます。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月16日 (金) 11:14 (UTC)
- 肯定的誤解も否定的誤解も生じないように修正してみました。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月16日 (金) 11:40 (UTC)
- 修正の件、確認しました。私としては、一般人の誤解に対して、何か例があった方がよりよいと思います。(○○というのは誤解というほうが、もし誤解をしている一般の方がいたときにより気づきやすいからです。)このページのなかにも挙げられているという事ですので、よろしければ、具体的な指摘をしていただけないでしょうか。または「意識を物理的に説明する理論は現在の所無く、」というあらわな記述をするというのもご検討頂けないでしょうか。--Kwansai 2007年2月16日 (金) 13:21 (UTC)
- 私の方でもいくらか誤解があったようですね。「意識が量子力学的作用を及ぼす」とする説が、量子力学的観点からの要請であるのではなく、上の高林武彦 著であげられた状況は、このシュレディンガーの猫問題が、哲学にそういうった認識問題を喚起した(哲学問題を取り入れた)ということでよろしいでしょうか。であるならば、序文に「シュレディンガーの猫問題は、物理学的なパラドックスをあらわすだけでなく、哲学に対しても認識問題を喚起した」というような記述を加える事を提案します。--Kwansai 2007年2月17日 (土) 01:28 (UTC)
- 序文の記述は、同じような誤解を生じないようにするため、もしくは、既にある誤解を解くためのものであって、その目的を果たすうえで、序文は十分条件を満たしているはずであり、実際に為されている誤解の詳細を説明する必要はないはずです。それに、誤解している人の実例を出すことが百科事典の記述として必要なこととは思えません。(そもそも、個人サイトは独自の調査の類いであって出典として意味をなさない。)誤解しているサイトの殆どがトンデモサイトなので、そこへ一般人を誘導することも気乗りしません。
- また、科学(量子力学)的観点からの要請ではないことを、科学(量子力学)の項目に記述するのは適切ではないでしょう。その件はそれに相応しいページに記述すべきことであると思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月17日 (土) 09:45 (UTC)
インデント戻します、誤解を解くためには何が誤解であるかを具体的に示さなければ、文章を読んだとしても、それに気づく人はまれでしょう。単純に「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」というような記述を正しいと誤解している人はまれであり、実際、Wiki ryonさんが上の議論で「(既にこのノート内でも挙げられているようです)」とのべられていますが、そのような記述があるページを見つける事はできませんでした。つまり、このような誤解はわかりにくい形でWiki ryonさんがいわれる「トンデモサイト」に紛れ込んでいると推察します。よって、それを気づかせるためには、具体的な記述が必要だとおもいます。本文の記述には載せなくて良いので、とりあえず、「すでにこのノート内で挙げられている」ものについて指摘して頂けないでしょうか。
二段落目ですが、この項目は「シュレディンガーの猫」であり、「シュレディンガーの猫」が科学(量子力学)だけにかぎらず、哲学に問題喚起をしたことが事実であり、検証可能な証拠があるのなら、その内容は書かれるべきだと思います。もし分割するのなら「シュレディンガーの猫(科学)」「シュレディンガーの猫(哲学)」というようなものになると思うのですが、残念ながらこの案で哲学関連の記事が成り立つほどの分量を書く見通しはありません。よって、序文の中に一文いれるにとどめる方が合理的だと思います--Kwansai 2007年2月17日 (土) 14:37 (UTC)
- 「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」が誤解であると具体的に示しているので、誤解を解くための必要条件は満たしているはずです。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月18日 (日) 09:56 (UTC)
- 前回もかきましたがWiki ryonさんが上の議論で「(既にこのノート内でも挙げられているようです)」おっしゃいましたが、このページで挙げられたサイトで「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」と書かれている物は無いと思います。つまり、「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」は具体例ではなくて、そのように解釈しうるということだということだとおもいます。よって、より具体的な記述でなければ、気づかせる事はできないと思います。--Kwansai 2007年2月18日 (日) 15:05 (UTC)
- はい、「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」は、そのように解釈しうるということです。そして、その解釈しうる内容が否定対象の具体例です。対象を明示しているのだから、これ以上の説明は必要ないはずです。誤解をした人物の具体例を示さないと、一体、何を気づかせる事ができないのかが全く分かりません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月19日 (月) 11:28 (UTC)
インデント戻します。私は誤解をした人物の具体例を求めていません。解釈しうる内容というのは他にも言い換える事ができるということですね。それは、具体例とはいえません。誤解している人はその言い換えでごかいしているのでしょう。「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」という解釈にたどりつかないから、誤解しているのではないでしょうか。 また「(既にこのノート内でも挙げられているようです)」とWikiryonさんが、認識しているのならば、それをこのノートで指摘する事はなにかまずい事なんでしょうか?--Kwansai 2007年2月19日 (月) 12:55 (UTC)
- 解釈しうる内容というのは他にも言い換える事ができる?その文章が意図することが全く分かりません。それはともかく、対象を明示しているのに、これ以上何を明示すべきなのでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月20日 (火) 10:18 (UTC)
- 序文に入れると科学(量子力学)的観点からの要請であるかのような誤解を与えかねないので、別途、「科学以外の分野に与えた影響」の項目を作って、そこに移動しました。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月18日 (日) 10:05 (UTC)
- 確認しました。--Kwansai 2007年2月18日 (日) 15:05 (UTC)--修正--Kwansai 2007年2月18日 (日) 23:50 (UTC)
中盤の文章について
「いずれの現象も量子力学的には基本相互作用に過ぎない。基本相互作用によって状態が確定すると仮定すると、基本相互作用は常時作用しているため、量子の状態が常時確定していなければならなくなる。」
実験的な観点から言うと、干渉実験は外部からの基本相互作用の影響をできる限りカットして行われます。また、観測は常に物理的相互作用によって行われています。そして、相互作用が常時存在することによって、状態が確定し続ける現象(量子ゼノン効果)が知られています。これは、実験的検証もされています。以上の理由で、いくらかの訂正を行います。
Kakannkann 2007年2月16日 (金) 08:03 (UTC)
- シュレーディンガーの猫は蓋を開けるまでは閉鎖状態であり、「外部からの」という仮定を持ち出す理由が分かりません(「量子ゼノン効果」も同様)。以下、ここで議論するのは適切ではないと思われるので、いつもの場所にて。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月16日 (金) 11:23 (UTC)
- とは言ったものの、本文の記述に関する議論から横道にそれた話なので、誠に勝手ながら「いつもの場所にて」は撤回します。ご迷惑をおかけしました。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月16日 (金) 11:32 (UTC)
削除提案
語句等の修正により異論がなくなったことは、記述内容や執筆者の意図から逸脱した議論であったことを示しています。ノートページは記事の内容に関する議論をする場所であり、そうした記述はノートページに相応しい記述とは言えません。よって、記事の内容に関する議論ではない記述を削除することを提案します。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月17日 (土) 09:51 (UTC)
- Wikipediaのテクニカルタームとしての削除には反対です。Wikipediaにおいて削除という言葉はWikipedia:削除の方針に一致する場合しか行われません。今回はどの方針にも一致しないと思います。
- 編集による整理ということでしたら、ノートにおいてはログ化という方法が良くとられます。(例えば、ノート:喫煙)実際、私はノートのログ化をした事がないので、方法論はわかりませんが・・・。どなたかに、質問すれば、答えて頂けると思います。--Kwansai 2007年2月17日 (土) 14:25 (UTC)
- Wikipedia:無意味な記述には次のような対処法が書かれています。
- 記事から、その箇所を削除します。
- その箇所をWikipedia:削除された悪ふざけとナンセンスへ移動します。
- その箇所を記事のノートページに移動します。
- その箇所を、それを書いた利用者の会話ページに移動します。
- その箇所を、秀れた記述で置き換えます。
- 誤読が原因であり、悪ふざけではないので、悪ふざけのページへの移動は適切ではないでしょう。ノートページに書かれているので、ノートページへの移動はあり得ません。誤読が原因で的外れな議論になっているので、秀れた記述に置き換えるのも困難です。よって、その箇所を削除するか、それを書いた利用者の会話ページに移動という対応以外にないと思われます。「合意に達するべく努力するのがベスト」とも書かれているので、議論を提案しているわけですが。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月18日 (日) 09:53 (UTC)
- Wikipedia:無意味な記述には次のような対処法が書かれています。
- Wikipedia:無意味な記述を読むと、無意味な記述にあたるものとして二つがあげられていますが、それに当たる文章を私はこのノートページに見つけられません。よって、Wiki ryon様が上に挙げられた対処法が適当とは思えません。--Kwansai 2007年2月18日 (日) 14:42 (UTC)
- 「2007年1月27日 (土) 01:57(JST)の版へのrevertについて」の「kakannkannさんのコメント20072020」以降は、誤読に基づいた見当違いの批判と、それを誤読に基づいていると気づかずに、もっと見当違いの反論を返し・・・ということの繰り返しであり、「全く意味の通らない文」か、あるいは、「どうにか意味が通っているようにみえる」が「内容が完全に分けのわからない、修正不能なもの」です。そもそも、このような議論は、架空の事実関係に関する議論であり、記事の内容に関する議論ではありません。それでは、ノートページの使い方に反しています。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月19日 (月) 11:37 (UTC)
インデント戻します。Wikipedia:ノートページによれば、「ウィキペディアにおいて、ノートの目的は、百科事典的な観点から、主ページの内容を改善するのに役立てることです。」ということですから、記事に誤読されやすい箇所があれば、誤読があった事を残しておく事は利用者に役立つ事だと思いますので、ノートページの使い方に反しません。
一方で可読性の問題から、議論が一段落終わればログ化することが推奨されています。また、削除よりもアーカイブ(つまり過去ログ化)をすることが推奨されています。以上の事から、削除することに反対します。
逆に質問ですが、このページにおいて過去ログ化でなく削除するメリットは何でしょうか?--Kwansai 2007年2月19日 (月) 12:17 (UTC)
- kakannkannさんから異論がなく、どこをログ化すると指摘してもらえれば対処しますよ(誰でもできます。Wikipedia:井戸端#過去ログの作り方について参照)。誤読による議論は基本的に削除対象とはなりませんし、過去の議論の一部を削除することは、GFDL上非常に困難が予想されます。今後も同様の誤読・誤解釈があるかもしれませんから、アーカイヴ化するのが良いと思います。--Ks aka 98 2007年2月19日 (月) 12:50 (UTC)
- 誤読による議論を削除対象としないのが基本方針であるなら、それに従います。しかし、「基本的に」と言うからにはそうではない場合もあるということですね。たとえば、誤読を修正せずに延々と架空の記述に対する議論を続けた場合はどうなんでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月20日 (火) 10:12 (UTC)
- その記述が、他の削除理由に合致する場合は削除されますし、多少その分野をかじったことがあれば明らかに誤りであるが、双方誤解に基づくもっともらしい議論が行われていて、後の執筆者に悪影響を及ぼす可能性が高い場合であれば、削除依頼での審議を通じて「その他」の理由をもって削除される可能性はあると思います。「Wikipedia:無意味な記述」は、削除対象を定めるものではありませんし、即時削除の対象ともならないです。ここでの議論は、そこまでではないと、個人的には思います。物理学と科学哲学の混乱や、抽象的表現をめぐっての議論と読めますし、実際修正も行われていますから、議論自体も有意義なところがあるように思いました。--Ks aka 98 2007年2月22日 (木) 06:17 (UTC)
- 量子力学について初歩的な常識について、お互いに相手は逆の事を言っていると思い込んでいるだけなので、とても有意義であるとは思えません。最終的に初歩的な常識に落ち着いただけです。さらに言えば、この議論の迷走ぶりを誤読すれば、量子力学についてあらぬ誤解を与えかねないとも言えるでしょう。主張に争いがあれば、そこから建設的な議論も生まれるのでしょうが、本文の記述に反映された部分については、主張に争いが無いのだから、議論を残す必要性に乏しいと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月22日 (木) 15:58 (UTC)
有意義ではない、という理由では、削除となりません。Wikipedia:削除の方針をご一読下さい。なお、既に議論が終了した部分について過去ログ化し、このノートから記述を除去することはできます。不要と思われる部分を指摘して頂き、異論がなければログ化しますのでご指示下さい。--Ks aka 98 2007年2月22日 (木) 16:11 (UTC)
- 有意義か否かは削除する理由ではなく、2007年2月22日 (木) 06:17 (UTC)で挙げられた削除しない理由です。「議論自体も有意義なところがあるように思いました」と書かれたように。「とても有意義であるとは思えません」は、削除しない理由を否定したものであって、削除する理由としてあげたものではありません。削除理由は、既に挙げた通り、Wikipediaの方針によるものです。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月23日 (金) 12:00 (UTC)
解決方法について
この編集でつけくわえられました、解決方法の章の意味をつかみかねているので、質問します。
- >決定論では、何も問題は生じない。しかし、今日では、いくつかの実験結果等が決定論に不利な証拠を示しており、決定論は有力視されていない。
一文目と二文目は相反する記述です。決定論に不利な証拠が示されているのなら、一文目はおかしいです。 また、このような記述をするためには「決定論に不利な証拠が示されている」文献について出典をお願いします。
- >因果関係を認めるためには認識の瞬間と確定の瞬間との間の時間的相関関係を確認する必要があるが、確定時期が実験結果から特定できないため、そうした因果関係を検証することは原理的に困難である。
「因果関係を認めるためには認識の瞬間と確定の瞬間との間の時間的相関関係を確認する必要がある」 という記述は、多くの人の常識だけからは導く事はできません。この記述をのこすためにはこのようなプロセスで因果関係が求められた例などが記述された文献が必要です。
- >今日において、最も有力視されているのは量子デコヒーレンスであるが、それも、解決すべき重大な課題が残されており、支配的学説となるには至っていない。
まず、「最も有力視されているのは量子デコヒーレンスである」のは何でしょうか?また、「、解決すべき重大な課題が残されており、支配的学説となるには至っていない。」ことをしめす文献が必要です。--Kwansai 2007年2月19日 (月) 12:40 (UTC)
- 「何も問題は生じない」のは、シュレーディンガーの猫に限定した話です。シュレーディンガーの猫とは別のことで決定論に不利な証拠が示されているのであって、決定論はシュレーディンガーの猫に何の問題も生じさせません。
- 偶然や交絡[31]では説明のつかない相関関係をもって因果関係を認めるのは疫学調査ではよく使われる手法です。他の分野においても、実験で事実確認するという行為は、同様の相関関係を見つけ、そこから因果関係を推定する行為そのものであり、それは、科学的に極めてありふれた手法に過ぎません。
- 量子デコヒーレンスに関することは、その項目をご覧ください。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月20日 (火) 10:06 (UTC)
- 決定論が不利(完全に否定されるわけではない)なことは量子力学の世界でコンセンサスが得られていることだと思います。Wikipediaの記述にも言及されている部分はあります。ベルの不等式とか。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月20日 (火) 10:25 (UTC)
- 一段落目について、誤読が起きないように編集する必要があると思います。二段落目について、量子力学の相関関係を疫学的手法を用いて解決しようとするというのは、私には想像もつかない事なんですが・・・。まさにWikipedia:独自の調査に該当する物だと思います。Wikipediaにおいてはそのような記述はふさわしくありません。もしそのような、方法が試みられた検証可能な文献がなければ消去すべきです。三段落目について、再びですがおたずねします。「最も有力視されているのは量子デコヒーレンスである」のは何でしょうか?それがわからないので、記述を見てすでに十分説明されているか判断出来ません。(ちなみに量子デコヒーレンスの記事は記事の正確さに疑いをもたれているそうですが、その解決が先かと思います。)--Kwansai 2007年2月20日 (火) 16:05 (UTC)
- 「疫学的手法を用いて解決しようとする」ではないと明記してあるはずです。良く読んでください。
- 量子デコヒーレンスのページを読んで、その内容が理解出来ないのであれば、それは、量子デコヒーレンスのページの記述を分かり易く修正すべきであって、このページの問題ではありません。それは、シュレーディンガーの猫のページを修正すべき理由になっていません。そもそも、分かりにくいのであれば、分かり易く修正すべきなのであって、削除するのはWikipediaの基本方針に反します。
- 量子デコヒーレンスに「記事の正確さ」のテンプレが貼られたのは2006年4月20日 (木) 15:29の版からです。その修正は、署名の無いユーザーによる物で、Wikipedia:削除依頼/量子デコヒーレンスで削除依頼を出した人物と同一IPです。それを読むと、訳の分からない理由(「何かIPが攻撃されてる」)で削除依頼が出されています。偽署名による「評価は肯定的すぎる」等の見解も示されてはいますが、内容が間違っているとする指摘は出ていません。よって、正確さに疑いをもたれているとしても、そのことをもって、記事の内容がデタラメだとは言えないでしょう。
- 以上、記事を差し戻すべきとする理由が不十分です。記事を差し戻すなら、差し戻すべき明確な理由を整理してからにすべきでしょう。また、この部分は、哲学に与えた影響を説明するために必要な記述です。哲学に影響を与えたのは、シュレーディンガーの猫そのものではなく、意識が状態を確定させるとする説なのだから、その2つの関連性について説明しないと、記述が不十分です。哲学への影響の記述が必要だとするなら、その項目を削除するのは妥当ではないでしょう。よって、記事を差し戻す前の状態に戻します。記事を差し戻すなら、差し戻すべき理由がハッキリしてからにしてください。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月21日 (水) 10:20 (UTC)
- 実験と科学の関係は中学校辺りで履修済みでないかと思います。それが独自の調査と言われても困ります。そこまで基本的なことについて文献を探すのも、かえって、難しいでしょうし。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月21日 (水) 10:33 (UTC)
- 文の誤りを修正。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月21日 (水) 10:39 (UTC)
コメント依頼に向けて
このページの序文について、および解決方法についてにおいて、私は現在の記述では誤読を招くおそれがあり、それを回避するため、および検証可能性を保証するために出典を求めております。一方該当する記述をされたWiki ryon様は常識で理解出来る範囲であり、また誤読の可能性もないために出典をこれ以上の出典を示す必要はないとしゅちょうされており、議論が平行線をたどっております。
記述が常識で判断出来るかどうかは、出来るだけ多くの方が理解出来るかどうかがポイントとなるために、これについて、コメント依頼を行いたいと思います。--Kwansai 2007年2月21日 (水) 10:37 (UTC)
- 誰かに意見を求めたいなら、ご自由にすれば良いと思いますが、強引に記述を変えてしまうのはどうかと思います。科学的な間違いや論理的なおかしさを指摘するなら分かりますが、貴方が言っていることは、単に、貴方の知識に基づく問題であり、それはWikipediaの編集の理由とはならないものです。
- また、序文については、どのような誤読を招くのかが明確にされていません。誤読を回避することと検証可能性を保証することは全く別の問題であるはず。どうして、それが一緒にされているのでしょうか。誤読を回避することは、書かれた文章の示す意味が一通りにしか解釈出来なければ、十分に担保されます。もし、誤読が完全に無い文章が書けたとしても、それに対して、検証可能性を保証する必要がなくなるわけではありません。両者は全く別の問題です。そもそも、序文について言えば、対象となる記述が既に存在しないのだから、これは、本文の記述に関する議論を逸脱しています。
- さらに言えば、実験と科学の関係を理解していないのであれば、量子力学について論じることは出来ないはずなのですが。理屈では信じ難い実験事実、それが、量子力学の問題の発端なのだから。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月21日 (水) 10:55 (UTC)
争点
初めて来た人のために、争点をまとめておきます。
- 「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明されるわけではない」では、誤解のある例が示されていないので誤読の余地がある。
- 科学の実験において事実が確認されるとは、どういうことか?
- 量子デコヒーレンスが、そのページの記述を見ても分からない。
以上、#序文についてと#解決方法についてより抜粋しました。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月21日 (水) 11:17 (UTC)
- 争点の時点で食い違いがあったんですね。私が求めたことは以下です。
- 「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」という誤解に対して、「(既にこのノート内でも挙げられているようです)」とWikiryonさんが、認識しているのならば、それをこのノートで指摘する事を求めています。
- 「因果関係を認めるためには認識の瞬間と確定の瞬間との間の時間的相関関係を確認する必要があるが、確定時期が実験結果から特定できないため、そうした因果関係を検証することは原理的に困難である。」という記述が常識を元に理解出来るかどうか
- 「今日において、最も有力視されているのは量子デコヒーレンスであるが、」という記述の主語が不明確なために、誤読のおそれあり。記述を改良するために出典を求めております
- 「人間の意識」云々は、シュレ猫の解釈として出てくるものですから、概要に置くことが適切ではないと思います。
- 「因果関係を認めるためには~」は常識を元に判断できないと思います。
- 「量子デコヒーレンス」が「どこで」有力視されているかの記述は(出典を含め)必要だと思いました。
全体に、1935年当時の解釈論と、その後の解釈論を、時期と、その解釈を行う立場を含め(物理学か哲学か)、切り分ける必要があるように思いました。シュレディンガーとボーアらの間には、世代的にも思想的にも違いがあるはずですし(シュレディンガーは量子論に関わった人のなかでは、かなり独特ですよね?)、そういった背景と、論争史・解釈史を追う記述があったほうがよいように思います。日本では、たしか湯川さんがシュレ猫について1941年に何か書いてたと思います。それと、誰かE. Schrodinger: Naturwiss., 23(1935), 807, p.p.824-844 に直接当たっているのでしょうか? そうでないなら、本文中で"Naturwiss"に発表された、などとするのがよいと思います。--Ks aka 98 2007年2月22日 (木) 06:35 (UTC)
- まず、ノートページは、記述内容について議論する場所であって、個人の認識について議論する場ではありません。そして、Wikipediaにおいて出典を明示すべきなのは、本文の記述内容についてであって、個人の認識についてではありません。
- 因果関係云々について、既にある説明を無視するのでは、議論にはなりません。その説明は、2007年2月20日 (火) 10:06 (UTC)にあり、争点は、それを踏まえて、2007年2月21日 (水) 10:55 (UTC)のように整理されるべきです。争点とは主張に争いがある部分を指すのであって、主張を無視した部分を指すわけではありません。通常は、無視=異論が無い、もしくは、全体的に些細な問題と見なされるのであり、いずれにせよ、大きな三つの争点とはなり得ません。
- 主語が不明確とは、「量子デコヒーレンスがシュレーディンガーの猫の解決作として最も有力視されている」と書けということでしょうか。シュレーディンガーの猫のページの見出し「解決方法」に書かれている時点で、それを意味することは明確であり、誤読の余地はないと思われます。しかし、日本語的に変の記述であることは確かなので修正しておきました。また、2007年2月20日 (火) 10:06 (UTC)にも書いたとおり、量子デコヒーレンスの詳細は、量子デコヒーレンスのページにあり、このページにそれを記述する必要は無いと思われます。
- 確かに、科学史と現在進行形の科学的問題とは切り分ける必要があります。現在の記述は、前者についてはわずか1〜2行で、主に、後者についての記述となっています。また、科学と思想も切り分ける必要があるでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月22日 (木) 15:28 (UTC)
- 科学的実験について補足しておきます。科学的実験は、相関関係を検証し、それが、偶然や交絡等の因果関係ではない原因では説明のつかない場合に、それを因果関係と認める行為です。実験の再現性が高い場合は、偶然では説明がつきません。交絡の影響を除外する方式でも相関関係が認められる場合は、交絡では説明がつきません。よって、そうした因果関係以外の原因では説明がつかない場合は、因果関係によって相関関係が生じたと推定出来ます。もちろん、この因果関係の検証は、定性的な推定だけでなく、定量的な推定も行ないます。以上は、2007年2月20日 (火) 10:06 (UTC)の説明を少し詳しくしたに過ぎず、中学生程度で履修することを説明した文章に過ぎません。
- ちなみに、コメント依頼が為された時点での、該当部分の記述は「しかし、これが交絡[32]によるものではないと断定することができないため、因果関係まで確認されたとは言えない。確定時期が実験結果から特定できないため、そうした因果関係を検証することは原理的に困難である。」です。その時点の本文の記述でない物は、争点となるはずがありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月22日 (木) 15:49 (UTC)
インデント戻します。コメント依頼によって、コメントが寄せられるまでの期間として、私は約1週間程度は議論を差し控えます。--Kwansai 2007年2月23日 (金) 02:50 (UTC)修正--Kwansai 2007年2月23日 (金) 03:12 (UTC)
- 意見を差し控えるのは自由ですが、以下のことについて何らかの釈明はないのでしょうか。
- 本文の記述内容ではないことを争点に挙げていること。
- 既出事項を完全に無視していること。
- もちろん、釈明しないのも自由ですけど。釈明する気が無いということは、異論がない=事実と認めるものと見なされます。よって、争点は次の通りと考えられます。
- 「人間の意識が量子力学的作用を及ぼすことが証明される」云々は本文の記述ではないので争点から除外
- 科学の実験において事実が確認されるとは、どういうことか?
- 量子デコヒーレンスは該当ページで説明すべきか、シュレーディンガーの猫のページで説明すべきか?
- 以上について、皆さんの意見を問うわけですね。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月23日 (金) 11:56 (UTC)